13枚目 「強欲な針鼠」


 硝子玉の瞳から一体何が読み取れるというのだろうか。読み取れたとしたならば、それは救いようのない自意識過剰に他ならない。


 私は自分の背丈より一回り小柄な金髪少年に板枷で束ねられた腕を引かれながらさめざめと走っていた。


 ああ、何故だ。どうしてサバイバル由来の野生の勘がこうも鈍っているのだろうか。あの砂漠から外に連れ出されて、まだそんなに時間も経っていないというのに。


 そもそも被り物かどうかぐらい、口が開閉していない時点で気付くべきだったのだ。馬鹿は私である。どうしようもなく救いようもなく、救う要素も無い悲しいまでの自意識過剰な少女が私である。一人でどうにでもなると勘違いして、ことの大きさを理解しようともせずに鼻を伸ばしては叩き折られ、今の精神状態はズタボロのバッキバキだ。心が立体形成されてない。あのコーフィーという黒い飲み物に溶けていった多量の砂糖の如くドロドロに融解している。


 何だよ、全部見通した気になって、結局は手のひらの上をゴロゴロ転がされていたんじゃないか!

 うわあああ、恥ずかしい、恥ずかしい、顔から火が出そう!


 しかし手のひらで顔を覆うには、今引かれているこの手を振り払わねばならない。


 彼の人族離れした腕力からしてそれが無駄な抵抗であることは分かっているので、私は灰色の地面を凝視し、小石の数を数えながら走っていた。


「ねえ、大丈夫?」

「……ふふふっ……」

「ろれつが回ってないなあ、何処かで毒でも盛られた?」


 質の悪い毒には中てられたかもねぇ、主に精神的な部分が。


「貴方が案じるような魔術の類を受けたわけじゃないわよ。普通にショックだっただけ」

「ショックって何が」

「あの紳士な獣人と貴方が同一人物だったっていう事実が」

「それ、本人の前で言う?」

「聞かれたから答えただけよ」

「君、容赦ようしゃって言葉知ってる?」

「知らないわ」


 ぶっきらぼうに答えながら、私は目の前の針だらけの背中を見つめる。


 テント内からの脱出。

 即売会自体を仕組んで罠とした彼らにも当然リスクがあった訳だ。


 彼らは人売りやその関係者を捕まえる為にテント内に幻影魔術を施している。


 商品が逃げ出さないようにするため、という名目で張られていた魔術は、現在は袋の鼠となった人売り達を閉じ込める網となった。


 だが、計画の中枢に居る人間はその中にいる必要があった。即売会の主催者「シャイターン」を演じていた金髪少年や、内部で活動している彼の協力者 (灰ケープの一団と呼ぼうか)は、このままだとテントの中で彷徨い続けることになるのだという。それを防ぐ為に、まずは自分がこの術式の外に出る必要があるのだ、彼はそう説明した。


「俺自身は、魔術が得意じゃないっていう話はしたよね」

「ええ」

「俺の『無魔法』の特性を一言で説明するとすれば――って、あっちゃあ、見つかった」


 言いかけた金髪少年が横道に逸れると、五人組の人売りに出くわしてしまった。


 金髪少年は話の腰を折られたからか渋々といった様子で私の腕から手を離し、前方の敵に距離を詰める。


 人売りからすれば、小柄な少年が無防備に特攻して来たように見えただろう。

 驚く顔面に少年の細い膝がめり込み、続けて繰り出される回し蹴りの直撃を受けて、男が吹っ飛ぶ。


「まず一人!」

「ガキがぁ!」


 背後から奮われる敵の武器は、身を屈めることで回避した。


 革靴の先が大柄の男の膝裏にヒットする。

 不意の一撃に歪んだ顔に、加勢に入ろうと駆け寄ってきていたもう一人の人売りの膝が打ち込まれて共倒れ。


 金髪少年はそのまま三人目も蹴っ飛ばす。


「これで三人。まだやる?」

「……っ!」


 四人目の人売りは少年の言葉に一度怖気づいたが、その周囲に陽炎が現れる。

 それは火魔法を発現させる予備動作――。


「直撃するわ! 避けて!」

「『炎弾フォイア』!」


「――っと」


 ばさっ。


 金髪少年は黄土色コートを人売りの顔面に向かって脱ぎ棄て――背面の太い針が、魔術の火を受けると、人売りの指先から放たれた炎を


「はああああ!?」

「ごもっともな反応をありがとさん」


 必殺、針のむしろっ!


 間抜けな掛け声と共に、棘の面を正面から押し付けられる形になった人売りは、断末魔の叫びを上げながら床をのたうちまわった。


 ああ、地味に痛そう……。


 金髪少年はコート越しに人売りに追撃を加え、ちょっと赤くなった棘が痛々しいそれにまた腕を通す。


「四人っと。あと一人居た筈だけど――ん?」

「……」


 だがしかし。全く、よそ見も良いとこである。


 私は金髪少年の一連の様子を、背後に回った五人目の人売りに拘束された状態で見ていたのだから。


 離れるなと言ったのは何処の誰だろうか。


「……あ……ごめん、君の存在をすっかり忘れてた……」

「ちょっと、面白い感じに反省してるんじゃないわよ、それよりも助けなさい」

「げ、ちょ、動くなぁ! 喋るなってさっきから言ってんだよぉ女! なんで首に刃物当たってる状況でこうも普通の会話ができるんだあんた!?」

「人売りさんは優しいのね」

「おじさんは只の悪人だからなあ!」

「なんだよ、ちょっと見ない間に仲良くなってるじゃないか……」

「そこの金髪頭も乗って来るんじゃねえええ!」

「五月蝿いわよ耳元で叫んでくれちゃって」


 私はクルンとその場で身を翻した。喉元の刃が薄皮に赤い線を引く。


「『霹靂フルミネート』」


 ズドンと、鈍い音が響く。人に雷が落ちた音だ。

 少年に撃ったものとは威力が劣るが、十分な火力があるらしい。


 人売りは全身の至る所にやけどを負った状態で口から煙を吐き出し、床に突っ伏した。


「……」


 とどめは、刺した方が良いのだろうか?


「ちょ、待て!! 駄目だ!!」


 考えた末に、取り敢えず頭を殴れば沈黙するだろうと考えて枷を振り上げた私を止めたのは金髪少年だった。


 ついさっきまで人を殴ったり蹴ったりしていたとは思えないその剣幕に、私は思わず動きを止め、その間に人売りはバタバタと両足をばたつかせて、静かになった。


 金髪少年はそのまま人売りの方に駆け寄って腕を取ったり胸に手を当てたりして、わたわたとしていたが、呼吸をしている様子を見てようやく一息ついた。


「はあ、驚いた――俺達の目的は捕縛なの! 生け捕り! 止めを刺しちゃあ駄目なの! 何してるのイゥルポテーさん!?」

「ごめんなさい、つい。我が家の食卓に並ぶ魚がもの凄く頑丈だったから、あれぐらいしないと気絶しないかと思って……。そもそも人間相手に雷を落とすなんて、今日までしたこと無かったから」


 『霹靂フルミネート』はその特性上、持っている魔力の半分を最大値として発現する魔術だ。先程舞台の上で一発放ったので今落とした雷の威力は半減しているが、何分なにぶん加減が分からない。


 思い返せば、目の前の金髪少年は雷耐性の付いたローブを着ていながら、口から煙を吐くようなダメージを負ったのだ。やはり、人に向けるには危険ということか。


「いやいや、雷だけでも致命傷なんだから命中クリティカルしたら追撃しちゃ駄目だよ」

「ご、ごめんなさい」


 普通に怒られてしまった。


 さっきまでの余裕の笑みは何処へやら、一転私が全体の悪者になってしまったようだった。怒りの矛先が半回転してしまっている。そして、どうしようもなく私が悪いのは確かだ。


「もうしないって約束できる?」

「しない、しないから。少なくとも加減を覚えるように努力するわ」

「……分かった。ちゃんと誤ったし、大目に見る」


 ま、こいつもこれで懲りるだろ。と、さらりと言ってのけた金髪少年は、懐から取り出した白い布のような物を人売りの火傷にペタペタ貼り付けると、続いて私の腕を取る。


「?」


 金色の髪が背伸びをしたことに気付いた私は、彼の目線の高さまで姿勢を屈めた。


「首。俺は白魔術とか無理だから、これ貼ってて」

「あ、ありがとう」

「よし。先を急ごう」

「ええ」


 腕に伝わる圧は、角を曲がる前よりほんの少しだけ強くなっていた。


「……俺の特性は、『魔法の無効化マジックキャンセル』だ」


 気まずいだろうに、彼は律儀にも話の続きを始めた。


「無効化」


 真っ先に思い当たるのは、私に素手で触れた際に起きた解呪現象である。


「そう、俺はどういうわけか、触った相手の魔法効果を解除することができるんだ。効力は触れてる間に限られるけど、呪いや操りを解くには十分すぎる能力だよ」

「既に発動した魔術でもそうなの?」

「そうだね。発動後でも接触できたなら。但し、一度発現した物質までは消せない」

「……なるほど」


 先程金髪少年が相手をした魔術士は、「火」を操ろうとしていた。


 彼の体質が単なる無効化であるのなら、素手 (効率を考えるなら露出の大きい服や裸)で戦った方が遥かに有利な筈だ。


 だが、「火」から魔力を取り除いた所で、自体が消えるわけじゃない。


 「土」も「水」も「風」も「雷」も同じように術者の魔力を燃料に発現するが、魔力の供給が止まったからといって瞬間的に消滅するものではないのだ。

 土や水はその場に残るし、風は通り過ぎるまで存在するし、火に至っては火種さえあれば絶え間なく燃え続ける。雷だって、帯電式の蓄電器バッテリーがあればかなりつのである。


「――だから、魔法具なのね」

「そういうこと。といっても、普通の魔法具だと自分で無効化しちゃうから、手袋越しに触るか、このコートみたいに特注で作って貰うしかないんだけどね」


 金髪少年は言いながら、空いている赤い左手を握ったり開いたりする。

 同時に、私が抱いていた疑問の一つも氷解した。


「道理で、妙な作りになってると思ったわ。ケープと違って、貴方のコートは一目で魔法具かどうか判別できないもの――針もそうだけれど、陣を編み込んだ素材と素肌が接触しないように作られてるのね。ということは硝子玉みたいな目も特注というオチかしら」

「被り物の目は只の魔鏡素材マジックミラーだよ?」

「そ、そう」


 てっきり、人をかどわかす効果が付いていると思ったのだが。

 私は気を取り直し、呼吸を整える。聞きたいことは他にもあった。


「私は長い間俗世から離れていたからピンと来ないのだけど……魔導王国って、どういう国なの?」

「魔導王国を、ご存じない?」

「いいえ、知ってるけど。八年前の知識だから当てにならないと思って――ほら、貴方は私が人を殺そうとしたのを止めたじゃない? あれ、驚いたのよ。私は戦争の時のことしか知らないから」

「……」

「この件が一段落したら、短い間でも貴方達の国にお邪魔することになるだろうし、情勢ぐらいは知っておいた方が良いと思って――」

「殺しはしないよ。そういう決まりだから」


 淡々と彼は言って、私の腕を握る力を弱めた。


「人を殺すことが、禁じられているの?」

「ああ」

「どんなに悪人でも?」

「ああ」

「国に仇なす敵民でも?」

「今は、ね」


 昔は酷いもんだったけど。

 少年は私の方を振り向こうとはせずに、言った。


 目の前の少年は私より二つか三つ年下だろう。だとすれば、戦争が終わった時、幼いながらに彼は何を思ったのだろう。


 人族である彼が魔導王国に行き付いたその理由や動機は計り知れない。

 勝手な想像ではあるが、苦労の多い人生を送って来たに違いない。


「血も涙も無いのはこっちの方だった、ってことかしらね」

「何か言った?」

「いいえ何も。それより、後どれぐらい走れば出口とやらに着くのかしら」

「もうちょい」


 そう短く答えると同時に、彼は少しだけ足を速めた。


 自然、私の足も速めなければならないが、鎖で繋がっている足では限界がある。

 私は眉を顰めて、手元を軽く内側に引いて抵抗の意思を示した。これ以上速く走るとすっころげてしまう。


「どうしたの、急に速足になったりして」

「……君、上を見る余裕はある?」

「上?」


 腕は彼に掴まれているので、視線を多少ずらした所で走る方向を間違えたりはしないだろう。目の前に大した障害物もなかったので、意を決して顔を天に向ける。


 果たしてそこには、私が一度かち壊した固定魔術式が見事に修復されていた――が、それがどうしたというのだろうか。


「天井の固定魔術がどうかしたの?」

「うん? ああ、陣を読んだのか」

「むしろ陣以外の何を読むって言うのよ」

「うーん、陣は読まなくていいから、他に気づいたことはない?」


 少年に言われ、再び見上げる。何度観察してみても、天井は天井だ。円柱型のこの建物は、中心から放射線状に黒と赤のストライプが無駄に美しい――と、そこまで考えてふと気付く。


 大型の建築物というだけあって、テントの天井はかなりの高さがあった筈だ。


 それがどうだろう。今は大分手が届く位置にあるように思える。分かりやすく言うと、助走を付けて飛び上がり手を伸ばせば届くぐらいの高さに、天井があるように見える。


 まばたきを繰り返すも、錯覚ではないらしい。


 ……。


「ねえ、まさかとは思うけど」

「あはは」

「はは、そうよね、天井って低くなるものよねえ――って、そんな訳があるかあ!」


 私は金髪少年の腕を一度振り払って、それからしっかりと握り直した。


 金髪少年は一瞬口を丸く開いたが、今度こそ私の意図が伝わったのか緩めていた足を速める。


「どうして!? 条件起動なんじゃなかったの!?」

「条件起動はそうだけど、もし事故か何かで俺が出られなくても人売りは捕まえる必要があるだろう? もしそうなったら俺が肌を出さなきゃいいっていう話だからさ。今回使ってるのは捕縛転送術式。俺がしくじれば誰も捕まえられないが、それさえクリアしてしまえばこんなに楽な捕縛はない!いやぁ、昨今の魔術の進化って目を見張るものがあるよね!」

「それならそうと先に言いなさいよ! もっと時間があるって高を括ってたじゃない!」

「いやあ、結構早い段階で時間がないって伝えたつもりだったんだけどなー」

「はっきり理由を説明して欲しかったわね!」

「はっはっはー、別に死ぬってわけじゃないのに、手汗が尋常じゃないねえ!」

「だから一言多いって言ってるのよ!」


 ありえない、天井と床に挟まれるなんて苦しいに決まっている!


 速さを増す風景を無視して、襲い掛かってくる人売りの間を縫うように駆け抜ける。こうなると足元の鎖も手元の枷も邪魔で邪魔で仕方がない。


「おお、見違えるようだ、速い速い」


 なんて言いつつ笑う彼は、私を茶化す間もしっかりと誘導してくれていた。その足は常に私の一歩前に出ているのに対して、額には汗一つ浮かんでいない。


 ……この場合、化物とはどちらのことを言うのだろうか?


「鎖と枷で拘束されているにも関わらずこのスピードで走っていられる君の方がよっぽど」

「ちょっと待ちなさい。私まだ何も言ってないわよ!?」


 誰が何と言おうと、私はか弱い乙女である!


「何処が?」

「心を読むなあ!」


 そうしてやり取りをする間にも、目に見えて天井は下がってくる。


「出口だ」


 必死に走る内に、少年がそう呟いたのも良く聞こえないまま、私はテントを脱出した。







 私たちが放り出されたのは思いの他高い場所だった――町を一望できるぐらいに。




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