※閲覧禁止につきタイトルを表示できません※

笹倉

状態 : 閲覧禁止

 “状態 : 閲覧禁止”



 背の高い書架を見上げ、私は首を傾げた。


 昨日まで、この図書館で読み進めていた本が、突如として閲覧禁止になっていたのだ。直接頭に接続した“拡張擬似頭脳機器”、それに内蔵されたリーディングアシストシステム、通称RASが告げる警告音、そして視界の赤い明滅に私は顔をしかめた。

 もう若齢とはとても言えない私の目に、この光は強過ぎる。


 この割り増しされた脳味噌拡張擬似頭脳機器を、私のような老体には使いこなせない。文字通り、自分の脳機能を補助したり拡張したりしてくれるそれが便利であるのは認めよう。

 認めるが……。


 RASの指向性警告音の次は、健康管理系のシステムが作動する。視界内に閃く文字列曰く“視界・聴覚への強過ぎる刺激に対する警告”だそう。動悸も激しくなってきたから、このままだともしかしたら追加警告があるかもしれない。


「おやおや」


 自分にしか聞こえない喧しい音の中、どうにか聞こえた声の方、つまり私の右隣を見てみれば、紺色のエプロンをした、小柄な若者が私を見上げていた。

 若者の名はヴィルヘルム。この図書館の司書だ。

 私のような年老いた利用者を何かと気にかけてくれる、気の良い青年だ。まあ、少しばかり性格に癖はあるが。

 彼は澄んだ青い瞳を悪戯っぽく光らせて、私の名を呼ぶ。


「よっ! ラルフレンサの旦那」

「ラルフで構わないと以前から言っておるだろうに。何しに来た?」

「ははっ、ご挨拶だなあ。相変わらず冗談が通じない御仁だな、貴方は。たまたま貴方が狼狽えているを遠目で見かけたもんだから、少し敬意を表しに来たってだけですよ」


 ニッと歯を見せる若者を見て、ようやく気づいた。私はこの若者にからかわれていたらしい。気恥ずかしい思いもあって、私は小声ながらも多少声を荒げた。


「笑いごとではない、ヴィル! これをどうにかしてくれ!」

「ん? ああ、もしかしてまた脳味噌モドキを壊したのか?」

「壊しておらん! その、少し煩わしいだけだ!」

「はいはい。どれどれ見せてみな。この不肖、司書ヴィルヘルムが、いつも図書館をご利用くださる貴方の機器の危機を解決いたしましょう。なんてな」


 ヴィルはそう嘯くと、近くの書棚の傍にあった脚立を調達して来た。


「本当、貴方は相変わらず図体はバカみたいにデカいな」

「バカなことを言っておらんで、どうにかしてくれまいか? 喧しくて敵わん!」

「ハイハイ」


 脚立によじ登り、私の側頭部に僅かに突き出ている、拡張頭脳の辺りを見ている。


「確か、拡張頭脳には浮遊機能のようなものもあるだろう? そんな道具を使わずとも良いだろうに」

「あいにく、俺はその万能ヅラしたソイツが嫌いでね……。何だ、RASから警告食らってただけか」


 その“食らっただけ”が大ごとなのだ。


 そんな言葉が喉まで出かかったが、そんなことを言えば、またからかわれるに違いないので代わりに口にしたのは別のセリフだった。


「……どうすればいい?」

「右上あたりに“警告詳細”ってないか? そこを見ながら、まばたきを二回。そしたら正面に“警告内容を確認”ってウィンドウが出るから、“はい”を見てまばたき二回だ」


 ヴィルの言う通りにすると、先程までが嘘のように音も光も止まる。静けさが戻ってきて、安堵する。いや、元からこの場所は静かだったはずで、私ばかりが、音と光に閉じ込められていたのだ。


「さて我が友、大丈夫かい?」

「ああ、どうにかなったみたいだ。感謝する」

「良いってことよ。しかし、なんだってそんな警告食らう羽目になったんだ?」


 そもそもの原因を尋ねつつ、脚立に乗ったままのヴィルは私が先まで見ていた方に視線を向ける。と同時に納得して強く頷いた。


「はっはー、なるほどなあ。コイツのせいか」

「お前たちが閲覧禁止の本を開架に置いたままにするからだ」


 多少意趣返しの意味合いを込めつつ言ってみせれば、


「……つまり、俺らの職務怠慢だって言いたいのかい?」


 と見事に機嫌を損ねた。脚立の上で口を尖らせる若い友人に、少し言い過ぎたと反省する。


「そこまでは言わん。悪かった」

「分かればよろしい」


 教師のような言い草が少し可笑しい。愉快な男だ。


「何笑ってるんだよ」

「いや何、大きな意味はない」


 そう言ってみせるとヴィルは肩を竦めた。

“その話はここまでにしよう”という、彼のサインだ。


 二人して再び本に視線を向ける。本には相変わらずモザイクがかかっていたが、その傍に“確認済みの事項です”という赤い文字が灯っていた。先の警告よりは目に優しい。


「それにしても、貴方がこの本に目をつけていたとはね。懐かしい本だなあ」

「ああ。昔から繰り返し読んでいる本だったんだがなあ」

「へえ」


 ヴィルは目を丸くした。


「おや、言っていなかったか?」

「コイツを読んでいたのは初耳だ。貴方がこういった、所謂お伽話のようなものを好んでいたのは知っていたけど」


 私は骨張った指先で背表紙を撫でる。

 RASの検閲機能で、視界内のそこにはモザイクがかかってはいてタイトルは見えない。何度も読んだ話だ。忘れようもない。



『空飛ぶドラゴンと少年魔法使いの冒険』



 タイトル通り、ドラゴンと魔法使いの冒険譚だ。どこか優しく、懐かしく、温かみのある作品で、魔法使いによる旅行記という体裁のお伽話だ。

 尊大なドラゴン、心優しい魔法使い、口煩い妖精、どこか憎めない魔王などなど、登場人物たちは多彩で、生き生きとしているのだ。

 ヴィルも背表紙を眺めている。彼は拡張頭脳をつけてないからそのタイトルをはっきり目にしているはずだ。

 彼自身も述べていたが、最近には珍しく、ヴィルは拡張頭脳が苦手らしかった。拡張頭脳を使っていない人間を、私は彼以外知らない。


 彼はしばらくして、


「国からのお達しさ。最近になって非科学的・非現実的な話は規制が急激に厳しくなったんだよ。魔法やらドラゴンやらが出てくる本はさ、その筆頭だろ。禁止措置にならないように、粘ったんだがなあ。残念だよ」


 とヘラリと笑った。


「お前もこの作品が好きだったのだな」

「ああ、好きだよ。だけど、俺がコイツを好きだからなんて曖昧な理由で残せるわけもないのさ。上の言い分的には、拡張頭脳が誤作動を起こす可能性があるんだと」

「そうなのか?」

「ああ。そういう話を読むと、拡張頭脳が非科学的なものが実在するって誤認する恐れがある上、機能に悪影響を及ぼすって……大げさすぎて笑ったよ」

「そうだな」


 私は強く頷いた。


「そもそも、そんなもの存在するはずない。それは非科学的な話を読もうが揺らがんさ」


 魔法やらドラゴンやらが存在するなんて、そんな非科学的な話があるわけがない。そのような話を読んだからと言って、非科学的存在を信じるなど到底考え難い。仮に目の前に現れたとしてもまずは拡張頭脳の誤作動を疑うだろう。

 そういう意味で彼に頷いてみせたのだった。


「そうだよな。本を読んだくらいじゃな……」


 そう呟いたヴィルも同じように頷いた。


 ※



 彼とドラゴンの会話は、こうして終わったのでした。


 ドラゴンは彼に別れを告げました。


 ヴィルヘルムは、古くからの友人であるドラゴン、ラルフレンサの背中を見送ります。

 真っ赤な翼に、同じ色の鱗に覆われた巨体、白銀の角……そして、角の傍に大きなこぶのように突き出た拡張頭脳が見えました。


“あなたの思考整理を全力アシスト! 効率化を実現しました!”


 そんな謳い文句で、世界中に広まった脳味噌モドキ。

 魔法よりも、おとぎ話よりも、空を駆るドラゴンよりも、何よりも早く広がったそれは、タチの悪い伝染病のようにも思えました。


 ヴィルはドラゴンの翡翠色の瞳を思い出します。彼自身の姿は、彼の瞳にはどのように見えているのでしょう。


「……本当に残念だ、旧友よ」


 そう言いながら、ヴィルは人差し指をくるりと回しました。すると、先程使った脚立が跡形もなく消えてしまったではありませんか。


 彼は再び『空飛ぶドラゴンと少年魔法使いの冒険』を見上げました。茶色い革表紙に少し色褪せた金色の文字。


 この本が図書館に初めて収蔵された当初の登録ジャンルは「旅行記」で、そのうち「ファンタジー」に変えられました。

 現在は「SF」に偽装して、開架に置かれています。


 恐らく、この後に定時巡回に来るだろう書籍運搬ボットがこの本を閉架書庫の禁書管理ブースに移動させるでしょう。そうなれば、この本は誰の目にも触れることはなくなってしまうのです。


「……貴方との冒険は、これで本当におしまいなんだな」


 魔法使いヴィルヘルムは一人ぼっちで肩を竦めたのでした。

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