第10話 死ぬ気で引き揚げろ、だ!

 がらがらっと、はるかうしろのほうでなにかが崩れ落ちる音がした。

 だれかが叫んだ。


「寺が……、本能寺が……焼け落ちます」

 

 狭い路地を息を切らしながら走っていた人々が、うしろを振り向くと、木々に隠れたその向こう側で、燃え盛るお寺の屋根が崩れ落ちていく様子が見えた。

 そのなかにいるひときわ若い女性が動揺のあまり、思わずその場にへたりこみそうになったが、年上の女性がうしろから手を差し伸べて支えた。

 若い女性はハッとして気を取り直して歩を進めたが、どうしても目から涙がとまらなかった。

 彼女は燃え盛るお寺のほうをもう一度だけふりむいた。

 そのとき、すっと彼女の頭のうえから、別の女性の顔が浮き出るように現れた。

 かがりの顔だった。

 かがりはその若い女性とおなじように悲痛な表情を浮かべたまま呟いた。


『信長様……』


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 夢見聖は『念導液』と呼ばれる液体のプールのなかにからだを沈めた。すでに上半身は裸でからだ中にはいくつものセンサーが貼りついている。 

 聖は自分のからだの各所に取り付けられたこのコードを見るたびに、これは自分を操る『糸』で、自分は見えない『何者』かに操り人形のように、ただ操られているだけではないかと感じていた。

 それが『運命の糸』に操られている、という出来過ぎな答えに思える時もあったが、結果が思わしくない時は、この糸に引き摺り回された、と気分が落ち込んだ。

 だが、今日だけはそんな気持ちは微塵もなかった。いや、考えてはならなかった。

『この糸は手綱だ。操られるんじゃない、ぼくが操るものだ』

 聖は天井付近に設置されたモニタをじっと睨みつけた。そこには別室で昏々と眠るかがりの姿が映し出されていた。

「おい、聖。おまえ、顔に余裕がねぇぞ。しっかりしろ」

 すぐ横のプールから首までからだを沈めたマリアが声をかけてきた。

「マリアさん、だれだってこういう時って、プレッシャーを感じるものでしょう」

 そうエヴァに言われて、聖はかがりが映し出されたモニタをじっと見つめた。

「聖さん、とにかくベストをつくしましょう」

 エヴァはそう言ってゴーグルをかぶせると、こめかみ部分にあるスイッチをいれた。それに続いて、マリアもゴーグルのスイッチを押しながら言った。

「聖、俺からの助言はひとつ」


「死ぬ気で引き揚げろ、だ!」


 ふたりがプールの底に横たわったのを確認すると、聖は頭上のもうひとつのモニタのほうに声をかけた。そこにはいつものように、叔父、夢見輝男がいた。だがいつもと違い、すこし強ばった顔つきでモニタを覗き込んでいた。

「おじさん、マリアの言うように、死ぬ気で引き揚げるから」

 輝男がモニタのむこうで頭を垂れた。

「すまん、聖、頼む」

 聖はすべての器具を装着すると、プールにからだを横たえた。

 輝男のくぐもった声が聞こえた。


『ナイト・キャップ始動』


 目の前に光が点灯しはじめたかと思うと、眼前の光が一気にスピードをあげ、膨大な星の光の槍となって奥へ飛んでいく。イヤフォンからは「キーン」という高周波音。

 

 一瞬ののち、光と音の洪水に体中を包みこまれる。

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