10 入浴
ルルリアナはリースに優しく頭を洗われ、不思議に思っていた。
教育を受けた侍女たちの方が洗髪の技術は優れているだろう。だが、リースの方が心地よいと感じるから不思議だ。リースのマッサージは侍女よりも痛みを感じるほど少し強めで、逆にその痛みが心地よいから不思議だ。
それに、他人と入浴するなど初めての経験で、一人用のバスタブは二人で入ると足を延ばせないほど窮屈なのに、一人で入るよりもとてもリラックスできる。
リースがバスタブに散らした赤いバラの花びらで体が隠れているため、ルルリアナもそれほど恥ずかしいとは感じなかった。
バラの強すぎる香りも水で程よいほどに薄まっており、ルルリアナは胸に貯まったストレスや疲労がほぐれていくのを感じた。
リースが侍女に熱湯を足すように指示したため温度がとても心地よい。いつもより少し熱めの湯は、ルルリアナの好みの温度だった。
リースの言葉もルルリアナと裸でお風呂に入っているからか、口調が柔らかいものに変わっている。そのことがルルリアナはとても嬉しかった。
まるで本当に友達になったみたいだ。
「痒い所ある?」
リースに優しく頭皮をマッサージされながら、ルルリアナは目を瞑りそっと頭を横に振る。
「体、温まった?」
今度は縦に振る。
「良かった」
それ以上リースは何も話さず、頭についた泡を流していく。
心地よい森閑が訪れ、ルルリアナはそっと肩の力を抜く。
リースがバスタブに深く体を沈め水があふれる。それとともに、リースの口から満足そうなため息がこぼれる。
リースの少し親父くさいため息に、ルルリアナの唇は柔らかな曲線を描く。
リースの足がルルリアナを挟むように伸ばされ、リースはやや乱暴な手つきでルルリアナの頭を自分の胸にもたれかけさせた。
ルルリアナはリースの柔らかな胸の感覚に恥ずかしくなり顔を手で隠す。初めて他人が自分を甘やかす行動が、ルルリアナはとても嬉しかった。そう感じてしまったら、目からあふれる涙を止めることができなかった。
涙がこぼれるとともに、ルルリアナの口からぽつりぽつりと言葉が漏れ出る。
話し始めたルルリアナに気を使ったのか、扉がそっと閉じる音が聞こえてディランが部屋の外に出たことを告げる。
「私…どうしていつもうまくできないんだろう。一生懸命頑張ってるのに、いつも失敗ばかりしてて、誰からも愛してもらえない。レオザルト様には信頼されていると思っていました、愛されていなくても、信頼だけはされていると思ったんです。……きっと、きっと、私は誰からも本当の意味では信頼されないし、愛されないんだわ」
ここから逃げて、どこか遠くに行ってしまいたい…、と。
リースは何も言わず、そっと後ろからルルリアナを抱きしめる。
ルルリアナはその腕の中が本当に懐かしくて、嗚咽を漏らすほど泣きじゃくっていた。
バスタブの湯がすっかり冷え切ったころ、ルルリアナはようやく泣き止み、感情のままに泣いてしまったことに恥ずかしくなる。
「…私……」
「大丈夫。ルルリアナ様は言ったよね?世界はルルリアナ様が知っているよりも未知だって。私もそう思う。ルルリアナ様が思っているよりも世界は広くて、あなたを愛してくれる人はたくさんいる。きっと、レオザルト殿下よりもあなたに相応しい人もきっといる。レオザルト殿下よりもあなたを大切にしてくれて、愛してくれて、守ってくれる人が」
だからその人を一緒に見つけよう?と、リースはルルリアナの頭にそっとキスをする。
その感触がこそばゆく、ルルリアナは泣きながら笑っていた。
「でも、レオザルト殿下の運命の相手は私だと神がお告げになりました」
「でもそれって、DNAの話であって愛とは関係ないでしょ?」
「DNA?」
「ん~、遺伝子…もわからないか…。なんて言えばいいのか…。そう、ただの子孫繁栄の話で合って、二人の感情は伴わない話でしょ?」
「私とレオザルト殿下の感情は関係ありません。神の御心によって、私とレオザルト殿下が結ばれる運命なのですから。…運命には誰も逆らえません」
「運命なら…。もしも運命が本当にあるというなら、あなたがここから抜け出しでもあなたはレオザルト殿下と結ばれるってことだよね?つまり、ここにいても、どこか遠くに逃げても、結論は同じだよ」
ルルリアナは勢いよくリースに振り返ったため、水しぶきがリースの顔にかかる。
顔に付いた水を両手で拭ったリースは、真剣な瞳でルルリアナに問いかける。
「私と一緒にここから逃げよう?」
小さく、まるで震えるようにルルリアナが頭を振り否定する。
「外の世界見たくないの?一緒に見に行こうよ」
ルルリアナはそれ以上、リースのまっすぐな瞳を見つめることができずに、いつものように視線を逸らすことで逃げ出してしまう。
「ここから、逃げたいんでしょ?」
リースはルルリアナの顎に手をやり、無理やり視線を合わさせる。
「どうして私にそんなに優しくしてくださるのですか?出会ってまだ日も浅いのに」
ルルリアナの質問にリースは胸の中心にある大きな傷をルルリアナに見せる。
リースの傷は胸の中心に鎖骨下から三十センチにも渡る傷で、よくリースが生き残ったと思うほどの大きな傷跡だった。
ルルリアナはリースに触っていいか聞くことも忘れ、そっと指先でまるで縫われたかのような傷をそっとなぞる。
ビクンと体を震わせたリースにルルリアナは謝る。
「ごめんなさい、痛かったですか?」
「ううん、全く痛くないの。ただちょっとくすぐったかっただけ。触りたかったらもっと触ってもいいよ」
白いリースの綺麗な肌を切り裂くようなその傷跡は、本来なら醜く感じてしまうのだろうけれどもルルリアナは少しもそんなこと思わなかった。リースの強さを現しているようなその傷跡を大切にたどっていく。
「よくこんな大けがをして生き残りましたね」
リースは傷跡をのぞっていた指をそっと取り、指先にそっと口づけをする。
「この傷跡は私を助けるために付けられた傷なの」
「助けるための傷?」
この世界に外科手術は存在しない。体に傷をつけることは神が作った肉体を傷つけられると信じていたからだ。リースの傷はその世界の常識からかけ離れていた。
「私がいた世界では手術といって命を救うために人の体を傷つける治療が行われています。この世界では忌み嫌らわれている行為で助かっている命がたくさんあるのです。私は心臓が悪くて、命を助けてもらうために大切な人から心臓を貰いました」
「そんなこともできるのですか?」
「はい、難しいことですが、他人から心臓を貰い命をつなげている人もいるのです。私のここにある心臓は私が一番愛していた人からもらい受けました。その人の命を犠牲にして、私に幸せな人生をくれたのです。だから、貴方を助けることでその償いを…お礼をしたいのです」
「私にですか?」
リースの目が寂しそうに陰り、ルルリアナの頬をそっと撫でる。
ルルリアナはもっとリースに触れてほしくて顔を摺り寄せていた。
「あなたはその人そのものだから。だから、貴方をルルリアナを助けたいんです。私が歩んだような幸せな人生をあなたにも歩んで欲しいんです。愛しい人と結婚し、可愛い子供を授かり、孫に囲まれる笑いに満ちた人生を」
ルルリアナの目から再び大粒の涙がこぼれ、震える唇でリースに問う。
「そんな人生、私にもあるのでしょうか?」
「……私がこんなことを言ってもいいのかわからないけれど、少なくともここにいてはあなたは少しも幸せになれないと思う」
「私…私は、ここから…ここから、逃げ出したい。リースと一緒にいたい…。幸せになりたい」
「だったら逃げよう!」
差し出されたリースの手を、ルルリアナは力強く握りしめたのだった。
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