第6話空襲
ウィルとハーナストを乗せた直行の貨物列車は途中の街を飛ばしに飛ばし、シナークまでの道のりもあと30分ほどとなった。気付けば外も暗くなってきている。
ウィルはその窓の外から見える家々の明かりが飛んで行く景色を見るのが好きだった。
幼い頃に育ててくれた親と初めて汽車に乗って皇都に行った時は、皇帝が御座すという大きくて絢爛な宮殿や露店で買ってもらった白くふわふわした甘い菓子にも驚いたが、何より帰りにすっかり暗くなった街を汽車がまるで空の星の中を飛んでいくように走ることに驚いたのだ。丁稚になる時にハーグ鉄道公団に入ろうと決めたのも、その体験が強く印象に残っていたからだった。
そうしてぼんやりと外を眺めていると、列車の走るカタンカタンという音の中にふとサイレンが聞こえた気がした。
走っているのはこの辺りの港町で水揚げされた海産物の集積地、カグルの街を過ぎたあたりだった。街でサイレンなんて滅多に鳴らすものではないし、鳴らすとすれば余程の緊急事態か大火事の時ぐらいなので余計に耳についた。
すると遠雷のような重く低いゴーッという音が聞こえてきて、その音はやがてプロペラの回転する音となりながら徐々に徐々に大きくなってきた。
飛行機自体はイグナスにもあるが大変珍しく、ウィルも皇都で時間があった時に見物したことがあるだけだった。そんな代物が近くにいるらしい。気になったウィルが様子を見ようと外に出ようしたが、それより早く車掌室内の機関車との連絡電話が鳴り始めた。
「ウィル!カグル連絡所から空襲警報の無電だ!この先のトンネル内に逃げるぞ!」
「空襲!?りょ、了解しました!」
海を挟んだ隣国、リハルト公国とこのイグナス連邦は1ヶ月ほど前から戦争状態に入っていることは知っていた。
しかし緒戦は大勝したと兵士は言っていたし読売にも書いてあった。戦争の際に行われるという食料の徴発が行われているわけでもない。つまり、戦争といってもイグナス連邦国民の間に暗い影を落とすほどのものでは無かった。無かったはずなのだ。
ー空襲警報…えーと灯りは灯火管制位置に切り替えて、窓には板をはめてと、貨車の荷物室は…そもそも明かり取り窓すら塞がれてたから大丈夫だったな。
ーしかし海に近いとは言えこんなところに敵の飛行機?そうやすやすと入ってこれるものなのか?
皇帝から発せられた開戦の詔を書き写したという文書と同時に一緒に配られた緊急時手引きの内容を頭に浮かべながら、空襲の際の手順を確認していたその刹那、突如車掌室の屋根に乾いた音と共に細かい穴が空き、銃弾の嵐が貨物列車を襲った。
ー狙いはこの列車なのか!?なんでこの列車が…リハルトの奴らめなんでこんな貨物列車にムキになってるんだチクショウ…!
心の中で悪態をつきつつその場は咄嗟に備え付けの机の下で姿勢を低くしてやり過ごしたが、ウィルにだっていくらなんでも今が命の危機だってことぐらいはわかる。恐怖で体が震えていることに気付いたのは机の下に潜り込んでからだった。
しかしこの状況では外に出る方が明らかに無謀、いくら外がもう暗くても狙ってくれと言ってるようなものだ。早くトンネルに入ってくれと祈りながら屋根に空いた機銃掃射による細かい穴越しにかすかに見える二枚翼の飛行機を見た。
穴から見えるその風景から察するに、どうも飛行機は貨物車の方を狙っているらしい。壁越しに貨物車の方からは絶えずピシッピシッといった貨物室の外の壁を抉るような音が聞こえてくるのに、車掌車の方はそれ以来あまり弾が飛んでくることは無かった。しかし跳弾した弾が室内に転がってくることもあるので、迂闊に顔も出せない。
ーあいつら狙いは貨物車か?だとしたら結局のところあの荷物はなんなんだ!リハルトがこんな荒っぽく襲ってでも欲しい荷物なのか…!?
などと考えているうちにも飛行機からは銃弾が雨のように浴びせられ、絶えず乾いた音が聞こえてきていた。機関車にいるハーナストも危険を察知したのかどんどん列車を加速させて行く。車掌室備え付けの速度計を見ると、すでに貨物列車として出していい速度を超えていた。
永遠とも思える時間、空襲を受けながらも、やがて列車は近くのトンネルの中に入って緊急停車した。流石にトンネルの中まではリハルト公国の飛行機でも襲撃はできない。
トンネルの外から飛行機の轟音が聞こえてきてはいたが、流石に着陸して突入などということは無いようだ。
少し待っていると、やがて飛行機の音は消えていった。
それを確認するやウィルは積み荷の確認の為に、トンネル内の暗闇の中でなんとか常備してあるカンテラ(鉄道員が使う灯り)を探り当てて貨物車に移った。中に入れないのがわかっていても、それが仕事なのだから仕方ない。それに点検すべきは貨物だけではない。
車掌車の梯子で線路に降りると、真っ暗なトンネルの中で自らが乗っていた車掌車の車輪や台車周りを照らして点検を始めた。
運転士のハーナストが降りてこないのは、連絡を入れてきたカグル連絡所と交信しているからだろう。
自分の乗ってる車両に異常は無かった、次は曰く付きの貨物車だ。どうせ開かないのだからと最初の貨物車の荷物室のドアに手をかけると、はたしてドアは…何の抵抗も無く開いた。
ー開いてる…?弾でも当たって鍵が弾け飛んだのか?
ーいや、理由を考えても仕方ない。とりあえず中を確認しなければ。出発前に何やら軍のお偉方みたいな人から「入るな」と念は押されたけど、あくまで俺は車掌だ。中身が何であれ積荷の確認をする義務がある。うんそうだ、絶対にそうだ。
ウィルはそうして無理やり自分を納得させると、カンテラ片手に荷物室の中に入った。
入るなと言われた荷物室内には襲撃のせいなのか木屑が舞っており、入った途端に思い切り吸い込んで咳き込んだ。しかし改めて室内をよく見ると、中には通路を挟んで両側に木箱やら布がかけられた何かがずらっと並んでいた。
とは言え木箱と言ってもただの木箱では無いのか、弾が表面を穿ったような痕跡はあったものの、大きく壊れているものは無かった。どの程度の威力の銃だったのかはわからないが、車掌車の天井にあれだけ穴を開けるぐらいだからかなり強いものであるはずなのに。そして余程しっかり固定したのか荷崩れも起こしていない。
ー確かに封印には「皇室枢密院」とあるな、なんなら「ロヴェル機甲師団第二聯隊」なんて封印もある。となるとやはり軍関係の荷物か。しかし一体なんなんだこれは…
ーいや、考えても仕方ない。この車両は大丈夫みたいだし、とりあえず次の車両も確認しなくちゃ。
ウィルは次々と湧き出す疑問を押さえて次の車両の点検に向かった。しかしあとの4両はいずれも鍵は無事で、車内を見回ることはできなかった。
ー仕方ない、とりあえずハーナストさんに連絡してシナークまで行こう。怪我とかしてなければいいんだけど。
機関車に向かいハーナストに状況を伝えに行くと、流石にベテランのハーナストも空襲は初めてだったのだろう。ウィルの顔を見るなりホッとした表情になった。
カグル連絡所からも飛行機は引き揚げたらしいとの報告が入ったので、2人はカンテラ片手に機器類の点検をした。そして異常が無い事を確認して、穴だらけで満身創痍の貨物列車は静かにトンネルを出た。
2人とも焦燥感と極度の緊張とで疲れきっていた。ある1両の脇を通る時にウィルがポケットに入れていた、あの運送屋から貰ったペンダントが強く光っていることなど、ウィルもハーナストも気付くはずがなかった。
*
”目標 逃げた 追跡不可 帰投する”
”了解”
貨物列車を襲った2人乗りの2機の飛行機は、列車がトンネルの中に入るとすぐに海の方へと飛び去った。
増槽を付けて航続距離を長くした特別機とは言え、あまり深追いすると自軍の飛行場へ帰れなくなるからだ。
海上をしばらく飛んだ飛行機は、やがてソトール海にある小さな無人島に灯る明かりをもとに高度を下げていった。
明かりで囲われた滑走路に降りると、整備の人が走ってきて飛行機を取り囲む。それをよそに、乗っていた4人はすぐに滑走路脇の詰所へと歩いて行った。
「首尾は?」
詰所の奥に座っていた男が聞いた。
「不明です。予想以上に早くトンネルに逃げ込まれました」
飛行機に乗っていた人は直立不動で答える。
「わかった。どのみち私にもよくわからない命令だしな、気にすることは無い」
そう言うとその男は手元の命令書に目を落とした。
『敵国イグナス連邦の皇都サルタンから戦略的最重要軍事物資が鉄道にて運ばれる。その列車を襲撃し、これを破壊すること』
これしか書かれていない命令書を受け取ったときは思わず中央に確認を取った。印は間違いなく参謀からのものだったが、これだけなんて悪戯か何かと思ったほどだ。
その男は外を見ながら考えた。宣戦布告してからというものの、ほとんど戦場では動きがない。そのくせここに来てよくわからない空襲の命令だ。本部は、そして国は何をしたいのだ?と。
だが当然見上げた空は星が瞬くばかりで、男の問いを返してくれるわけでも無い。
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