短編:羨望

文学ベビー

第1話 羨望

羨望


 気づくと僕は、その女の明るさを、まるで眩しいかのようにギッっと睨みかけていた。その女は、歳は二十歳ぐらいだろうか、どうやら先輩らしき男と歩いている。僕が彼女達を追い抜かそうと近ずいた時、男が、K先輩(名前ははっきり聞こえなかった)と付き合ったのか、と尋ねた。女は、「そうなんです」と嬉しそうに笑いながら男の方にクルッと回って見せた。その女は小柄で、しかし特別細いと褒められるような感じでもない。顔も決して男にちやほやされそうな顔でもなかったが、かといって男に困りはしなさそうな程度だった。しかし、どうにも嬉しそうに、「この前の飲み会の後二人で帰ったんです」なんて続ける彼女の嬉しそうな顔が急に癪に触り、睨むに至ってしまった。僕はただぼんやりと、コケろ、転けて、でも壮大には転ばずに少しの恥ずかしい、ヒヤっとした思いをしろ、と考えていた。

 こういうと僕が、彼女の一つもできず、両親に「もう少し身なりに気を使って、たまには出かけでもしたら?」と惨めな心配をかける男のように思えるだろうが、決してそうではないと弁明させてほしい。持て余すほどではないが、それなりに友人も、恋もしている。ただなんとなく、どうして彼女はこんな朝から、今から大学にでも行くのだろうに、嬉しそうにできるのだろうと不思議に思ったのだ。その男といい感じになっていることがそんなに彼女を踊らせるのだろうか。彼女にとって、その男との関係は、他の、人の生きる気力を消沈させるような事柄よりもよっぽど大きな事なのかと、疑いをかけるような思いがした。確かに彼女を羨ましいと思ったことは、多少は認める。僕だって、本当はそんな風に、朝からにこやかに笑い、いかにも満足というような感じで、それを見せびらかしながら歩いてみたい。だけど、そんなふうに堂々と、私は幸せですと自慢して歩くほどの幸せは持ち合わせていないように思えてしまっている。

 そうしていると、男の方に何やら、若干の不満げな表情が見えた。いや、それは僕の気のせいかもしれない。僕がそんな暗い考えを持ってして見ているから、そう映っただけかもしれない。しかし、やはり男の方は、相変わらずニコニコと歩く女とは裏腹に、下手くそで嘘くさいニヤッとした笑みでその場をしのいでいる。どうであれ、僕は少しホッとした。ホッとして、すこし元気が出た。光源と自分の間に彼が割って入って、僕はその闇に逃げることができたように思った。

 そうして安心すると、僕は彼女達を追い抜かすことにした。もうこれ以上付き合っていても面白いことはない。早足で歩き始めると、「今日、朝早くない?」なんて、男が話を変えようとしていた。自分から話を始めておいて、たいして聞きもせずに、なんだこの男はと思ったが、もしかしたら、彼は彼女に気があったのかもしれないとも思った。それか、彼女の男の方に思い当たるような悪い話があり、それを知らずに、まるで阿呆のように笑う彼女が惨めに思えているのかもしれない。いやしかし、付き合ったと聞く前のよそよそしい感じであったり、そのあとの落胆具合を見ると、どうやらこの男は彼女のことを好きだったようだ。好きとまではいかなくても、彼の方こそ彼女の浮かれの理由になりたかったのだろう。そうして、その期待はあっけなくかき消されたのだろう、と少し同情をした。そう結論が出た頃には、彼女の幸せも、彼の不運も、僕にはどうでもよくなっていた。

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