ミモザ
バードックは翌日さっそくワイズ町の代表者と会い、「麦の収穫を手伝いたい」と申し出た。
「俺、一人で十人分ぐらい働けるから、まかせて♪」
とまで言いきった。
その軽薄な言葉に、ワイズ町の代表者であるミモザ・ルーベンスという中年女は腕組みをし、難しい表情で彼をじっと見返した。
背の高い、肩幅の広い女だ。がっしりした体つきには女らしいところはまるでない。短く切りそろえた金髪は強い日差しを浴びすぎたのか色褪せているし、化粧っ気のない顔は「厳格」を絵に描いたようないかめしさだ。
質素な灰色の作業着を身につけている。その胸元では、光沢のある布で作られた真紅の薔薇の造花が、毒々しいまでの存在感を発揮している。
「あなたは連邦保安官ですよね。フロンティアの住民の生活支援は、あなたの職務には含まれていないはず。それなのに、なぜですか?」
「あー……ジェイって子に、町の人たちが困ってると聞いたからさ。俺に何かできることはないかなーと思ったんだ。俺、こう見えてもけっこう力持ちよ。役に立てるんじゃねーかな」
バードックの言葉に、ミモザは腕組みしたまま深いため息をついた。その眉間の皺は解けない。
彼らが立っているのは、町の中心にある教会とおぼしき建物の中だった。天井に近い位置に等間隔に並んだ丸い窓から澄みきった青空がのぞいているが、差し込む光は、室内を明るくするには不十分だ。薄暗い中、座り心地の悪そうな木の椅子がおおむね円形に並べられている。
ミモザは椅子の一つを修理しているところだったらしい。脚の折れた椅子とひどく原始的なハンマー、
「支援の申し出はありがたいですわ、へロッド保安官。私たちが人手不足に悩んでいるのは事実ですので。……ただ、あらかじめ現状をお知らせしておくのがフェアというものですわね。私たちは皆、《薔薇教》の信者なのです。ワイズ町は《薔薇教》のコミュニティです。ご存じでした?」
バードックはうなずいた。
「話だけは聞いてる。町全体が教会の所有物という扱いになるので土地登記台帳を作るのが楽だったと、巡回登記団の行政官連中が言ってた」
「《薔薇教》の教えについて、何かご存じ?」
「いーや、まったく」
「私たちは、古代地球を滅ぼす元となった悪しき生き方を排除し、調和と共生を基本とする生き方をめざす集団なのです。古代地球では、人間が自由を標榜し、無制限に己の欲望を追求した結果、戦争が多発し、発達しすぎた科学技術が生態系を破壊し、社会を堕落させ、生物としての人間の境界すらあやういものにしました。文明は崩壊し、地球は今後数千年にわたって生物が暮らすことのできない星となりました。――その愚を繰り返さないため。人類の未来を確保するため。私たちは過去との決別を誓いました。女尊男卑の徹底。規律ある生活習慣。そして不必要な科学技術の排除」
ほとんど息継ぎなしに語り続けたミモザは、そこで初めて言葉を切り、息を継いだ。
「私たちは、教義で認められた最低限の機械しか使えないことになっています。ですから町にはコンバインやトラクターの類がないのです。……つまり、千エーカーを超える畑の収穫を、手作業で行わなければならないということですわ。とても大変な作業です。それでも手伝っていただけますか?」
指定された収穫日。バードックが町の郊外に広がる麦畑へ出向くと、雲ひとつない青空の下、町民たちが道具を持って集合していた。
年齢層は十代から六十代ぐらいまでまちまちだが、女ばかりだ。
畑の周りで遊んでいる子供たちの中に、男の子が何人かまじっているぐらいだ。
――「男はみんな死んだ」というジェイの言葉は、子供の妄言ではなかったのかもしれない。
町民たちが手にしている道具は木とテンシル鋼でできた原始的なものばかりで、「機械を使わない」と言っていたミモザの言葉も事実らしかった。
麦は背筋を伸ばした兵士のように元気よく直立し整列している。視界をびっしり埋め尽くす焦げ茶色の麦の穂先の上をそよ風が吹きわたり、波紋を残していく。
女の一人に手順を教わり、バードックは麦を刈り取り始めた。
彼の作業速度は超人的だった。いったん覚えた手順を機械のごとく正確に反復し、その仕事ぶりには乱れもばらつきもなかった。
何度か、若い女たちがはにかみながらバードックに近づき、話しかけようとした。そのたびにミモザが厳めしい表情で咳払いをし、牽制した。ミモザは女看守のように町民たちを支配していた。
「あの人、あたしが連れて来たんだよ」
と、ジェイがバードックを指さしながら仲間に自慢した。彼女はわがもの顔にトムを胸に抱いていた。
猫は子供たちに大人気だった。誰もが猫を撫でたがった。トムは耳を後ろに倒してごろごろ鳴き声をあげ、存分に愛想を振りまいた。
一人だけ作業に加わっていない女がいることにバードックは気づいた。猟銃を携えて畑の周りを歩き回っており、いかにもパトロールという風情だ。やせた黒髪の女だった。脚がすらりと長いので、細身のパンツがよく似合っている。
太陽が地平線近くまで傾いたころ、ミモザが作業終了を宣言し、町民たちは道具を片づけて町へ戻っていった。しかしバードックは作業を止めなかった。今の作業ペースだと、日のあるうちだけ働いていたのでは、収穫適期のうちに刈り取りを終えることはできない、と判断したからだ。
麦の品質を考えると、あと三、四日ですべての畑の収穫を終えてしまうことが望ましい。だとすると夜も作業するしかない。
バードックは暗くても見えるので夜間の作業に支障はなかった。真っ暗な深夜の畑で、ひとり刈り取りを続けた。
体は休養を必要としないが、脳だけは一日二時間の睡眠を必要とする。
そこでバードックは、あぜ道で丸くなって無害な猫のふりをしている自律型補助拡張端末に彼の体の遠隔操作を任せ、二時間ほど脳を休ませた。彼の脳が眠っている間にも、トムの制御のもと、刈り取り作業はつつがなく進んだ。
――朝が来た。早い時刻から畑へやって来た町民たちは、仕事の進みぶりに目を見張った。
彼女たちはバードックを取り囲み、口々に礼とねぎらいの言葉を浴びせた。
たぶん彼女たちにも、その時点で察しがついただろう。バードックが普通の人間ではないと。
けれどもそういうことは口にしないのがフロンティアの流儀というものだった。人は誰しもいろいろな事情を抱えて生きているのであり、詮索などすべきではないのだ。
特に、銀河連邦を二分した先の大戦の最中、多くの兵士が祖国に身体を捧げた。己の身を、勝利をかち取るための兵器へと変じた者も少なくなかった。戦争で死にそこねた人間兵器たちが今や復員し、社会生活を送っている。貴重な犠牲を払った彼らの心の傷をえぐるようなことを口に出すべきではない。
「昼です。休憩にしましょう」
太陽が頭上に昇るころ。バードックに歩み寄ったミモザがきっぱりと言い渡した。
「あ。俺はまだいいや、休憩。あんまり疲れてねーから」
作業の手を休めずにバードックはそう答えたが、
「一緒に。休憩しましょう。いいですね?」
ミモザの言葉は勧誘ではなく命令だった。拒絶は断じて受け付けないという迫力に満ちていた。
人間にとって、食事を共にするという行為には、単なる栄養補給以上の意味があるのだ。バードックにもそのことがわかっていたので、それ以上無理に断ろうとはしなかった。
大木の根元にシートを敷き、彼らは昼食をとった。
木漏れ日が、野菜と乳製品とパンで構成されている質素な弁当の上でちらついた。
労働を共にした者同士のくつろいだ親しい空気がしばし流れた。
若い娘が頬を赤らめながらバードックにお茶を手渡した。娘たちも、ジェイをはじめとする子供たちも、“よそ者”の男に明らかに興味津々だった。
「……なんで、この町には女しかいないの? 薔薇教ってのは男を排斥する教えなのか?」
食事がほぼ終わり、声の届く範囲に他の町民がいなくなった頃合いを見計らって、バードックは尋ねてみた。
ミモザのいかめしい顔は感情らしきものを一切のぞかせなかった。
「『排斥』というのは正確ではありません。たしかに私たちは、男は単純で、野蛮で、攻撃的な生き物だと考えています。近視眼的で、大局的な見地に立つことができず、周りと調和する能力を持たない劣った存在であると。古代地球では、男が中心となって文明を築いたために、結局は惑星上のすべての生物を滅ぼし、惑星そのものを死の星に変える結果となったのです」
「ごめん。単純で野蛮で攻撃的で。……だけどそんな目で睨まないでくれよ。古代地球を滅ぼしたのは俺じゃない」
「薔薇教では、女を中心とした社会運営をめざしています。男には、筋力を必要とする単純労働だけをあてがっておいて、責任を伴う重要な地位はすべて女が担うのが最善だと考えています。私たちのコミュニティもそのように運営されています。
また、薔薇教では男女の同居を禁じています。男の悪しき影響によって女の理性が曇らされるのを避けるためです。月に一度の《邂逅日》を除いては、男女は別々に暮らします。ですから私たちのワイズ町も、教会を中心として、東は女の居住区、西は男の居住区と分かれているのです。ところが……」
「男たちは皆殺しにされたのよ。あいつらに」
歯切れのいい声が背後から降ってきた。
振り返ると、彼らのすぐ後ろに、猟銃を抱えた細身の女が立っていた。
年のころは三十歳前後。決して若くはないが、小づくりな顔はすっきりと整っており、美人と呼んでもよい。黒い瞳は、いたずらっ子のようないきいきした光をたたえている。あちこち跳ねている癖の強い黒髪でさえ、彼女のボーイッシュな魅力を引き立てる役に立っている。
「アデリン!」
ミモザが非難の声をあげた。
「隠さなくたっていいじゃない、ミモザ教母。起きてしまった事実は、いくら目をそむけていたって、なかったことにはできないわ」
アデリンと呼ばれた女はバードックの隣にどさりと腰を下ろした。
「巡回登記団が来る一月ほど前のことだった。ゴライアス惑星開発公社の社員だという連中がやって来て、町の土地を売ってほしいと言ったの。私たちは断った。何年もがんばって働いて、ようやく作り上げた私たちのコミュニティを、手放せるはずがないもの。そうでしょ?」
アデリンは肩にかかった髪をはね上げながら、「本当にしつこかったわ、あの連中。いくら断っても聞かなくて。ねえ、教母?」とミモザに相槌を求めた。
ミモザは、しぶしぶ、という感じで同意した。
「『私たちにとって重要なのはお金ではない』と申し上げても、あの人たちは信じませんでした」
「私たち薔薇教の信者は一般社会の中では生きにくい。――誰にも邪魔されない、私たちだけの居場所を作ること。それが何よりも大事なの」
「あの人たちは、金額を上げれば私たちが折れると考えたらしく、金額交渉ばかりしようとしました」
「あー……いかにも、あいつららしいねー」
バードックはため息を押し殺した。
これまでフロンティアの各地で、いやになるほど耳にしてきた展開だった。
たぐいまれなる強欲さをもって銀河系宇宙のすべてを手中に収めようとうごめく超巨大資本・ゴライアスグループ。そのグループの末端にして尖兵であるゴライアス惑星開発公社が、法律の届かないフロンティアで引き起こす血なまぐさい騒動は、日常茶飯事と呼んでよいレベルだった。やつらは欲しいものを手に入れるため、手段を選ばないのだ。
彼らから少し離れた所で、猫を抱いているジェイを、他の子供たちが取り囲んだ。一人の少女が手を伸ばした。ジェイはその手を振り払った。
口論が始まった。子供たちのかん高い怒鳴り声が交錯した。
「ある夜、やつらは男の居住区を襲った。プロのガンマンを送り込んできたみたいでね。眉間に一発ずつ撃ち込んで、一夜のうちに男たちを全員殺したわ。私たちは気がつかなかった。男と女の居住区はかなり離れているの。朝の礼拝に男が誰も出て来ないので、ミモザ教母が様子を見に行って……死体を発見したというわけ」
アデリンは薄い唇を歪めて、皮肉な笑みを作った。
「『フロンティアには法律が存在しないから、人を殺しても罪にならない』というけど。だからって何をやってもいいわけじゃないわ。私たちはそう簡単にはやられない。この町の
バードックは、アデリンの決意を秘めた黒い瞳を、物憂げに見返した。
「――法律があろうとなかろうと、人を殺すのは悪いことさ。それは人間としての基本的なルールだ」
「ええ。だけど、取り締まるための法律がなくちゃ、あなたたち保安官は手も足も出ないんでしょ? 法律を破ったやつを捕まえる……あなたたちには、それしかできない」
猫をめぐる子供同士の争いはヒートアップする一方だった。少女たちは金切り声をあげて髪をひっぱり合った。アデリンは身軽な動作で立ち上がり、大股に子供たちに近づいた。
「いい加減にしなさい! 喧嘩しないの! 神様が見ていらっしゃるわよ!」
ジェイが頬をふくらませ、
「あたしが悪いんじゃないわよ、ママ! 先に手を出してきたのはリズなんだから!」
とアデリンを見上げた。相手の少女がすかさず噛みついた。
「何よ! ジェイが約束を守らないからでしょ! 猫を抱く順番、みんなで決めたのに!」
「ジェイ。リズに猫を渡しなさい。『惜しみなく分け与える者は幸いなり』と神様もおっしゃってるでしょう? さあ、早く」
アデリンにきつめの口調で促され、ジェイの顔が赤く染まった。
「あたし……神様なんか大嫌いだもん。薔薇教なんか大嫌い、信じない。『自分のことより、人のために』『みんなのために』とか言うけど……みんなはあたしのことなんか考えてくれないじゃない!」
涙声でそう言い捨てると、三つ編みを揺らして身を翻し、駆け出した。
バードックはミモザに視線を戻した。走り去る少女の後ろ姿を見送るミモザの瞳には、哀しみの薄い膜が張っていた。
「――残念だがアデリンの言う通りだ。フロンティアでは、人が殺されても連邦の法律は犯人に届かない。俺たち連邦保安官には捜査権限がないし、犯人も処罰されない。ここはまだ銀河連邦に含まれていないから」
バードックの言葉はミモザの耳には入らなかったようだ。長いあいだ無言を通した後で、
「悲しい……悲しいことです。神の教えに従って生きる者たちでさえ、欲とは無縁ではいられない」
悲痛な声が、教母と呼ばれる女の口からこぼれ出た。
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