第45話 話し合いの宿屋

 スズネ達は、ダンと別れた後も暫く都を歩き回った。しかし、ジンの姿を見つけることも、耳飾りをつけた人物を見かけることもなかった。

 情報が枯渇している以上、できる限りのことはしなくてはならない。ダンには「無理だと思う」と言われたものの、万が一の可能性に賭けて、三人は城まで移動することにした。失礼のないように、丁重な言葉遣いで「神か神官に会いたい」という節を伝えたが、当然の様に門前払いを喰らってしまった。一介の精霊が神や神官に謁見を申し込むのは、やはり難しいことのようだ。

 城の周囲は警護を務める精霊と、何やら慌しく街の中へと姿を消していく精霊で溢れかえっていた。どちらも神に仕える精霊である、という予測は容易に立つものの、何をそんなに慌てているのかはスズネ達が知り得る領分の話ではない。声を掛けても「今は忙しい」の一点張りで、まともに相手をしてはもらえなかった。

 祭りの前日ということもあり、準備に追われているのだろうか。とにかく仕方がないから一度宿に戻ろう、と三人が話している横で、神の使い達の慌てぶりを見た通行人の女性二人が、こんな噂話をしていた。


「すごい慌てぶりね」

「あれ、警備の精霊よね。ふふ、この神都に精霊攫いでも出たのかしら?」

「まあ怖い。私、攫われちゃうかも」

「ふふふ、そうかもね」


 笑い声が混じっていることを考えるに、彼女達は決して本気でそれを信じている訳ではないのだろう。しかし、軽い声音で紡がれ続ける冗談交じりの会話を聞いて、スズネは自分の中で嫌な予感が膨れ上がるのを感じていた。

 それも、神都のざわめきに誤魔化される。周囲を行き交う精霊は数多く、空気には神のマナが満ち満ちている。それを肌で感じるせいか、その不安が的外れな気がしてならない。

 こんな場所に盗賊が入り込んでも、あっという間に押さえつけられる。ジンが語ったその話が、嘘だとは到底思えない。

 恐らく、盗賊という単語に敏感になっているだけだ。その噂話を聞いて静かに俯いたスズネは、シンヤに手を引かれているコハルと手を繋いで、宿屋への道のりを歩いた。明日に迫った祭りが、どうにも新都中を沸かせているらしい。

 時間が経てば経つほど、都の騒がしさは増しているような気がした。



◆ ◆ ◆



「とりあえずヨルには俺から話しておく。明日は今日以上に歩き回る予定だから、君達はもうゆっくり休んでな」

「有難う、シンヤくん」

「有難うございます」


 宿屋の帳場にて、シンヤから簡潔な指示を受けた二人は各々頷いた。既に日が落ちているにも関わらず、外は未だ明るい。神都にはそこら中に行灯が設置されており、夜が訪れても完璧に闇に覆われることはないのだという。そういったおかげか、未だ覚めぬ熱を漂わせている喧騒が、いつまでも壁越しに聞こえていた。

 常にその騒がしさに晒され続けて疲労してしまったスズネに、宿屋の落ち着いた内装は酷く安心感を齎した。木製の壁と明るすぎない照明に包まれて、スズネは漸く息を吐くことを許された気がしたのだ。どうにも、人の多い場所は苦手だ。誰かから常に視線を浴びるせいだろうか。


「お客さん方、おかえりなさいませ。露店の準備はもう宜しいんですか?」


 帳場の真ん中で固まっていた三人に、そんな声が投げかけられた。声の主は、カウンター越しに満面の笑みを浮かべる宿屋の女主人である。波打つ赤毛の髪の毛を後ろで一つに縛った、ふくよかな体系の女性だ。良く空気に通りそうな声質で、彼女の言葉は全て明瞭な発音で紡がれる。

 祭りで仕事が普段よりも多くなったはずなのに、女主人は疲弊をまるで感じさせない。彼女は祭りに乗じてやってきたわけではなく、元々新都に住んでいる精霊らしい。帳場に甘い花の香りが漂っていることから察するに、花のマナを扱うのだろうか。精霊は、己の里を離れて働くこともあるようだ。

 女主人の問いかけに、シンヤが首を横に振る。


「いや、俺達は露店を出しに来たわけじゃないから」

「あら、そうなんですか? 観光で?」

「まあそんなところ」

「あんなに食料が積んであるものだから、てっきり食品系の露店を出すものかと。それに、うちの宿をとっていらっしゃるものだから……一時的な荷物預かりかと思っていたんですよ」


 そうだったんですね、と、女主人は頬に手を当てて呟いた。その表情は何か珍しいものを見たかのような色を帯びており、スズネは思わず小首を傾げる。

 確かに、あの荷台に積まれた食料は小さな食糧庫と言っても過言ではない。しかし、宿屋をとることが、そんなに不自然なことだろうか? 普通、宿をとった人物の目的として真っ先に浮かぶのは、一時的な荷物預かりよりも宿泊ではないだろうか。何せ、宿は宿泊するための施設である。


「精霊が神都を観光するのって、珍しいですか?」

「いえいえ。そうじゃなくて、契約者を連れていない精霊が宿をとるのが珍しいなと思って。露店を開くまでの荷物預かりっていうのなら、よく聞きますけれど。それに、その荷物が食料だったら、誰でも露店を開くって思うじゃないですか」

「え? そう、なんですか?」


 スズネの困惑した声に、女主人が「え?」と不思議そうな顔をする。宿をとった時と同じ表情だった。


「他の精霊達、宿とらないんですか?」

「え? ええ」

「じゃあ皆寝るところとかどうしてるんですか?」

「嫌ですわ、お客さんたら。精霊は眠らなくてもいいじゃないですか、人間と違って。睡眠も食事も、人間と違って私達にとっては娯楽だし……精霊の方かと思っていたんですけど、もしかして、人間のお客さんでしたか?」

「あ、いえ……なんでもないです」


 女主人の不思議そうな視線に刺されて、質問を重ねたコハルがゆるゆると手を横に振った。彼女は曖昧に笑顔を浮かべた後、眉尻を下げてシンヤの方を見る。シンヤは彼女と視線を交わすと、無言で頷いた。シンヤはそのまま、コハルの腰に手を添えて、静かに階段を目指して歩き出す。

 これ以上怪しまれたら、記憶喪失だということが露呈してしまうかもしれない。宿屋が人を集める場所である以上、女主人にそれを悟られれば、あっという間に噂が広まってしまうだろう。折角無光石の耳飾りで精霊石の反応を打ち消しているのに、噂話で居場所を予測、特定されてしまっては、耳飾りが意味を成さなくなってしまう。


「部屋借りるから。俺達は寝るから何かあれば明日の朝に」

「はい。ごゆっくりどうぞ」

「行くよ、新米」

「は、はい!」


 シンヤの招集に弾かれるように一歩を踏み出したスズネは、女主人の一礼に見送られながら階段を慌しく登っていく。他にも宿泊客はいるはずだが、未だ露店の準備に追われているのか、或いは観光を楽しんでいるのか、気配はまるで感じられない。

 二階にある自分達の客室の前で、難しい顔をしたシンヤが呟いた。


「リンから聞いてた話と噛み合わないんだけど。何、あの女主人、食事と睡眠が娯楽って言った?」

「言ってたね」

「……俺達は休んでる間と食事によってマナを回復させるんじゃないの? 確かにここは神のマナで満ちてるから、食事による回復は不要としても、睡眠は必須でしょ」


 どういうこと、と言いたげに、シンヤが目を細めた。僅かに戸惑いが滲んだ紺色の瞳に、コハルとスズネが同時に肩を竦める。落ちた沈黙は、両者共にその問いかけに対する答えを持っていないということを明確に物語っていた。

 精霊は、食事も睡眠も必要としない。恐らく、精霊ならば誰しも知る情報なのだろう。けれど、スズネ達は生憎と記憶と共に精霊に関する知識を失っているのだ。『当たり前のこと』でさえ、誰かに教えてもらわなければ理解することができない。

 スズネ達はこれまで当然の様に食事をして、夜になれば眠った。それが当たり前のことであると認識していたし、樹の里でもその行動は咎められなかった。そればかりか、推奨されたはずなのだ。

 難しい顔のシンヤを見て、スズネも目を伏せる。そして、脳裏を一瞬過った発言に、ハッと息を呑んだ。


『だって、精霊は人間と違って食べ物を食べなくても生きていけるの……に……?』


 樹の里で初めて食事をとった時のことだ。スズネは確かに、自分が知らない精霊の正しい情報を、無意識の内に口にしていた。この身に染みついた常識だったのだろう。あの言葉は決して間違いではなかったのだ。

 精霊は食事を必要としない。けれど、スズネ達はマナの回復のために食事を必要とする。それは、スズネ達が現在、『本来は不必要な行動をとることによって、不足している何かを補っている』という状況であることを示しているのではないだろうか。

 恐らく、本来は精霊と大精霊との間にある見えない繋がりでマナを補給されるのだ。けれど、それができない理由は――樹の大精霊にマナの余裕がないから。だからこそ、リンはシンヤとスズネを大精霊に捧げようとしたのである。

 樹の大精霊がうまくマナを補給できない現在、ヨルとコハルは食事によって不足しているマナを補っているのだ。精霊の知識を教えたのはリンであるし、大精霊の情報を伏せたまま、それがさも当たり前のことだと語ることは容易いはずだ。その二人から常識を叩き込まれたシンヤもまた、誤った常識を常識だと思い込むのは当然の流れと言える。

 食事に関しての誤認はこういった流れである。予測は簡単だ。ならば、スズネ達は何故睡眠をとることが常識であると思い込んだのだろう。

 それもまた、存外簡単に答えが出る問いかけだった。


「……コハルちゃんとヨルくん、シンヤさんも、里の外で目が覚めたんですよね? 私だけじゃなくて」


 眉尻を下げたコハルと、僅かに眉間に皺を寄せているシンヤが同時に頷く。それを確認したスズネは、小さく肩を丸めて呟いた。


「目が覚めたところから記憶が始まってたから、私達にとって睡眠が必要不可欠だと思い込んでましたけど……そもそも、私達はどうして森で眠っていたんでしょうね」


 目が覚めるためには眠らなければならない。樹の里で三人目の精霊について考えた際、スズネは里ではなく森で目覚めた違和感に着目したが、そもそも、『眠っていた場所』ではなく『眠っていたこと』自体が不自然な話だったのだ。

 樹と湖、二つの里は対立している。湖の里から木の里への強襲、近頃多くなっているという盗賊による被害を考えれば、外で娯楽に興じていたという線は薄いだろう。

 何より、スズネは樹のマナによる絶対防御の壁の中で眠っていた。それは、何かから身を守る必要があった、ということだ。

 導き出される答えは絞られる。

 四人は、眠っていたのではない。眠らされていたのだ。何者かによって。

 落ちた沈黙が重い。遠くの喧騒が途絶えないのは、休息を必要としない精霊達が祭りに浮かれて騒ぎ倒しているからだろう。この騒がしさは夜通し続くのかもしれない。だからこそ、行灯の炎は夜になっても消されないのだ。

 神都は精霊が集まる都。精霊と契約した人間向けに宿が用意されているだけで、本来、精霊は宿を必要としないのだろう。食事や睡眠よりも明確な娯楽が、この神都には山ほどあるのだろうから。料金を払ってまで何処でも楽しめる睡眠を選ぶ精霊の一行がいれば、成程、確かに不思議な顔もされるだろう。


「……とにかく、俺はヨルに色々話してくる。君達はゆっくり休むこと。何がどうなってるか知らないけど、食事も睡眠も、俺達にとっては必要な回復手段だから。いい? 絶対休んでよ」


 沈黙を終わらせたのは、疲労を滲ませたシンヤの声だった。ここ数日、馭者を務め続けた挙句、今日は情報収集のために新都を歩き回った。彼の疲労も計り知れない。静かに頷いたスズネの隣で、コハルが気遣わしげな視線をシンヤに送った。


「シンヤくん、無理しないでね」

「有難う。君もね、コハル。今夜は一緒の部屋にいてあげられないけど、新米もいるから何かあれば酷使してやりな」

「酷使はしないけど、有難う」

「おやすみ。良い夢見なよ」


 コハルの声も普段に比べて萎んでいるように聞こえる。不安な色を浮かべているコハルの声を聞いて、シンヤは酷く優しく微笑んだ。まるで安心させるかのように、手慣れたように彼女の細い腰を抱いたシンヤは、そのままゆっくり顔を近づけて――。

 二人の顔が重なる前に、いたたまれなくなったスズネは静かに目を逸らした。鼓膜を撫でた僅かな口付けの音に、スズネの肩が小刻みに震える。反射的に頬が熱くなったのは、気のせいではないだろう。


「……あの……一応、私、ここに、いるんですけど……」

「君なんていてもいなくても変わらない、空気と同じ扱いだよ」

「ごめんね、スズネちゃん。もう大丈夫だよ」


 スズネがか細い声で訴えれば、いつも通りのシンヤの声と、僅かに苦笑の気配が混じったコハルの声が同時に飛んできた。恐る恐る視線をやれば、そこには普段通りの距離感の二人が立っている。何故か妙に安堵してしまったスズネが胸を撫で下ろす頃には、先ほどの緊迫した空気は僅かに緩んでいた。

 夜の神都の喧騒は、未だ納まる気配がないようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る