その2 綴野つむぎと同級フレンドシップ

 平日の「ぽっぷぽっぷ書店」の午後。

 わたし――綴野つむぎは、少しだけそわそわしていました。

 平積みされたラノベを、手持ち無沙汰な感じで綺麗に並べつつ――もう何度も繰り返しているからまったくズレていない――今か今かと待ち続ける。

 そんなわたしの期待に応えるかのように、自動ドアの開く音がした。

 自然を装って振り返るわたしの目の前に、

「お疲れさま、つむぎ」

 どこか大人びた雰囲気の女性。

 落ち着いた口調に、ほのかな笑みを口元に浮かべるその女性は、まっすぐな黒髪で、細いシルバーのメタルフレームの眼鏡をかけており、知的な雰囲気を醸し出していた。

「いらっしゃいませ」

 言葉はお客様に対するものだが、口調は思わず柔らかくなってしまう。

 わたしの数少ない――唯一と言っても過言ではない――友達。

 わたしと違って大学に進学し、今は文系の大学に通っている。夢は小説の編集者で、猪突邁進中らしい。

「今日はもう終わり?」

「ええ、午後はひとつだけだから。それで……」

「ご安心を。入荷しておりますし、まだ残っております」

 そう言って、わたしは彼女に道を譲るようにして横にずれ、奥の平積みコーナーへと腕を伸ばして見せた。

「そ、そう」

 平静を装っているが、彼女の汗ばんだ顔を見るに、直前まで走ってきたのだろう。

 そんな彼女の外見と行動力のギャップに、いつも心がくすぐられる。

 わたしの前を横切る彼女を微笑ましく見送る。

 彼女は平積みコーナーで立ち止まり、わたしが書いたポップを見下ろした。

 そんな彼女の背中を見ていると、初めての出会いを思い出す。


 彼女との出会いは、中学校だ。

 場所はもちろん、図書室。

 各委員会を決める際、私だけが挙手による決定で勝ち取った図書委員。

 やる気に満ちたわたしは、次々と意見を述べ、許可を貰って図書室の入口横の貸し出しカウンターの隣に、表紙が見えるように各図書委員がお薦めする本を置き、そこにポップを設置した。

 ポップには、誰がその本をお薦めしているのか分かるように学年とクラス、そして名前を書いた。

(うん。わたしのが一番目立ってる!)

 白い紙に黒字がほとんどを占めるなか、わたしのポップはとにかくカラフルに仕上げた。やはり、第一印象が大事で、まずは目にとめてもらわなければ話にならない。立ち止まらなくてもいい。視線を奪えるだけでもいいのだ。

 わたしが貸し出し当番の日には、カウンター越しに虎視眈々と自分がお薦めした本を手に取ってくれる生徒が現れるのを待ったものだ。

(あっ、いま見てくれた)

(今日もゼロかぁ)

(今度のは快進のデキなんだから!)

 そうして何度目かのポップづくりを経て、わたしお薦め本を手に取ってくれた第一号が彼女だったのだ。

(うわぁ、綺麗な子……)

 第一印象は、中学生かと思うほどに大人びていた。恐らく三年生だろう。細いシルバーのメタルフレームの眼鏡のレンズの向こうに見える目つきが、どこか睨まれているようにも感じたし、雰囲気もどこか近寄りがたい。

 だけど、わたしには、図書委員お薦めの本コーナーの棚を前に立ち止まってくれている、ありがたくも輝く御方に見えた。

(誰の見てるのかな? 私のも見てくれてるかな?)

 ドキドキワクワクが抑えきれず、傍から見れば不気味に見えたであろうわたしの表情にも気づかない彼女。

(あっ、いま――)

 その彼女が、唐突に笑ったのだ。

 クスッ、と周りの人に気づかれないように、それでいて上品に。

 そんな姿をカウンターの向こう――顔を伏せ気味にして覗き込むように――見ていたわたしは、どこか彼女の秘密を見てしまった背徳感のようなものを感じていた。

 そして、その細く白い指が、一冊の本を引き寄せ、手に取る。

 その本は――

「やったぁぁぁ!」

 自分がお薦めした本を手に取ってくれたことに、わたしは歓喜し、思わず声を上げて立ち上がり、椅子を倒して大きな音を立ててしまい、全員の視線を浴び、その結果――恥ずかしさに縮こまっていた。

 顔を上げられず、カウンターの上をじっと見つめていたわたしの目の前に、わたしお薦めの本が差し込まれた。

「あっ……」

 思わず顔を上げるわたしに、彼女が微笑みかけてくれた。

「この本を借りたいんですけど……綴野さん」

「あっ、はい」

 本を受け取って貸し出しカードの手続きを行う。

「あのポップ、綴野さんの手作りなのよね?」

「は、はい。そうです」

 わたしがお薦めしていたのは、宇宙ものの長編大作――なのだけど誰もが知っているわけではない――で、なんとわたしが生まれるよりも前からシリーズが続いているのだ。

 客観的に見れば、とても中学校の図書室で、いち図書委員がお薦めするには荷が重い作品なのだが、それでもわたしはこの本をお薦めに選んだ。

 選んだのはもちろん、作品として面白いからなのだが、何よりも、この図書室にシリーズが全巻揃っているからだ。

 まだお小遣いだってろくな金額がもらえず、だからといってアルバイトもできない中学生にとって、タダで本が読める環境は少ない。そんな図書室で、このシリーズを読めるというのは、控えめに言っても最高だ。

「私、この本を本屋さんで見かけてて気になってたの。それで、学校の図書室にないか駄目元で来たんだけど、まさかお薦めされてるなんてね」

 そう言って、彼女が笑う。

「綴野さんのポップ、思わず笑っちゃった。だって――」

 彼女と視線が合い、わたしと彼女が同時に口を開く。


「「さぁ、飛び出そう。終わることのない、悠久の旅へ」」


「あはは」

「ふふふ」

 二人して静かに笑い合い、手続きを終えた本を手渡す。

 それを受け取った彼女が、その本の表紙を見下ろす。

「このシリーズ、終わるのかしらね」

「どんな終わりを迎えるのか楽しみな反面、終わってほしくないって思える作品なんです。舞台が宇宙だから、色んな惑星、色んな人種……星人? とか、とにかく壮大でやりたい放題で、まるで宇宙の日常を作者が好きに書いてるみたいで、だから、この作品は、作者さんが死ぬまで続くと思います」

「それまでは、楽しめるのね」

「はい。しかも、中学生でいる間は、借り放題で読み放題なんです。今のうちに読破するのがお薦めです」

「確かにね。じゃあ、借りてくわね」

「はい。二巻でお待ちしております」

 そう言うわたしに、彼女が笑う。そのとき彼女が見せてくれた笑みは、大人びたものではなく、自分と同じ年相応のあどけない笑顔になっていた。

 そして、去り際に彼女が言った。

「それと、敬語じゃなくてタメ口で。私たち、同級生よ」

 そう言って、図書室を去る彼女に、取り残されたわたしは、

「え、えええぇぇぇ!」

 と図書委員にあるまじき大声を上げてしまったのだ。


 それが、わたしと彼女の出会い。

 本が繋げてくれた、点と点。

 この縁を、わたしはずっと繋いでいきたい。

 いまだに続いている例のシリーズものの新刊を購入し終えた彼女が予定を訊いてくる。

「今週末、空いてる?」

「感想会だね。じゃあ、いつもの時間、今回は私の家で」

 満面の笑みを浮かべるわたしに、彼女は大人っぽい――だけど、無邪気な微笑みを返したのだった。

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