第8話
「武士として生きるか、遮那王」
ある日、いつものように夜、稽古をしていた折、暗闇の空の上から声が降って来た。
「誰だ!」
反射的に遮那王は叫んだ。
しかし、すぐに口に手を当てた。騒いで困るのは自分も同じだと気づいた。誰にも気取られてはならない。そういうことをしている自覚はあった。
すると、忍び笑いと共に、何かの影が遮那王の前に降り立った。
音がほとんどしない。遮那王は驚いた。
(人間か?)
そう遮那王が思った刹那、ゆっくりと雲が分かれ、月光が差した。暗い森の中にも、その光が入る。遮那王の目の前の影は逃げる事も無く、その光の元にその姿を晒した。
「烏、天狗……」
月光の中に立つ、その姿を見て、遮那王の口から出たのはその言葉だった。
一見すれば、山伏である。しかし、その顔は鳥のようであり、背中には漆黒の翼が生えていた。伝え聞く、烏天狗の姿、そのものであった。
「驚かぬか」
「驚いております。しかし、ここは鞍馬のお山。何が出てもおかしくありますまい」
「其方を食らう、魔の者かもしれぬぞ?」
烏天狗の目が、怪しく光る。しかし、遮那王は引かなかった。
「鞍馬のお山は霊山でありますれば、魔の者は入ること叶いませぬ。ここに居られること、そのものが魔の者である疑いを否定致しまする」
そう言うと、遮那王は居住まいを正し、一礼した。
(我を礼を尽くすものとして認めるということか)
天狗はふんと鼻を鳴らして遮那王を見た。
「確かに其方は武士の子よ。だからといって、武士として生きねばならぬ道理はあるまい。今、其方は寺に在り、僧となるべく学んでいるのではないかな?」
天狗は話を最初に戻した。そもそも声をかけたのは、九郎が剣の技を得たがっているように見えたからである。稚児として寺に在って、剣に見立てた棒切れを振るその姿は異様であった。
「今、寺に在るからと言って、僧にならねばならぬ道理もありますまい」
遮那王は天狗の言葉に被せるように言った。
天狗は黙して九郎を見ていたが、くっくっと、鳴き声とも笑い声ともつかぬ声を出した。
「寺にあって、そのような口を利くのも、剣の稽古をするのも珍しい。されば、其方はどう生きる。武士か、僧か。はたまた別の何かか」
天狗に聞かれ、遮那王は黙った。
武士の真似事をしているが、果たして自分がそうなれるのかと思えば、難しいと思った。それを、自分が心の底から望んでいるのかと問われれば、そこまでの事かは分からない。少なくとも、今のところ、自分が生きていける場所は鞍馬しかない。しかし、僧になるのは納得できない。
「このまま寺に在れば、否応無しに出家と相成ろうな」
「それは、」
「容れられぬ、で、あろう?」
遮那王はぐっと息をつめて、それでもこくりと頷いた。 それを見て天狗は目を細めた。
「其方はまだ若い。そして、道を決めるまでに今暫しの時はあろう。どうじゃ、我が其方に稽古をつけようか」
「武術の?」
「左様」
天狗の言葉に遮那王の目が輝いた。
「武士になるか?」
「まだ、分かりませぬ。しかし、ここには居とうない。僧になるのは嫌だ。ならば、出て行かねばならぬ。外の世界で暮らすなら、己の身は己で守らねば。そういう思いはありまする」
「成程。これからどう転ぶとしても、覚えておいて損は無い、ということじゃな?」
遮那王は頷いた。
「よかろう。教えるからには身を守る術のみですまぬが、それでも良いか」
「はい」
遮那王が応えた。
天狗が頷いた。
そうして、二名の間に契約は為された。
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