5-2 湖の乙女

「それで?湖に住む魔物とはどういう事だ?」

ノームはテーブルの上で両手を組んで先程の女性に尋ねた。


「はい。私はミラと申します。実は夫のヨシュアが半年程前にこの村の国境沿いにある湖へ同じ村の仲間の若者たちと人探しに出掛けたのですが、それきり帰って来ないのです。」

ミラと名乗った女性はスカートの裾をギュッと握りしめながら言った。


「人探し?一体どういう事なのかしら?」

レイリアはミラに質問した。


「実は、1年程前からこの村に住む男達が湖に行っては、それきり帰って来なくなってしまったのよ。うちの人も3か月程前に行方不明になってしまったし。全く・・・そのせいで店を開く事が出来なくなってしまったのさ。」

この店の女将は溜息をついた。


「そうよ!うちの人だってもう1年近く帰って来ないのよ!」


「私なんか彼と結婚の約束だってしていたんです!」


「う・・・お父さん・・・早く帰って来てよ・・・。」

終いには泣き出す女性まで現れた。


「ちょっと待て。そもそも村の男たちが湖に行き、行方不明になってしまったきっかけは何なのだ?」

ノームは手を上げて女性たちを制すると女将に尋ねた。


「ええ・・。これはあくまで噂なんだけどね・・・。」

女将はポツリポツリと話し始めた。



 かつてこの村にはレイフと言う名前の若者が住んでいた。

 彼は湖のほとりに咲く薬草を摘んで薬を作る事を生業としていた。

 そんなある日の事、彼は「湖の乙女」と呼ばれる美しい精霊と出会った。

 二人はたちまち恋仲になったのだが、不慮の事故に遭い若者は死んでしまった。

 その事を知らない精霊は次々とこの場所を訪れる男性達を無理やり湖へ引きずり

 込んで、彼らはそれきり二度と村には帰って来なくなってしまったと言う・・・。


「村の男達が居なくなってしまうと、今度は湖の側を通る旅人達にまで手を出すようになってしまったんだよ。その話は偶然命からがら逃げてきたある旅人から聞いた話なんだけどね。」

女将は肩をすくめて言った。


「酷い話だな・・・・。」

ノームは呟いた。


レイリアは黙ってその話を聞いていた。

(それじゃ、ベリヌスが突然湖で姿を消してしまったのも『湖の乙女』の仕業だと言うの?でもドラゴンであるベリヌスがそう簡単に屈服するとはとても思えないけど・・・・。もしかして何か他に理由があるのかしら・・?)


「レイリア、話は聞いたな?どうする?」


突然ノームに声をかけられ、考え事をしていたレイリアはビクリと肩が動かした。


「え・ええ・・。確かにこれは見過ごせない話ね。ベリヌスだって恐らく掴まっているだろうし・・・。明日、予定通り森の湖へ行きましょう。必要があれば『湖の乙女』と戦うしか無いわ。」


「お客さん!引き受けてくれるんだね?!それじゃ今日の宿代と食事代は全て無料にしてあげるよ!さあ、あんた達も前祝として一緒に食事にしようじゃないの!」


女将の一声で、周りの女性たちは大いに飲んだり食べたりと大騒ぎになった。

そして夜は更けていくのだった・・・・。




 雲一つない晴れ渡った空の下、宿屋で朝食を食べた二人は馬車に揺られて湖へと向かっていた。


「ねえ、レイリア。本当に湖へ向かうの?僕はもうレイリアが危険な目に遭う姿を見たくないよ。」

レイリアの膝の上に乗ったリオンは心配そうに話しかけてきた。


「そういう訳にはいかないわ。だってひょっとしたらベリヌスも『湖の乙女』に囚われているかもしれないのだから。」


「・・・しかし、妙だな。ベリヌス程の男が・・・いや、ドラゴンがそう簡単にその精霊に囚われてしまうものなのか?」

ベリヌスの代わりに手綱を握ったノームは考え込むように言った。


「アクア、お願い。聞きたい事があるの。姿を現してくれる?」

レイリアの問いかけにアクアが水しぶきと共に姿を見せた。


「レイリア、僕の力が必要なんだね?」

アクアはレイリアの隣に座ると言った。


「・・・アクアか、久しいな。」


「あれ~ノームが一緒だったんだ。ところでベリヌスはどうしたの?いつもレイリアと一緒にいたよね?あ!かわいい猫だ。おいで~。」

アクアはリオンを手招きするが、リオンはツーンとそっぽを向いている。


「ねえ、アクア。あなたは『湖の乙女』って聞いた事ある?」

レイリアは早速本題に入った。


「え?『湖の乙女』?う~ん・・・・何処かで聞いたことがあるような・・・?」

アクアは暫く考え込んでいる様だった。

「あ!思い出した!確か『湖の乙女』の名前はヴィヴィアン。水の精霊としては大した力は無いけれど、<魅了>の魔法を使う精霊だ!」


「魅了の魔法・・・・?それはまずいな・・・。」

ノームは眉を潜めた。


「・・・?」

そんなノームをレイリアは不思議そうに見つめるのだった。



―その頃・・・

湖の底にある宮殿で水色の長い髪の女性が大きな鏡で地上の様子を伺っていた。

「あの人たち、彼を取り返しに来たのね・・・。でも渡す訳にはいかないわ・・。」

笑みを浮かべると女性はベッドに近寄り、そっと眠っている男性の頬にキスをし、耳元で囁いた。

「大丈夫、私たちの仲は誰にも邪魔させないから・・・。安心してね・・。」

そしてドレスを翻し、部屋を後にしたのである。


 女性が部屋を出て少し経った頃、ベッドが軋んで男が目を覚ました。

「う・・・・ん・・・。こ・こは・・・?」

ベッドから起き上がったのはベリヌスであった。

「俺は一体・・?」

そこまで言いかけて、自分が何も衣服を着用していない事に気が付いた。

「あ・・思い出したぞ!くっそ・・・っ!」

昨夜の生々しい記憶が蘇り、忌々し気に髪をクシャリと掻きむしった。

何故、見知らぬ女とあのような行為に及んでしまったのか、その辺りの記憶が完全に抜け落ちている。

「あの女・・・一体何なんだ・・?!幾ら油断していたとは言え、ドラゴンであるこの俺があんな不覚を取るなんて・・!」

忌々し気にこぶしを握り締めた。

「それより、レイリアの元へ戻らなければ!!」

床に脱ぎ捨てられた着衣を身に付けると、ベリヌスは急いで部屋を飛び出した。



 レイリアとノーム、そしてアクアは湖のほとりに立っていた。

湖は静まり返り、時折聞こえてくるのは鳥のさえずりのみである。


「レイリア、僕がヴィヴィアンに話をしてみるからね。」


その言葉にレイリアとノームは黙って頷いた。


アクアは息を吸い込むと呼びかけた。

「ヴィヴィアーンッ!そこにいるんだろう?お願い、僕たちの話を聞いて欲しいんだ!」


するとほとりの近くで大きな水の波紋が広がり、やがて大きな振動と共に巨大な岩が姿を現した。そして岩の上には床まで届くような長い水色の髪に、アイスブルーのドレスを身に纏った美しい女性が姿を現したのである。


「誰・・・?貴方はどうして私の名前を知ってるの?」

女性は良く響き渡る美しい声でこちらをじっと見つめながら尋ねて来た。


「だって、僕は君と同じ水の精霊『アクア』だからさ。」

アクアは一歩前に進み出ると言った。


「アクア・・・?聞いたことがあるわ。確か代々人間の守護精霊をしているのよね?それなら貴方にも分かるでしょう?私人間の男性に恋してるの。」


「え・・・?恋・・?」

突然の的を得ない答えにレイリアは戸惑いを隠せない。


「ええ、そう。恋よ。貴女も女の子なら恋をしなくちゃ。女はね、誰かを好きになると綺麗になれるの。私にもレイフって名前の素敵な恋人がいるのよ。訳あって一時的に離れ離れになってしまったけど、また私の元へ戻ってきてくれたの。今私の元には大勢のレイフがいるけど、昨日ついに一番理想のレイフが現れてくれたのよ。」

徐々にヴィヴィアンの瞳に凶器の色が宿って来る。


「な・・何だ?あの精霊は一体先程から何を言っているのだ?」

ノームの額に汗が滲む。


「ねえ・・・、レイリア。何だかあの女の人、変だよ。普通じゃないよ・・・。」

リオンはガタガタと震えだした。


「ヴィヴィアン、落ち着いて。今大勢のレイフって言ったよね?彼らは今何処に居るの?まさか・・・死んでたりしない・・よね?」

アクアは相手を刺激しないように語りかける。


「え?死んでいないかって?アハハッ、どうしてそんな事しなくちゃならないの?だって彼らは皆私の恋人なのよ?恋人を私が殺す訳無いでしょう?」

心底おかしくてたまらないと言わんばかりにヴィヴィアンは高笑いする。


「だったら・・・彼らは何処にいるの?」

レイリアは唇を噛み締めながら尋ねた。


「ええ、彼等ならここにいるわ。」

ヴィヴァンはパチンと指を鳴らした。

すると湖の中央に大きな渦が広がり、ザバーッと大きな水音を立てて巨大な檻が現れた。

檻は大きな空気の泡に包まれ、中には大勢の男性達が押し込まれている。中に入れらた人々は全員折り重なるように倒れている。どうやら眠らされている様だ。


「もしかして、あれは村の人達ではないか?!」

ノームはレイリアに振り向くと言った。


「ええ・・恐らくはね・・。」

レイリアは檻の中を凝視している。


「ヴィヴィアンッ!君のしてる事は間違ってる!お願いだ、彼らはレイフなんかじゃない。村の人達の大切な誰かなんだ!どうか檻から出してあげてよ!」

アクアは必死で説得を続けている。


「そう・・・ね・・。」

ヴィヴィアンは少し考える素振りを見せると言った。

「いいわ。返してあ・げ・る。」

そしてパチンと指を鳴らすと檻はフワフワと宙を飛び、やがて地面に降ろされると泡と共に檻が一瞬で消えたのである。


レイリアは慌てて人々の元へ駆け寄るが、呻き声をあげるだけで誰一人目を覚まさない。


「おい!彼らは目を覚ますのか?!」

ノームはヴィヴィアンに向かって声を荒げた。


「大丈夫よ、後数時間もすれば全員目を覚ますから安心して。もう彼らは必要無いわ。だって昨日ついにたった一人のレイフに出会えたのだから。」


その言葉にレイリアが反応した。

実は先程から檻の中にベリヌスが居ない事が気がかりだったのである。

「ちょっと待って・・・・。たった一人きりのレイフって一体誰の事・・?」


するとヴィヴィアンはうっとりしたように目を細めると言った。

「ふふ・・・気になる?彼はね、人間なのに水の中でも平気だったのよ?それに青い髪の彼は、まさに私のレイフよ。だって以前の彼も青い髪をしていたのだから。」


「ま・・・まさか・・?」

レイリアが言いかけた、その時である。

突然、水しぶきが上がった。


「レイリアーッ!!」


「ベリヌス?!」

眩しい太陽光を背に水の中から飛び出してきたのはベリヌスであった・・・。













 






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