第18話

『それでは、一回戦の公園バトルの競技を始めたいと思います』


 スピーカーからの声で、自分の世界から現実に引き戻される。気づけば、北村が俺に向けて拳を差し出してきていた。


「それじゃあ、赤兎馬。競技を決めるためのジャンケンを始めるぞ!」


「え、ジャンケンで決めるの?」


「ばか。こういうのは、だいたいジャンケンで決めんのが相場だろうが」


 そんな相場、身も聞きもしない、と言いたいところだが、変に揉めるのも嫌なので、大人しく拳を差し出す。


「最初はグー、ジャンケンポン」


 北村の掛け声に合わせて拳の形を変えた。結果、北村はパー、自分はチョキ。


 勝つには勝ったが、どちらにせよ同じことである。元々、北村が選ぶであろう内記黒を選ぶ予定だったからだ。わざわざ朝5時から、スプリング遊具に蜂蜜を塗りたくったのである。今更、別の選択肢はない。


 けれど、本当に大丈夫だろうか。もっと何か勝てそうな競技を選んだ方がいいんじゃないか。さっきの爛々と輝く表情が、脳裏に焼き付いて離れない。


 慌ててから安堵したせいか、非現実感が薄れ、不安に襲われる。心臓の鼓動が早くなり、手足が冷たくなるのを感じる。しかし、カシラのことを思い出し、深呼吸して心を落ち着ける。


 大丈夫、大丈夫だ。カシラの言うとおりにして、東との勝負は乗り切れたんだ。今回も問題ないに決まっている。

「内記黒で勝負しよう」


 俺がそう言った瞬間、辺りから驚愕の声が上がる。


「あの野郎、影分身ジョッキー相手に内記黒を選びやがった!?」「なんてやつだ!? 相手の得意競技を選ぶなんて!?」「一体、どれほどの自信が奴をそうさせるんだ!?」


 畏敬の言葉が胸に刺さる。


 やめてくれ。前回は偶然勝つ事ができたが、北村は内記黒が得意なのである。カシラの策が意味を成さなかった時、俺は確実に負けるだろう。そうなれば、弱いくせに大口を叩いた奴、と公園に集まっている人達に蔑まれる。東校の生徒からは、わざと負けにいったと思われ、反感を買うことに違いない。


 北村にも、お前の得意なもので勝負してやるよ、前も勝ったしな、的なニュアンスに捉えられたら……と、恐る恐る北村の表情を伺う。案の定、怒りに頬がヒクついていた。


「舐めた真似してくれんじゃねえか、あん? 赤兎馬?」


「ひぃっ」


 見た目ヤンキーの低い声を聞いて、びくつき、情けない声を出した。


 北村の細まった目で睨まれ、眉間に寄った皺を慌てて視界から外す。その先には、偶然、スプリング遊具があった。


「なるほどな。言葉なんか無粋、勝負で決めようってか。いいぜ! 早速やろうじゃねえか!」


「え……そう言うつもりじゃ、ああ」


 北村は俺の弁解を聞く余地もなく、スプリング遊具に向けてどしどしと歩いていく。観客の群れは、モーゼが割った海のように動いて、北村の進行方向に道をあけていく。


『おおっ! 東校代表の挑発に乗った北村が、スプリング遊具へと進んだ!! それでは、両者到着次第、一回戦を始めます!!』


 熱の籠った実況が、北村の怒りに飲まれていた観客達を湧き上がらせた。盛り上がる観客達は「これは面白くなってきた!」と、我先に続いていく。


 な、何でこうなった……。


 意図せずにした行動が、さらなる悪い状況を生み、泣きそうになっていると、一緒に並んでいた南野は白い歯を見せて、俺の肩をポンと叩いてきた。


「今回の東校代表は面白い奴だな」


「違うんです」


「謙遜するなって。じゃあ、決勝で会おう!」


「そんなライバル風に言われても……ああ」


 南野も人の話を聞かず、北村の後を追う観客達の群れに駆け寄り、混ざっていってしまった。


 決勝で会う約束をされても、闘争心なんて一片も湧かない。ただただプレッシャーに胃がキリキリするばかりだ。


 悲嘆に暮れていると、いつの間にか集団は離れており、一人ポツンと残されていることに気づく。


 距離が遠くなっていくにつれ、足が重くなる。開会式にみた全員の表情が、またもやフラッシュバックし、押しつぶされそうな強い圧迫感を胸に受ける。


 あの中には、東校で見たことのある顔もあった。このまま北村が何も厭わず、スプリング遊具で勝負することになれば、そして、負けたとなれば……。


 俯き、自分の影を見る。今にも消えそうなほど薄く、弱々しい印象を受ける。


 身体が怠い。このまま逃げてしまおうか。でも、そんな不誠実で、恥知らずな行動してはいけない。大丈夫、カシラが言っていたんだ。今回もうまくいくはず。


 重い足を動かせるだけの力が湧く。俺は、ゆっくりと集団の後を追いかける。


 集団に近づいていくと、違和感を感じた。さっきほど盛り上がっていた観客は、また別のざわつきを見せている。さらに距離を詰めると、動揺や不安といった類のものであると理解した。


 人混みに追いつくと、俺に気づいた人が道を開ける。それは伝播していき、波のように開いていく。最終的に俺の前に残っていたのは、石のように固まった北村だった。


 様子がおかしい。北村は固唾を飲んで、スプリング遊具を眺めている。気のせいか、腰は引けているように思える。


 ゆっくり俺が近づくと、北村は悔しげな声をあげた。


「すまねえ、お前ら……。俺には出来ねえ!」


 突然のことに、辺りが静まり返る。北村は膝から崩れ落ち、静寂の中にどさっとした音がなった。


 北村が地面に膝をついたことで、スプリング遊具が見える。それは、遠目にも真っ黒になっていた。


 うわっ、蟻だ……。朝蜂蜜を塗ったから、気持ち悪いくらい集っている。


 あれだけ勝負に意気込んでいた北村が棄権をするなんて、よっぽど虫が怖いのだろう。さほど虫に対しての恐怖心がない俺でも、うじゃうじゃと群れる蟻に跨ることには抵抗がある。遊具に近い北村からは、樹液のように粘ついた蜂蜜も見えているのかもしれない。


 自分でしたことながら、嫌悪感に眉を潜めていると、集団の中から怒声が上がった。


「北村さん!! 何言ってるんだよ!! 俺たちの代表だろうが!!」


 そんな声を皮切りに、あちこちからブーイングが巻き起こる。


「この野郎! ふざけんじゃねえ!!」「さっきまで大口叩いてただろうが!!」「戦わずに負けるなんて、俺たち北校生の事を考えてんのかよ!!」


 北校生のブーイングは嵐となって、全員を巻き込む。


「北校だけじゃねえよ! 対校戦を見るために来た人のことを考えやがれ!!」「つまんねえことしてんじゃねえよ!」「いいから戦えや!!」 


 公園中を憤怒の声が埋め尽くす中、北村は蹲ったまま震えていた。それは余りに弱々しく、酷く痛ましい。

 一歩間違えば俺が北村の立場になっていた。陥れたことに対する罪悪感はあるが、それ以上に恐怖心が強くて、安堵に息が出る。ああ、最低だ。


 自己嫌悪と罪悪感が混ざったなんとも言えない気持ちで眺めていると、集団から見たことのある坊主頭の男が出て来た。


 確か、田中だったか。


 田中は北村に駆け寄り、庇うように立った。そして空に向かって大きく口を開く。


「お前ら北村さんを馬鹿にするな!!」


 田中の大声は、周りの声を塗りつぶした。そのせいで辺り一帯は再び、しんと静まりかえる。観客を睨みつけるように田中は見回し、さっきより抑えた声で話す。


「北村さんは以前、内記黒で負けているんだ。そして、この男に『赤兎馬』という二つ名を送ってるんだ」


 少しの間、静まっていたが、動揺の声でざわつき出す。


「な、なんだと!?」「二つ名を二つ持っているだと!?」「実質、三つ名じゃないか!?」


 田中はそんな声を頷きながら聞き、再び大きく口を開く。 


「どうだお前ら!? あの北村さんが、一度負けておいたにも関わらず、犠牲なしに勝敗をなかったことにできると思ってんのか!? 平気で何でもない顔で戦えると思ってのかよお!?」


 田中の問いかけに、観客たちの表情は、バツの悪そうな顔や、ハタと気づくような顔に変わる。


「いや、さっき勇ましく、挑発に乗っていたような気が……」


「うるせえ!!」


 まともな意見がポツリと出れば、田中は一喝して黙らせた。


「まだわかんねえのか!? 俺たちの北村さんがそんな男らしくない真似しねえだろうがよぉ!! ね? 北村さん?」


「え、いや……」


 四つん這いの北村はぽかんとした顔を田中に向けていたが、田中の熱い瞳で見つめられ、視線を彷徨わせた。

「ね? 北村さん?」


 再び田中に尋ねられ、北村は弱々しく頷いた。すると、北校生らしき男達から、野太い声が上がる。


「うおおお! そうだったのか!」「北村さんかっけえ! 漢だ!」「やっぱ俺たち北校の代表だ! 一生ついて来ますぅぅぅ!!」


 男達は北村に駆け寄り、胴上げを始めた。辺りは段々と北校生達の空気に呑まれ拍手が起き始める。それがさらに集団的空気を作り出し、やがてスタンディングオベーションのような拍手喝采が送られた。


 な、何だこれ、訳がわからない。俺は幻覚でも見てるのだろうか。精神病棟に入った方がいいのだろうか……。


『北工業高校代表、影分身ジョッキーの棄権により、ぐす……東高校代表の勝利!!』


 スピーカーの潤んだ声が聞こえ「わああああ」とスポーツで点が入った時みたいに盛り上がる。


 皆んなの期待を裏切らず、事なくして一回戦を終えた安堵は大きい。腰が抜けてしまいそうなほどだ。


 だが、何だろう。この微妙な気持ちは……。

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