この町で生きていく



「それでは新しい転校生を紹介する──君、入ってきなさい」


 初頭効果という言葉がある。

 心理学では最初の自己紹介で、その印象が強く刷り込まれるらしい。


 教室のドアを開けて、教壇に立つ。

 黒板には既に自分の名前が書かれていた。


 生徒達の視線が集中している。

 ここでウケを狙ってギャグのひとつでもすればクラスの人気者になれるんだろうか。



「──新しく3年4組のクラスメイトになりました、国井悟くにいさとるです。よろしくお願いします」


 深くおじぎをすると、沢山の拍手に包まれた。


 無難すぎたか?

 ……いや、これでいい。

 無理にユーモアやウケなど狙う必要はない。

 それが下手にコケてしまえば、今後の学校生活に支障をきたすことになるだろう。


 この学校では、平穏な生活を送ると決めているのだ。


「席は、あそこの空いている、久園寺くおんじの隣に座ってくれ」


 ……え、久園寺?

 教室の窓の一角、そこだけ取り残されたかのように空白の席が並んで二つあった。



 新学期スタートのためか、本日の日課は午前で終了。

 ホームルームが終わると、席を立って帰る生徒がちらほら見えた。


 すると、前の席に座っていた男子生徒がいきなり振り向いて


「よっ、俺は新井翔吾あらいしょうご。翔吾でいいぜ、よろしく」


 握手を求めてきた。

 茶髪で前髪をゴムで縛りおでこを出している、少しちゃらい印象だった。


「よろしく……あの、隣の席いないみたいだけど」

「今朝ぶっ倒れたやつな。早退したみたいだけど、あれは強烈だったな」


 ああ、やっぱり早退したんだ……あの子。


「もしかして、久園寺って、あの大企業の?」


 俺は翔吾に問いかける。


「そうだぜ、久園寺グループ会長のご令嬢だよ」


 久園寺を名乗る家系は、この国に一つだけ。

 その資産は日本全体の数%に及ぶとさえいわれる名家中の名家だ。

 あの女子生徒が、そんな一族の人間だというのか。


「この学校の生徒会長で、テストの成績はいつもトップクラス。家は大財閥でおまけに美少女。憧れる男子は多いって話だ」


 ……なんでそんな子がこの学校にいるのだろう?


 特別、この高校は偏差値が高いわけでもない。

 成績が中程度の自分でもあっさり入れたぐらいなのだ。


「……でも、二年の後半からばったり来なくなったなだよな」


「そうなんだ」



 この学校に転校してきて初日、朝から驚かされることばかりだ。


 窓側の席から、広がる町並みを見渡した。


 季節は春。

 校門の坂道には桜並木が花びらを散らせていた。



 ***



「……にーちゃん」


 校門のそばには、ランドセルを背負った妹の飾莉かざりが立っていた。


「待ってたのか」


 飾莉は、こくん、と頷いた。


 黒いランドセルが日光を反射していた。

 灰色のパーカーに、半ズボン姿。

 少し男の子っぽい格好だけど、髪に留められた短い二つ結びが女の子らしさを残していた。


「いこ」


 飾莉は腕をのばして、俺の手をぎゅっと握ってきた。


 そうして、俺たちは帰路についた。



 帰り道の途中。


「なあ、一緒に帰るのはいいんだけどさ……」


 言わなければいけないことがあった。


「高校って終わるの遅いし、これからは別に待ってくれなくていいんだぞ?」


 飾莉はこちらに顔を向けると、静かに前に向きなおした。


「べつに、アパートに帰っても誰もいないし」

「……」

「……それに、にーちゃんがいないとひま」


 それとなくぎゅっと握り返してきたものだから、思わず隣を見る。

 木漏れ日の中に、無表情の飾莉の横顔をみた。


「そっか……」

「そうだよ」


 飾莉は昔から、こんな感じだ。


「飾莉、学校はどうだった?」

「別に……ふつう」


 少しすす汚れたランドセルが、歩くたびに揺れていた。

 おさがりのパーカーには、猫のアップリケが付けられている。


「にーちゃんさ、バイト変えたの知ってるだろ?」

「うん」

「給料入ったらさ、新しい服買おう」

「うん」

「男っぽいやつじゃなくて、ちゃんと女の子らしい服を選ぼうな」

「……うん」


 五年前から、俺がこの子の親代わりみたいなものだった。

 昔は表情豊かだったのに、親父が死んでからは、どことなく素っ気ない感じになった。

 時々寂しげな表情をみせたかと思うと、強がるようにして感情を押し込めて無表情に戻る。


 道の角を曲がると、大きな下り坂に差し掛かった。

 青空を背景に、大きな町の風景が広がった。


 俺たちは、この町で生きていく。

 これはずっとかどうかは、わからない。

 けれど──強くならなくては。


 少し熱を帯びた二つの手に、まだ春の冷たい風がまとわりついた。


 使い古された靴が、桜散る坂道のコンクリートを踏みしめていった。

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