第22話

 ヴェルニーナは買ってきた料理をテーブルにならべ、シンをいつもの席に座らせると当然のようにとなりに腰を下ろした。四日目ですでにお互いの定位置が決まったようであった。


 シンの好物と成長時期というのを天秤にかけて、ヴェルニーナが厳正に審査した結果、今日の注文はシンの好きそうな各種肉料理の盛り合わせと野菜がたくさん入ったスープとなった。

 ちなみに肉料理は小分けしないで大きな皿で注文していた。ヴェルニーナがシンのためにする手間が増えるからだ。彼女は少年のために世話を焼くことをこの上なく気に入っていた。


「シン、どれがほしいの?」


 普段は男性と同じような口調のヴェルニーナだが、シンの世話をやくときは、幼いこどもに話しかける口調になるときがあった。子育てしているように見えかねないが、それを指摘するものがいないので、夢中になっている彼女は気が付かない。


 シンは名前を呼ばれたことに反応するが、言葉の意味がわからなそうにキョトンとした。ヴェルニーナは調理された肉を種類ごとに一つずつ指さしながら、ほしいの?と繰り返した。


 シンはそれを聞いて、しーの、しーのと舌足らずに繰り返した。


 だめ……かわいすぎる……


 ヴェルニーナは食事中にもかかわらずテーブルに突っ伏しそうになるが、シンの食事と己の名誉のために全力で耐えた。


「ほしいの」

「しーの」

「ほしいの!」


 シンが素直に反応するので、調子に乗ったヴェルニーナが食事中に何回もそのやりとりを繰り返させていると、なぜかシンは意味を理解したようだった。


 シンの皿が空くと、ヴェルニーナが肉を指しはっきりした発音で言う。


「ほしいの?」


 シンはヴェルニーナに黒い眼をじっとむけて確認するように言った。


「はい」

「シン、かしこい!」


 ヴェルニーナは感激しながら大きくうなずいて、頭をやさしくなで、指さしていた肉をとってシンの皿に乗せた。シンはうんうんと納得したようにうなずいて、うれしそうにもぐもぐ言いながら食べていた。ヴェルニーナは黒髪の手触りを楽しみながら、その様子を眺め、なんとしても次はいってらっしゃいとおかえりなさいを覚えてもらわねばと決意していた。


 時間を余計にかけつつも、楽しい食事を終えた二人は順番に風呂に入った。浴室は湯の出るシャワーがついている高性能のもので、シンは畜魔石をつかって使用することを覚えていた。


 ヴェルニーナはシンの手を取って寝室へと移動した。彼女は思いついたようにブラシを取り出し、シンの濡れた髪に通してとかす。ずっとやっていたかったが、シンに自分でやり方を覚えてもらうのも大切だろうと思いなおし、彼女は断腸の思いで中止する。


 ヴェルニーナは、シンの名前を呼びながらブラシを差し出した。黒髪の少年は、驚いたような顔をしてブラシを受け取ると、はいと一つ返事して立ち上がった。何をするのかと見ていると、ヴェルニーナの後ろにまわり、彼女の真似をして片手で髪をすくうようする。そして、まるで大切なものを扱うように、丁寧に丁寧に、彼女の髪をとかし始めたのだった。


 ヴェルニーナは久々に完全に敗北し硬直した。しばらく少年のされるがままになっていたが、それもやがておわり、そのうちシンが寝息を立て始める。少年が眠りに落ちるのを確認すると、ヴェルニーナはもとから少ない表情を完全に消してベッドを降り、玄関から靴を履きかえ庭に出た。その間ずっと出来の悪い人形のような無表情のままだった。


 庭には巨大な岩が我が物顔で居座るように置かれていた。

 ヴェルニーナは岩の前に立つ。


「ふっ!」


 とつぜん気合とともに、ヴェルニーナは拳を繰り出して目の前の岩に打ち込んだ。音速のごとき速さで繰り出された彼女の拳は、鈍い音と共に大きな岩に突き立った。


「よし!」


 何がよしなのか。


 いたいけな少年に向けた己の邪な欲望を、無関係な岩にたたきつけ吐き出したヴェルニーナは、すっきりした顔で寝室に戻った。そして少年の隣に横になり、まるで何事もなかったかのように穏やかに眠りについた。


 八つ当たりのごとき理不尽な暴力を受けた岩は、文句も言わず悠然と元のまま鎮座していた。ちなみに先ほどヴェルニーナは気を抑えず魔力の放出を抑えていなかった。この岩は一定以上の魔力を吸収する効果がある特殊な岩だった。また非常に硬いことでも有名だった。


 リィンリィン、リィンリィン…………


 岩から鈴のような音が流れ出し、夜の静けさを彩った。吸収された魔力が一定量を超えると、岩はそれを薄めて放出し始める。その時に音を出すのだ。


 忍耐強いこの巨岩は、これまでもヴェルニーナが感情を抑えきれなくなった時、その身で竜の魔力を受け止めて、きれいな澄んだ音に変え、彼女を守ってきたのだった。

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