第三話
亀の甲羅 上
俺が亀の甲羅を見つけたのは、真夜中、久しぶりに公園を走っている途中だった。
公園は俺の家から二キロほど離れている。住宅地と山の境界のような場所にあるが、街灯や自販機もあり、繁華街からも離れているので夜半や早朝に走るにはもってこいの場所だった。
しかし数週間前から何故か入口に立ち入り禁止の札が立てられ、警察官がウロウロするようになってしまった。
どうやら変死体が見つかったらしいと大学で噂を聞き、肝試しに行こうと友人に誘われるも俺は興味が無かったので断った。
そして数週間後の今日、俺は日課のジョギングで公園に行ってみようと思い立ったのだった。
流石にもう封鎖はされていないだろう……そう言えば、そろそろ蚊がうるさい季節でもある。
俺は虫よけスプレーを全身にさっとかけると出発した。
いくらかけても汗の匂いで寄っては来るが、走っていれば蚊は追いついて来ないものだ。
住宅地を抜け、シルエットになった山の稜線を眺めながら歩道をひた走る。しばらくすると左前方に水田の中にこんもりと集まった林――公園が見えてきた。街灯は今まで通り煌々と入口を照らしており、少し離れたこの場所からでも入口に立札の類が無いのが見て取れた。
俺は二回息を吸っては一回吐くのを繰り返し、公園に繋がる道に走り込む。
ここには信号機があるが、夜中のこの時間は誰も通らないから基本は無視だ。勿論、後方と左右は確認はする。
ぶうぅんと羽音が耳を掠めた。
蚊ではない。もっと大きい。
蜂は夜中に飛んでいるのは見たことが無い。じゃあ、カナブンとかその辺りか。
何にせよ、口の開け方を小さくしないといけない。
大きな虫に飛び込まれたら、今夜眠れなくなってしまうだろう。
俺は公園入口を通過するとスマホのタイマーを入れ、走るペースを上げた。公園内はジョギングコースがあり、一周は約千五百メートル。これを五、六分くらいで走れれば体調がバッチリ。それ以上なら生活が乱れているという事だ。タイマーは自己ベストの四分三十秒でセットしてある。
最初のコーナーを回ると左に池、右の藪の向こうに駐車場が見えてくる。額から流れる汗を拭って、俺は唸った。
どう見ても大学の友人の車が停まっている。
しばらく大学で見ないと思ったら、こんなところで再会――ああ、肝試しか。しかし同じタイミングとは――いや、もしかしたら今日公園が解放されたのかもしれないぞ。
となると既に俺を見つけていて、驚かそうと狙っているかもしれない。
さて、驚いたふりをしてやるべきか――
頭の中でそんなくだらない考えをひねくり回しながら、俺は次のコーナーを曲がる。池の周りの遊歩道と合流した。
そこに亀の甲羅があった。
三、四十センチくらいだろうか、街灯に照らされたそれは深い緑と黒の中間といった色合いで、遊歩道の真ん中に上下逆さまに転がっていた。
俺は走るペースを落とした。
早速、友人の悪ふざけというわけだ。
もしかして俺のリアクションを撮影しているのだろうか? 彼――いやきっと他の友人もいるだろうから――彼ら的には俺が亀の甲羅に躓くとか、蹴っ飛ばすようなリアクションを期待しているのだろう。
そうはいかない。
あまり知られていないが、俺は動物全般が好きなのだ。虫も魚も爬虫類もできれば飼育したいが、ペット禁止のアパートにいるからネットの動画で我慢しているのである。
俺は走る速度を緩め――ベストタイムは諦めた――走りながら亀を拾い上げ、結局立ち止まった。
軽い?
どっと汗が吹き出し、心臓が凄まじい速度でドラムを打つ。俺は歩きながら息を整え、亀の甲羅を両手で持ってしげしげと眺めた。
中身が無い。
綺麗さっぱり無くなっている。
甲羅や腹側には傷一つないのに、中身だけが無くなっている。
いや、何か動く物が――
ぶうぅんと羽音がして、一匹の大きな虫が甲羅から飛び立った。
そいつはすぐさま街灯の方に飛んで行ってしまう。
蜂、のように見えた。
蜂の仲間には幼虫の餌用に『肉団子』を作るやつがいたはずだ。普通は仕留めた虫の体を丸めた物なのだが、稀に新鮮な動物の肉を使うものもいるらしい。
もしかすると、この公園に変死体があったという噂は嘘なのではないか。
大型の蜂――スズメバチが大発生していて、それの駆除の為に閉鎖されていたのではないか。
となれば、まずいかもしれない。
大体の蜂は昼行性だが、この公園は街灯があって、今は暖かい季節だ。自販機があるってことはゴミ箱があって、そこには蜂の餌になりそうな飲みかけのジュースがある。しかも一部の蜂は夜行性という話も何処かで読んだ。いや、今の時代、夜行性に移行した蜂がいたって何もおかしくは無いはずだ。
帰らなくては――そう思った瞬間、頭上で凄まじい音がした。
枝が折れる音、唸り声、けたたましい声。
鳥と猫だ!
俺は慌てて池の縁まで移動する。
べしゃりと俺が今までいた場所の斜め後ろ辺りに真っ黒い塊が落ちてきた。
白くて大きな猫だった。こちらに尻を向けて落ちてきたそいつは、立ち上がると頭をのけ反らせる。口には大きな烏が咥えられていた。
猫は、ばりばりと音を立て烏を丸呑みし始めた。
俺は呆気にとられてそれをずっと見ていた。
猫は頭を激しく振りながら、後から見ていても判るくらいに喉を膨らませ、烏を飲み込んでいく。口の端が切れて血が流れているように見える。
まるで蛇みたいだ。
俺はゆっくりと猫から距離をとろうとした。
がさがさと音がする。
はっとしてそちらに目を向けると、藪をかき分け数匹の犬と猫が姿を現した。口には魚や鳥を咥え、やはり丸呑みにしようとしている。
最初に落ちてきた猫がゆっくりとこちらに振り返った。
鯨がオキアミを濾し取る寸前みたいに喉を膨らました猫の口から、烏の両足が飛び出していた。
俺は踵を返すと走り出した。
同時に地面を蹴る音が俺の後ろから続く。ピッチの速い小さな足音が続々と俺を追ってくる。
狂犬病!
きっとそれだ!
なんてこった、虫どころの騒ぎじゃない!
だが、次のコーナーを曲がった俺の目に、その核心を打ち破る物が飛び込んできた。
猫の死骸が遊歩道の脇に転がっていたのだ。
走り抜ける際に、姿勢を低くし観察を試みる。
目が空洞で、腹が縦に裂け、干からびた肋骨が見えていた。
中身が――無い。
その時、俺の前方の藪をかき分け、警察官が現われた。
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