第73夜 タカミさん

 前のカミさんとまだいっしょに住んでた頃の話なんだけど、家事手伝い。ヘルパーっていうの? きてもらってたことがあるんだよね。


朝九時から五時まできてもらって、金は斡旋所? 仲介してるところに払う。


 なんぼだったか正確なところは忘れたけど、そんな高くなかったな。


 名前はタカミさん。


 いやあ、苗字か名前か……どっちだったかな。うん、名前ではないと思う。そんなに長くは、きてなかったから忘れちゃった。


 タカミさんは、どこにでもいそうなオバサンだった。


 いま思い出してみても、特徴がないなあ……なんだか顔の部品がみな小さくて、ノッペリしてたってことくらいしか。


 冗談いっても笑わなかったけど、かといって陰気だってわけでもないし……いや、仕事はソツがなかった。


 洗濯物はいつでもピシッと畳んであるし、家じゅうピカピカ、もちろん料理も上手い。


 子供もすっかり懐いてたな。ああ、保育園の送り迎えをしてもらってたしな。


 その頃にゃもう、カミさんがかなり具合悪くなってて、オレひとりじゃなんもできんってことで頼んだんだけどさ、家事の方はそんなんで大助かりだった。


 でもって、結局代えてもらうことになったきっかけ……これが本題なんだ。


 あるとき、入院中のカミサンのお見舞いに行ったら、聞かれたんだ。


「きのう、タカミさんきた?」


 タカミさんには着替えの交換なんかに行ってもらってたから、カミさんと面識がある。


 洗濯は病院のコインランドリーをつかって、じぶんでやってたんだが、もったいないなんていいだしてな。


 人に洗ってもらうのもどうかなって思ってたらしいけれど、入院が長くなってたから気をつかったんだろうな。


 カミさん、さらにこういった。


「夜中、寝てるときにわたしのベッドの下、ゴソゴソしてて……でも、起きてから見てみたけど、洗濯物はそのままだし」


「確かなのか? ゆうべはふだんどおり五時に帰ったぞ」


「わざわざ寄ってくれたのかな」


 しかしな、家に帰って本人に聞いてみたんだが、タカミさんは行っていないという。


 洗濯物を取りに行くくらいしか用事がなくて、それが残っていたんだから、ああ、カミさんが看護師かなんかと勘違いしたんだろうっていうことで、この一件は忘れてしまった。


 また一週間くらいたってからかな……カミさんのお見舞いに行ったときのことだ。


「タカミさん……あの人、絶対変よ」


 どうして、と聞いた。


 この間、タカミさんがカミさんのとこに行ったのは、一、二回だろう。洗濯物の分量からいって。


「きのうの晩にきて、部屋の入口にボーッと立ってたの。それでね……絶対笑わないで聞いてくれる?」


「ああ、笑わない……どうしたんだ」


「そのあたりに立ったまんま……」部屋の入口を指さす。「わたしのベッドの下まで手をニューッと伸ばして、なにか探るのよ」


 薬の副作用で幻覚でも見たんじゃないかって思った。


 だいたい、カミさんのベッドは窓際だったんだ。


 四人部屋で、入口から五メートル以上は離れてる。


 カミさんの頭は壁の方、入口を見ようとしても見えないじゃないか。夜はとなりの人が、じぶんのベッドをカーテンを覆ってるんだし。


 だがなあ、カミさんは真剣な表情でいうんだ。


「しばらくゴソゴソしている音が聞こえてた。だから、夢を見てたんじゃないの。意識ははっきりしてた」


「どんな格好してた?」 


「上はね……襟が三角になってる、黒っぽいブラウス。下は膝丈くらいのタイトスカート」


 タカミさんの服装なんて、注意して見てなかった。それでも、前日にタカミさんが着ていたものくらいは分かる。


 まちがいない。前の日にタカミさんが着ていたものだ。


 洗濯物は、そのままだった。


 つまり、わざわざ時間外にきたのではない。いや、そんなことはどうでもいい、手が伸びてっていうのは……。


 いやいや、べつにカミさんがタカミさんを嫌ってたってこたあない。


 むしろ誉めてたし、感謝してた。


 タカミさんはたいてい無表情なんだけれども、カミさんにありがとうといわれて、はにかんでいたこともあった。


 そして、カミさんは裏表のない方だった。十年くらい連れ添ったんだ、いくらおれが鈍いったって、それくらいは分かる。


 ツクリゴトをこさえたんじゃないだろうよ。


 先生にも、聞いてみた。


 だが、いまのんでる薬の副作用で幻覚を起こすことはまずない、という。


 薬が原因じゃないんなら、例えばずっと入院してることでなにか精神面での悪影響があって、そのせいなんじゃないか……。


 いろいろ考えたんだが、わけが分からない。まさか本人に、あんた手が伸びるんですかって聞くわけにもいかない。


 先にいったとおりタカミさんは本当によくやってくれたんだが、カミさんが気味悪がってるから仕方ない。


 病気に障りでもしたら、ことだ。


 それで斡旋所に連絡してな、代わってもらったんだ。


 しかしなあ……カミさんがいうんだよ。


 相変わらず……タカミさんがくるって。やめてもらったってのに。


 幻覚だっておれは思った。やめたのに、くるはずがないっていった。


 それでもカミさんは聞かなかった。


 夜、ふと目がさめたら部屋の入口にボーッと突っ立ってる。


 で、手を伸ばしてくる。カミさんのベッドの下へ……。


 家の中の方に目を移したんなら、代わってもらったのは失敗だったんだけれども……新しくきたのは、タカミさんとはレヴェルが違いすぎてた。


 比べちまうんだなあ……どうしても。


 服を畳むのが遅いし、畳み方が雑。ごはんの味つけがピンとこない。部屋とか廊下とか、たまに掃除し忘れることがある。


 タカミさんは完璧だったんだなあって、思い知らされたよ。


 最低限、子供になにか危険なことがなければいいって大目に見てたんだが。


 それはいい。本題にゃ関係ない。


 関係ないんだが……ああ、多少はあるんだなあ……。


 新しくきた子といろいろ話していて、タカミさんが亡くなったってきいたんだ。


 今の感覚じゃ、そんなプラーベートなことを話していいものかって思うが、その子、もともと口が軽い方だったから。


 それで、いつだって聞いたら、もう何か月も前……その子がきはじめてまもなくっていうから、つまりはタカミさんがウチにこなくなって、そんなにたたないうちに死んだってことになる。


 死後も、カミさんのところにきてたのか……。


 そのカミさんも、タカミさんが死んだって聞かされた直後に亡くなったんだ。


 うん、正確には何日か……一週間もたってなかったと思う。


 遺体を引き取るとき、看護師さんに聞いたんだけれども、たまに夜、カミさんが騒いだってことがあったそうだ。


 うん……部屋の入口にタカミさんが立ってるって。


 その看護師さん、おれと仲がよかったんだよね。親切だったし。


 で、なにか心当たりはないかって聞かれたけれども、おれはないって嘘ついた。幽霊がきてたなんていってもなあ……どうしようもない。


 それにしてもタカミさん、なんでカミさんのベッドの下に手を伸ばしてたんだか……気になるよなあ?


 でも、ベッドの下を見てみても、それらしいもんは見つからなかった。私物なんて、ほとんど持ち込んでなかったんだがな。


 うんにゃ、おれの家の方にはタカミさん、出なかったよ。まったく。病院の方は知らんけど。


 それにしてもタカミさん、なにに執着してたんだろうな。


 女どうしの間でしか通じないなんかだろうか……。

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