第71夜 死因開陳

 これは僕の一生を……たぶん決めることになったエピソードです。


 当時、僕は中学二年生でした。


 十月終わりか十一月初めのある日。放課後、部活が終わって友達ふたりと下校中のことです。


 もう西の空が夕焼けていて、疲れたな、とか、腹減ったな、とかいいあいながらダラダラ歩いていました。


 友達ふたりの名前……A、Bとしましょう。僕たちは野球部で、Aのポジションはショート、Bはファーストでした。


 三年生の引退後、ふたりともレギュラーになったばかりだったのですが、僕は補欠。僕が守るのはセカンドでした。


 はい、みんな内野ですね。連係プレーの練習をする機会も多く、しぜんに仲良くなっていったというところでしょうか。


 三人で下校してるっていっても、いつも僕とAがしゃべって……Bはもっぱら聞き役です。


 Bの方からなにか話しはじめることなんて、めったにありませんでした。


 ええ、Bのポジションはファーストですから、ホントそのまんまですね。ご存知のとおりファーストというのは、いちばん球がきますから。


 ああ、もちろんピッチャーとキャッチャーを除いて……敵の打った球を僕やAが捕って、Bに投げる。それと同じです。僕やAが話して、Bがうんとかそうだなとかいう。


 しかし……しかしですよ、そのとき突然Bが、僕たちに聞いてきたんです。


「死んだらどうなると思う?」って。


 ――僕は一瞬、Bってこんな声してたっけ、と感じた。


 いつも聞き役で、無口な方であるといっても、授業中に先生の質問に答えることもありますし、練習中だって声をしっかり出してないと顧問に殴られる。


 でも、そんなときのBの声とはあきらかに違う。トーンがずーっと低いし、ちょっとかすれたようになっている。


 Aも驚きの表情を隠さず、立ち止まって僕とBの顔をかわるがわる見ている。


 再び歩きだして……かんじんの回答の方ですが……そんなこと聞かれても、どう答えたもんか分かりませんよね。


 いまでもそうですけど、当然ながら死んだことなんてないから答えようがない。


 適当に、じぶんがこうって思ってることをいうしかない。僕は、


「いいことしたら天国に行って、悪いことしたら地獄に行くんだろ」


 Aはバカかおまえ、と僕に毒づいて、


「キリスト教の信者じゃないんなら、天国なんかに行かんだろうが。坊さんがきてお経読んだら、極楽に行くんだよ」


「じゃあ、悪いことしても地獄に行かんのか?」


「そりゃあ、地獄行きだ」


 それから〈悪いこと〉をめぐって僕とAがあれこれ意見を述べているあいだ、Bはひとことも口をはさみませんでした。


 僕とAがお茶を濁している格好ですが、僕は気になりませんでしたし、Aも同様だったでしょう。


 もちろん結論なんて出ませんから、一段落ついたんじゃないかってところでAが、


「ああ……腹減ったな。イシイフードに寄ってくか」


 そう提案し、僕は賛成しました。


 イシイフードは帰る途中にあるスーパーなんです。よく学校帰りに惣菜を買って、歩きながら食っていたんです。


 ええ、そうです。つまりその話は終わりそうになってたんです。


 聞いてきたBがなにもいわなかったんですから、仕方ないですよね。これくらいでいいだろうという雰囲気になってたというか……。


 するとBが立ち止まった。


 なんだ? って、僕とAも足を止めた。


「俺が死んだらさ、絶対おまえらんとこに行って、なんかするから。おれがきたって分かるようなこと」


 こいつ、ちょっとおかしいと感じました。いつものBじゃない。


 Aはよっぽど腹を空かせてたんでしょうか、まともに返事をしませんでした。


 わかったわかったといって足早に歩きだして、それにつられる格好で僕とBが足を進めて……それきりになったんです。


 うーん……いやいや、違うんですよ。


 ええ、ええ。仰るとおり。


 確かに、その直後にBが死んで、なにかあったっていうんなら話としてはツジツマが合いますよね。


 でも、べつにそんなことはありませんでした。


 無事三年になり、いろいろあっていっしょに下校しなくなったり、またつるんで遊ぶようになったりをくりかえしているうちに、卒業して……僕とAは近くの高校に進学。Bは親元を離れて下宿しながら高校に通った。


 Aはそれから町役場に勤めて、僕は大学に行って……それからはAと僕はたまに連絡を取り合う程度、もうBの消息を聞くことはありませんでした。


 あのときのBは思いつめたような表情をしていて、眉間に皺は寄っているし、目は据わっているし、口元はぎゅっと結んでいて……なにか重大な秘密を、僕なんかじゃとうてい対応できない秘密を打ち明けられるんじゃないかって雰囲気。


 なによりも、全く見たことのないようすってのが、怖かった。


 じぶんではこのときのBのようすが深く印象に残っていたんですが……それが怪しくなってきたのは、ことしの春のことです。


 僕は大学を卒業後、地元にもどらずそのまま現地で就職して、十年ほどになっています。


 実家にはお盆か正月、たまにまとまった休みがとれたら顔を出す程度です。当然、A、Bだけじゃなくかつての仲間とは疎遠になっています。


 それがある日、仕事が終わってアパートにもどると、ドアの前にBが立っていたんです。


 久しぶり、といって手をあげ、笑っている。


 背が高くなってるし、それなりに年もとっていますから最初はだれか分からなかったけれども、ちょっと話したらBと分かった……いえいえ、違います。


 Aじゃない。Bだったんです。


 中学のとき、怖いなと僕が感じた方ね。


 中学を卒業して以来、会っていなかったBが訪ねてきたんです。


 僕の実家に連絡して、住所を聞いてきたってね。


 どっかで飲みに行こうかとも思ったけれども、いまさら出かけるのもおっくうだし、Bがここまできてしまっている以上、あがってくかってことになりました。男のひとり暮らしで汚いけれどもって。


 それでBを部屋にいれて、缶ビールで乾杯して懐かしいなあといいあった。


 高校に入って以降、どこかで変わったのか、Bはずいぶんおしゃべりになっていて、またその話がおもしろい。


 しかし、気になったこともありました。


 たまたま僕を思い出したBが実家に連絡、近くに住んでいるのが分かって訪ねてきた……そんなところだろうと思っていたところ、聞けば全然そうじゃない。


 わざわざ新幹線で四時間くらいかけてきている。


 出張なんかではなく、僕に会うのが目的だったという。


 変、ですよねえ? ただ会いにきたんじゃないだろう、それなら普通、まずは連絡してくるのが先だって。


 Bの話術に、僕はときどき涙を流しながら笑い転げてたんですけれども、さすがに本題が気になりだした。


 ええ、聞いてみたんです。


 なにしにきたんだ、ただ懐かしいからきたんじゃないだろうって。


 場が一瞬で凍りつきました。


 Bはしばらく黙り込んでいて……僕はBの顔をうかがうことしかできない。


 もう幼さ、あどけなさの消えてしまったBの顔を。


 ややあって、Bが缶を握りつぶし、こう聞いてきました。


「中二の頃なんだけど、憶えてるかな……死んだらどうなるかって、俺が聞いた」


「ああ、憶えてる」


 僕の声は、情けないくらい震えていました。


 目の前にいるこいつは、死んだんだ。


〈死んだら、おまえらのところに行って、おれだって分かるようなことをなにかする〉っていったのをいま、忠実に履行しているんだ。


「あのときのA、あきらかにおかしかったよな」


 えっ、と思った。おかしかったのは、おまえの方じゃないか。


「Aがな……死んだんだよ。自殺だって」


 そういうなり、Bは声をあげて泣きだしました。


 僕は茫然としていました。僕もBも、せいぜい缶ビールを二、三本空けただけ、ほろ酔い程度です。


 幻覚なんかじゃないよな、と考えながら、Bをなだめました。


 するとBは声を荒らげて、


「おまえ、Aがかわいそうなんて思ってないよな」


 わけが分からなかった。


 仲間……チームメイトでもあったやつが死んだ。それがかわいそうでなくて、なんだというのか。


 そこで、中二の頃にもどるわけなんです。


 死んだらどうなるかとBが聞き、僕とAがお茶を濁す。


 死んだらなにか分かるようなことをする、とBが怖い顔をしていう……これが僕の記憶です。


 しかし、Bは違う、つづきがあったというんです。


 この直後、Aが叫んだという。


「おれが死んだら、おまえらもすぐに死ぬ」と。


 Aもまた、見たことのない顔をしていた。


 目を吊り上げて、口が裂けていて……月並みですが、悪魔が乗り移ったようだったとBはいいます。さらには、


「おまえは火だ」Bを指していい、


「おまえは金だ」と僕を指していったと……。


 悪い冗談はやめろよ、といったんですけどね。Bは真剣な顔をしていました。


 もう懐かしいどころじゃありません。


 おれは煙草を止めたし、家じゃガスはつかっていない。ガソリンスタンドを見つけたらすぐに離れるようにしている。


 おまえも金に気をつけろ……Bはそう早口にまくしたてて、帰っていきました。僕が止めるのも聞かずに。


 すぐ実家に連絡しました。


 夜遅かったためか携帯には出なかったんで、固定電話にかけ直して……母が出るとすぐに、Aが死んだって聞いたんだけどと尋ねました。


 寝ているところを起されて不機嫌そうでしたが、母はそうだ、つい最近、と答えました。


 パチンコにはまって借金をしまくって、どういう理由かは分かりませんが自己破産もできず、それで首をくくったと……。


 それから母はなにか聞いてきたようですが、憶えていません。


 気づいたときにはもう電話は切れていました。


 うん……どうなんでしょうか。


 Bはまだ無事だと思いますよ。


 連絡先も聞いてませんのでハッキリそうだとはいえませんが、ずいぶん気をつけているようですし……仮に亡くなってるんだとしたら、なにかしらその印を見せてくれるって思ってます。


 ええ、Bのことばを信じて……僕にも分かるような方法で知らせてくるだろうと。


 いやあ、それは……だって、Bはともかく、僕の方では気をつけようがないでしょう?


 キンに気をつけろっていわれても純金に注意していればいいわけでもないでしょう。


 恐らく金属って意味だと思いますし、それならそれで、身のまわりにザラにありますから……カネに気をつけるべきだってことかもしれませんし。


 だから、僕はふだんどおりの生活をしています。


 それにしても、じぶんの記憶力を恨む気持ちはあります。


 それと、他ならぬAについても。


 ギャンブルで借金つくって死んだって、そんなの自爆じゃないか、人を巻き込むなよって。


 これからあとどれくらいで死ぬのかは分かりません。


 ただ、やり残したことがないよう……後悔しないよう毎日を過ごす。


 それだけですね。

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