第19夜 天狗火

 僕の生まれ故郷、静岡の田舎で……現にいま住んでる場所でのことなんですがね、以前は夜に火が出たことがあったんです。


 天狗火、といわれていました。秋葉さんが近いからでしょうか。はい、そうです。秋葉権現。


 火っていっても、もちろん火事じゃありません。火事だったらたいへんですよ。


 天狗火は、一見するとふつうの火と同じようなんですけれども、温度が低いからかフチが青いんですね。真ん中は赤いけれども、何も燃やしはしません。


 少なくとも僕の知る限りでは、その火のせいで火事が起きたことがあるなんて、聞いたことがありません。


 ちょっと調べたことがあるんですが、よそではこんな火を狐火と呼ぶことが多いらしいですね。死んだ動物の骨から出たリンが自然発火するって聞いたこともあります。


 僕が見たことのある狐火は夜、山の方を見ていると、その火がぼうっと灯っている。


 一か所にじっとしているわけではなく、動いて回ります……と、これだけ。


 ですから怖くはありませんでした。


 小学校六年生になる年の春休みですかね、最後に見たのは……。いえ、大人になったら見えないというもんじゃなく、子供も大人も、その頃から見かけなくなったんです、天狗火を。


 昭和の終わりか平成の初めか、はっきりしませんけれども……平成二年か。平成二年の夏休み中……うん、小学五年だったからそうだ。平成二年の夏の話です。


 天狗火は夜、雨が降っているとき川に出て、水上をフラフラしていることがありました。


 そんなとき、天狗が川狩りに出かけたといって、家に閉じこもって外出してはいけないことになっていたんです。


 ええ、古くからのならわしで……大人も子供も関係ありません。


 夜ですから、たいてい子供は家にいますけれども。川狩りだぞーと誰かが叫んでいるのを聞いたら、何かしててもパッと家に入っちゃう。


 ところが同級生の……仮にA君としましょう、そのA君が外に出て川に向かったんです。


 そのとき、お父さんは出張中で留守、お母さんは風呂に入っており、弟は寝ていた……と聞いています。


「天ぐ火の正体をつきとめにいきます」


 そんな書き置きを残してね。風呂からあがったお母さんが書き置きを見つけて、それから大騒ぎになって……。


 僕はその日の昼、A君とその他の友達数人で遊んでいたんです。クラスは違いましたけれども、仲はいい方だった。


 その仲間のあいだで、はやってたんですよ。


 怖い話をしたり、妖怪の本を貸しあったりね。


 昼間にテレビで〈あなたの知らない世界〉を見て、さっきのあれ怖かったっていいあったり。


 だから当然といっていいのかどうか、天狗火の話もたびたび出てたんです。僕たちの住んでいる町には、いまも天狗火が出るって。それで、いつか正体をつきとめようぜって話してたんですよね。


 A君は特に活発な方なんかじゃなかった。


 むしろおとなしい方……いや、違うか。


 そう目立ちはしないけれども、おとなしくもなかったか……とにかく、A君じしんの口から天狗火の正体をつきとめてやる、なんて台詞は聞いたことがなかったんです。


 だから、A君がいなくなったって母親から聞かされたときは意外でした。つぎの日、友達に会ったときも、まさかあいつがっていいあった記憶があります。


 じつはその頃……友達とAがいなくなったって噂していたときにはもう、Aは見つかっていたんです。


 立山で保護されたんです。


 ええ、富山の立山です。


 いくらなんでも、ちょっと無理ですよね。子供ひとりで一晩で移動するのは。誰かが車なんかで連れ去ったのか……。


 このあたりは母親から聞いたんではっきりしませんが、A君は保護されたとき、なぜじぶんが立山にいるのかわからなかったそうです。


 これといって外見に変わったようすはなく、腹も空かせていないし眠そうでもなかった。


 ぼんやりしていて、じぶんの名前と住所をいうのがせいぜいだったと。


 それからA君は、人が変わってしまって……数日たって、A君が歩いているのを見かけました。


 ああもう何ともないんだと肩を叩いたところ、A君が振り返って……でもボーッとしていて、反応がまるでない。


 そんなふうにボーッとしているのがふつうの状態だったようですが、突然暴れだしたり、奇声を発したりするようになったんです。


 それで僕も友達もA君に近づけなくなりまして……しかも、めっぽう力が強くなっていて、殴られて骨を折ったやつも出たくらいでした。


 こんな状態ですから、はたしてA君が天狗火の正体をつきとめることはできたのか、そしてなぜ立山まで行くことになったのかは当然、聞けずじまいでした。


 八月の終わりに、A君はどこかに引っ越しました。


 気づいたときにはもう、住んでいた家がもぬけの殻になっていて……A君の両親と親しかった人には知らせたのかもしれませんが、少なくとも僕のまわりには、どこに行ったのか知る人はおりませんでした。


 新学期になってからA君の担任の先生にも聞いたんですが、先生も知らされていなかったんです。


 さっき話したように、それから数か月後の春休みにいちど天狗火を見て……ああ、あれは遠くから見ている分にはいいけれども、怖いものなんだって思って……それ以来、いまに至るまで見たことはありません。


 ことしの夏の同窓会のときに、その頃に妖怪だ幽霊だって騒いでた仲間とA君の話になりました。


 でも、もう憶えている人の方が少なかった。


 僕はまだ、気になっているんですけれどもね。


 A君はそのとき、何を見聞きしたのか。そしていま、どうしてるのか。

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