第9夜 箱の中
こりゃあ前から温めてたんだが、誰にも話しちゃいない。これが初めてだ。ああ、俺じしんの話。
去年の秋口、犬を散歩させるってんで、浜を歩いてたんだな。
ああ、大きい方だ。小さい方はガキに散歩させてる。大きい方はタロー、小さい方はノラクロ。ガキにゃ力が足らんから、タローは俺が散歩させてるんだ。まあそんなこた、どっちでもいいや。この話にゃ関係ねえ……。
で、タローがあっちこっち、フラフラしながら例のごとく砂や流木なんかを臭ってたんだが、急に吠えだしたんだな。
いやあ、ガラはでかいがおとなしい犬なんだ。
だいたい、タローたって雌だ。生まれてすぐにもらってきたんだが、確かに雄って話だったんだがな。雌だと気づいたときにゃ、もう遅い。タローって呼ばんきゃ返事もせん。だからいまでもタローのままだ。
そのタローの鼻先を見ると、これくらいの……五寸角くらいの箱があった。彫りも塗りもなにもない、全くの素木。表面に蓋があってツマミがついてる。それを引っ張ったら、開きそうなもんだろう? だが開かん。
押しても、ひねっても駄目。
その周囲に小さい木の板があって、それを正しく動かせば開くらしい。箱根細工の……秘密箱だったか。そんなもんだ。
振ってみると、なにか入っているらしくカサカサ音がする。まあ気にも留めないで家に持って帰ったんだが、玄関脇の靴箱の棚の上に置いたんま、忘れちまった。
ああ、タローはワンワンいってたんだが、全然これも気にならんかったんだが、こいつ、やっぱり賢い犬だったんだなあ。
それから二、三日たった晩にな、ガキが突然ギャアギャア泣きだした。
小学校五年生だ、ふだんから泣きたくっても我慢しろっていってんのに、なにをうるさくわめいてるんだって叱りつけるつもりで声のする方に行ってみたんだが、これが、いねえんだよ。
仏間にいると思って入ってみたら、茶の間の方から声がする。茶の間に入ったら、玄関で泣いているのが聞こえる。玄関に行ってみたら、こんどは寝間だ。
腹も立ったし、うるさくてたまらん。この騒ぎを聞きつけてかノラクロが吠えだして、タローまでワンワンやりはじめた。
いやあ、自慢じゃないが六畳ふた間と四畳半ふた間の狭い家だ、どこに隠れていやがる、妙な悪戯しやがって、って捜しまわったんだな。いやあ、まだそのときゃ飲んじゃいない。シラフもシラフ、大素面だ。晩めし前だったしな。
しばらくそうやってウロウロしてたら小便したくなって、便所の戸を開けたんだが……いや、たまたまには違いないが、それがよかったんだ。そこに、ガキがいやがった。
まずギャアギャア泣き叫んでるのを二、三度ひっぱたいて黙らせた。それで小便してから茶の間に引っ張ってって、聞いたんだ。ずっと便所にいたのかってな。
そしたら、いたっていう。
便所に閉じ込められて、出られんかったんだ、と。
小便して、こう振り返って、戸を開ける。そしたら、向こうも便所だった。いったん戸を閉めて、もう一度開けてみても、やっぱり便所。どうやっても便所。
小窓がひとつついてるんだが、そこから出ようとは考えんかったらしい。そこで八方塞がり、ただ泣きわめいてたってところは、まだガキだなあ。
そんなことあるもんかって、また引っぱたいたんだが、俺だって怖かった。そりゃあガキが見つかってよかったし、文字通りの雪隠詰めなんてかわいそうだ。だがなあ、ガキの声はあちこちから聞こえてきてたし、便所だって何度も戸を開けて見てる。見逃すはずがないんだ。
そこでふと気づいた。ガキのズボンのポケットが妙に膨らんでる。
おい、なんだそれはって手を突っ込んで引っ張りだしてみたら、これが件の箱よ。
蓋が開いていて、中にボロボロの紙が入っているのが見える。
開けたのかって聞いたら、開いたって返事。どこをどうやったのか、触っているうちに開いたっていうんだ。
たまたま開いたんだろうが、こいつはブルブルきた。俺がどうやっても開けられなかったもんが、なんでガキにできたんだ。こいつ、魅入られたんじゃないかってな。
嘘つけって怒鳴ったんだが、なぜ嘘つけなんだかじぶんでも分かりゃせん。
こうしてゴタゴタやっているうちに、嬶が帰ってきてな。まあ、近所で茶飲み話でもしていたらしいんだが、ガキが安心しやがったのか、また火のついたみたいに泣きだして、仕方なくこの騒ぎの顚末を話したんだ。
すると、嬶はその箱が原因だという。若い頃から妙に迷信深いんだよ、嬶は。
じゃあもとあった場所に捨ててくるっていったんだが、駄目だという。
捨てる、駄目だで押し問答、ガキは泣き止んだかと思うとまたビービーやりだす。犬が吠える。とうとう俺の方が折れて、捨てに行くのは止めにした。
さらに嬶いわく、お寺さんで供養してもらえって。
うん、おとなしくいうことを聞いたよ。つぎの日に持って行くことにして、箱は玄関脇に置いておいた。それから、また閉じ込められちゃいかんてことで、便所の戸は開けっ放しにしておけっていう。臭くてたまらんかったが、まあ仕方ない。ガキがいなくなって捜しまわるよりましだ。
だが夜泣きして、それがギャンギャンとひでえもんだから俺は眠れんかった。嬶はイビキかいて寝てやがるし……犬はおとなしくなっていたが……全くあれは、たまったもんじゃなかったな。
つぎの日、朝めしを食ってすぐに金剛寺へ持って行った。うん、爺さんも婆さんもくたばったときに世話になった……そうそう、それ。菩提寺。菩提寺の金剛寺。坊さんは朝のお勤めの最中ってんで待たされそうになったんだがな、カミさんに無理やり箱とお布施を渡してサヨナラした。
帰り道、ホッとして鼻歌うたいながら歩いてたら、うしろからオウイオウイと声がする。振り返ったら、これが坊さんなのさ。箱を小脇に抱えてるのが遠目にも分かったんで、俺は駈けだした。返品は困る。嬶にゃ怒られる。ガキの夜鳴きはごめんだ。
一町ばかり走って、もう一度振り返ってみた。坊さんをどれだけ引き離したかってな。ところが、なんと近づいてきてる。衣に袈裟、雪駄ばきだぜ、俺なんか息をきらしてるってのに。慌ててまた走りだしたんだが、とうとううちの玄関前でつかまっちまった。
「おまえさん、これをどこで手に入れた」
さすがにゼイゼイいいながら坊さんが聞いてきたんで、
「なんでか知らんが、いつのまにかうちにあった」 と適当に答えた。
すると右手を俺の肩にかけて息を整えながら、中に入っているのはマリシテンの御札だっていう。マリシテンがなんだか知らんかったが、ありがたい仏様なんだってな。
俺はあんまり坊さんの足が速いもんだから、イダテンじゃねえのかって聞いたら、違う、マリシテンだと答えた。マリシテンの術に身を隠すってのがあって、それが悪用されてる、開けたらただじゃすまない、変わったことはなかったかと聞く。真剣な顔だったよ。
その権幕にどう答えたものか迷って、俺がムニャムニャことばを濁していると、封印すれば後難はないっていうもんだから、ついに本当のことを話さなんだ。預けちまえば終わりだって分かったからな。坊さんも胸を撫でおろした様子で、それならいいっていい残して帰っていった。
ただの生臭坊主だと思ってたんだが、俺は坊さんを見直したね。
いや、それから変わったことはなかった。封印もキッチリしてある。うん、今年の春の彼岸にお寺参りしたとき、御本尊のうしろにその箱があるのを見たんだが、何重にも縄で縛ってあってなにか御札が貼ってあった。
ただなあ、いまだに便所の戸は開けっぱなしよ。冬はともかく、いま時分なんか臭くてかなわん。ボットン便所だからな、便器に蓋してても臭ってくる。それでもまあ……ガキが雪隠詰めになるよりはましだろうよ。
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