第2話 おっさんと精霊

「痛つつ…」


タヌキによって穴に落とされた俺は、真っ暗な空間をウォータースライダーさながら滑り落ちた。


最初はあのタヌキに対する怒りでいっぱいな俺だったが、滑り始めて五分くらいで不安になり始めた。


–––これいつ終わんの? と。


出口が見えたのは、昔のゲームに見られた無限ローディングを思い浮かべて恐怖が芽生え出した頃のこと。


突然光に晒されて目を瞑った俺を、一瞬の浮遊感と地面に着地する衝撃が襲った。


例えるなら、鉄棒に失敗して背中から地面に直撃した感じだろうか。


で、今に至る訳である。


「いきなり森の中とかハードじゃないか?」


背中をさすりながら辺りを見渡せば、鬱蒼とした樹々が立ち並び、富士の樹海もかくやといった様子だ。


最初は街から始まる物だと思っていたのだが。


と、視界の右上端にマップのような物が表示されているのに気付く。


「お? これなら辺りの様子が…。そう簡単にはいかないかぁ」


拡大縮小もイメージすれば出来たが、マップに表示されるのは俺の周囲だけのようで、それ以外は真っ白だ。


恐らく自分がいるところから半径数メートルが記録されていくシステムなのだろう。


昔は某有名RPGで友人にマッピングを手伝わされたりしたものだ。


「歩いてみるしかないな」


結局、一番簡単な結論になる。


本当は気になることが色々あるのだが、このゲームは街で宿に泊まるまで止めることが出来ないので仕方ない。


これは、宿などの安全圏と呼ばれるポイントがログアウト出来る場所として指定されているからだ、と説明書には書かれていた。


アバターがゲーム内で無防備なまま残る訳でもないのにおかしな話だ、と思わなくもない。


そんなことはともかく。


俺は大して気負う事なく一歩を踏み出し、街を目指し始めた。川か何かを見つけてから辿っていけばいいだろうと。


しかし最初の行動の時点で間違えていたと、俺はこの後気付く事になる。



歩き始めて十分が経つ。


辺りの景色はほとんど変わらない。


木の形や模様でしか、自分が進んでいるかどうかの判断が叶わないこの森は、俺のモチベーションをガリガリと削っていく。




30分経過。


依然、状況は変わらない。森は薄暗く、俺の心の不安は増すばかりだ。


このゲームを始めて数時間だというのに、暗闇に恐怖心を煽られてばかりな気がするな。


神か運営か知らんが、一人のプレイヤーにこの仕打ちは如何なものか。


以前の会社の同期が、「チェンジリングを始めて最初のスタート地点が綺麗な街ですげえんっすよ!」なんて言っていたから、街から始まると思っていたというのに、俺はかれこれ30分も鬱蒼とした森を歩かされている。


これじゃファンタジーじゃなくてサバイバルである。


俺はグチグチと文句をこぼしながらも、歩き続け–––






一時間が経過した頃、俺はついに我慢出来なくなった。


「なんじゃこのゲームーっ!」


これがリアルだったなら、クソゲーだと叫びながらゲーム機を投げていた事だろう。


それからスッキリしつつ後悔するまでがワンセットなのだが、VRではそれが叶わない。


よって、スッキリも後悔も無くただ叫んだだけ、という無意味な時間が生まれた。


俺は乱暴に地面に座り込み(少し前に打った背中に響いて痛かった)、マップを確認した。


「これまで歩いた道の周りにも、川らしきものは写ってないか…」


本格的にどうしようかと考え始める。


このままゲーム内遭難でリアルに戻れない可能性も大いにある。


笑えない冗談だな。


「…止めよう、マイナス思考は何も生まない。あ、そういえば」


俺が使っているキャラはコンバートされたキャラである以上、レベルだけでなくスキルも継承されているはずだ。


そのスキルの中に、現状を打開する鍵があるかもしれない。


スキルや装備の項目は、頭の中でイメージすれば簡単にメニューから選択できた。マップの操作と同じだから楽だった。


アバター名:<Corey>


レベル:1


HP:3081(+3080)


MP:309(+308)


物理攻撃力:1


魔法攻撃力:1


物理防御力:1


魔法防御力:1


素早さ:1


物理技量:309(+308)


魔法技量:309(+308)


取得スキル:<召喚術> 低位魔物召喚 10pt 精霊召喚 300pt


武器:なし


防具:<頭> なし <胴> なし <脚> なし


なんだこの奇妙なステータスは?


レベルは1からになっているのに、ステータスのいくつかがやたら高いのはなんでだ?


まぁいいか、今大事なのはスキルだしな。


「低位魔物召喚と、精霊召喚?」


スキル欄に書かれているのはこの二つだけだ。


ptというのは、多分MPをいくら消費するかの数値なんだろうが…。


「コスト違い過ぎじゃないか?」


300とか、今の俺の保有するMPのほぼ全部なんだが?


「この状況でこんなリスキーなこと出来るかよ」


低位魔物召喚のほうがよさそうだと判断して、俺はスキルの説明が見られないか試してみる。


<低位魔物召喚>:ランダムに脅威度D以下の魔物から一体を呼び出して使役するスキル。ただし、使用者に対して友好度が一定値ある魔物に限る。


スキル名を凝視してたら、スライドするようにして、その下に説明文が現れた。


しかし、…駄目だこりゃ。ランダムとか書いてあるし、よく考えたら低位の魔物って時点で状況の打開に繋がるか怪しいし、後半の文章に至っては、そもそも俺、この世界に来てから魔物に会ってないし。


いや、あのタヌキはモンスター判定でいいかもしれない。


なんにしろ、こっちのスキルはまだ使えなそうだ。


「となると、精霊召喚しかないか」


先程と同じくスキル名を凝視する。


…あ、目が痛くなってきた。力みすぎたかな。


<精霊召喚>:周囲にいる精霊を可視化させて魔法陣上に呼び出す。本来は姿の見えない精霊に魔力を与えて可視化させるために魔力消費が激しく、呼び出した精霊に認められなければ最悪死ぬ。精霊の同意を得た後は、契約を結ばなければならない。


うぉぉおい!?


なんだ死ぬって、怖いわ!


と一瞬叫びかけた俺は、ここでピタリと動きを止める。


その理由は、一つの解決策を見つけたからだ。


それは–––


「–––ゲームオーバーになれば、一先ずリアルに帰れる?」


なんとも酷いアイデアである。


が、色々と調べたい事がある俺にとってこの案は、そう的を外した物には思えなかった。


このスキルの使用もまた、自分の周囲にどんな精霊がいるのか、或いは、そもそも精霊が側にいるのかどうかという点では賭けみたいなものであるが。


しかし、貧弱そうな低級魔物を呼び出すよりは遥かにマシな案に思えた。


決まってしまえばこっちのもんだ。それなりに切羽詰まった人間は、可能性があるなら迅速に動けるのだ。


「スキルの使用ってどうやるんだっけ? あ、説明書に書いてたな」


説明書曰く、スキル名を叫んで、そのスキルを使っている自分の姿をイメージしろ。


「よしいくぞ、<精霊召喚>っ!」


俺は神秘的な光を放つ魔法陣から、美人で厳かな雰囲気を持った精霊が出てくる姿をイメージした。


そして精霊は言うに違いない、"ソナタごときが妾を従えようなど笑止千万。そなたの行いは万死に値する!"と。


そうして神の如き強大な光によって、俺は跡形もなく消しとばされるのだ。


「ヒャッハーッ! 俺様登場!」


目を瞑りながら俺は考える。もし現れる精霊が俺に従順だけど使えない能力しか持ってないパターンだったらどうしよう。


「あれ、こいつまだ目ぇ瞑ってんのか? おい、俺様がもう出てきてやってるぞ、目を開けろ」


いや、その場合俺はその子と契約解除出来る自信がない。これは不味いな…。


「おーい、聞いてんのかー」


ここから出るには、俺を街まで連れて行ってくれるような能力を持った精霊か、傲慢でプライドの高く、逆上しやすい精霊が必要なのだ。


「おい…」


ランダムとか、そういう運要素のあるゲームはこれだから–––


「聞いてよぉ…ぐすん、うわぁああん」


目を開けた。


褐色ロリがガチ泣きしてた。


…どうしよ。



「申し訳ない!」


「…」(プイと顔を背けた)


俺は目の前の幼女に今、土下座を敢行している。かれこれ十分、同じ流れが続いていた。


俺が謝り、幼女がそっぽを向く。


どうやら精霊らしい目の前の幼女は、俺がイメージを始めた頃には既に召喚されていたらしく、無視されてご立腹のようである。


要するに、完全に俺が悪い。


「すいませんでしたぁ!」


(プイ)


どうしよう、この状態じゃ会話もままならない。他の精霊を呼び出すにしても、この子に許してもらってからでないと仁義に反するというものだ。


それは俺には我慢できないことだった。


人の道は、違えない。


後どれだけかかるか分からなくとも謝り続けよう、そう思ったところで–––


「プッ、アハハッ」


幼女が唐突に笑い出した。


「え?」


「あんた、面白いね!」


表情がむくれた顔から一変して、笑顔になった幼女。


「今、なんて?」


「面白いって言ったんだ、俺様は。面倒ならさっさと送還すりゃあいいのに、ずっと謝り倒してくるもんだからついからかっちまったよ」


からかったって、え?


「あはは、マヌケな顔してんなぁ! あんたみたいな弄りがいのある奴が大好きなんだ、俺様は」


弄りがいがあるとか、物凄く失礼な事言われてるんですけど。


幼女に。


「おいあんた、俺様のマスターになれよ。そのために呼んだんだろう?」


「嫌だ」


「よしよし、それじゃあ契約のキ–––、なんだって?」


ついつい嫌って言っちゃったよ。だってこいつ、俺の思ってた精霊と違うんだもの。


「い、いや待て待て。見てたぞ? お前、ここを出たいから俺を呼んだんだろう? この辺に精霊なんて俺しか居ないし、能力も正にお前の望むもんだぞ?」


ついとはいえ嫌だって言った手前、こちらももう引き下がれない。


「でも、契約したらずっと付きまとってくるんじゃないんですか」


「い、いやまぁ主従関係だし、側にいるのは当然というか」


「じゃあ嫌です。代わりに、ここで俺を殺してください。さっきのお詫びを含めて」


困惑した様子の幼女。訳がわからない、という感情がありありと見て取れる表情だ。


突き放す意味も含めて丁寧語で言ったのも効果があっただろうか。


「殺すって…、何を早まった事を」


「俺みたいなヘッポコに仕えてもいいことありませんよ。ほら、俺は目を瞑ってますんで、一息にやっちゃってください」


俺は言葉通り目を瞑り、幼女が放つであろう攻撃に備え、心の準備を整える。


なにせ、このゲームをプレイして初めてのゲームオーバーだ。どのくらい痛いのか、デスペナルティはあるのか、本当に現実リアルに戻れるのか、不安は尽きない。


「死んだほうがマシなほど嫌なのか…? でも、俺様は…。私は–––」


しばらく経っても呟きばかり聞こえて、一向に衝撃が訪れない。


なんだろう、段々と罪悪感が湧いてきたぞ。


よく考えたら、精霊とはいえ相手は子供だ。この世界のNPCは、人間と変わらないのだという。


子供がどうこう以前に、彼女は俺がプレイヤーだと知らない以上、そう簡単に殺せとか無理な話なんじゃ…。


意地を張っている場合じゃない!


俺はさっきの自分の言葉を取り消すために目を開いた。


それはほぼ、先程より俺から離れた位置で、クラウチングスタートの構えから走り出した幼女と同じタイミングだった。


顔は尋常じゃなく真剣そのもので、俺は幼女が、俺を蹴り殺すつもりなのだと思った。


残り三歩。


俺は急いで口を開けて、待って欲しいと声に出そうとする。


残り二歩。


幼女も俺の様子が違う事に気付いて、足を止めようとする。


最後の一歩。


勢いのついた幼女の走りは止まらなかった。俺には、幼女が最後の一歩を思い切り踏み切ったようにも見えた。


その小さな足からは想像できない跳躍力でこちらに飛んできた幼女の顔が一瞬近づいて–––


–––フニッ


幼女の勢いそのままに倒れこむ。


俺は今何をされた? 頭が上手く回らない。唇に柔らかい感触だけが残っている。


幼女はあまりの衝撃で動けない俺を見下ろしてこう言った。


「契約は成立だな、マスター?」



「なぁ、悪かったよマスター。契約のためには必要だったんだってば。こうして街まで案内してるんだし、許してくれよー。なぁなぁ」


「…ふん」


背中にぴっとりと幼女が張り付いている状態で、俺は森の中を歩いていた。


ようやく森の深いところから抜け出したようで、辺りには適度に木漏れ日が差し込み、ようやくかと安堵が胸の内に広がる。


その割にテンションが低いのは、当然背中の褐色ロリのせいだ。


「あ! また俺様をロリって呼んだな、おい! 幼女とかロリとか呼ぶなら名前付けろよな」


大の大人が不意打ちで唇を奪われた挙句、そのせいで契約が成立。


さらにはそいつに助けられて街まで案内してもらっていると来たもんだ。


この幼女ごときのキスに一瞬ドキッとした自分に腹が立つ。


不機嫌にもなろうと言うものである。


「お前、案内し始めてからずっと喋ってるけど疲れないの?」


「うん? 人間は話すと疲れるのか? こんなに楽しいのに」


俺の皮肉を込めた発言は、こいつには通じなかったようだ。


「はぁ…。街まであとどれくらいだ?」


「もう目の前だな! あ、街に着いたら俺様は、お前の影の中に入るからな。安心するといいぞ」


近くにいる時点で安心なんかできるかい。


「私を何だと思ってるんだよ…」


どうやら精霊と契約すると、自分の考えた事が精霊に分かるようになるらしい。こいつに限った話でなく、精霊なら皆同じなのだそうだ。


俺が助けられている能力は、こいつ自身の固有スキルで、<ナビゲーション>と言うらしい。


内容は、こいつが訪れた事のある場所であれば確実に向かう事が出来るというもの。


…正直、今は居てくれてありがたいけど、マッピングさえ済ませてしまえば必要ない気がする。


「ちょっ、必要ないとか言うなよ! 今はこのスキルの力の半分も出てないんだ、一緒にいればそのうち役に立つって!」


ホントかよ。


「マスター、性格悪くないか? こんなに可愛い見た目してるのに」


「送還してやろうか?」


イラっとしたので凄んでみる。


「おっ、街が見えたぞマスター。ほら」


平然とした様子で流されてしまった。ちょっと体が震えた気がしたのは気のせいだろう。


幼女が俺の顔の横から差した指の方角を見る。


森の緑に慣れきった目には眩しく見えるほど白い巨壁が、森を出た先の平原の、そのまた向こうに見える。


「あれが駆け出し達が集まる街、"スヘンタ"だ」


背中で幼女が胸を張った。


お前の絶壁に興味はねぇよ、と思った。

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