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それから暫くして、、少年の地獄と少女の天国で一週間が過ぎ去る。少女は相変わらず笑みを絶やさずただ楽しげに過ごしていて、その間少年に絡むことはなかった。いっぽう少年は、それのみしかすることがないというように、どこか退屈げな顔で少女の行動を観察とも言えるほどに見続けていた。
だって、そうだろう。自分にとって最悪の地獄を、天国だと二度も言い切った相手。気にならないわけはない。……否、普段なら気にならない筈だが、どうやら今回は、そうでもないらしかった。
少年は他人事のようにそう考えると、静かに椅子を引いて立ち上がる。それから、苦い苦い笑みを、僅かだけその口に滲ませた。
少年にとって話すという行為は、相手の言動に興味が沸かないためにとても退屈で、好きではなかった。あの少女とも別に話したくはない。ただ、その思想、自殺してまで日常を経ったのに何も変わらないこの世界を天国と言った根源を知りたかった。つい一週間前までは何にも興味が沸かず、知りたいなんて感情は何一つ経験のない少年は、どうしていいかわからずに結局少女をただ見続けていたのだ。死んでから新しい経験をして、まさかそれが自身に最も遠かったものだとは、一体、なんという皮肉であろうか。
そんな、自分に対しては退屈していない少年が、なぜ退屈げな顔をしているのか。その理由は単純に、知りたいと思ったとしても知る由も何もなく、知りたくとも知ろうとは思わない……つまり、少年には何の行動をする気もないからである。
見ると言ってもなんせあの少女、大抵ただ不自然に笑っているだけなのだ。楽しげに授業を受け、あるいはサボり、食事と談笑をある程度たしなんで帰るのみ。なにも変化がない。それを見続けていても面白い筈はなく。
知りたいという感情が芽生えたこと以外、何も変わっていなかった。
浮かべた苦笑をすぐに引っ込め、少年は廊下に出る。今は昼休み、昼食はだいたい毎日抜くが、静かな場所に移動したかったのだ。が、その少年を誰だか複数の女子生徒が呼び止める。
「ねえねえ、瀬井さんのこと好きなんでしょ?」
まったくもって興味津々といった様子で話しかけられた少年は、応答しようとも思わずに通りすぎようとして、女子生徒の一人に袖を捕まれる。
「あんたに話してるんだよ。ね、好きなんでしょ?」
少年は捕まれたことすら気にせずに、ただ静かな場所に行くには離してもらわねばならないからと、仏頂面で振り返る。
「誰、それ」
「は? ……え、いつも見てるじゃん!」
女子生徒は一瞬にして凄まじいほどに顔をしかめる。まさか、そんな問いが返ってくるとは思いもしなかったため拍子抜けしてしまい、そして少年の素からのノリの悪さにもはや呆れ返ったのだ。それすらも気に留めず、少年は素っ気なく、
「ああ、あいつか。別に。じゃあ」
と言って小さく腕を払い、廊下を真っ直ぐに進んでいく。そこにそのままわだかまった女子生徒達は怪訝そうに顔を見合せ、それからまたどこかへまとまって去っていった。
渡り廊下の裏側の壁に背をつけて、少年はゆっくりと段差に座り込む。見れば空は絵に描いたような曇天で、薄暗い白濁した雲が立ち込め、それぞれの境界線を曖昧にしながらとぐろを巻いていた。
思わぬところで声をかけられ少し不機嫌になった少年は、湿り気を含む空気を吸い込んで吐き出す。ああ、この調子なら近々雨でも降るだろうか。
「うわぁ、ずいぶん湿気た顔だね。まあキミはいつもだけど」
少年に雲のものではない影が落とされる。瀬井とか言うらしいその少女は、相も変わらず口元を笑みで歪めながら少年を見下ろしていた。少年は言葉を返さず、視界の曇天を隠すもうすっかり見慣れてしまったその顔を見上げる。
「キミは、私に何の用があるのかな? 柏木くん」
「…………」
少年が目を止めたのは、少女の持つ小さな手提げの端に黒い極太マジックで書かれた名前だった。質問に答えてはいないものの、少女はのんびりと怒ることなく返す。
「あれ、名前知ってたんだね? ……あ、私柏木くんの名前知らないや、何て言うのかな」
「……」
誰かと名前を言い合うなんて一体何年ぶりなのか、少年は暫し黙っていたが、一向に動こうとしない少女に仕方がないとばかりに回答を投げる。
「……」
「へーえ。成羅くんか。女の子みたいな名前だねー。……それで。さっきの質問の答えは?」
言われた少年は視線を足元へ下げ、特に何も考えることなくぽつりと言葉を漏らした。
「……お前なんでいつもへらへら笑ってんだ」
初めてだ。
初めての相手に興味を示した証で、相手を知りたがる質問で、空気を揺らしたのだ。事実で初めてではないにしても、少年にはそう思える。しかも、「思想を知りたい」という目的とは遠ざかり、口をついて出た……質問。興味。関心。
自身の言動に驚き、少年の思考はピタリと停止し、無音へ帰す。その無音の中へ、はっきりと少女の声は響く。
「……ねえ」
見上げる。少女の顔からは笑顔が姿を消して、だが真剣味を帯びたわけでもなく、単調で抑揚のない口調で少女は歌うように吐く。
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