第323話:風炎
体が軽い、風になったように。
今までは漆黒の風一つで機動力も破壊力も増大させて戦う必要があった。
しかし、真の覚醒に至った今では増大した風を機動面に回せる。すぐにわかる恩恵は比べ物にならない速度。
黄金を纏った紅の騎士はほぼ互角の速度で応じてくる。
蒼き炎をまとった槍を剣で弾き、目で追える者さえいない速度で攻防を交わす。
受けた黄金の腕甲が軋むのを見た楓人は己の予感が正しいことを確信する。
“負けてない、勝てるよ”
“ああ、今なら互角にやり合える”
速度も出力も紅の王と並び立っているのを感じる。漆黒の槍が再び刃を交差させた時に、楓人は勝負を仕掛けた。
「――
炎が膨れ上がり、風を更に絡まって大気を焦がす。
唸る漆黒の風を同時に楓人は紅月へと叩き付けた。さすがの紅月も刃を返し、紅の刃を横たえて紅の輝きを以て漆黒の侵入を拒む。
しかし、それこそが二人の狙いだった。
蒼炎の能力の一つは、風と別の軌道で相手を翻弄することだけじゃない。
「何……ッ?」
紅月に風が触れた場所、全てが―――
蒼く燃え上がった。
攻撃を防ぐことはできる、簡単には突破できない。
だが、攻撃がわずかでも触れた場所を記憶して互角の戦いを続ける人間はいない。
漆黒の風と蒼き火炎は共にある。風を得て、炎は更に舞う。
同じアスタロトを使用していても、それぞれの変異者としての火種は別にある。
楓人自身の火種は炎。大災害の日に見た炎を乗り越え、ここまで進んできた楓人の力としては得心のいくものだった。
紅の騎士がいくら鉄壁といえど、前面からの浸食には耐えられるか。
「舐められては困るな」
刃を一振りすると紅の輝きが蒼炎を薙ぎ払う。
わずかにくすぶっている火はあるものの、この程度では致命打になり切れないか。
「耐える想定はしてた、舐めてなんかないぜ」
紅の波動が薙ぎ払ったのは風と炎を同時にだ。それは驚異的なまでの力の奔流ではあったが、紅月は失念していた。
あくまでも、黒の騎士の最大戦力は漆黒の風だ。風は止むことなく、払われようが舞い戻る。払われた炎と共にあり、紅月が払った風は竜巻状に姿を変えた。
「さあ、潰せッッ!!!」
意志と共に、蒼き竜巻は瞬時に中心に紅の王を押し込めた。
これを払おうが、更に増した威力で何度でも敵を風の影響下へ押し戻す。
カンナの風に破壊力を添えたのが楓人の炎。火は消したところでくべればいい、敵を踏破する原動力の風は常に吹いているのだから。
炎を乗せた風による、止むことがない連撃が黒の騎士の真骨頂。
「ふ、ははっ……ここまでの期待はしていなかったがな」
黄金の装甲も一部が欠け、それでも蒼き炎の中を紅の王は歩を進めていた。
口ぶりからはこらえ切れない愉悦が零れ落ち、相手が肩を並べてきた事実に対して喜びさえ覚えているようだ。
「全力で戦うのに慣れてないんだろ?俺達は二人で戦ってる、互角の戦いが続けば俺達が勝つ。お前を殺すつもりはない、止めるなら今だぞ」
「こんな素晴らしい戦いを今、止める?勝敗はどうあれ、全霊で戦える唯一の機会かもしれない。交渉は無粋だろう」
「わかった。それならお前を全力で潰す」
「それでいい、来い」
刃を消し、全身の力を抜く紅月。
周囲の紅の空間が更に色濃くなった気がした。
“楓人、何か来るよっ!!”
“ああ、こいつの能力を全部見せ切ったとは思ってないからな”
紅月はここまで空間に自らの火種を拡散して強大なエネルギーを瞬時に扱えるようにしていたが、本当に能力はそれだけか。
紅月の能力が空間を支配するものなら、剣を手放した意味は―――
周囲に意識を向けていたおかげで、反応できた。
空間が凝固して地面に突き刺さった紅の刃は今の装甲さえもわずかに削り取った。
やはり、紅月の能力は圧倒的な変異者としての基礎性能だけではない。
「さすがに反応したか。俺も全力で戦うのは久しぶりだ、出来れば使いたくはなかったが……多少のリスクは負わざるを得ない」
「空間の支配って聞いてピンと来たよ。でも、消耗が激しいんだろ?」
「ああ、極力アークを使わなかったのは消耗を抑える理由もある。お前たちの力量が把握できるまでは、空間の掌握は特に使用すべきではなかった」
紅月は漆黒の風以上に空間のどこからでも自身の力を発現し、視覚外からでも刃を生成して相手を貫くことができる。
だが、消耗のリスクがある以上は相手のすべてを把握して短時間で仕留める必要があるということだろう。
「とんでもないな……」
今の黒の騎士の装甲さえも傷つける威力の刃が、空間のどこからでも襲ってくるのは驚異というレベルを超えている。
紅月を狙おうとしても互角の戦いを繰り広げた身体能力と防御力は健在だ。
どうする、意識を張り巡らせた状況から動けば隙ができる。
リスクを負わざるを得ない、こちらも。
“カンナ、何があっても動揺するなよ”
“え?何するつもり?”
あろうことか、楓人は紅月に向けて炎を纏って真っ向から突進した。
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