第312話:最初の到達者

 もう対峙する敵は勝利を掴む手段を持ち合わせていないだろう。

 しかし、この場での決着を彼女は望んでいる。


 ならば、柳太郎のすべきことはたった一つだ。


「こりゃ、楓人に頭下げないとなぁ……」


 この闘争はここで終わり、敵の背後の戦いに身を投じる。

 柳太郎自身の余力がどこまで持つかはわからないが、目の前の闘争を放っておくことなどできまい。


 故に―――


 白銀の糸が走る。


 瓦礫が宙を舞い、それを糸が貫き砕き叩き伏せる。

 戦況は柳太郎が進化に成功し、具現器のカラクリを暴いた時に傾き切っていた。



 番狂わせも、予想を超えた抵抗もなかった。



「悪いな、先に行かせてもらうぜ」



 糸が瓦礫ごと彼女の具現器を打ち砕き、あっけなく戦いは終わりを告げたのだ。



「はぁ……バイト先、決まったわね」


「ああ、それまで死ぬなよ。どっか隠れとけ」


 ため息を吐く沙結に言葉をかけた柳太郎は血飛沫が舞う新たな戦場へと走る。

 ぐらりと揺れる視界を必死で立て直して、まだまだ戦える様子を取り繕って一人でも多くの人間の命を救う為に動く。


 大災害を思い出させる人間同士の争いを見ると、単純に吐き気がする。


 あの暴走変異者の中には、強大な敵がいるかもしれない。

 慣れない力も最大出力で振るった結果が、この極端な消耗だとしても退けない。

 もう、この一帯で動けるのは柳太郎だけだろうから。


 変異者達の血走った眼が柳太郎を見据える。


 今までは遠くで戦っているだけの柳太郎を、明確な脅威と判断したのだろう。


 数体が白銀の騎士に向かって、変異者であることを考慮しても尋常ならざる速度で具現器らしい刃を握って掴みかかってくる。

 糸を手繰り寄せて拘束するも、それだけでもう視界がわずかに揺れた。


 一人でこの場を制圧するなど、どう理論づけても不可能だ。


 装甲を刃が掠め、次第に防御力さえ失われつつある装甲は軋む。血が流れても、頭痛が増してきても柳太郎は刃を振るい続けた。

 人の命を失わせないことも彼の願いだが、目の前のおぞましい光景を見たくなくて。あるいは、かき消すように戦い続けるしかなかったのかもしれない。


 息が上がる、傷が痛む。


 深呼吸で視界が戻る度に頭痛がする。

 


 それでも、と彼が糸を引き寄せようとした時だった。



 ―――閃光が走り抜けた。



 変異者達の何人かは崩れ落ちたり、吹き飛ばされたりと異変が起きていた。

 原因など、呆れる程にはっきりしている。


「ははっ、馬鹿かよ……お前ら」


 彼女達を増援としては数えてはいなかった。

 なぜなら、既に戦線を離脱したメンバーとして数えていたから。


「何とかして、フウくん追いかけなきゃね」


「ま、そういうことなんで。アンタにもキビキビ働いてもらうッスよ」


 死神との戦いで浅くない負傷をした水木明璃。

 人狼との戦いは深手を負ったはずの観賀山彗。


 変異者の回復力を以てしても、この短期間で傷が癒えるはずがない。

 応急処置はしてきたのだろうが、顔色は決して良くないし特に彗は戦闘に参加できる状態では到底ないはずだった。


「お前ら、戦える状態じゃねーだろ?」


「この場にいるのなんて全員ケガ人ッスよ。仲良くやりましょ」


「そういうこと、三人で無事に帰ろうよ」


「……ったく、無理だったらすぐに下がれよ」


 不思議なものだ、共に戦う人間がいるというだけで柳太郎の四肢に少しずつ力が戻ってくる。明璃も彗も大怪我を押して戦いに来て欲しいなどと誰も望んではいなかっただろう。

 それでも、本音を言えば二人が来てくれたのは有難かった。


「やって、インドラ―――」


 柳太郎よりも広い範囲を制圧する明璃のインドラは、知性を持たない暴走変異者にとっては速度も相まって非常に有効だ。

 そして、傷も深く無理はさせられないが彗のテンペストもまた彼の拳を警戒するだけの知性を持たない相手には効果的である。


 とはいえ時間がないのは敵を殴り飛ばす度に、わずかに顔を歪ませている彗の様子からも明らかだ。



 手負い三人、敵は……新たに現れた者を含めると数十人。



 かくして、文字通りの消耗戦が始まった。





 ―――その、一方で。




 とあるビルの地下に広がるのは病院にも似た広大な廊下だった。

 白い床に壁、数人が両手を広げても端には届くまい。



 ここが、紅の王が首魁の居場所を追って突き止めた地下施設だった。



「まさか、わたしが一番乗りとは思わなかったよね」



 床には血がまき散らされ、白衣の研究員が転がされている。

 血液の匂いに顔を顰めながらも天瀬唯は下手人の男と向かい合っていた。

 楓人とカンナ、渡と燐花が共に行動していることは唯には知る由もないが、最も先に紅の王を捉えたのは彼女だった。


 紅の髪に涼やかな目、すっと通った鼻梁は人形めいて整っている。


「天瀬、キミのことは仲間だと思っていたが残念だ」


「リーダーがやったんでしょ?この大災害ってやつ」


 唯は唇を噛み締めるが、顔を上げて元は仲間だったはずの男に訊ねる。

 血の池を顔色一つ変えずに踏破する佇まいは彼が揺るぎない信念を抱いて歩んでいることを如実に物語っていた。


「俺はキミを殺したくはない。これは警告だが、二度目はない」


 紅に薄っすらと輝く瞳にこもった意志が、唯に最後の糸を垂らす。

 紅月という男は何を考えているか推し量れない所はあるが、唯にも城崎にも意志に反することは強要しない男だった。

 彼なりにスカーレッド・フォースにも多少の愛着はあるが故に、道を空けるなら殺しはしないと暗に告げたのだろう。


 それが唯にとっては嬉しくもあり、悲しくもあった。



 逆に言うのなら、道を開けなければ憐憫もなく殺せるということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る