第292話:離脱と襲来
楓人自身も異形と化したとはいえ、人を手に掛けた苦みは胃の奥までこみ上げている癖に偉そうなことは言えないかもしれない。
だが、それでも六年前から絶えず抱き続けた信念と、相棒の存在は楓人が背負う重圧すらも跳ねのけさせている。
リーダーだからと言って偉いわけではない、威張るつもりも毛頭ない。
それでも、偉そうなことを今は言わせて貰おう。
楓人をリーダーと認めてくれる人間を一人でも死なせない為に。
「唯はもうスカーレット・フォースじゃない。俺はリーダーとして、お前を死なせるつもりはないからな」
彼女は悪人ではないし、一緒に戦ってくれた同志だ。
今の紅月は相手が元メンバーであろうと躊躇いなく殺すだろうし、彼に最後に残った情が彼女を関わらせないようコミュニティーを抜けさせた。
逆に言えば、その情を拒んで敵として立つならば紅月は容赦をしない。
「戦うなって言っても無理そうだ。だったら、俺が行くまで死なずに足止めしてくれ。そうすれば、必ず俺が何とかする」
あの男に勝てるかわからない、当然ながら死ぬかもしれない。
紅の王は楓人を以てしても容易く死をイメージさせてくるだけの相手だ。
だとしても、変異者の未来を諦めて都合の悪い人間を振り落とす紅月のやり方は効率的だとしても気に喰わなかった。
そして、唯にも理屈じゃなく譲れないものがあるのはわかった。
状況的にも楓人は彼女を止められない。それなら、少なくとも死が近付いた時に彼女がわずかでも希望を持てるように“俺がいる”と告げた。
必ずしも、一人で戦い抜くことだけが強さではない。
「お前は頼っていいんだ。俺や仲間を。だから、足止め頼むな」
『楓人を何でみんながそこまで信頼してるか、本当の意味でわかった気がするよ。だから、もし私が失敗したらお願いね』
「死んだり怪我しないなら失敗でも何でもしてこい。別に怒ったりしねーよ」
『あははっ、ありがとね』
そこで唯との通話は切れて、もう彼女は紅の王の元に向かってしまった。
今から楓人がすべきことは唯の向かう先を知り、紅月のいる場所へと向かってあの男を打倒することだけだ。それが戦いを終わらせる最も早い方法でもある。
考えつく限りで手っ取り早いのは燐花の探知を使うことだが、通話を送ると焦ったような声が応答する。
「燐花、どうかしたのか?」
『ちょっと、しばらく……出れない!!ヤバいのに絡まれてっ』
「俺もすぐにそっちに行く、何とか耐えろよ!!」
『来なくていいわよ。唯を探してるんでしょ?今はちょっと上手く探れないけど、最後に追えた場所は―――」
なぜ唯のことを燐花が知っているのかはわからないが、楓人の救援を拒む程度の余裕と冷静さは彼女にはあるらしい。
ここで見捨てて燐花が死ねば、楓人は一生後悔するだろう。
しかし、燐花の示した先は彼女のいる方向とよりによって真逆だ。唯を死なせないか、燐花を救いに行くかの選択を迫られた。
誰もを救えるヒーローなどいない、それを思い知らされた気分だ。
『いいから行きなさいよ。ここで死ぬほどヤワじゃないわ』
「……わかった、絶対に死ぬなよ」
拳を握り締めて、彼女を今は信じるしかなかった。
今まで戦い抜いてきた燐花の力を信じて、紅月の元に行くのが犠牲者を出来るだけ減らす為にできることだろう。
“……大丈夫、だよね?”
「ああ、あいつなら絶対に死にやしないさ」
それでもどうしても不安が胸の内には渦巻いている。
だが、ふと装甲の内側の服にしまったままだった携帯が震えてメッセージの受信を告げて、楓人は首を傾げながらディスプレイを眺める。
「えっ……?」
菱河燐花は思わぬ敵に遭遇することになっていた。
探知能力者である彼女はこの戦場において、絶対に欠けてはならない人材でありエンプレス・ロアやレギオン・レイドが効率的に人材を配備できたのも彼女の働きも大きい。故に彼女は表立っては戦闘には参加していない。
レギオン・レイドの護衛も周囲にいて戦場から遠い以上、強敵が遠方から彼女を嗅ぎ付けて襲ってくる確率は低いと言えた。
だが、楓人と通話を物陰で終わった彼女の前には血が撒き散らされていた。
護ってくれていたレギオン・レイドの人員数名が尋常ならざる吐血をして地面へと倒れ伏していくのを眺めるしかない。
まさか、何を考えているかわからない男がここに出張ってくるなんて。
「悪いけど、お前には死んで欲しいんだわ」
マッド・ハッカーの榊木という男は、未だに目的が見えてこない。
にっと笑う表情に紫色のメッシュが何本も入った黒髪。具現器をまだ出してはいないように見えるのに、瞬く間にレギオン・レイドの人員達は殺害された。
遠距離からの攻撃手段を持っているのかも未だに見えない。
「私を狙うなんて随分とマニアックね。どうやって居場所を知ったの?」
「湖に石投げたことあるか?お前が探知してることぐらい、俺にはわかっちまうんだよ。だから……お前を殺しにきた」
買い物にでも行くように軽い声色で、男は燐花に告げる。
燐花が探知をできる原理は、あくまでイメージで言うと自分から波紋を投げかけることで周囲の波紋を探ることである。
変異者による能力は磁場に近いものを大幅に揺らし、それを燐花は遠方からでも感じ取っているわけだ。
だが、今回は男にどうやったかは知らないが逆探知された。
「それぞれが自分の答えを出して生き抜くのが面白いのさ。上から俯瞰して指示出すなんて野暮は冷めるだろ?だから、お前が一番いらねえ」
燐花を殺せば確かにエンプレス・ロアは半ば機能停止する。
レギオン・レイドにも探知に近い能力を持つ者はいるとはいえ、燐花ほどの精度も範囲も持たないので指示を出すには至るまい。
だから、この男は戦場に混沌を求めてここにきた。
「イカれてるわね、あんた」
ふん、と鼻を鳴らすと燐花は銃口を敵に向けて引き金を引いた。
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