第2話 死神さんと夏祭り

 ――人の笑顔は虹色だ。

【閉店中】と書かれたプレートを扉の前に置いた木箱の上に乗せる。

 両手を打ち付け、芝之卓己は庇を作って空を見上げる。

 夏の暑さも薄まり、そろそろ風も吹いてきた。

 夏の終わりが近い。機械AIは大きな瞳を細めて「幸せだねぇ」と呟く。

「あんさん、毎回ソレばっかやねぇ」

 ふと隣から声を掛けられて、青年は視線を下げた。

まいさ~ん、お久しぶりぃ」

 米。白髪に鼠色の着物と小麦色の帯を巻いた女性。伏せられた瞳といい、物静かな雰囲気が漂う。彼女は肩に開いた和傘をクルクルと回しながら、ひらひらと手のひらを振って穏やかに微笑む。

「僕の方から迎えに行こうと思ってたのにぃ」

 口元を緩めたまま卓己が零すと、米は着物の袖を口元に当てて、

「善は急げって言いはりますしなぁ」

 とクスクス笑う。

「へえ」

 卓己は下唇を舐めた。目の前の女性は、同じ情報屋であり、八年前の被害者の一人である。

「……で、呼び出すなんて珍しいねぇ? 一人じゃ難しい仕事でも舞い込んできたのかなぁ?」

 赤と黒のチェックを着た卓己は、袖を捲りつつ米へ踏み込んで尋ねる。

 すると米は瞳を伏せたまま、青い空を眺めて、唐突にこう言った。

「卓己はん、一緒に夏祭り過ごしまへんか」

 涼しげな顔で誘い文句を言う米に、卓己は思わず呆けた顔をしてしまう。

「夏祭り?」

「もうすぐ始まると思うんどす。きっと、えろう面白いことになるんとちゃうかなあ」

 赤い和傘をクルクル回して挑発するように、うっすらとその伏せた瞳を開く。金色の瞳が、卓己を覗いた。

「それは面白そうだねぇ。僕も行きたいなぁ」

 卓己は思わず苦笑した。ずるい、と思う。自身の勘がよく当たるように、また彼女の勘も侮れやしないからだ。

「ふふ、楽しみどすなぁ。ほな、当日のことについて予め話しときまひょか」

 くるくる、和傘を風車のように回しながら彼女がこちらに背を向ける。薄っすらと白い項が見えた。

「幸せだねぇ」

 相変わらずなじりも罵りもしない彼女に卓己は肩を竦めながら決まり文句を言って、後を追った。


             ★


 中学の頃、自分が誰よりつまらない存在だと気付いた。

 大好きな神話や童話は話したところで、誰にも理解されない。

 だから距離を置いて、周囲に合わせた。流行りの話題で馬鹿みたいに笑ったり、下品な話でクソみたいに騒いだ。

 存外上手くいった。元々、人付き合いが器用なところもあってか、そこそこ友達に恵まれ、暫くは何不自由のない生活を送った。ただ一点だけいつも感じていたものがある。どれだけ友達に囲まれ、同じもので同じように騒いだところで、一人ではないはずなのに、孤独を感じた。

 輪の中心にいるはずなのに、輪の外に居る妙な気を感じながら、それでも過ごしてきたのだ。

 きっかけは、なんだったか。ああ、そう。美術の時間だ。創造性に繋がる授業をする度、「独創的すぎて全く分からない」と口を揃えられた。曇る顔の数々。そこで、不意に感じた。

 つまらない。誰より一番自分がつまらなかった。真似事をして、表面だけ模範を繕う。満たされた気でいた。何時も感じる疎外感を振り切って、周囲に合わせて。つまらない、つまらない、つまらない。

 そんな時、帰宅路で片方の羽根を折り弱っている小鳥を見つけた。飛べなくなっている小鳥を痛ましく感じて、もう一度飛ばしてやろうと面倒を見始めた。最初はそんな有り触れた気持ちで小鳥と接した。

 孤独を感じるたびに、小鳥に触る。小鳥は無論、種族が違うのだから会話だって成立するはずがない。だけど、いやだからこそ。コレは自分を理解してくれる存在だと思った。

 視界は明るくなり、生きることが楽しいと感じるようになる。小鳥との時間を長くする為に家に帰る時間を遅らせた。どうせ家に帰っても待っているのは二体のロボットだ。冷たい時間を過ごすより暖かい空間で生きている方が楽しいに決まっている。

『どうせ助からないんだし、楽にしてあげようと思って』

 蝉が五月蠅く鳴く季節だった。いつものように、帰宅途中、小鳥を隠した茂みへ歩みを進めると、シャベルを持ったランドセルの少年が立っていた。

 脳が蕩けるほどの暑さに、白いワイシャツは汗で染みを作り、頬から首へ流れる汗は止まない。男の子はそう言った。足下には、身動き一つしない小鳥の姿があった。分からない。

 少年の言葉を幾ら頭の中で反芻したところで何一つ分からなかった。反芻していく内、言葉がパズルだったかのように、バラバラになって吹っ飛んでいく。五月蠅い蝉の声が変わりに耳から脳へ這入ってきて、壊そうとしていく。

 ミーンミンミンミン。大合唱が頭を支配し、ああ、これは壊れていく音なんだと錯覚する。

 うるさい、うるさいなぁ。そう考えている内に、全て終わった。先が更に赤く染まったシャベルで無我夢中で土を掘り起こし、殴殺した少年を埋めた。小鳥の隣に。それで漸く満足した。

 満足した代わりに、胸の中にぽっかり穴が開いた。そのまま、一年を越す。

 二体のロボットが、大きな箱を目前に置いた。箱を開けて息を飲んだ。

 とても綺麗で、とても美しい。まるで、家に置いてあった童話の中に出てくる少女のように整った顔が箱の中で眠っている。

 目蓋が震えて、瞳を開く。彼女の瞳はどこまでも綺麗に澄み渡っていた。彼女はロボットだ。種族の違う彼女は自分の話す言葉を聞き入れ、全て理解してくれる。だから彼女を居場所アリスと呼んだ。


「あーアリスちゃんに会いたい」

「お前そればっかだな」

 隣の囚人が苦笑し反応する。

 無精髭を生やした中年の男。三日前にやってきた新入りだ。

 以来、茅原流星は囚人の間で人気者になってしまった。

 流星からするといい迷惑だ。フードを被りなおす。

「アリスちゃんはちょー可愛いの。涙って名前でさ。ほら、名前から分かるっしょ? もう女神」

「あーはいはい、可愛いね」

「かっる。何その反応。大丈夫? いや、食いつかれても絶対いやだけどさ」

「なんだそりゃ」

 収容されてから一月は経ったのではなかろうか。

 流星はコンクリート製の冷たい床に寝転び、唸る。

 牢の前では、機械だからだろう。既にピンピンしている看守が溢れかえっていた。

 桃太郎と形容した少女の活躍を思い起こすと、もしや看守もそこまで強敵ではないのかもしれない、脱獄も不可能ではないんじゃないかなんて考えてしまう。

 溢れかえる看守の中、赤髪の看守が親指を噛んでいる姿が目に入る。

(ああ、でもアイツに恨み買うのは面倒臭いだろうなぁ)

 流星は寝返りを打ち、背後の喧騒を断ち切る為に、目蓋を閉じた。


「お前は俺の指示もなく勝手に動くなといつも言ってるだろ!」

 隣の看守長に怒鳴られ、狂は親指を噛んだ。

 彼の脳裏に未だあるのは屈辱だった。あと少しで。あと少しで捕まえることが出来たのに。

 一月前に、顎に蹴りを入れられたことを昨日のことのように思い出す。狂は濁った瞳で、向かいの囚人が収容された檻の鉄格子の一点をじっと睨んだ。そうとも知らず、中の囚人は自分を睨んでいるのだと勘違いしたのか「ひぃっ」と身を震わせる。

 完全に気を逸らしてしまった。隣の一戸が攻撃を受けたことに、反応してしまったのがきっと敗因だろう。狂は、はなから隣で五月蠅く叱咤する機械の言葉など聞いていない。

 すっと、足を動かし刑務所を出ていく。後ろでまた看守長という名の機械が吠えたが、所詮機械の言葉だ。大人しく従うことはない。

 それよりも、と一度歩みを止め、狂は刑務所を振り返った。

「もう入れる檻がないな」

 次の囚人は一体どう処分するだろう。看守長は困るだろうなと狂は口端を歪めた。


             ★


「急なお呼び出しで本当に申し訳御座いません!」

 真っ赤な警官が帽子の脱げる勢いで頭を下げる。否、脱げた。

 赤い帽子の下から、赤髪と茶髪、ツートンの髪が覗く。

 春兎が「おおっ」と声を上げ、少女は春兎の後ろに隠れ、「うぅ~」と獣のように唸って威嚇した。

 自分以外に滅多に見かけてこなかったその二色の髪色に感嘆の声を上げながら、春兎は「いえいえ」と彼女の帽子を拾い上げる。

「ま、いずれは向かい合わなければならないだろうと思ってましたから」

 苦笑しつつ、春兎は彼女の頭へ帽子を被せる。

「あの時は、看守が手荒な対応を取ってしまい、本当に申し訳ございませんでした。逃げてしまうのも仕方がないです」

 女性警官、一戸は中々顔を上げようとしない。

「いや、そんな。それを言えば、コイツだって悪いですよ」

 腰に張り付いて唸り声を上げる少女の頭を春兎は戒めとばかりに掌で掴み、左右に揺さぶる。

「きゅう」

 少女は一瞬目を回した。

 刑務所での騒動から一カ月。

 春兎はそれからも普段通り、ネタを見つければ追いかける活動を続けてきたが、同様に少女、『死神』もまた、めげずに春兎の後を追い続けた。朝から晩まで四六時中、何処までも。

 春兎は頭を痛めた。何せ、卓己の発言通り、誘拐犯として摘発されてもおかしくない状況にあるのだ。

 実際、近所の女性に「妹さん?」と声をかけられた時、「違うけど、そんな感じで合ってます!」とあやふやな答えを冷や汗垂らしながら答えたのは春兎なのだから。彼女だと紹介しておくには身長に無理がある。かといって、妹にしたって全く顔が似ていない。

 それに何より春兎は嘘を吐くのが一番嫌いだった。このまま一緒にいたって、そのうち警察と向かい合うことになるだろうとは分かっていた。ただその時に、少女が暴れやしないか、そればかりが気にかかり、中々こちらから進んで向かっていく気にはなれず。

 そんな折、警察からご指名をくらった。眠い目を擦りながら扉を開けた先に青い制服の男が二人立っていたのだ。唾を飲むしかない。

 案内された長椅子に腰かけ、途端に疲労感に襲われ、拭いきれない不安と共に重い溜息が零れる。胸中に「誘拐犯」という言葉が渦巻く。もし、もしも、あの女性の警官にまで誘拐犯とまで呼ばれてしまったら……。

(吞み潰したい)

 いっそ、酒に溺れて、満足にネタも拾えず借金に迫られた地獄のようなこの一カ月間の記憶を全て忘れてしまいたい。

 当然のように少女は傍らに座って足を揺り動かして笑っている。

(くっそ、コイツがいなきゃなぁ……)

 茅原流星に関する良い記事だって出せて、もしかしたら大儲けできたかもしれない。いや、今までの稼ぎに比べれば美味しいものになったのは確実だ。それなのに。

(やめよ、幼女相手に)

 こんな黒い気持ちをぶつけるのは良くない。春兎は軽く頭を左右に振った。

 と、そこにタイミングよく、先刻の警官、一戸が、盆の上に、グラスを三つ置いて戻ってきた。

 色合いからして蜜柑のようだ。少女の為だろう、一つ、グラスに細長い管が差してある。

 一戸は、春兎、少女、自身の順番にグラスを置くと、盆を机の下にさげ、一息吐いて向かいの席に腰かけた。

「そんな物しかお出しできなくて申し訳ございません」

 ゴン。彼女は無駄に勢いがつきすぎる。机上に頭を打ち付けた。

「い、いやいやいや! そんな! ありがたいっすよ!」

 春兎は腕をクロスし叫ぶと、机上から勢いよくグラスを掴んで喉に流し込んでいく。

 少女も隣人の行動を真似て、グラスを傾けた。折角用意された管は一切の躊躇なく机の上に放って。

「私が子供の頃は、蜜柑が好きだったので……って、ああ! なんだか好みを押し付けてるようで申し訳御座いません!」

 少女の行動を横目に一戸は頭を下げる。

「ああ、いや! 俺も蜜柑好きだったんで大丈夫っすよ」

「美味いっすねコレ」なんて呆れるほど頬を緩めながらグラスを置く。

 中がすっかり透けて見える。一戸は安堵の溜息をもらす。

 そして静寂が降り落ちた。暫くして、くいっと裾を引かれた気がして、春兎は隣へ目を向ける。

(あれ……?)

 ガシャンと、グラスが床で弾け散った。少女は片手で春兎の上着の裾を握りしめたまま俯いている。

(もしかして嫌いな味だったとか……)

 急いで顔を覗き込む。半開きになった口元、伏せられた睫毛。

「えっ、寝てる?」

「疲れたんですかね……?」

 まさか。どんなに遅い時間でも構わず後ろを追いかけてくるタフな少女だぞ。

「おい、二ィ」

 肩を揺すってみる。反応はない。本当に疲れて眠ってしまったにしろ、此処で寝られると困る。

 すこし、指に力を入れようとした時、不意に細い手が春兎の手を包んだ。

「寝かせてあげましょう。それに本題は、彼女に聞かれると困るので……」

「困る……?」

 顔を上げると、一戸は薄い布を持って立っていた。少女に被せるつもりなのだろうが、それにしても随分と用意が早い。まるでこうなることを予期していたかのように。

「まさか……」

「安心してください。ほんの少し睡眠薬を混ぜただけです」

「睡眠薬って……」

 絶句する春兎を他所に、一戸は手慣れた様子で少女に布を被せると、再び席に戻った。青い制服の男が、塵取りと箒で地面に散らばったグラスの破片を回収していく。

「この度は『死神』を保護して頂いた事に対する感謝と、ご迷惑をおかけした事をお詫び申したく、貴方を呼び出しました」

 膝の上に掌を重ねた一戸の瞳は据わっていた。まるで先刻までの彼女とは別人のようだ。春兎は思わず喉を鳴らす。

 保護? 迷惑? ……『死神』?

 てっきり誘拐犯という汚い言葉を浴びせられるかと思いきゃ予想外のコースから球を投げあてられた気分になる。

「芝之卓己さんよりお聞きしておりますよ。保護して下さっていたと。ありがとうございます」

 深々と丁寧に頭を下げる夕梨に数分前の勢いはない。

「卓己に……?」

 一カ月前、ネタを求めて卓己の喫茶店を訪れた時に交わした会話が脳裏に過る。

『いやいや、連れてけねーって』

『でも保護してるんでしょぉ?』

『してねぇわ! コイツが勝手についてくんの!!』

 当たり前のようについて来ようとする少女に困っていた時のことだ。

 確かに卓己は言った。「保護」。嫌な汗が背中を流れる。

(もしかしてアイツ、知っておきながら……)

 春兎は一度天を仰いだ。眉間に皺が寄るのが自分でもよく分かる。

 深く息を吸い、切れるまで吐く。

「し、『死神』ってなんですか……」

 間が開く。心なしか一戸の表情も強張った気がした。

「神話の『死神』とは異なりますが、和泉市街、池之町以外の場所からやってきた、黒いローブに橙髪とうはつの人達の事を、警察、並びに『生徒会』は『死神』と呼んでいます」

 机の下でこっそり手帳に走り書きする。

「でも、そんな情報、公には明かされてませんよね」

「ええ、『会長』は公にするのを避ける為に、敢えて情報を外部に漏らさないようにしています。自分達とは言葉も通じない正体不明の人達が鎌を持っていて、しかもそのうちの一人が施設を抜け出して貴方達の中に紛れ込んでいるかもしれないなんて、そんな事、突然知らされれば、誰だって不安になるでしょう」

「…………」

 返す言葉もない。言われるままに公表されてからの事を考えると、この二つしかない都市で、自分達と言葉の通じない謎の少女が一人、黒いローブを着て走り回っていたら、きっと見つけるのは容易だ。容易だが、自分達と会話が成立しない少女。薄気味悪く感じてしまうかもしれない。実際、自分は少女を見つけて、不気味さを感じて逃げたのだから。

「彼女は、こちらで保護させて頂きます」

 布に包まりスヤスヤと穏やかな寝息を立てる少女の顔に目を落とす。

『ん~? それってぇ、春兎に助けを求めてるんじゃないのぉ?』

 助けを求めている表情ではなかった。満面の笑顔で後ろを追いかけてきて、取材しようと張り切って刑務所に乗り込んだのに、凄まじい力で引っ張りまわすし、正直怖くて堪らなかった。

 春兎は人の気持ちに鈍感だ。だから、一体少女がどんな気持ちで後ろを追いかけていたのかはさっぱり分からない。

 だけど、本当に卓己の言う通りだったのかもしれない。本当に、ただ助けを求めて必死に追い縋って来ただけだったのかもしれない。言語も分からない中、助けを求めて着いてきたのに、刑務所に向かったことが怖かったのだろうか。だから、あの時泣いたのだろうか。

(それならもっと分かりやすい顔してくれよ)

「お願いします」

 春兎はそっと、上着の裾を握る少女の手を外すと、視線を一戸へと戻し、軽く頭を下げた。

 一戸は一つ、重い荷物を下したかのように、胸に手を当て、息を吐く。

 そして、ふとした疑問を春兎にぶつけた。

「そういえば、ニィって彼女の名前なんですか?」


              ★


 池之町、人口五千人の町。木造建築物が立ち並び、田園の多い町の中枢、コンクリート製の建物の一室は、普段の静けさが嘘のように賑わいを見せていた。

 中央のボードに「夏祭り」という黒い文字が躍る。

「せっかくだし、青色で書いたら良かったのに」

 桜夜は、ペンに蓋をした隣の少年、理輝に目を向け笑う。

「当日は勿論、そうしますよ」

 学生服を着た理輝は、まるで黒板を消した後のように、一、二度手を叩いた。

(あーこりゃ、また寝惚けてるなぁ)

 心中で溜息を吐きつつ、桜夜もまた、口に手を当て欠伸をする。

 寝惚けてしまうのも無理はない。昨日はまた本部で一戸と理輝と三人で夜通し話し合ったのだ。

 保護している『死神』達のこと、夏祭りのこと。特に長引いたのが、この「夏祭り」についてだ。

 この案を持ち出してきたのは一戸だった。彼女の家にあった書物に記載されていた「夏祭り」。

 どうも出店を開いたり、火花を散らして遊ぶ行事だとか。本来は夏の間にやるのが適当なのだが、一戸は敢えて夏の終わりに、空へ火花を咲かせようと提案したのだ。

 ハナビ。桜夜は生まれてから一度も見たことのないものだったが、不安を残しつつも確かにそれが実現出来れば、どれだけ美しいだろうと考えた。それに、もしかしたらこの行事を機に、あまり接点を持たない、二つの都市を繋ぐこともまた出来るかもしれないとも。

(ただなぁ、本当に上手く行くのかなぁ……)

 一戸の提案に乗って、深夜のテンションもあってか、随分と勢いであれこれと決めてしまった。そうして夜が明け、一戸と別れ、早速こうして理輝と二人で、両都市の大学生を集めたわけだが。

(一戸さん、大丈夫かなぁ。警察なのに一睡もしていないし、何だかすごく興奮してたし……ってか、ねむ……)

 本日何十回目かの欠伸を手で覆いつつ、部屋に集まった人数を確認する。

「真夜達、遅いなぁ……」

「誰が遅いって?」

「……え?」

 隣から声が聞こえてきて、桜夜は理輝の方を向いた。

「違う違う、こっちだって」

 左肩に手を置かれる。端末越しに聞き慣れたその声の主を間違えるはずもない。

 桜夜は慌てて左を向く。風船帽を被り、青色の氷菓を咥えた少年が立っていた。

「よっ」

 手をヒラヒラ振り、次に桜夜の顔を覗き込むと、少年は口から氷菓を引き抜いた。

「お前すっげぇ隈! 『会長』がそんなんで大丈夫かよ、不安だわぁ!」

「まあ! 顔色が悪いわ、『会長』さん。無理をなさらないで頂戴」

「……すげぇ隈」

 少年、真夜の左右から男女が首を出し、桜夜の顔を覗き込む。

「えっと、真夜。この子達……」

「そ。このカス共が、僕の現(い)在(ま)のツレ」

 氷菓を齧り涼し気に笑う真夜に「あはは……」と苦笑する桜夜と、「まあ! 失礼な言い様ね、真夜さん」と頬を膨らます涙。

「んで? もう集まってるそこいらのゴミは全員、和泉市街のヤツなの?」

 真夜の人差し指の先で元気に騒ぐ男女達。真夜の相変わらずの口の悪さに頬を引きつらせ、桜夜は咳払いした。

「うん、和泉市街の大学生の生徒達だね。ゴミじゃないけど」

「ふーん」

 真夜は食い入るように面子の顔を見つめる。

 すると、向こう側でもこちらに興味津々の人間が居たようだ。

 真夜と目が合ったのだろうか、上から下まで真っ赤な服を着た少年が手を上げて、駆け寄って来た。何故か足袋を履いている。真夜は硬直した。

「よっす! なぁなぁ、お前さ! 池之町の? 此処のヤツなんだろ!?」

 勢いよく突っ込んできた少年に手を掴まれ、上下に強く揺すられる。

「ああ!? なんだこのカス! さっさと手ぇ離せよ! 此処のヤツに決まってんだろ!」

 いきなり手を掴まれ、背筋に悪寒が走った真夜は少年の手を振り払い、怒鳴る。

 少年の方は、まさかそんな態度を取られるとは思っていなかったのか、肩を震わせた。

(あーもう、真夜は)

 古くからの付き合いだから分かることだが、真夜は小学生の頃も教室の端の席に座って、誰とも繋がりを持とうとしなかった根暗な子だった。

 対する桜夜は、クラスの中心にいつも立っていた。人気者というよりは、クラスをまとめる位置に、教師から頼まれて立っていたという方が正しい。

 愛想が良く、誰ともすぐに打ち解けたが、一方で心の中からの、本当の友達というのは出来た試しがない。クラスの子達からしても、桜夜は教師と同じ、生徒の問題を解決するような、機械として映っていたのかもしれない。

 だからか、いつも孤独を感じていた桜夜は、クラスの仲を深める為に、一人で居る真夜に声をかけたとき、本心では何かを期待していたのだろう。

 赤い冒険服を着た少年に目を向ける。確か彼は、

柏崎かしわざき じゅんだっけ……)

「ねぇ君、隼だよね?」

 一覧表で、顔写真の横にあった名前。何より上も下も真っ赤で派手な彼の姿は誰より桜夜や理輝の目を惹いた。茶髪に薄緑の瞳の彼は、目を瞬かせ、

「え、あーうん…そう……ってか!『会長』っすよね!? ごめんなさ…!」

 瞬時に口を噤んだ。

「えっ、いいよいいよ、君のが年上だろう。普通に敬語なんて使わなくても……」

「えっ!?」

 次は真夜が声を上げた。

「は!? 年上!? は!? カス。お前何歳だよ、ふざけんな」

「か、カスじゃねぇし! 二十だよ! ふざけてねーしっ!」

 二十。真夜と桜夜より、一つだけ年が上。真夜は目を真ん丸くした。

 たった一歳差でも、十九と二十には何か違ったものがある。何せ、二十になれば成人。煙草も吸い放題、酒も飲み放題。別に、大学なのだから二十が居たっておかしくない。早生まれならば、同じ一年でありながら、一つ上がいても、おかしくは……。

「待って、カス。お前、一年だよな?」

 急激に声のトーンを落としながら真夜は隼にそう訊ねた。

「え、だから、カスじゃないって。……二年だけど」

 シャク……。

 真夜は途端に黙り込み、黙々と氷菓を口に含み咀嚼した。持ち手の部分は既に溶けかけており、床に雫が滴り落ちる。

「まあ、年上だったのね! 私、涙よ。あなたは、どんな名前をお持ちなのかしら?」

 黙り込んだ真夜を押しやり、涙が隼の前に躍り出た。好奇心に素直なようで、お構いなしに距離を詰めようとする。対する隼は、その勢いに押されるかと思えばそうでもなく、「おお、俺、柏崎隼! 涙ちゃん? ちょー可愛いじゃん!」と彼女に負けないくらい目を光らせた。

(うわぁ、すごく積極的だなぁ)

 積極的といえば、と桜夜は首を回した。つい先刻、真夜の隣から顔を出したカチューシャの彼を探したのだ。

 いつの間にか、姿を消していた為、気付かなかったが、高身長に加えて、三角の取っ手が二つもついてるカチューシャなのだ。意識しなくともすぐ目につく。

「彼、すごく積極的じゃないか。真夜も、見習えばいいのに」

 桜夜は真夜に声をかけた。既に食べ切って、何も残っていない棒をひたすら噛んでいる。

「はあ?」

 桜夜の声に反応して真夜は顔を上げた。桜夜は、一直線に迷いなく、その指の先を、部屋の隅の方で固まって騒いでいる子達の間で相槌を打っている旭に向けた。「あー」と真夜は呆れたように首を振った。

「いや、あれ、流されてるだけだから」

「ん?」

「アイツ、すぐ流されんだよ。大方、みんなが楽しそうに話してるから、輪に入っていったんだろ」

 棒を親指と人差し指で摘みながら左右に軽く揺する。

「自分を持ってねぇんだよ、あのゴミは」


             ★


「とても酷なことをお願いします」

 眼鏡の縁を押し上げ、理輝が重々しく言う。自然とその場に居る生徒達が喉を鳴らした。緊張が走る。

 一方、その緊張感に支配された部屋の隅で、つまらなそうに欠伸をする者が一名。森口夕夜もりぐちゆうやだ。

 よく映える赤髪に、右目に黒い革張りの眼帯をつけている。何故か手にシャベルを握っている為、一際目につく。彼は周りの様子などお構いなしに暢気に伸びをし、左目を擦った。

「集まって頂いた皆様には、一丸となって和泉市街と池之町に屋台を設置して頂きたいのです」

 理輝は、ボードを使って、屋台の説明を始めた。まず、どんな形で、材料は何を使うのか。

 これが頗る長いので、夕夜は眠たくて仕方がなかった。実際、話の途中で何度か意識を飛ばしてしまったが、まぁ、どうせ誰かが聞いているだろうと考えていた。まさか、自分が頼りにされていたなんて思いもしない。

 あくまで自分は医者として、怪我をしたヤツに適当な処置を施してやるだけでいい。その役目だけだという心積もりでその場に座っていたのだ。

「以上となります。どうか生徒の皆様が二つの都市を繋げる架け橋となってくれる事を祈っております。さて、期限ですが、二週間までとしましょうか」

 漸く意識がはっきりしてきたとき、突然周りが「二週間!?」と口を揃えて叫んだ為、夕夜は驚いて目を見開いた。

「ん?」

 理輝はペンを置いて笑顔で振り向く。口々に何か言おうとしていた者の殆どが言葉を無くす。

「や、いや、でも……二週間ってさ……」

 そんな中、一人声を上げた勇者が居た。上下とも真っ赤な服を着た少年……否、青年。

(なんだアイツ、あんなとこに移動してたんかえ)

 と、斜め後ろから肘を突かれた。振り向くと同時に【アイツ、馬鹿すぎね?】と書かれた端末の画面が視界を埋める。

 端末を突き出してきた先には長い黒髪を真っ直ぐおろした、桜色の瞳を持つ清楚な女性が座っていた。藍原窓香あいはらまどか

 整った表情を全く変えない為、まさかこの女性が端末を通じるとこんなに口が悪いなんて誰が思うだろう。だけど、コレこそが彼女の本性なのである。

「そうさなぁ」

 夕夜は相槌を打ち笑う。あの軟派者がフラフラと人と関わるのはいつもの事だが、何処か危機感が抜けているような気がする。

 目に見える危険には怯えるし、それこそ情けないくらい自分だけでも逃れようとする節があるのだが、隠れた危険にはいつも気付かず、寧ろ自分から突っ込もうとするのだ。これだから、放っておけない。窓香は【草】と表示された端末をもう一度突き付けてきた。

「ん? 出来ますよね?」

 理輝に笑顔で小首を傾げられ、隼は顔を青くしていた。


「あの副会長、ちょー怖くね!? 二週間とかマジで言ってんのかな!? えぇ……」

 理輝の放った「解散」の一言で、殆どの者が焦って組を作り、忙しなく外に飛び出ていく中、隼は文字通りフラフラと体を左右に緩く動かしながら、夕夜と窓香の元へ戻って来た。

【頑張れよb】

「いや、頑張れよじゃないからね、窓香ちゃん!? 窓香ちゃんもやるんだよ!?」

【:(】

「いや、そんな、あからさまな顔文字する!? ってか、どうしましょー夕夜さ~ん」

 救いを求めるかのように隼が夕夜へ顔を向けると、未だに残っていた二、三人の学生達も同じようにして夕夜へ視線を送る。

(オイオイ、本気マジかよ)

 眉を潜め、後頭部を掻きつつ、夕夜は黒い外套コートひるがえした。その後を当たり前のように隼と窓香が続き、またその後ろから少数の学生が続く。夕夜は溜息を吐き、面倒臭ぇなぁと心で愚痴る。

 扉の付近には、猫耳カチューシャを付けた男が、風船帽を被った男から拳骨を頭に振り下ろされ、三つ編みの女性に心配されていた。

 夕夜は、ふと風船帽の男に目を向けた。小豆色の瞳とぶつかる。そのまますれ違った。

 開きっぱなしだった扉の先に足を置くと、喉元から抑え気味に、「ンヒヒ」と不気味な笑みが零れる。

「なぁ、隼」

 肩に担いだシャベルの刃を一回転させ、夕夜は肩越しに隼を振り向く。

「ん?」

 三つ編みの少女に手を振って締まりのない顔をしていた隼は夕夜の声に顔を上げて、「ヒッ」と声を絞めた。

「お前さん、あの帽子男と一緒に居ただろぉ? どうだったよ」

 前を歩く夕夜の真っ暗な眼帯が隼を覗く。何を考えているのかは読めないし、その眼帯の下に何もない事を隼は知っていた。

「い、いや、どうって。別にふつ……うではなかったな、うん。なんか、すっげー警戒心ってか。握手したら振り払われたわ。あ、あとカスって言われた」

「へぇ、そうかえ。なるほどなぁ」

 下唇を舐める。左隣を歩く窓香が端末を差し出してきた。【ビンゴ?】。

 夕夜は群青色の瞳を怪し気に光らせて頷く。

「アイツは人間だなぁ」

【(笑)】と表示された端末を夕夜に向ける窓香の奥では、「あれ、ってかアイツの名前聞いてなかったじゃん俺」と苦い顔で後ろ首を掻く隼がいる。

 見えない危険にはてんで気付かない。困った男だ。


              ★


 翌日。和泉市街、池之町の学生が揃って、地図を広げて口々に討論し合う。

 和泉市街と池之町を屋台でどのように繋げるか、屋台を設立する位置についてだ。池之町――山の近くにテントを広げてその中にテーブルを置き、地図を置いて論戦する。期間は二週間と時間がない中、涙と旭も討論に混じって、意見を出しあい、たちまち騒がしくなった。

(あークソ)

 そんな中、真夜はつまらなそうに輪から一歩離れた場所で、棒状のアイスを口に含み、屈んでいた。つま先で体を支え、踵に体重を乗せて座っている。

 桜夜……『生徒会』はというと、丘の向こうの平地で空に火花を咲かせる実験をしているとか……。

(ぶっちゃけ、そっちに行きたかったんだけど)

 人とあまり関わることは苦手だし、こんな大人数堪ったもんじゃない。

(こっから家近いし……話し合い片付くまで家で寝てよっかな)

 罵声も、それを制する声も、なんだか聞いていて物凄く退屈になった。

 真夜が本当に家に帰ってやろうかと、腰を上げると、タイミングよく嗄れた声が上から降ってきた。

「つまらなそうさなぁ」

 帽子のつばを持ち上げ見上げると、赤髪、右目に黒い革張りの眼帯をつけた男が肩にシャベルを下げて立っている。

(ああ、コイツ昨日の……)

 扉付近で、妙な視線を向けてきた男。群青色の瞳は、昨日より静けさを見せているが、真夜は、視線を交わしたあの一瞬の内に感じた寒気を忘れていない。

「クソだろ」

 一言、素っ気なく返して、千歳緑ちとせみどり麻布あさぶを捲り上げ外に出る。

 足音が付いてくる。無意識に唇を噛む。一本、支柱を拾い上げた。

「お前さん、いつまでそっちに居るのさ」

 唐突に後ろの彼がそう問いかけてきた。

「は?」

 足の爪先で小石を退けて、支柱を建てようとしていると、不意に夕夜が隣に立ち、肩に下げていたそのシャベルを地面に突き立て、土を掘り起こしていく。

「そっち、ってなんだよ。田舎に居るのがおかしいってか?」

 真夜が和泉市街を離れたのは小学六年の頃だ。丁度、卒業を間近にして池之町へ引っ越した。

 なんてことない。父親の転勤で止む無くといったところだ。

 その時、少なくとも眼帯をつけた男と面識はなかったはずだ。いや、分からない。

 何せ、真夜は全く他人に興味を示さない、時間さえあればいつだって遠くに行くこと、外を冒険することしか頭にない子供だったからだ。

 周囲など桜夜に声をかけられるまでは、ぼやけていたのだから。夕夜が当時の自分を知っている男だろうが、そんなことはどうでもいいが、なんだかこの町全体を貶されているような、自分達が下に見られているような気がして、真夜はそれがどうしても気に障った。

「あーなるほどなぁ」

 一方で真夜から睥睨へいげいされるも気にした風はなく、というよりも、何かの答えを掴んだかのように晴れた顔をする夕夜。

「そういう意味で言ったんじゃねぇさぁ。もっと周りをよく知るべきだぜぇ。お前さんは自分がどれだけ可哀想な存在か気付く必要があるのさ」

 真夜にはその言葉の意味が微塵も理解できない。

「は? 意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ、カス」

 床に転がっていた支柱をもう一本、真夜が拾い上げると、夕夜もまた離れた位置の土を掘り起こし始める。

 ガツン、何かにぶつかった。夕夜はシャベルを脇に置いて屈む。そして白く細長い棒状のようなものを拾い上げて、「ンヒヒヒヒ」と笑う。堪えようとして堪えられなくて端から漏れたような笑みで、つい真夜は肩を震わせて振り向いた。

「見いさぁ」

 夕夜が大変、機嫌良さそうに近づいて見せてくるその白い棒状は、よく見ると罅が入っていた。シャベルによる衝撃で入ったものだろうか。

「なんだよ、そのゴミ」

「人の骨さぁ、随分古くなっちまってるけどなぁ」

「ホネ?」

「人間の体の中にあるもんだよ。お前さんの体の中にもあるんだぜぇ、ンヒヒヒヒ」

 夕夜は骨を持ってその場をうろつき、地面を睨みはじめた。

「こりゃあ、鼻の骨だったし、他にもあるかもしんねぇなぁ」

「は? 人間の中にあるもんが何で外に出てんだよ」

(っていうか、何でそんなこと知ってんだよ)

 渦巻く疑問を口にしてしまうことで、却って真夜は苦しんだ。

「そりゃ、お前さん。死んだって事さぁ」

 僅かに少し冷たくなった風に頬を撫でられ、真夜は、ほんの暫く呼吸の仕方を忘れた。


              ★


 遠くの方で空が大きく鳴く。

 まるで叩かれているようにも聞こえるような音が微かに聞こえてくる中、

 春兎は惹き寄せられるようにして、車両から降りた。

 木造建築物が疎らに立ち並び、田園の広がる池之町。人口五千人の町に足を着けてみると、喧噪が耳をつく。驚いた。春兎の頭の中で、池之町は大変静かそうな雰囲気があったからだ。

 ペタペタという足音を聞かなくなってから、一週間が過ぎた。

 それから平坦な日々を過ごし(借金に追われながら)、これといって面白いネタも見つかりそうになかった為、例の喫茶店を訪れたはいいが目的の情報屋の姿も無く、珍しく店が閉まっていた。

 もう、そんなちっぽけな珍しさだけでも面白可笑しく書ければと考えてしまうほど、夏も過ぎ去る時期に頭が腐りかけていた。その頭に刺激を与える為に、はじめて池之町に足を下したのだ。

「そっち、もっと余分に支柱、持ってってー」

「向こうの屋台の形、どうなってんだよ」

「なんでも、人間の足のホネ? の形らしいよ」

「ホネってなんだよー」

 鉄製の支柱を担いで小走りする男や、小さな紙切れを手に指示をする女。どちらの背もなんだか大きく見える。忙しなく動いているのに、どこか賑やかで楽しそうだ。春兎はふと学生時代の文化祭を思い出した。

(使いっ走りにさせられてた記憶しかねぇ……)

 頭に浮かぶのは、高圧的な態度の女子から好いように使われて廊下を駆けずり回って、その姿を卓己にばっちり見られて、「幸せだねぇ」と声をかけられていた思い出ばかりだ。

(つか、なんかやってんのかな)

 何か、催しでもやるのだろうか。流れていく波に乗っかって春兎は歩いた。


「おーこれか。屋台」

 所々から漏れ聞こえていた屋台が並ぶ通りに出た。田園を背後に、長机を置いて、その周りを支柱で囲い、上に布を被せる。

 手慣れた様子で効率よくスピードを上げて建てていく者もいれば、拙い手振りで悪戦苦闘しながら布を被せている組もある。春兎はそれを楽し気に見て回ったが、結局この小さな建物で一体何をするつもりなのかはまるで見当がついていなかった。

 そうこうして歩いている内に、山の近くにまで来てしまった。大きなテントが張られていて、丁度そのテントの真横に、今まで見てきた屋台とは、全く歪な形の屋台が並んでいる。

 支柱は四本とも直立してあるのに、布の被せ方が物凄く雑だ。その形は、確かに足の形に見える。

 この支柱で足の骨を表現したつもりなのだろうかと春兎は考えた。そして「骨」を知っているということは設立者も絞られてくる。

 なるほど、若い医者が生徒の中に紛れ込んでいるということだろう。人と機械の中身の違いを知っている存在など限られてくるのだ。そう、医者か犯罪者でないと……丁度、その屋台から目を外せずに居た時、

「おにーさん、その屋台に目ぇ付けるとかマジ? 怖くねー?」

 と、不意に肩へ手を置かれた。「ぅひっ!?」春兎は奇声を発して、肩を震わせる。

「は? えっ、は?」

 振り向くと、「おにーさん、ビビりすぎだろー! 気持ちはわかるけどさ!」と無邪気に笑う、上から下まで真っ赤な服を着た男の子が立っていた。片手に白い半紙をざっと見、二十枚以上持っている。

 茶髪の間から見え隠れする薄緑の瞳を明るく輝かせながら、少年は無遠慮に距離を詰めてきた。

「おにーさん、夏祭りどお?」

「夏祭り?」

「そ! なんかさ、色んなお店を、こっから和泉市街まで繋げて、大規模なお祭りすんだってさ! 色んな食い物とか出るみてぇだし! あ、俺は和泉市街に住んでんだけど、でもでも、ほら! 都市関係なく、絡めるって最高じゃね!?」

 身振り手振りを付け加えて勢いよく捲し立てる少年。春兎は勢いに飲まれた。どうやら相手は、春兎を池之町の住人と勘違いしているようだ。

(にしても意外と俺の事知らねぇやつもいるんだなぁ)

 目の前の少年、隼は確かに春兎を知らなかった。どころか、今日初めて春兎を見つけて、その派手な配色に一瞬言葉を失ったほどだ。

 実は、春兎は池之町に着いた時から、随分と周囲の目を釘付けにしていたのだが、本人は気付いてすらいない。

「夏祭りかぁ……うーん」

 春兎は後ろ首を手で抑えて呻いた。

 というのも金に余裕が無い為、通りを歩いても虚しいだけなのだ。

「あー……やっぱ怖い?」

 と、向こうも後頭部を気まずそうに掻いて言葉を濁す。

「ん? 怖いって?」

 怖いという単語に引っ掛かりを覚え、好奇心に火が付く。というより、仕事柄の癖で気になったことには前傾姿勢になってしまう。

「ほら、連続殺人事件。しかもなんか、結構昔に殺されてた遺体とかもこの頃出てきてるらしいし、ちょーやべぇよな。今、警察が看守も動かして捜索中だって。んー早く捕まってほしいよなぁ、ほんとさ」

 初耳だった。開いた口が塞がらないとは正にこの事だろう。連続殺人事件?

「え、ニュースになってた?」

「いや? ってか、本当に何の足取りも掴めてないから公表したとこで不安にさせるだけだからって感じで、なんか隠してんだってさ。一戸巡査長から聞いたぜ。慎重だよなー」

「…………」

 慎重の域を超えている。『死神』の件は飲み込めても、今回は本当に人の命が脅かされている、連続殺人だ。

 これは、住民を不安にさせるとかを考えている場合ではない。みんなが知っておき、警戒心を持っているべきなのではないか。どうして正当な判断が出来ないのだろうか。

 一瞬、当たり前のようにそんな疑問が過り、どうしてなのかが分かってしまい悲しくなった。

 人間は機械ほど、真っ直ぐじゃない。

「チラシ、貰っといていい?」

 愛想を浮かべて軽く手を上げる。隼の表情が和らいだ。

「あんがと! ま、狙われるのは女ばっからしいし! そこまで危惧せず、な! 夏祭り、お互い楽しもうぜ!」

 チラシを手渡され、笑顔で手を振り別れる。

 夏祭りをネタとして記事に書こうと思う気持ちは勿論。出来得る限り、警察が隠蔽している殺人事件についても動いてみようという気にはなった。

 なるべく探りを入れながら記事にする為の情報を仕入れていく。勿論、人の通りが大きくなる祭りの時こそ、殺人鬼が狙って動く可能性だって考えられるのだ。春兎はズボンのポケットからメモ帳を取り出し、ページを捲った。


 一方、その殺人鬼は春兎からそう離れていない場所で一人の少女に釘付けになっていた。

 三つ編みに、空の瞳と若葉色の瞳を持つ少女、茅原涙。

(愛らしいなぁ)

 それをほんの少し遠くから見ていた彼は、本来なら此処で足を止める予定ではなかった。

 和泉市街に戻って、家族の待つ家に帰り、それから次に愛する人を決める予定だったのだ。

 計画が狂ったのだと彼は確信してなお、彼女に魅せられた。目を離せそうにないのだ。

 そして、そんな彼の前に不意に半紙が差し出された。「夏祭り」と水色で書かれてある。

「よかったら来てください」

 涼しい音だった。長い黒髪に、桜色の瞳を持つ女性から発された音のようだ。

「ありがとう」

 殺人鬼――松丘深弦まつおかみつるは、人懐っこい笑みをして、その紙を受け取り丁寧に会釈した。やがて靴を鳴らして歩き出す。頭の中で徐々に彼女を殺す計画が練り上がっていく。彼は笑みを深め、こう呟く。

「まずは彼女の事を深く調べることからはじめないと」


               ★


 廃墟と化したビルの中で、橙色の髪に、黒いローブの女性が、何往復も端から端を歩いては頭を抱えた。

『私の息子は一体いつになったら見つかるの!?』

『落ち着けよ。今、レグロが探ってくれてるんだからさ』

 橙色の青年が、彼女を宥めたが、目尻に涙を一杯溜めた女性はヒステリックを止めない。

『落ち着けって、ここに来てからもう一月も経ってるのよ!? 落ち着いてなんていられないわよ! きっとあの子、今でもずっと一人なのよ! ああ。ねぇ、こんなひどいことってある? あの子をこの地へ置き去りにしてもう八年も経ってるのよ!? どうしてよ……お願い、神様。息子に会わせて……』

 ビルの外で依然、監視を止めない警察の目があるせいで、容易に外にも出られず、今はただ情報を待つしかないという状況に限界が来たのだろう。青年は彼女を憐れに思ったが、『今は信じて待つしかないんだよ』と肩を抱いてやることしかできない。

 外で見張りを続けている警察である機(かれ)械(ら)は彼らが一体、どういう会話を繰り広げているのかは全く分からない。二人の「死神」がこんな会話を繰り広げている一方では、隅の方で十人ほどが固まって、地図のようなものを広げ話し合っている。

『警察は機械だろう』

『それさえ分かれば後は簡単だ。つまり、今の「日本」を操っているのは人間じゃなく、機械ってことだ』

『そして、人間は機械に操られている?』

『騙されてるのさ』

『おぉ、なんて酷いやつらだ。早く粉々にしてやろうぜ』

 中心では警察の目を忍んで、座り込んだ「死神」が耳に通信機を当てた。

 何度か頷き、通信を切り立ち上がると、

『ステラの息子が見つかったぞ!』

 と声を上げた。騒がしく歓声が上がり、ヒステリックを起こしていた女性は泣きっ面を隠そうともせず、口をぽっかり開いて固まる。

『おい、一応確認だがレグロに例の写真は持たせてあったんだろうな』

『ああ、勿論。喜べステラ。待ち焦がれた息子との八年ぶりの再会だ』

 何処からともなく、口笛と拍手が上がった。ステラと呼ばれた女性は、喜びによる涙のせいで声が出せないのか口元に手を当てたまま、暫く黙る。

『あれ、おい。そういえば、アイリスのヤツは? さっきまでそこに居なかったか?』

 ステラの肩を抱いていた青年、カインは周囲を見渡す。

『いないわよ、アイリスは』

 未だ涙声でステラは返す。

『あの子は、あの子で片付けなくちゃいけない問題があるの。私もよ。早く息子を迎えに行って、謝らなくっちゃ』

 アイリス……娘の顔を思い出したのか、漸くステラは笑顔を取り戻した。


                ★


 二週間もあっという間に過ぎて、夕陽が落ちる頃には、和泉市街に散っていた学生達も、例のテントに集結しており、みんながみんな、上気して緩む頬を抑えることが出来ないでいた。

 その中心で、眼鏡の縁を指で押しやり、理輝は周囲から集う熱い目線によろけないよう気を付けながら、一つ頷く。

「報告は受けました。屋台設置、無事に終了です。皆様、お疲れさまでした」

 この、「お疲れさまでした」の「でした」を言い切る直前、既に一同は悲鳴にも近い雄叫びと歓声を上げていた。耳が割れぬようにと耳栓をしていて正解だったと、間違えようのない自身の判断力に今一度、理輝は感心する。

「涙ちゃーん、お疲れー!!」

「まあ、柏崎さん。それに藍原さんや、森口さんも、お疲れ様ですわ」

 隼は、理輝の言葉を聞くや否や真っ先に涙と手を合わせ、窓香は涙の言葉に、「お疲れ様です」と落ち着いた声音で返し丁寧に頭を下げた。

 その横で、夕夜はからかうように、「楽しかったなぁ?」と真夜の肩に手を回し、真夜は分かりやすく渋面し、「離せや、ゴミカス」と夕夜の手を振り払う。

「なぁなぁ、明日の夏祭り、どうする窓香ちゃーん! 折角だし、米さんも誘わねー!?」

 隼が涙の前から離れると、夕夜も「アイツは来ねぇさぁ、何度連絡したって何も返して来ねぇんだからよぉ」と真夜から離れ、窓香と隼の元へ戻っていく。

「真夜さん。私、明日がすごく楽しみよ。ああ、流星お義兄様もいれば、もっと楽しみになったのに!」

 涙は満面の笑顔で真夜にこう言った。真夜は「まぁ、でもカスが増えたら管理する僕も大変だからなぁ」なんて戯れ言を吐きながら、辺りを見渡す。

 カチューシャの彼は、奥の方で学生達に囲まれていた。いつの間にか、和泉市街の学生達と仲良くなったようだ。暫く学生達と話に花を咲かせていた旭だったが、不意に真夜と目が合うと、熱が冷めたかのように、輪から外れて、真夜の元へ戻ってきた。

「……全員揃ってるかー」

「ああ。たった今、お前が来て揃ったわ」

「旭さん、お疲れ様ですわ」

 眠たそうな気配を隠しもせず、袖を振って、旭は今更メンバーの点呼をとる。それほど、気分が上がっているということだろうか。

 真夜は今一度深く溜息を吐いて、「おら、明日も祭りに参加するんならさっさと帰んぞゴミ共」と、一本、袋から青色の氷菓を取り出しつつ、さっさと二人を置いて歩き始める。空はとっくに暗くなっていた。どんどん夜が早くなる。

「まあ! 見て。森口さんが作ったホネの屋台が白く光ってるわ!」

 と涙は後ろを振り返り、指をさして声を上げた。旭は勿論のこと、真夜も釣られてそちらを振り返る。

 確かに夜の闇で、その屋台は光っているように見えた。実際には光っているはずもなかったが、他の屋台と違って白い布にしたからだろうか。少し離れた位置からでも、目立って見えた。

「お祭りは夜からだから、きっとあの屋台が一番注目されるはずだわ」

 と涙は頷く。が、真夜はなんとも言えない複雑な気持ちになった。

「それにしても、ホネってどういう意味なのかしら」

 涙は疑問を口にしながら、歩き出す。旭もその後を追う。

 だが、いつも二人の先頭を先々歩いているはずの真夜は、足を止めてその屋台をじっと見つめていた。

 いや、違う。

 その屋台の下でこちらに視線を向けている男性に目を向けていた。

 その男性も、まるで骨のように白い髪で、闇の中で浮いて見えた。白い髪の下に、灰と赤い色の瞳をしている。

 左右で色の違う瞳だ。別に変ではない。

 白髪の者だって、左右で色の違う瞳を持つ人だって、たくさんいるのだから。変ではないはずだった。

 社会人なのか、薄茶色のコートを着て、黒革の鞄を下げて、どう見ても、仕事帰りに偶然立ち寄っているという説明だけで済むはずなのに、じっとこちらを見つめる男性に、真夜は寒気を感じた。

 誤魔化すように、氷菓を口に咥えて前に向き直ると、少し先で涙と旭が首を傾げて立っている。

「気持ちわりぃ」

 真夜は苦々しい顔でそう呟き、二人の元へ駆け寄っていった。


              ★


 人間は時に間違える。

 一戸は、特に風も吹かない夜に一人、血走った瞳をしていた。

 周りの警官たちは、この巡査長の瞳に内心穏やかでいられなかった。

 というのも、祭りが始まるまでには何としてでも連続殺人犯をお縄にかける予定だったのに、全く糸口すら掴めず、ずるずるとこの日を迎えてしまったのだ。しかもそれだけでなく、今朝、急に彼女のもとへ送られてきた電話で『会長』の桜夜がとんでもないお願いをした。

 折角の夏祭りなのだから、施設の中に閉じ込めるような真似をせず、『死神』達にも楽しんでもらおうと。そして、これを機に、『死神』と上手く交流を結べたら、一石二鳥というものだろうと。

 桜夜ならばもしかしたら言い出しかねないと思っていたことだ。何せ、彼は今回の事件を知らない。一戸は黙ったのだ。何故って、事件のことを知ったらきっと、桜夜は祭りをやらなかっただろう。そういう人柄であることを知っていたからこそ、一戸は黙ったのだ。

 彼女は花火が見てみたかった。夏祭りをどうしても開きたかったのだ。

「と、いう訳で……私達、警察は『死神』の監視に手を回す為、連続殺人犯の方、又は見回りについては、看守の皆さんに任せたいと……本当に申し訳ございません」

 一戸は、頭を全力で下げたが、その動作一つにも疲れが見て取れた。

「了解致しました! 巡査長、無理はなさらないでください! ここは我々にお任せを!」

 看守長が胸を張ると、背後に佇む十数名もの看守達も同じタイミングで敬礼のポーズを取る。

 退屈そうに一人、欠伸をしているのは赤髪の看守だけだ。彼は、二列目の端っこで、鞭を手にどこか遠くを見つめた。

 通りは、人間やら機械やらがお互いの中身を知らず、仲睦まじく歩いている。無性に腹が立って仕方がなかった。

(あんな蠅のような連中が何匹殺されようが知ったこっちゃないが)

 ただ胸中に蔓延り続けるこの屈辱という名の怒りをどうしたって何処かにぶつけてしまいたくて仕様がなかった。


              ★


 屋台は想像以上に種類のあるものだ。

 金魚すくい、的あて、お菓子釣り……。歪な形をしていた真っ白な屋台は、綿菓子を作っていた。これが意外と行列を作っている。

 金魚すくいでは、春兎にチラシを配っていた青年が、黒髪ロングの彼女の隣で張り切って、掬い網を水に勢いよく浸けて破っては、屋台の小母さんに笑われていた。

「その網は水に弱いから、ゆっくり浸けるんだよ」と教わった青年は張り切ってもう一度やりはじめたが、隣の彼女は既に端末の世界に入り浸っている。にしても、掬い網が水に弱いだとかいうのは、春兎も知らなかった。

(和泉市街と池之町の違いってやつかな)

 春兎はすかさずメモを取った。

 的あて。ここでは、三つ編みの少女が二回、狙いをつけて短い矢を投げたが、二回とも的を大胆に外し、風船帽を被った青年が見かねて彼女から矢を奪い取り、一発で中心を狙い当てた。

 池之町の端から和泉市街の端まで屋台が続いているらしいので、春兎はその通りを歩いた。

 無論、どれだけ屋台からの誘惑があろうと、無駄な出費はしないように頭を左右に振って耐える。

 ようやっと和泉市街の端が見えてきて、この誘惑に耐え抜いたぞという謎の達成感を噛みしめていると、「アヒャッ」という通常聞かない笑みが耳に入る。瞬時に春兎は幻聴だと決めた。

(なんだかんだ言って、俺アイツがいなくなって寂しくなったのかなぁ)

 空を見上げてしみじみとした気持ちでいると、次は「べー」という声が下から聞こえる。

(ははっ、まさか)

 まさか。

 これが幻聴じゃなかったらなんて、そんなこと。

 ゆっくりと下に視線を向けていく。少し前の地面が見えるくらいまで視線を下げる。誰もいない。よかった、ほらやっぱり幻聴だ。息を吐いて、ふと変に先刻から違和感を感じる腹部にまで視線を落として、

「ああああああああ!??」

 黒いローブが見えた。目に入ってしまった。腹部にべったりとくっつくその小さなものの正体が否応なしにわかってしまう。

「ニィ!!」

「アッヒャッヒャ!!」

 歯を見せて無邪気に笑う幼い少女。

(いやいや、なんでまた出てきてんのお前)

「なんだよ、また迷子になったのか?」

 と、いうより。警察はまた何をしてるんだか。

(ま、出てきてしまったもんは仕方ねぇな)

 春兎が歩き出すと当然のように、後ろの少女もペタペタとついてくる。

 保護している施設は和泉市街の方にあるのだろう。一戸という巡査長が「こちらで保護する」だの何だの言っていたことを考えるときっと可能性は十分に高い。適当に歩いて、施設を見つけてやるか、とお気楽に考えていた時だ。がらりと周囲の様子が変わった。

「おい! あっちで女の子が襲われてる!」

「やべぇよ! 相手、包丁持ってたぞ!」

 二人、男が走ってそう叫ぶと周囲に居た人々がざわつき始める。

「連続殺人鬼が近くにいるのか!」

 春兎は咄嗟に黒いローブの少女を押しのけ走り出す。後ろからペタペタと音がついてくる。スピードは緩めない。何せ、彼女にそんな気遣いは無用だ。何故って、自分の足の遅さを痛感させられるくらい彼女は足が速いのだから。


              ★


 悲鳴を連れて一斉に同じ方向へ逃げていく人々を、赤い髪の少年が細い路地から見送った。

 好都合だ。何か大きなハプニングが起きて、周囲の気がそっちへ逸れてくれているのなら。

 赤い髪の少年は、黒いローブに身を包み、鎌を片手に持っている。肩に黒い鞄を下げて、黙々と人目を気にしながら鎌を地面に突き刺す。

 こういう時、何故シャベルでなく鎌なんだと少年は不服そうな顔をする。と、胸元から耳障りなノイズが走った。少年は手を休めて、胸元にかけていた通信機を耳に当て開口一番、怒鳴る。

『うるっせーな、今ちゃんと作業してるよ!』

『おいレグロ。こっちもチャンスだ。よく分からないが今外に出れてるぜ!』

 少年は顔を顰めた。通信機の向こうでは、男が嬉しそうな声を上げているが、少年……レグロは騒動の種が仲間にあるのではないだろうなと疑う。

『だったら手伝いに来い』

『勿論。そのつもりだけど、今警察の方々とデート中だから厳しいんだよ』

『随分人気者だな』

『本当にな』

 鞄の中から取り出した包みを慎重に穴へ置き、掘り起こした土を被せていく。

『警察は人間か?』

『いいや、機械だ』

『だったら壊しちまえよ』

 肩に鎌を担ぎ直し、移動を始める。

『人目があるからな、今は無理だ。それよりレグロ。ステラの息子だが刑務所に居るんだって?』

『ああ、端っこの牢に入ってたぜ。ステラが見たらすぐに気付くだろ』

 そこで通信は途切れた。

 少年――レグロは十二歳だ。それなのに目は据わり、凶器を土の下に埋めることに何ら躊躇もしない。恐怖や不安が無いわけではなかった。

 ただ彼はヘリコプターからこの地へ足を下した瞬間から覚悟を決めていたのだ。彼の中に強く残ってあるのは憎しみだった。八年前、この国で理不尽に肉親を奪われてから、幼い少年の中には憎悪だけが巣食い、それだけが支えとなった。

(全部、破壊ころしてやる)

 やがて十二の少年は、鎌の切っ先を地面へ突き刺した。


              ★


 人々が騒ぎ始める五分前――

「あーやっぱダメだわ。僕の嫁、氷菓一択だわ。身をもって知った。これからはもう浮気なんてしない」

「まあ。綿菓子は真夜さんのお口には合わなかったってことかしら?」

「甘すぎて無理。あと、なんか喉に詰まるわ」

 真夜と涙は、的あての後に、例のホネの屋台で綿菓子を購入して、口に含み歩いていた。

 三つ編みの彼女は、黒と赤のロディスポットではなく、真夜の家で着付けして貰った黒が主体の赤い蝶が舞う浴衣に身を包んでいる。真夜ですら一目見たときは、喉を鳴らしたほどなのだから、これを流星が見たら、大変なことになったのではないだろうか。

「旭の奴、またなんかに釣られたな」

「そうね。旭さん一体どこに行ったのかしら」

 綿菓子を口に含みつつ、適度に会話を挟んで二人は和泉市街の方向へ足を向けていた。

 時刻は夜の八時を過ぎている。和泉市街の端まで行ったら折り返して帰ろうという算段だった。

 ただ、和泉市街の方向を歩いて暫くして、急に人気が少なくなってきたとき、真夜はなんだか胸騒ぎを覚えた。急激に背筋が冷たくなっていくのだ。夜風が吹いているわけでもないのに。

 ふと、真夜は振り返った。予測できていた訳でもないが、その白髪を見た瞬間、彼が振り上げた刃物を目にした一瞬。(ああ、そうか。やっぱりな)という感想を抱いた。何がそうで、何がやっぱりかは正確には自分ですら分からなかったのに。

「涙!!」

 体より先に口が動いた。綿菓子が地面に落下する。

 涙が振り向いた。遅い、遅すぎる。全て遅い。

 何だか時間が酷くゆっくり流れているように感じた。白髪の男性が涙に飛びかかっていて、刃物を振り下ろそうとしている。

 涙は振り向いて驚き、着物の裾を踏んづけてバランスを崩した。全てがゆっくりで、何もかもわかるのに、真夜は自分の体が酷く重く感じた。腕を彼女にどれだけ伸ばそうが、彼女との距離は全く縮まらないのだ。

 幸い、彼女がバランスを崩したお陰で、白髪の青年、深弦の振り下ろした刃物は倒れた彼女の僅か上の地面に突き刺さった。心臓が酷く暴れた。真夜は無我夢中で、彼女の上に跨ぐ深弦の背中につかみかかる。

「てめえ!涙から離れろよ!!」

 殆ど衝動的に大きな声が喉から這い出た。驚かされた心臓が熱を持って真夜は涙から深弦を引きはがそうとする。

「僕の計画を邪魔するな!!」

 地面を離れた刃物が横に薙ぎ払われた。咄嗟に真夜は受け身を取ろうと、腕をクロスさせたが、間に合わず切っ先が胸を僅かに掠る。

 目の前を赤い液体が飛んだ。涙が「いやああ! 真夜さん!!」と金切り声を上げた。自分がどうなっているかは、他人の目になってみないとどうしたって分からない。

(今、僕、どうなってるんだ?)

 背中に衝撃が走った。そこで漸く体が地面に沈んだのだと理解できる。吹っ飛ばされたのかもしれない。吸う息と吐く息がぶつかって、噎せる。体を俯けにして地面を這った。顔を上げる。霞んだ視界の先に、深弦がまた涙に刃物を振り下ろそうとしているのが目に入った。

(駄目だ、不味い)

 そう思うのに体が重い。嘘だろ、おい。しっかりしろよ、何やってんだ馬鹿かよ。

 涙は、男が息を荒げつつ、口端を上げているのを目に止めて、身を引いた。

「なんてことするの……!」

 それと同時に、心の底から怒りがこみ上げる。すぐ近くで友人が傷をつけられ倒れているのに、この男は何とも思っていない。僅かに血の付着した刃物を振り上げて愉しそうにしているのだ。

 ゆるせない。

 男は遊ぶかのように、振り上げた刃物を徐々に涙の首に近づけていく。まるで恐怖をわざと植え付けるかのように。涙はその男の顔を鋭く睨みつけた。刃物が肌に食い込もうとした瞬間、

 深弦は頬に衝撃を受けて、包丁を取り落としてしまった。刃先は涙の首筋を掠って、地面に転がる。涙は息を飲んだ。上に乗っかっていた男の顔に蹴りが入るのを涙はじっと見ていたのだ。

「ははっ」

 悪気を一切感じさせない笑みを少年は上げた。黒い制服に身を包み、黒い帽子の下から覗く真っ赤な髪に、その濁った瞳。

 看守の狂は、深弦の襟首を右手で掴み上げ、左手に握ったグリップに力を込め、鞭を振るって男の顔を左右に何度も殴った。口の端を上げて、まるでただ遊んでいるかのように愉しそうに。

 涙はその隙に、男の下からなんとか這い出た。

「天野! もういい!」

 遅れて駆けつけてきた幾人もの看守達が気を失った深弦を拘束し、鞭を振るう狂を抑えにかかる。気を失った深弦を拘束しにかかったのは三人なのに対し、狂は五名もの看守に寄ってたかって押さえつけられた。

「離せ、ゴミクズ!」

 これじゃあどっちが犯罪者なのか分からない。狂は憤って暴れる。

「よし、早速巡査長の元まで運ぶぞ!」

 息を切らせ駆けつけた看守長の一声で一同は行動を起こす。

 狂は抵抗も虚しく、五人の機械に引きずられる形でズルズルと通りを引きずられていく。

 現場の近くに居た野次馬は奇異の目を狂へ注ぐ。

「死ね、この害虫共が」

 狂は呟き、睨みつけた。その冷たく濁った瞳に恐怖したのか、視線を向けていた連中はさっと目を逸らしていく。

「こらっ」

 引きずっていた看守の一体が狂の言葉を拾い、その頭に拳を落とす。

 狂はこれまでにないほどの屈辱と不快感に眉を顰め、獣のように唸った。


「あっ」

 はっと我を取り戻した涙は立ち上がったが、嵐のように深弦も看守の姿も消えている。

 お礼を言い忘れたこともそうだが、看守なら義兄の様子を聞けるだろうと思ったのだ。

 そこで涙は両手で己の頬を叩き、首を振ると俯せに倒れ込んだ友人の元へ急いで駆け寄った。


              ★


「ああああっ!! 嘘だろ!!」

 春兎は足を止めて、思わずその場に膝をつけて絶叫した。

 遥か遠方に、白髪の男が、看守によって引きずられていくところが目に入ったのだ。

「また遅かったのかよ!」

 後ろの足音も止まった。春兎が肩で息をしているのと違って、少女はというと、一つも息を乱していないのだ。勝ち誇ったかのように、女児は舌を突き出した。

「べー」

「くっそ! せっかくのネタが!」

 拳を床に振り下ろすと、重なる形で「真夜さん!」という少女の声が飛ぶ。

「ん?」

 春兎が顔を上げると、三つ編みの少女が、俯けになったまま動かない風船帽の少年に駆け寄っている姿が目に入った。

「えっ、これもしかしなくとも事件の被害者なんじゃね!?」

 降って湧いた希望に、春兎は立ち上がり、涙の元へ一直線に駆け寄っていった。


              ★


「自分、これをあんさんに見せたかったんどす」

 眼下では、池之町から和泉市街へと一直線に出店が続いている。

 その通りの一部で、どうやら揉め事があったようだ。大方見当の付いている二人は、丘の上に並んで座り、それをただ見下ろしていた。

「悪趣味だねぇ」

 月明かりの下、赤い和傘を回す彼女の隣で、卓己は長々と息を吐いてこう零した。

「あんさんが目指してはるものやで。不思議なもんどすなぁ、人間ってのは」

「そうだねぇ」

 目下に広がる明かりの数々は、暗がりに包まれた此方側から見ると、暖かく見えるのに、その明かりの中には意図せずして歪なものが隠れている。

「プログラム通りに進まないんだから、人間ってすごいよねぇ」

 正常の中に異常があるのが人間だと、卓己は八年を通してこう考えた。

 ようやっとたどり着いたその答えを、彼女――米は袖を口元に意地悪く笑った。まるで、何を当たり前の事をとでも言わんばかりだ。なんて彼女は悪趣味なのだろう。

 だけどそれは、自分も言えたことではない。一本取られたようで卓己は苦く笑った。

 米が芝の上を立ち上がると、つられるようにして卓己も腰を浮かす。

「気付いとります? もう、時間もないで」

 彼女が指を向けた先では、黒いローブの集団が警察に囲まれながら行軍を続けていた。

 鎌を肩にかけて大人しく歩行を続けているその集団から、少し離れた路地の裏で、年の幼い赤髪の少年が、鎌を地面に振り下ろし何か細工を施していて、もっと離れた場所では、黒いローブにすっぽり包まれた幼い少女が、旧友はるとの後ろを裸足で追いかけている。

「この明かりが最後やなぁ」

 何処か物悲しい顔をする彼女に卓己は少し驚いた。

「もうすぐ終わるんだから、僕は君なら喜んでくれると思っていたんだけどなぁ~」

 今度は彼女の方が、目を丸くしてこちらを向く。

「まさか。自分、気に入っとりましたよ。じゃなきゃ此処まで一緒におりまへん」

 米の向けた表情の中には、卓己が認識して汲み取れないような不思議な色があった。

 虹のように見える。彼女の表情は、よく変わるのに、時々真逆の色をその顔に乗せるのだ。

 更に彼女と己の中の違いをはっきり見て、卓己は自身の欠陥を何処までも憎んだ。

「あんさん、頭いいのに馬鹿やなぁ」

 一言。米がそう呟いた直後、彼女の背後で空が大きな産声を上げて、花を咲かせた。

 米が慌てたように背後を振り返る。空には綺麗な花が広がった。何度も何度も、大小問わず、音を響かせながら火花が咲いた。通りを歩く人々の動きが全て止まって、視線が花に一直線に向く。

「えろう懐かしいものやね」

 米は、瞳にその火花をうつし、八年、いやもっと前の年を思い出そうとした。どうにも霧がかったように思い出せない。

「あんさんらのせいで、もう昔がどんな花だったか、よう思い出せんけど、綺麗やねぇ」

 彼女の表情に非難の色は見られない。ただ、消えてしまいそうに儚い顔だった。

「幸せだねぇ」

 卓己は空を見上げて言う。この火花に関してだけは、卓己も米ですらも、掴めず予想すらしなかったものだった。


             ★


 冷たい夜風が入り込む廊下を、男性が大きな声で叫んだ。

(うるさいなぁ)

 足を何度も上げたり下ろしたりしながら、叫んで暴れる囚人を、無遠慮に引きずり歩きながら、狂は片耳を手で押さえた。

 あまりの煩さに檻の中で退屈そうにしていた罪人が声を上げる。野次を飛ばしているのだろう。囚人はといえば、そんな一つ一つの野次に一々食らいついていく。

「うるさい、黙れ! あともう少しだったんだ! あともう少しで僕の計画は遂行されたんだ! 僕は彼女に愛を伝えられたんだ! 離せ! 離せ! 僕はもう一度、彼女に、涙に会うんだ!」

(うるさいなぁ、この変態にんげん

 変態にんげんってのはどうしてこんなにも五月蠅いんだろうと狂は心の中で溜息を吐いた。

 いや、機械だってそんなに変わらない。いつも煩わしい雑音ノイズを響かせ人間気取りな顔をする。

 結局、害虫きかい変態にんげんも大して何も変わらないじゃないか。

 害虫は変わらず、間違いようのない正しいプログラムの道を、彷徨うことなく動くつまらないゴミクズで、対する変態は目に見えてしっかりと人の形をしているのに、心には何か理解のできない生物を飼っている。だからこうして檻の中に隔離されるのだ。

 狂は、なんだかどちらにもなりたくないと感じてしまった。狂は、自分が人間であることに変わりはないと本気で信じている。

 たとえ、体の中の構造が違うとしても、こんなに自分せかいを持っているのだ。少なくとも何も持たない害虫ではないのだ。

 だけど、だからと言って誰にも理解されない変態にもなりたくない。ただ、狂は悔しくて仕方がなかった。

 脳裏に在るのは一戸という女性警官の姿だ。自分の目指す道には真っ直ぐで、ただその道をひた走る為なら、間違いだって犯す。自分の意思とは無関係にプログラムの上を間違いなく進むだけの害虫ではない。だったら彼女は誰にも理解されない変態かといえばそれもまた違う。

 彼女の行動は、何故か皆が自然と応援してついていきたくなるようなものだ。狂はそれが理想だった。それが追い求めていた憧れのモノだ。なのに、彼女のように上手くはいかない。

 いつもどういうわけか空ぶる。理想通りに物事が進まない。だから苛立ちが隠せない。彼女と違い、自らの中身は機械だ。それは抗うことのできない事実。屈辱的だった。

 恥だった。何故、理想へのプログラムは作れない? それは自分が根っからの機械だからか? 設計者でないと、その道へ進むように設定できないのか? 否、違う! 自分は、こんなにも自分せかいを持っている。害虫でも変態でもない、彼女と同じ人間なのだ。目的の為なら、間違うことだって出来るんだ。

 狂は僅かに口端を上げた。

 深弦が、「涙の元へ戻るんだ! 涙に想いを伝えるんだ!」と、しきりに一人の女性の名を叫ぶたびに、野次が消えていった。狂は足をひたすら端の牢に向けて動かしていく。

 その後を続いて歩きながら、看守長は檻の中の囚人たちの様子の変化に首を傾げた。どうも可笑しい。

 さっきまで引きずられる深弦を冷やかし、元気に騒いでいたのが嘘のように、顔色を変えて黙って見送りだしたのだ。後ろを歩く看守達も異様な変化に気付いたのか口々にざわつきはじめる。

 堪りかねた看守長は、新たな囚人を引きずり歩く赤髪の看守きかいへ声をかけた。

「おい、天野。どうするつもりなんだ」

 狂はといえば、欠伸をした後、暢気に笑って、

「おもしろいことをするんだよ」

 と説明にもなっていない一言を返すだけだ。

 看守長は、この笑みが、のちに人を困らせることを確信したときの笑みだという事を重々承知していた。

「死刑」と一戸が暗い表情で看守たちに囚人への処罰を下したとき、深弦は気を失っていた。

 檻の空きがないからというそんな単純な理由でその処罰になったわけでは決してない。

『生徒会長』自らが下したのだ。生徒会長――布瀬桜夜。振り返る限り、いつも頭を抱えつつ、和泉市街や池之町の人々のことを優先に考えている穏やかな会長がそんな悍ましい言葉を吐くとは考えづらい。だが一戸が独断で決める物事はいつも前向きなことに限られる。

 告げる一戸の顔が、青褪めて暗いところから見ても、きっと彼女が決めたことではないのは明らかだ。そして別に看守長もその判断に不満は抱かない。たくさんの女性を殺してきた極悪人なのだ。そうなっても仕方がないだろう。

 だが、だからといってすぐに頷けるほど、死刑執行への覚悟を決めていたという事でも決してないのだ。部下は顔を俯かせ、また看守長も暫くは固まってしまった。躊躇など、機械には無縁だと思っていたのに。そんな折、真っ先に胸を張って頷いたのは赤髪の少年だった。

「俺に任せてよ」と言った狂の表情は、とても今から一人の人間を殺す表情とは思えない。それこそ正に、玩具を見つけて喜ぶ子供の顔だった。

 あまりに珍しく進んで任務を請け負った為、看守長は彼に任せることにしたが、振り払えないほどの不安に駆られ彼の後を追った。無論、似通ったプログラムで構成された看守達も皆、同じ決断を下したのだろう。暗い顔で後ろを歩く。


 やがて狂は足を止めた。一番端の檻の前で。その檻の隣の囚人は、「やばいって、やばいって」と小さく呟いている。

 狂は、楽し気に檻を叩いた。「変態さーん」。看守長は狂の行動に驚いて、「おい!」と咎める。

 檻の中の囚人は、そんなことをされても静かだった。ただ隅で青い上着を頭まですっぽり被り、その上から手で両耳を抑えて、蹲って震えている。夜風は確かに冷たいが、震えるほど寒くはないはずだ。体調でも悪いのか、それとも。

(怖いのかもしれない)

 その方が正しいようで、耳を澄ませると微かに、「怖い、怖い」と呟いているように聞こえる。

 生意気な囚人だったはずだ。『副会長』が訪ねてきた時も口を噤んで黙り込んでいたことを長は知っている。ただ今はその生意気さも完全に消え失せていた。

 耳を抑えているのは、深弦という連続殺人犯がうるさいからだろうか。震えているのは、そんな恐ろしい凶悪犯が自身の檻の前で暴れているからだろうか。

「おい、今回こいつは関係ないだろう!」

 看守長は狂の肩に手を置き、止すよう促したが、狂はそれを無視して、「仲間を連れてきたんだよー」と楽しそうに声を張り上げる。

(まさか)

 狂は、空いた片手で牢屋の錠を外そうとした。

「天野!」

 それは不味い、看守長は咄嗟に声を荒らげ、狂の肩に置いていた手に力を込めて、牢屋から引き離す。

「邪魔すんな!」

 狂が強く肩を捩り、振り向きざまに、足を振り上げる。咄嗟に防ぐこともできず、長は腹部に蹴りを入れられ、よろけた。

 後ろに続いていた看守達が心配し、駆け寄ってくる。馬鹿、そんなことより天野を止めろ。

 隙をついて、狂は錠を外して深弦をその中に放り込んだ。すかさず、また錠をおろす。深弦はすぐに立ち上がり鉄格子を揺すって「出せ!」と吠えた。「あははっ!」狂は可笑しそうに声を上げて、

「はじめての二人部屋! 仲よくしろよ、変態同士!」

 獣のように叫んだあと、狂は牢屋の前を離れる。

「ふざけるな、天野! 下手に囚人を刺激するんじゃない!」

 狂の背中に叫び、鉄格子に近寄ろうとすると、

「看守長!!」

「ここは天野に一つ任せましょう!」

 部下たちは必死に腕へ縋り付く。

 その意味を長は一瞬だけ掴み切れなかったが、部下の瞳の揺れを見て激高した。

「この腑抜けが!!!」

 自分達までもが人殺しのようなものに手を染めたくない。勿論、看守長だってそうだ。すぐに頷けなかった時点で腑抜けなのは己でもある。でもだからといって、だからといって――!

 左右の腕を捕まれ、看守長は為す術なく、二人に引きずられていく。

 後には、牢屋の中に二人の囚人だけが残された。


             ★


 死んだはずの蝉の声が脳内へ這入ってくるのを流星は感じた。

 耳の中から這入ってきて、ジワジワと脳を燃やしていく。

 怖い。脳が音にグチャグチャにされて無くなるんじゃないか。流星はこれ以上蝉が這入ってこないよう、両手で耳を塞いだ。

「くそくそくそ! 計画を立て直せ! 絶対に今日の内に涙を殺すんだ!」

(うるさい)

 蝉が、暴れている。全て壊し尽くそうと耳の中で、

 ミーンミンミンミンミーンミンミンミンミーンミンミンミン、ミーンミンミン、ミーンミンミンミン……。

(ああ、この音は)

 壊れている。耳の中を転がって壊していく音だ。この音は、俺の世界を壊している音だ。

 怖い。

 それなのにこちらの恐怖などお構いなしに、目の前の白髪の青年は五月蠅く鉄格子を揺さぶる。ガンガンガンガン――。

(うるさい。うるさい。うるさい)

(うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい)

 ミーンミンミンミンミンミンミンミンミンミン。ミーンミンミンミンミンガンガンガンガンガンガンガンガンガンミーーーーンミンミンミン……。

「うるさい」


              ★


 鉄格子を蹴っても怒りは収まらなかった。

 今までは全て上手く計画通りに進んだのに、どうして。何処で狂った。

 振り返れば、あの風船帽の少年の顔が目に付く。

(ああ、あいつのせいだ。あいつが僕の邪魔をするから。あそこで計画が狂ったんだ!)

 肩で息をして、牢屋の中に目を走らせる。奥の方に寝台があり、その横に洗面台が備え付けられていた。鉄格子に囲まれた箱。どうにかして脱出しなければならない。生憎持っていた鞄は手元にない。きっと取り上げられたのだろう。

(どうする? 寝台の支えを取り除いて、鉄格子を折るか……)

 そこまで無我夢中で黙考して、ふと端の方で膝を抱いて震える青年に気付いた。

 何か小さくぼやいているが、大方自分に対する恐怖からくるものだろうと考える。

 そして青年の顔を覗いてぎょっとした。ああ、彼は。そうだ、彼は。

 茅原涙。愛する彼女について深く探りを入れると、彼女はAIだった。

 別にそこに驚くような点はない。今までころしてきたモノだってほとんどが機械だった。そして彼女の今の持ち主は、茅原流星。

 五年前に小学生を殴殺し土に埋めて殺した犯罪者として一月前に刑務所送りにされた。そこまでの情報は、米という女性から聞いている。そんな持ち主である彼の居る檻へ入れたのは不幸中の幸いである。深弦は早速彼へ囁いた。

「なぁ、君。茅原涙ちゃんの持ち主だろう? 流星くん、だったかな。僕の計画に一つ手を貸してくれないか。大丈夫、ちゃんと手伝ってくれるなら君を殺すようなことはしないよ」

 深弦は端から、愛を伝える為に人を殺すことを周りの人から理解されるとは思っていないどころか、別に理解されようがされなかろうが、自分さえ肯定できていればそれで良いという考えで生きていた。初めの二、三人を手にかけた時、それで漸く彼はが分かったからだ。

 だけど、分かっているのは彼ばかりではない。勿論、目の前で蹲っている彼だって、否、牢の中に居る物は大抵が分かっている。看守の体の中と自身の体の中の違いくらい。

「それだけじゃない。君だってこの牢から出してやれる。おまけに涙ちゃんにだって二人で会いにいける。いい話だろ」

 深弦は青年、流星の肩に手を置き、甘い言葉を吐く。否、甘い言葉を吐いた気でいた。

「うるさい」

 地の底から這い上がってきたような声を聞いたとき、深弦は一瞬その声が何処から出たのか分からなかった。

 ハッキリ聞こえたはずなのに、何処か遠くから聞こえたような気がするのだ。

 だから、深弦はそのまま、隣の牢の方を振り向いてしまった。隣の囚人に目を向けてしまったのだ。そこで囚人と確かに視線はぶつかったが、その囚人は自分の後ろを悲惨な面持ちで見ていた。

「……は?」

 背中に冷たい風を感じて、喉が詰まる。暫くの浮遊の後に背中からコンクリートの冷たい床にぶつかる。彼はすぐに自身の首元に手をやった。遅い。既に首を覆う袖がそこにある。

「ぐぅっ……!」

 暴れようとしても、男が上に跨っている。深弦の首に体重をかけ、どんどん酸素を奪っていく。深弦は目を見開いて自身の上に跨る青年の、流星の顔を見上げた。

 深弦を見下ろす瞳は朧気で焦点が合っていない。憔悴しきった顔色に、その焦点の合っていない瞳だけが狂気を孕んでいる。

 説得しようにも喉は今にも押し潰されそうで、宥めようにも酸素を奪われ腕に力も籠らなくなっていく。彼は時折、「怖い、怖い」なんて暗闇を怖がる子供のような言葉を呟きながら、力を強めていった。

 次第に意識が遠のいていく。不味い、ここで落ちたら待っているのは、待っているのは――。

「俺の居場所アリスを壊さないで」

 上から降ってくる言葉を理解する前にぐるんと眼球が真上を向いた。


               ★


 背を丸めながら春兎は歩いた。夜も更け、人気も少なくなってきた閑静とした通りを歩く。ペタペタと飽きずに後ろも続いてくる。

 春兎は疲弊しきった顔で、今に至るまでの数十分前を思い出して唸った。


 春兎は人の気持ちに鈍感だ。目の前の彼女、三つ編みの涙は、真夜の怪我を気にしてとてもじゃないが、他の事に手を回せる余裕が心に無かった。

 その為、春兎がどれだけ声をかけようが、反応が無い。ならばと、春兎が「そこまで焦るほどの損傷じゃないよ」と彼女を落ち着かせようと顧みたところ、闖入者が現れた。

 真っ赤な髪、右目に黒革の眼帯をつけた男だ。何故か、シャベルを肩に担いでいる。

「ンヒヒヒヒ」という端から思わず漏れたような笑みが耳に入ってきて、春兎は兎も角として、後ろの少女までもが「べー! べー!」と舌を突き出して威嚇のようなポーズ(両手の指を尖らせ前に出すような)を取った。どうやら『死神』は己の笑い声の異常さを自覚していないようである。

「おいおい、何やられてんだよぉ」

 とシャベルの男が真夜の元まで歩み寄り、春兎は咄嗟に、(ヤバイ奴なのでは)と先回りをしようと足を繰り出し、

「まあ! 森口さん! 真夜さんが大変なことになってるの! どうしましょう!」

 と涙が叫んだ為、春兎はよろけた。

(知り合いかよ!!)

 森口と呼ばれた青年は、真夜の前に屈むと、倒れている彼の服を強引に掴み、胸の切り口を見つめた。

「見たとこ、内傷には至ってねぇなぁ。こりゃ、ただの掠り傷さぁ」

「掠り傷?」

「止血しときゃ、治るさぁ。大方、ショックで気ぃ失ったんだろ。ビビりだなぁ」

 黒い外套の内から白く巻かれた布を取り出し、幾分か指に巻き取って、噛み切る。

 彼は慣れた手つきでその布を真夜の傷回りに巻き付けはじめた。言葉もなく、涙も、春兎たちも食い入るように見つめてしまう。

「どうされましたか!?」

 そこへ、茶髪に黒縁の眼鏡をかけ、喪服を思わせるような黒い学生服の少年がやってきた。慌てて走ってきたようで息が弾んでいる。

「あーなんだっけ? 長話してたヤツ」

「副会長さん!」

 二人して顔を上げた。顔見知りであるらしい。

 副会長、『生徒会』までがこの焦りよう。一戸という警察は、もしや『生徒会』にまで……。

 春兎はそこまで考えて首を緩く左右に振った。流石にそこまで間違えはしないだろうと。

 実際はその通りだったのだが。春兎は暫く黙って、涙たちの様子を眺めていたが、その内、立ち入る隙が見えないのを知ると、踵を返し歩き出した。

 女児は小首を傾げながら彼の後を追った。


 冒頭に戻ると、こんな風に彼は自ら情報を手に入れることを断念したのだ。

(とりあえず、コイツを施設に戻してやらねぇとな……)

 数十分前の過去を切り捨てるように頭を振って、和泉市街の端の方へ戻っていると、丁度向かい側から、黒いローブに鎌を持った集団が青い制服を着た警官たちを引き連れて歩いてくるじゃないか。

「おい、ニィ! 見ろよ、お前の仲間だろ? 迎えに来てんじゃん! よかったな!」

 春兎はその集団を指して、少女を振り向いた。少女は、春兎が指した方を向く。

 実際、迎えに来る為だけに、二十人も居るのはおかしいと頭の隅の方では考えていた。だが、どうであれ歩いてくる集団が彼女の仲間であることは間違いないだろう。

 橙色の髪に黒いローブがその証拠だ。集団の中、一人の女性が立ち止まる。明らかにその視線は少女を見ているようだった。

「ほら、こっち見てんじゃん。行ってこいよ」

 春兎は軽く、彼女の背を押す。顔つきが似ていることからすぐに親子なのだろうと確信した。待ってくれている存在があるというのはどんなに羨ましいことだろう。

 少女もまた、集団の中にある女性へ視線を返しているようだった。春兎は少女に背を向け、「元気でな」と手を振る。焼き鳥を売っている屋台の隣を通って路地に入った。無論、肉の匂いに誘惑されそうになりつつ。

 良かった。これで次はもう迷子にならないだろう。

 暗がりの路地を歩いていると、ふと空が鳴いた。池之町に足を下した時にも聞いた、空を叩くような大きな音が響く。春兎は、路地を抜けて開けた道へ出た時に、空を見上げた。花が咲いている。大きな花だった。間抜けに口を開けて、春兎は立ち竦む。

「アヒャッ」

 後ろから笑い声が。火花の咲く音に掻き消されて彼女の足音が聞こえなかった。

 春兎は少女を振り向く。『死神』は、春兎と彼の背後で咲く綺麗な花を見て、笑っていた。

 人差し指を火花に向けて飛び跳ねる。それは年相応の行動のようにも見えた。だけど、少女は子供の皮を被っているだけで子供ではないと春兎は感じた。春兎は屈んで彼女の小さな肩を両手で掴む。女児は目を丸くして、飛ぶのをやめて、花よりも春兎へ目を向けた。

 少女は気付いていない。春兎が己の取る行動に時折背筋を震わせていることを。

「なんで戻ってきたんだ」

 疑問をぶつけたところで、言葉の通じない彼女には何も伝わらない。

 彼女はきょとんとしたまま、何も言わない。何も返してくれやしない。

「仲間が、居ただろ? さっき、見ただろ? なんで俺のとこに来るんだよ。違うだろ……、お前、何がしたいんだよ」

 自信がなくなっていく。春兎は彼女が迷子になったから、自分の元へ来たのだと思っていた。

 なら、仲間の元へ、施設へ戻してやればそれで彼女は満足してくれると思っていたのだ。ただ、そうではなかった。

 彼女は、本来なら帰りたいはずの仲間の元へは戻らずに、春兎の後をついてきたのだから。

 途端に何も分からなくなる。

 人の気持ちを汲み取る事に自信のない春兎AIからして、今、目の前にいる彼女は、本当に真っ白だった。話も通じない為知る術がない。彼女は『死神』で自分と同じではなく、何処から来たかも分からないのだ。春兎は困った。

「あ、」と彼女は急に口を開いた。春兎は彼女の口元から何かをつかみ取ろうと必死になり耳を澄ます。

「あ、ぃ、がと」

 拙い言葉だった。それでも普通の人間なら、もしかしてと気付いてくれるものだった。

 ただ、それは普通の人間なら、だ。

 春兎は彼女の発したこの言葉を上手く認識できなかった。

「あい?」

 更に首を傾げた春兎を見て少女はもう一度口を開こうとしたが、それより一寸早く春兎が立ち上がってしまった。

 一つだけ、分かったことがあったからだ。春兎は後頭部を搔き毟り唸る。

「あい、ってなんだよ」

 きっと、彼女は自分に何かを伝えたいのだ。それを伝えられるまでは、仲間の元へは戻れないのだと。

 三球、球投げで遊んでやればなんて、当初は考えていたが、そもそも会話の成り立たない彼女のことだから、本当に三球という言葉がこちらで言う球投げの三球であるかなんて分からないのと、同じように。彼女の発した「あい」が、「愛」である確証は何処にもないのだ。

「でもコレが分かったら、俺も少しは近づけるかもしんねぇ」

 漠然と、もし真っ白で何も見えない彼女の心の内が分かったら、そして分かったことを彼女に伝えることが出来たのなら、きっと理想の人間へ近づけるはずなのだ。

 春兎は、少女の小さな手のひらを己の手で包み込む。彼女は驚いて口を開いた。

 ただ、嫌がっている顔ではない、泣きそうな顔でもない。春兎はそれを確認すると、何も言わずに、閑静とした街を歩く。言っても今は何も伝えられないからだ。ただ、伝えられるまでは彼女に付き合おうと決めた。

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