癒し癒され
「つ……かれたあ」
玄関のドアを閉めるなり溜め息が落ちる。
今日も元気な悪餓鬼天使たちは傍若無人の暴れ様だった。奴らは今、水着を脱がせた俺にカンチョーをかましたいという恐ろしい野望に燃えている。脱がす組とかます組の二手に分かれてやる気満々だ。あんなもんは服の上からやるから怒りつつもシャレで済ませられるのだ。剥き身で挑むなんてどうかしている。やられた俺も立ち直れないが、やった方も相応のダメージを受けると何故気づかない。
そんなこんなで教室の間中気が抜けず、フロアに出てからも短パンごと引き摺り下ろそうとするので本当に疲れた。まあまあな貞操の危機なのに抵抗も許されないなんて理不尽すぎる。
バタバタと靴を脱ぎ、部屋の隅に荷物を放ってベッドに転がる。大の字になって天井を見上げること暫し。以前なら憂さ晴らしにちびちびやりながら適当なつまみで腹を誤魔化して寝ていたものだが。
「おっさーん」
呼び掛けると腹の上にぽんとおっさんが現れる。
「お帰り、渚くん」
にへらっと笑われると釣られてこっちも笑ってしまうだろう。
「ただいま。今日も疲れたわ」
「お疲れさまー」
おっさんがぽんぽんと叩くので、俺の腹がぐうと鳴る。そうしたらまるでそれに応えるようにおっさんの腹がぐううっと鳴るのだ。
「腹減ったな」
「ぐううううぅぅぅ」
おっさんの腹が威勢好く応える。
「弁当でも買いに行くか」
「おおぉー!」
ここで何か気の利いたものでも作れればいいのだろうが、生憎俺に料理のスキルは無い。それに、ほか弁屋はこの頃のおっさんのトキメキスポットだ。
おっさんは意気揚々と俺のジャージのポケットに乗り込んで、嬉しそうにゴーサインを出した。
🍱
明かりに照らされたショーケースに旨そうな弁当が並ぶ。まあ、それは食品サンプルなんだが。近頃の精巧さは半端ないだろう? おっさんのヨダレを滝と流れさせるには十分な訳だ。
「ぉぉぉぉぉー」
一度叱って騒ぐようなら連れて来ないと諭しているから、おっさんの声は小さい。融よりよっぽど物覚えが好くてなによりだ。あいつは未だに時と場所を考えない声量だからな。
「さあ。何にしようか?」
独り言に聞こえなくもない科白でおっさんに話し掛ける。ポケットから身を乗り出したおっさんは瞳をキラッキラさせてショーケースに釘付けだ。
「この前の唐揚げも美味しかったけど、トンカツも何だか気になるんだよねえ」
小声で応えるおっさんはショーケースが盾になって店員のおばちゃんからは見えない筈だ。
「じゃあ、唐揚げ弁当とトンカツ弁当、ひとつずつ」
「えっ!」
「えっと。あと、そこのカップ味噌汁をひとつ」
おっさんが大声を上げるので要らない味噌汁まで買う羽目になった。まあいいか。汁物もたまにはいいかもしれない。
「唐揚げ弁当とトンカツ弁当ね。お味噌汁はひとつでいいのかい?」
「あー。俺、独り者なので」
「一人で二個もお弁当食べるのかい」
おばちゃん、妙なとこに突っ込んでくるな。
「この前、一個じゃちょっと足りなくて」
へらっと笑うと、おばちゃんは嬉しそうに笑顔を返してくれる。
「そうかい。若い子はもりもり食べて気持ちが好いねえ! よっし。コロッケひとつサービスしてあげよう」
そう言っていそいそと厨房に入っていった。
「渚くん。コロッケって美味しいの?」
この店はおばちゃんが一人で回しているらしく、調理に入ると店先は無人になる。端っこに置かれた丸椅子に腰を下ろしておっさんを膝に乗せた。
「旨いよ。揚げたてが特にいい」
「じゃあ、急いで帰らなきゃ!」
厨房から漂ってきた匂いにおっさんは益々瞳を輝かせる。
「楽しみだなー。おじさんの分もお弁当買ってくれたんだよね。嬉しいな。渚くんに会ってからいいことばっかりだよ」
おっさんは俺を見上げて笑った。
それはこっちの科白だ、おっさん。
おっさんに出会ってから、嫌なことがあってもこうして笑えるようになった。独りで酒を嘗めてもこんなに癒されはしない。
「「ありがとう」」
二人の声が重なって。
厨房のおばちゃんに聞こえないように小さく笑い合った。
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