第23話 七章 トレメル村の消滅と現在 その4

 トレメル村消滅の経緯は以上である。


 スライムの被害も甚大ではあったが、村に壊滅的な被害を与えたのは人間であり、住めなくしたのは人間が撒いた毒によるものだ。ではなぜ『スライムによって滅びた村』などというレッテルが貼られることになったのか。慰霊碑が発見された直後、新聞やラジオといったメディアはこぞってかつてのトレメル村事件を取り上げた。当時は研究がまだ進んでおらず、判明していない事実もあったが、おおむね正確に事実を伝えていた。

 誤解が広がったのは小説家と子供のためだ。

 子供というのは無責任なものだ。複雑な事情を知らず、聞きかじった話を適当に盛り上げるために憶測や想像を交えて友達と話す。その友達がまた別の友達にさらに噂に尾ひれがつき、その噂にまた尾ひれがつく。結果、出来上がったのは『都市伝説』という名前のデマである。

 噂話で語られている出来事と事実とを比べると次のようになる。


・スライムは召喚術の失敗で出てきた。

 →召喚士とスライムは無関係。


・スライムなんか聖塩かければ平気。

 →聖塩が発明されたのは事件より十三年後。


・スライムはしょぼい魔物。

 →対応や対策が発見されたのは後年のこと。当時は通常の魔物と同じ認識だった。


・スライムに襲われてものんきに祭りを続けた。

 →発見された段階で中止を決めている。


・スライムをどうやって退治するか何時間も話し合っていた。

 →話し合っていたのは長く見積もっても三十分程度。


・スライムに食われて全滅した。

 →全滅などしてない。生き残った者も大勢いる。


・被害者は百五十六人。

 →被害者は三十八人。


・異変をかぎつけたふもとの村人たちがかけつけると山のように巨大なスライムが居座っていた。

 →駆けつけたのは州軍である。山のように巨大なスライムなどどの目撃証言にも出てこない。


・事件の詳細はわかっていない。

 →コルネリウス准尉の聞き取り調査をはじめ、多数の目撃証言がある。


 よくもまあ、これだけ間違いを犯せたものだと呆れるばかりである。

 正確なものと言えば事件の起こった日と人名くらいなものだ。


 誤解が広まったもう一つの要因は小説家である。三章で挙げたエンリコ・ヴォッシュは著書『山津波』で魔術師の召喚説を広めた張本人だが、誤解を広めたのは彼だけではない。

 アマデオ・プレートのミステリー小説『死と戯れる』では、『聖タラレク村事件』という架空の事件が物語の重要な要因を担っている。当然、被害者の名称や場所も全く異なるのだが、読めば『トレメル村事件』がモチーフになっていることは容易に想像できる。コルネリウスの報告書から引き写したような記述も見られる。書いたものに責任を取る限り、小説家が何を題材にしようと自由だ。問題はこの小説が大ヒットして、舞台やラジオドラマなど別のメディアにも広まったことであろう。認知度の高さはそれ自体が影響力の高さとなりうる。つまり『聖タラレク村事件』という架空の事件が現実に起きた事件と重ねあわされてしまった。『トレメル村事件』と『聖タラレク村事件』とがイコールになってしまったのだ。先程の都市伝説に出てきた被害者数や山のようなスライムの描写も『死と戯れる』に出てきた描写である。この件について『フンボルト・タイムズ』の記者がアマデオ・プレートに取材を申し入れたところ、次のような返事が来たという。

「私は『聖タラレク村事件』が『トレメル村事件』そのままだとは一言も書いていない。読者には小説は小説、事実は事実と割り切ってほしい」


 『トレメル村事件』への誤解を広めた、もう一つの創作物がオリーヴィア・リチウスのホラー小説『首くくりの少女』であろう。無念に殺された少女の怨念がスライムとなって閉鎖された村に襲い掛かり、一人また一人と犠牲になっていくストーリーである。こちらも当然、固有名詞や時期、場所などは変更されている。『トレメル村事件』を題材にこそしているが、やはり純粋な創作物である。ただ『死と戯れる』と違い、リアリティを追求したためか真に迫る描写が非常に多い。実際、リチウスは被害者の数名(誰なのか問い合わせたが、ノーコメントとの返事が返ってきた)に取材し、スライムの脅威を耳にしている。旧トレメル村の跡地にも赴いたという。こちらも舞台やラジオドラマで放送され、当時は大反響を巻き起こした。

 繰り返すが『首くくりの少女』もあくまでフィクションである。最後は村自体が全滅して物語は終わるのだが、トレメル村が全滅したという誤解はここから広まったものと思われる。現実とフィクションをごっちゃにしてはいけない。

 ここまでなら無責任な噂話と笑って済ませることができるかもしれないが、これを事実として語られればまた話は違う。ローター・ベームなる人物が一八八二年に発表した『各地の知られざる都市伝説』(トルヴィル出版社)では世間の都市伝説をそのままに紹介している。悪質なのは、自分たちに都合の良い事実ばかりを並べ立て、不利な事実(報告書や目撃証言)を全てなかったことにしている点である。センセーショナルに発表されたこの本は、三万部を超えるヒットとなった。

 あまりのひどさにイングベルト・サフチェンコ氏が名誉毀損でローター・ベームを告訴している。彼は最後の村長スヴェンの孫に当たる人物である。その際、判明したのは、ローター・ベームの正体は当時十七歳の少年だった。裁判で判明したところによると、彼は全て噂話や都市伝説のみを情報源としており、コルネリウスの報告書すら読んでいなかったという。名誉毀損は被告との間で和解が成立し、不起訴処分となった。

 少年は後年、神父による性的暴行事件の『被害者』を誹謗中傷した件で逮捕されている。


 トレメル村の惨劇以後も時間は流れ続ける。時代は劇的に変わった。

 一八二五年の戸籍法の大規模な改正が行われ、軍属以外の市民階層にも姓を名乗ることが許されるようになった。

 魔法は新たな革命を迎えた。一部の魔法使いや好事家の小道具に過ぎなかった、魔法道具は一般の庶民にも広く普及するようになった。

 同時に魔物の研究も進んだ。スライムの研究者も増え、いかにして人体を溶かすかが判明した。吸血鬼がいかにして血を吸い、眷属を増やすかのメカニズムも解明された。原理が解明されれば対策も進む。グラチウムに対する防御も進み、それを塗りさえすればスライムに触れられても皮膚を傷めたり取り込まれたり消化されずに済むようになった。

 吸血鬼も際限なく増やす不死者の王から血を吸うだけの巨大蚊のような小物と成りはてた。

 どちらも現在ではさして恐ろしくない魔物という認識がされており、またキャラクターによりむしろ愛される魔物というイメージも定着している。

 だが、恐れるに足りない魔物になったのは、魔物の研究が進んだ結果であり、魔科学が進み、対応策を講じられるようになったからだ。

 いずれもここ数十年ばかりの話なのである。トレメル村の事件が記憶に残ったのは、魔物被害の減少もある。事件当時ですら珍しかった、「魔物による大量殺人」は時代を経てよりセンセーショナルな出来事としてとらえられた。それだけのことだ。

 そんなイメージしか知らない人たちがよく調べもせず、飼い慣らされたイメージで当時を語れば齟齬が出るのは当たり前である。一言で言えば無知なのだが、問題は無知のまま広めたイメージが一般化しつつあることだ。

 その上、当時のことを知るはずの人々まで現在のイメージで語ろうとする。

 四年前、フンボルト・タイムズの読者投稿欄にて「スライムなんて全然怖くない。あんなのただのぶよぶよとした水のかたまりだ。俺が子供の頃は良くエサやって遊んだものだ」とインタビューで嬉々と話す老人の話を読んだ。

 嘘を言っていると非難するつもりはない。だが、老人の年齢(生きていれば現在八十五歳になる)からすればトレメル村の事件のことは知っているはずだが、何故か全く触れていない。

 スライムの被害はトレメル村だけではない。不用意にスライムに近づいてケガをした子供の話など珍しくはなかった。フェルグ聖国だけでも当時、年間百人近い人がケガをしている。当然死者も出ている。うち七割近くが十歳未満の子供だった。

 ご本人に直接インタビューすることはかなわなかったが、記事には年齢とリングルト村の出身との記載があった。それを元にスライムの事件発生記録を調べてみた。

 一八一六年頃のスライムによる死亡事故は、年間三・四七人。全国のほぼ平均値であった。記録に残っているだけでも老人が五歳と七歳と十一歳の時に同じ年頃の少年少女が死亡している。それ以外にも、皮膚を火傷したり重傷を負ったりと被害は頻繁に出ていた。老人の周りで偶然少ないのかと思ったが、そうではないようだ。いずれにせよ老人の思い出を鵜呑みにするのは危険である。死んだ人間の体験談は残らないものだ。

 

 昨年夏の暑い日、筆者はトレメル村の跡に赴いた。ふもとのクレムラート村から近くまで車で一時間。ティムが駆け下りた道も広げられ、整然と舗装されている。車道には五フート置きに街灯が立っている。かつては縄バシゴのような吊り橋も今では頑丈な橋に付け替えられ、二車線の道路が南トレメル谷の上を通っている。

 車内から谷を見下ろすと、切り立った断崖が広がっていた。

 下には水の少ない川が流れている。

 筆者には同行者がいた。正確には彼が帰還者であり、筆者こそが同行者と言うべきだろう。エーリッヒ・カウフマン氏である。御年八十七歳になる氏より「もう一度村のあった場所を見てみたい」という申し出があったので今回、実現の運びとなった。


「そこの谷はね、昔はあがらず谷といったんですよ」

 車内から氏が谷を指さして教えてくれた。

「水が多くてね。落ちたらね、わーっていう悲鳴も消えて死体も上がらなかったからあがらず谷と言いまして」

 死体が上がらないというのはただの伝説である。事実、歴史を紐解けば何度か死体も発見されている。だが、そういう伝説が残るのも無理はない、と思わせてくれるほどに深い谷ではあった。急な崖に挟まれ、日中だというのに底はインクでも溶かしたように薄暗い。

 ふもとの中腹あたりまで来ると、道はなくなり急な斜面に申し訳程度の階段が続いている。運動不足気味の体にムチを打ちつつ、給水しながら歩くことさらに一時間。休憩を挟みながら丘を越えて、細い階段を上りきるとそこが旧トレメル村である。

 空には雲も少なく、強くまばゆい日差しが肌や瞳を焦がそうとしている。にもかかわらず、私たちの頭上は黒い影で覆われ、耳を聾するばかりの轟音が断続的に鳴り響いていた。高速道路である。

 一度は調査のために工事は中断されたが、一年後に工事は再開された。目の前には巨大な柱が立てられ、頭上のハイウェイを支えている。柱のすぐ側には掘り返された慰霊碑が据え置かれている。傍らにはトレメル村事件のことを書いた看板が立っている。事件を風化させたくない、と、エーリッヒ氏が州に働きかけて実現したものだ。

 見回しても整地された柱の周りには藪や木々が広がるばかりだ。村があったという面影は見当たらない。

 それでも、氏は今でもはっきりと思い出せるという。

「この柱が立っている辺りがねえ、教会でしたよ」

 柱を見上げながらなつかしそうにつぶやく。

「だからスライムが来たのはちょうどあっちの辺りだねえ」

 氏が指さした先は、青々とした草むらだった。風にたなびき、近づくと草いきれの臭いがした。スライムの侵入を防いでいた塀も北門も影も形もない。

 氏は草むらをかき分ける。

 わずかに草の生え際が薄いあたりを指さす。

「この辺りがねえ、板塀の建っていたところですね」

 ――その時はどの辺りに?

「私がいたのは広場の端っこでね。肉かじっていたから、この辺かな」

 指さした先には小さな岩が転がっている。腰掛けるには十分な高さだ。

 ――その時もこの岩が?

「いや、あの時は地べたに座ってねえ。ハリーと一緒に白いパン食っていたよ」

 ハリーはきこりの息子である。事件後は村にとどまり、村が消滅した後はヴィルッダ州でパン職人に弟子入りした。

 氏は岩に腰掛けると、ため息をついてかつての故郷を見渡した。

「すっきりしちゃったねえ」

 ふと懐かしむような遠い目をした。

 エーリッヒ・カウフマン氏は隣国の侵攻によって村を追われた後、家族とともに親戚を頼ってフンボルト州の南にあるネルテ村に移住した。そこで山を開墾しながら酪農を始めた。十八歳の頃、村の仲間と山に山菜を採りに行った時に熊と遭遇した。熊との距離はおよそ一〇フート(約十六メートル)、熊の脚なら一足飛びである。仲間が腰を抜かし、背を向けて逃げ出そうとする中、彼は冷静に対応した。近くの岩場に上ると持っていたまさかりを大きく振り上げ、遠吠えのような声を上げた。猟師から聞いていた、熊と出くわした時の対処法である。自分を大きく見せた上で、威嚇するのだ。熊はしばらくエーリッヒ氏を見た後、くるりと背を向けて森の中に消えていった。それ以来、村の中でも一目置かれるようになったという。

「スライムに食われるような奴なんてねえ、全然怖くないね」

 ――怖くない、ですか?

「爪があろうが、牙があろうがねえ。溶かされるわけじゃないじゃない」

 しわだらけの笑みには修羅場を乗り越えた者特有のはふてぶてしさが見て取れた。

 時として困難は人を強くする。エーリッヒ氏をはじめトレメル村の人たちは多くの災難に見舞われてきた。魔物に襲われて親しい者を失い、軍隊に村を荒らされ、故郷を失うことになった。亡くなった方も多い。それでも、生きることをあきらめなかった。災厄の泥から這い上がってきた。人の強さは不定形の魔物にも溶かせるものではない。


 トレメル村の事件以後、スライムという魔物を取り巻く環境は大きく変わった。

 人体を溶かす消化酵素が解明され、酵素死亡者数は毎年減少傾向にある。また近年の開発により発生件数自体も減っている。

 現在では最盛期の二割にまで激減した。

 スライムの研究は新たな段階へと移り始めている。グラチウムにより吸収のメカニズムが、複数の魔物合成に役立つと新たな合成魔獣キメラの製造に役立っている。また、スライムから精製した成分から作った胃腸薬が話題になったのは記憶に新しい。薬物再生能力を生かした人体再生術も研究が始まったばかりだ。

 恐怖の魔物から雑魚へと移り変わり、人間に役立つ『益獣』として見直されている。近年では別の見方も出てきた。ロイ・シュトレーゼマンのグラフィックノベル『スラ』や、昨年大ヒットしたスライムの双子『ウービー』『グラ』など創作物の影響からキャラクター商品も続々登場している。

 スライムの印象は大きく変わった。

 スライムは今や愛される魔物。人に役立つ魔物。

 だが、スライムそのものは何一つ変わっていない。本能の赴くままに獲物を溶かし、消化し、分裂する。それを忘れればまた同じ悲劇は繰り返されるだろう。無知と誤解と偏見はいつだって人を迷わせる。


 災厄の汚泥はすぐそこにある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る