第21話 七章 トレメル村の消滅と現在 その2


 ――お祖父様はトレメル村の事件について何と?

「ろくに語りませんでした。地元の話ですからね、やっぱり例の事件の話って出てくるんですよ。そうすると当然祖父の話になりますよね。エッカルトのおじいさんもまだ生きていましたから。それで私がその話をするとね、いやな顔をするんですよ」

 ――怒られたのですか?

「おじいさんは全く怒るとか怒鳴るとか全然しませんでしたね。優しい物静かな人でしたよ。怒るのはもっぱらおばあさんの方でしたね」

 事件より三年後、ティムはリアという娘と結婚した。リアの父親は村の金物細工の工房を経営しており、リアはその一人娘である。

 気の強い娘だったという。ティムの気持ち云々ではなく、リアの方が押しの強さで強引に婿入りさせたというのが真相のようだ。

 婿入りしたティムは手先が器用で、細工仕事も飲み込みが早かった。むしろリアの父親の方が婿に惚れ込んでいた。

 その後、ティムは二人の娘に恵まれ、長女の方が婿を取って後を継いだ。トルーデ氏はその長女にあたる。実家の工房は現在、トルーデ氏の父親が三代目として経営を続けている。トルーデ氏の弟がその後を継ぐべく修行中だという。

 ここで話を先程の質問に戻す。

 ――怖いというのは、スライムが、ですか? それとも村の人たちの非難ですか?

 ティムに向けられたのは賞賛ばかりではない。英雄扱いされたことへの嫉妬や一人だけ村を離れ、逃げたとののしる者もいた。クンツの父親である。

「事件のことで見殺しにしたと気に病んでいたようでした」

 ――しかし、そういう人ばかりでもなかったと思いますが。

 スライムの大量発生はティムの責任ではない。実際、ティムがふもとの村へ駆け込まなければ、もっと大勢の死人が出ていただろう。間違いなく、賞賛の声の方が多かったはずだ。

「私も詳しくは聞きませんでした。家の中でも聞いてはいけないような空気があったので。ただ、私が五歳か六歳くらいの頃に祖父がぽつりと言ったことがあるんです。『別に助けを呼びに行くつもりなんかなかったんだ』と」

 ――それは、逃げた先がたまたまクレムラート村だった、ということですか?

 ティムが気弱な性格であったことは既に語ったとおりである。村の中でもどちらかと言えば軽んじられていた少年である。それ故、夜中に山道を駆け下りたのも走り続けたのも英雄的な行為ではなく、臆病さ故の逃走の果てにふもとの村までたどり着いたのだと筆者は考えていた。

 するとトルーデ氏は首を左右に振った。

「いえ、むしろ助かるつもりもなかったのかな、と」

 これはさすがに意表を突かれた。

 ――助けを呼ぶつもりも助かるつもりもなく、どうしてふもとの村まで走り続けたのでしょうか。

「おそらく祖父は、失敗したんだと思うんです」

 ――失敗、ですか?

「祖父は多分、自分がおとりになってスライムを引きつけようとしたんだと思うんです。あの時、まだクンツさんでしたか? は生きていたわけですから」

 ――しかし、現実にティムはスライムの一番少ないルートをたどってふもとまでたどり着いています。

「ですから失敗なんです。本当はおとりになるつもりで、自分が祖父は足をやられてケガをしていましたから、遠くには逃げられない。だから少しでも引きつけてほかの者が逃れるために時間を稼ごうとした。ところが、夜道だったからか道を間違えてしまった。引き返そうにも途中で戻れなくなってしまった」

 ――熊、ですね。

 ティムも熊に見つかり追いかけられた、と証言している。

「そこで仕方なく、ふもとの村まで駆け下りて助けを呼んだ。そんなところだったんじゃあないかな、と」

 少年はなけなしの勇気を振り絞り、自らの身を犠牲にして仲間を助けようとした。ところが皮肉にも四人中生き残ったのは自分だけだった。

「おじいさんは大きな犠牲を払ったのに目的を果たせず、おめおめと生き延びてしまった。まるで敗残兵みたいに。だから英雄だなんて誇るつもりにはなれなかったんでしょうね」

 そこでトルーデ氏は部屋の棚から布包みを取り出した。細長く、半フート(約三十センチ)以上はある。大事そうに抱えると慎重な手つきでテーブルの上に置いた。そしてゆっくりと包みをほどいた。中から出てきたものに筆者は一瞬、息を詰まらせた。


 木製の、義足である。


 ティムの右足は事件の後も治らなかった。傷だらけの足で夜通し走ったせいか、化膿していた。二か月経ってほかの箇所は全快したが右足だけは治りは悪く、ついには壊死し始めたため、医師によって膝下から切除された。

 トルーデ氏の許可を得て、義足に触らせてもらった。

 ティムが義足だというのは事前に調べていたが、実物を見るのは初めてだった。木目の浮いた表面には防腐剤が塗られており、つるつるしていた。

 風刺画の海賊のように棒状のものとは違い、目の前の義足は足首もあり、わずかではあるが間接も動くようになっている。六十年以上前の技術としてはおそろしく精巧に出来ていた。実際歩きやすいものだったらしく、トルーデ氏によれば、遠目から見れば義足には見えなかったという。当然作るのも高額だったろう。到底炭焼き小屋の息子に払える金額ではない。

 作らせたのは当時の州知事である。知事は勇敢な英雄のことを忘れていなかった。

 ティムが片足になったと聞いた知事は、ポケットマネーで当時国でも有数の義手義足作りの名人だったゴルドーをわざわざ呼び寄せて作らせたのだ。製鉄会社の社長でもあったからこその芸当だろう。当時は国でも有数の鉄工所を持っている一大企業だった。

 ――これが、名人が作ったという義足ですか?

「実を言うと、これ二代目なんです」

 トルーデ氏は苦笑した。

「知事からいただいたのはおじいさんが四十歳の時に壊れてしまって。これはおじいさんが自分で作ったんです」

 ――ご自分で、ですか? 

「初代を参考に作ったそうです。ええ、図面もありません。『長年のつきあいだからだいだいの作りはわかっている』と」

 ――初代はどうなったんですか?

「おじいさんと一緒に棺桶の中です。本当はこれも、棺桶に入れるつもりだったんです。でも私がわがままを言って残してもらいました」

 ――それは、やはり今のご職業と関係があるのでしょうか?

「ええ。リハビリの仕事に就いたのもやはり足の不自由だった祖父を見てきたからだと思います。こんなすごいものをお墓の下に入れるのはやはりもったいないかな、と」

 ――お仕事は大変ですか?

「そりゃあもう。医者は無茶言うし、患者さんは言うこと聞きませんし」

 トルーデ氏の不平不満はしばらく続いたが、言葉とは裏腹に鬱屈としたものを感じなかった。代わりに見えたのは仕事に誇りとやりがいを感じている者の芯の強さだ。

 ひとしきり愚痴を聞き終わった後、筆者は最後の質問をぶつけてみた。

 ――あなたはトレメル村の事件についてどう思われますか?

 事件より以前、ティムとリアとの間には何のつながりもなかった。生活範囲も離れていたし、共通の知人もいなかった。顔くらいはお互い知っていたかも知れないが、せいぜい、挨拶をした程度だろう。スライムが大量発生しなければ、祖父母が結ばれる可能性は低かったはずだ。

 トルーデ氏はしばし首をひねった後、ぽつりと言った。

「目印、ですかね」

 トルーデ氏の返事は予想外なものだった。

「特別な事件が起きた時ってたいてい何々しなければ、とかもう少し何々していれば、とか色々言うじゃないですか。後からヨソから。でも、そういうのってたいてい無駄なんですよね」

 ――再発防止という意味では、過去の検証は意味のあることだとと思いますが。

「そういう意味のあることじゃなくって、無駄な仮定の方ですね。愚痴というか意味のない繰り言ですよ。だって、そんなこと言い出したら流産とか堕胎とか、生まれてこなかった命とか、この世に現れるチャンスを逃した命だって星の数より多いわけですよ。スライムだけが特別なわけじゃありません。第一、今更スライムに火をくべちゃいけないなんてトレメル村の人たちに注意できるわけじゃないですよね」

 後の祭りですよ、と冗談めかした口調で言った。トルーデ氏はそこで言葉を句切りお茶を口に含んだ。

「私なんかは、言ってみればスライムが村に来たおかげで生まれてきたわけですよね。でも、逆にスライムが来たせいで生まれることなく消えた命だってあるわけじゃないですか。食べられた人たちはもちろん、本当だったら結ばれるはずの二人が結ばれずに、子供が生まれてこなかった、とか。でも、今現実に私はここにいるわけですよ」

 そこでトルーデ氏は、ぽんと手のひらを自身の胸に当てて見せた。

「もし意味があるというのなら、私がほかの人の代わりに生まれてきたんだと再確認するための目印にはちょうどいいってことですか」

 筆者は目印という意味をようやく飲み込むことができた。

 トレメル村の事件が特別ではない。自然界では多くの命が生まれ消えていく。魚は数万の卵を産むが、無事大人になれるのは一パーセントにも満たない。

 この世に生まれてきたことはそれだけで価値がある。全てが必然であり偶然なのだ。

「第一、イヤじゃないですか。コウノトリがスライムだなんて」

 トルーデ氏は白い歯を見せて笑った。つられて筆者も笑ってしまった。

 ――本日はありがとうございました。お仕事頑張ってください。


 二人以外にも村を離れる者もいた。モニカは夫のロニーを失い、二歳の娘を連れて親類のいるプルダリッチ村へと引っ越した。

 だが、大半の村人たちは村に残り続けた。

 現在と違い、インフラも未発達で別の土地に移り住むというのは大変なことだった。スライムの洗浄が済むと、壊れた家屋は修繕したし、焼け落ちた家屋は村人総出で再建に当たった。農家のラルフは全焼した元の家と同じ場所に新しい家を立て直し、スライムの這いずり回った畑を耕した。セーラは我が子ユーリを溶かされた家にそのまま住み続けた。


 事件より一月後、消失したドミニク神父に代わり、六十二歳のロドリコ神父が派遣された。当時では職を退いていてもおかしくない高齢である。事実、ロドリコ神父は腰を痛めており、神父の職を後任に譲りたい旨を教団のフンボルト州支部に打診していた。教団にとっても急な人事だったらしく、引退寸前の老人を引っ張り出してきたようだ。明らかな貧乏くじではあるが、彼が権力闘争とは無縁の好人物だったせいも否めない。

 教会は壁が焦げついている以外にさしたる損壊もなかった。赴任した翌日に、被害者たちの合同葬儀が執り行われた。蒸し暑い日だったという。

 三十八の棺が村の外に並べられた。トレメル村には専門の棺桶職人はおらず、故人が出ると、大工が寸法を合わせて棺を作るのが慣習であった。だが、同時に大量の棺桶を作るのは初めてだった。数をそろえねばならず、その上肝心の大工も家の再建に手を取られていたために作業の多くを木こりや猟師の中から無事な者が担当した。そのため、遺族の思いとは裏腹に棺桶にはいくつもの粗が目立った。棺桶は横から釘がはみ出ていた。

 ニコラスの棺桶は父親のケヴィンが作り上げた。木の切り出しから木材の加工、釘打ちまでほとんどの作業を一人で担当した。できあがった棺桶はニコラスより頭一つ分は小さなものだったという。それをバルトが指摘すると、彼はむっつりした顔で言った。

「魂だけになったのなら寸法など気にすることもあるまい」

 葬儀は粛々と行われた。一ヶ月では事件の傷もまだ生々しく、号泣する声がそこかしこから聞こえた。

「こんなことしてなんになるんだって思ったよ」

 エーリッヒ氏は当時の様子を悔しそうにそう振り返る。

「全部あいつらの腹の中じゃないかってね」

 棺桶は葬儀後に墓地に運ばれ、なきがらのない棺桶は共同墓地に埋められた。

 最終的な死者・行方不明者は以下の通りである。


 クンツ 北門前の森にてスライムに襲われて死亡

 ジムソン 北門前の森にてスライムに襲われて死亡

 モリッツ 北門前の森にてスライムに襲われて死亡

 アントン スライム暴発時に食われて死亡

 ウーツ  スライム暴発時に食われて死亡

 トミー スライム暴発時に食われて死亡

 マイク スライム暴発時に食われて死亡

 ヘクトール スライム暴発時に食われて死亡。

 村長(ベルトラム) 教会近くで囲まれて死亡

 ドミニク神父 スライムに追いかけられて教会の裏手で行方不明

 マルセル 南門近くでスライムに襲われて死亡

 ボッツ 南門近くでスライムに襲われて死亡

 ホラント ふもとへ助けを呼びに行く途中クマに襲われ死亡

 マルコ ふもとへ助けを呼びに行く途中崖から転落死

 アルミン スライム暴発時に畑で食われて死亡

 ユーリ スライム暴発時に自宅に逃げ込んだところで死亡

 リリー 井戸の中に逃げ込んだところをスライムにのしかかられて死亡

 ラモーナ 木の上でスライムに捕まり死亡

 チャールズ 行方不明(詳しい状況は不明)

 ヤナ 行方不明(詳しい状況は不明)

 ライムント 行方不明((詳しい状況は不明)

 ブルクハルト ウーツ家の二階で立てこもるも力尽きて死亡

 ロニー 北の森でスライムに襲われて死亡

 ヤン 北の森でスライムに襲われて死亡

 カール(ヴィオラの父) 行方不明の娘を探してスライムに襲われて死亡

 マグダ(ヴィオラの母) 行方不明の娘を探してスライムに襲われて死亡

 コルネール 死亡(詳しい状況は不明)

 ウルスラ 死亡(詳しい状況は不明)

 マルセル 崖より転落死

 オラフ 南門近くの櫓で抵抗するも力尽きて死亡

 ペッツ 南門近くの櫓で抵抗するも力尽きて死亡

 リヒャルト 南門近くの櫓で抵抗するも力尽きて死亡

 マルティナ 死亡(詳しい状況は不明)

 カスパル 死亡(詳しい状況は不明)

 ジャコモ 死亡(詳しい状況は不明)

 ニコラス 死亡(詳しい状況は不明)

 マリク 死亡(詳しい状況は不明)

 ワンダ 事件後、木の上で死体となって発見


 葬儀も終わり、本格的な村の再建が始まった。スヴェンが正式に村長に就任すると、村の復興に向けて精力的に乗り出した。魔物災害被災地域として州に補助金を申請し、世帯ごとに十五万マルトが支給するよう働きかけた。また被害が拡大した原因の一つが連絡の遅れとして、トレメル山系の村で初めて電話線が開通した。また無医村であったトレメル村に診療所を作ってもらえるよう、州政府へ申請している。

 一方でスヴェンが力を注いだのは産業復興である。塀に使われていたラトリスやゾルフを積極的に売り出せないか州に相談を持ちかけていた。

 正式な記録は残っていないが、エーリッヒ氏らの証言によるとスライムにも耐え抜いた樹として魔物災害に悩まされている地域への販売を考えていたらしい。ゆくゆくは森を開き、材木業の発展を視野に入れていたようだ。

 フンボルト州も魔物対策の指導を行った。魔物対策課の役人を派遣し、もしまたスライムが発生した場合の対処法などの講習会を開いた。さらにトレメル村の税率を五年間、半分に引き下げる政策を打ち出していた。万全とは言えないが一定の援助はしていた。


 それでも村を離れる者はいた。半年後には、トレメル村の人口は九十七人にまで減少していた。それでもスヴェンはあきらめていなかった。トレメル村が安全でかつ材木業で儲かる村になれば自然と人は集まると考えていた。

 若き村長は生まれ故郷を見捨てなかった。

 一年が過ぎてまた祭りの時期がやってきた。さすがに祭りをもう一度やろうという者はいなかった。復興に燃えるスヴェンは今だからこそやるべきではないかと主張したが、村人の多くに反対され、自説を取り下げた。代わりに村中にかがり火を焚いて犠牲者の冥福を祈るべく慰霊祭を開き、慰霊碑を建立した。

 碑文はスヴェンが考えた。彼は父親同様中学校を出ており、村ではまれな知識階級だった。特に詩をたしなみ、学生時代は同人誌に投稿もしていた。

 慰霊祭では涙を流す者が多くいたが、葬儀のように号泣する声は聞こえなかった。

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