第18話 六章 黎明 その2
連絡を受けた部隊五十名がただちに派遣された。クレムラート村に到着したのが、十三日の午後六時頃である。隊長はヨースト・カルケル少佐だった。その間に二名がトレメル村から新たに下山してきた。祭りの日に南門で見張りに当たっていたコスタスとルーヘンである。
朝になってスライムの動きは鈍化していた。これは夜行性というわけではなく、腹いっぱいになったためだろう。南側に避難していた村人たちは朝になっても下山はしなかった。大人数過ぎて獣道を通れそうになかったし、すぐに助けが来てくれるという淡い期待もあっただろう。その代わりにコスタスとルーヘンの二名をふもとに向かわせている。二人がクレムラートの村に到着したのは十三日の午後になってからである。ティムが下山しており、既に軍が向かっていることを知って仰天したという。二人はそのまま保護されて、村に戻ったのは一週間後である。
ヨースト・カルケル少佐率いる猛獣及魔物災害対策軍第三部隊はクレムラート村に対策本部を設置する。翌朝の十四日、夜明けを待ってグスタフ軍曹ら詰め所の軍人らと併せて四十五名がトレメル村へ向かった。橋は壊れて通れないため、地元の猟師に案内を頼み、獣道を連なるようにして登らねばならなかった。さしたる障害もなくトレメル村に着いたのが午後三時頃、軍隊の姿を見かけたトレメル村の村人たちは歓喜に沸いたという。
第三部隊は村人の保護に十三名を残し、残りの三十二名で村の中のスライム殲滅作戦を開始した。四人一組となって村中に散開し、洗礼粉で動きを封じる。飛び散った破片に当たらぬよう遠くから浄化弾で確実に仕留める。接近したスライムも洗礼槍で突き刺すと、空気の抜けた風船のようにみるみる縮み、煙に溶けて消えた。
三時間ほどで村中のスライムをほぼ殲滅すると、生き残った村人たちの救助に当たった。アルマ氏もこの時に救助された。顔にひどい傷を負っていたため、カルケル少佐の指示によりすぐに病院に運ばれた。
「この時は本当に何と言ったらいいか、不思議な気持ちでしたね。ほっとしたような、何故自分はスライムに食べられてしまわなかったのか、と後悔するような」
顔の傷を撫でながら彼女はそう悔いるような目をした。
生存者の多くは屋根の上に避難していた者たちである。その中にはロビンとエドガーの姿もあった。二人とも服は焼け焦げ、顔中ススだらけになっていた。
彼らが助かったのは一言で言えば悪運である。地面に落ちてスライムが迫ってきた時、ロビンもエドガーも死を覚悟したという。そこに風が吹き、火のついた飼葉の一部が二人の上に覆いかぶさった。あっという間に二人は火に巻かれた。服に引火した炎に二人は錯乱した。何とか炎を消そうと走り回り地面を転げまわった。スライムも炎を嫌がって後ずさり、どうにか火が消えた時には赤紫色のスライムたちは十歩先まで離れていた。あとは急いで走ってその場を逃れ、手ごろな家の屋根の上に登って朝まで避難していた。ニコラスの姿も探したが、既に隣家の屋根の上にはいなかったという。
救援部隊は、次に村の外のスライムを退治して回った。やはり四人一組となり、頭上に気を配りながら木にへばりついたスライムを退治して回る。ほかにも水辺付近や花畑にいたスライムもすべて駆逐していった。
その後も夜を徹して捜索と殲滅が続けられ、スライムの殲滅作戦終了が告げられた。
州軍が村に到着してわずか三日後の万緑月十七日ことである。
その後、州軍の半数は撤収し、残りの半分は行方不明者の捜索に当たった。
捜索者名簿によるとこの時点で生き残ったのは八十四名、その後も次々と新たな生存者が見つかった。
その間、村人たちは二次被害を防ぐために村の中への立ち入りを禁止されていた。村の中で災厄の泥から逃れた者も一度、村の南にある広げた場所に移動させられた。ふもとまで下山させる策も建てられたが、そのためには獣道を通らねばならない。女子供や老人に通れる道ではなかった。毛布と暖かいコーヒーやスープが支給された。暗くなると軍の補給部隊が運んできたテントで家族ごとに分かれて夜を過ごした。テントは等間隔で立てられており、周囲を軍が交代で巡回して、警護に当たった。テントの中には灯油ランプの小さな明かりが照らしていた。どのテントからも一晩中明かりが絶えることはなかった。
これに激怒したのが州軍のベルマン大尉である。州軍本部から派遣されてきた、スライム掃討作戦の副隊長である。自分たちが命がけで戦っているのに燃料を浪費していると、止めさせるよう部下たちに指示したが、徹底はされなかった。
責任は自分が取る、とグスタフ軍曹が押し切ったのだ。軍曹は呼び出されて叱責されたが、頑として命令をはねのけた。真っ暗な中で魔物に襲われれば、軍人だって暗闇で眠れなくなるのをこの古参兵はよく理解していた。
現場を知らない若い上司と、現場慣れしたベテランという構図である。
「せいぜい、寝小便でもしないよう見張っているがいい」と捨て台詞を吐いて大尉は退出を命じた。事実上の黙認である。
「大尉殿はご自分の奥方を夜中に見たことがないらしい」
後ほど、グスタフ軍曹は同僚にそう語って笑いを誘った。
ベルマン大尉の妻が醜女というのは州軍内部では有名な話である。
浄化が完了し、トレメル村に戻ることが許されたのはその翌日、スライム出没から五日後のことである。急ピッチで進められていた橋の修復も終わり、馬車の通行が可能になったのもこの日である。
村の中は惨憺たる有様だった。
スライムの這いずり回った痕跡が道といい壁といい、至る所にこびりついていた。赤紫色の粘液は見た目も気持ち悪いが、近づくと酸っぱい臭いが村中に漂っていた。水で洗い落とそうにも井戸の中も粘液が入り込んでいた。軍による浄化作業が完了するまで、川まで水を汲んで来なければならなかった。
クラリッサ氏は語る。
「スライムがいなくなってようやく村の中に入って後片付けを始めていた頃ですよ。村中がね、気持ちの悪いねばねばでいっぱいで。あいつら私の家の中にも入ってねえ。もう、鍋の中からタンスの中からベットベト。お気に入りの猫のぬいぐるみも白かったのに赤紫のシミがついちゃってね。村の人たちが大勢亡くなって、全部あいつらのせいだと思うとくやしくってくやしくってねえ、泣きながら拭いてあげましたよ」
触っても平気だと軍人から説明を受けてはいたが、触る気にはなれなかった。手袋つけて掃除をした。
原型を保っているところはまだいい。
建物が焼け落ちてしまった家は、がれきの中から使えそうな衣服や家財道具を引っ張り出さなければならなかった。それでも生きるために手足を動かしているうちはまだ良かった。
六十一歳になる農家のリーマスは難を逃れたが、五歳年下の妻マルティナと七歳の孫カスパルは間に合わなかった。
一周りも縮んだかのように背を丸めながら後片付けをするでもなく一日中自分の家をうつろな目で眺めていた。
生き残った息子夫婦が介護したが、リーマスの生きる気力は戻らなかった。ろくに食事も摂らず、半年後に死亡する。
村人たちを苛立たせたのはほかにもいた。報道陣である。
話はやや前後するが、トレメル村事件の報道が初めて新聞に掲載されたのは万緑月の十七日である。五日間の差は、山奥の村で情報が入るのが遅れたのと、軍による報道規制のためである。名も知れぬ村の惨劇を各紙とも大々的に取り上げた。理由は簡単、珍しいからである。
フェルグ聖国では魔物による被害は百年前を境に減少傾向にある。魔物の研究と対策が進んだことがまず一点、そして人間の生息地域が広がったことによる生息数そのものの減少が主な理由である。事件発生当時ですら十人を超える魔物被害は年間、五件以下であった。田舎とはいえ、大勢の人間が魔物に殺される。しかも一晩で三十人以上も死者を出すというのは、当時としても珍しい出来事であったのだ。いささか前時代的な表現を借りれば『ひげのない
フンボルト州軍はトレメル村の事件を十六日に発表した。軍の広報部から新聞各紙に伝えられた情報をほぼそのまま伝える形で掲載した。そのため、十七日の報道は各紙ともにトレメル村でスライムが大量発生し、村人が大勢亡くなったことを伝えるのみである。これが規制が解除されて、村の中に入れるようになると、新聞各紙や雑誌、ともに記者を山奥の田舎村に派遣したのである。『デイリー・フンボルト』のような地元紙はもちろん、『ザガリアル・タイムズ』『聖国国営新聞』『フェルグ新報』『デイリー・フェルグ』など全国紙も派遣した。
その甲斐あって十九日(十八日はシェーンハルスの鉄工所火災事故報道のため切り替えられた)各紙ともに写真付きで村の惨状を伝えたが、『聖国国営新聞』と『デイリー・フェルグ』は独自の写真が撮れなかった。息子を亡くした被害者の写真を撮影しようとしてカメラごとぶん殴られたのである。記者を殴った被害者は、村一番の猟師だったという。
村への帰還が許されたと同時に、村人への聞き取り調査が行われた。避難時にも簡単な聞き取りは行われていたのだが、スライム大量発生の原因を突き止めるためより詳細な調査が必要だった。原因究明にあたったのが後に報告書をまとめあげたコルネリウス准尉である。
テオドール・コルネリウス准尉は一七八五年生まれの当時二十九歳。父親も軍人で大尉まで昇進している。
子供の頃から空想好きな少年でよく芝居のまねごとをして遊んでいたようだ。将来は役者か小説家になるのが夢だったが、父の意向で当然のように彼も軍隊に入ることになった。訓練を経てフンボルト州陸軍東部方面の猛獣及魔物災害対策第三号調査室、通称『三号調査室』に所属することになる。主な任務は魔物への対策立案である。魔物被害調査も含まれているのは、被害状況から魔物の生態や弱点を見いだすことも可能だからである。ただ、当時は対敵国調査の第一・軍内部調査の第二号調査室が花形とされており、第三号は左遷とまではいかなくてもぱっとしない部署だった。定時上がりは当たり前、時折上がってくる魔物被害の報告を受けて調査するのだが、現場に行かなくても報告書が通るような職場であったらしい。
コルネリウス准尉自身、軍内部での評価は低かった。武勇に優れているわけでも格別頭がいいわけでもない。衣服もだらしない反面、机の上は潔癖なほど整然としていた。自身には気を遣わないが、自身の使う物には几帳面な男だった。
コルネリウス准尉の名前はトレメル村事件の記録者として有名であるが、彼自身の評価については両極端に分かれている。『トレメル村の悲劇』や『三十八人は~』では、事件に熱意をもって詳細に調べ上げた軍人として高く評価している。反面『災厄の泥がもたらしたもの』のメーメット・ゲストヴィッツは、上司にこびへつらい、事実を捻じ曲げた凡俗とこき下ろしている。どちらも間違いではないが、やはり一面的である。
『手記』からはまた別の人物像が浮かび上がってくる。
筆者が彼に抱いた感想は、『周りの見えてない
准尉が軍から被害調査を命じられたのは殲滅宣言が出される前日である。
当人にとっては寝耳に水の出来事だった。前述したように第三号調査室は閑職であり、この日も定時上がりの予定だった。
何故准尉が命じられたかは正確には不明である。『三十八人は~』では、ほかの第三号調査室メンバーが他用により動けず、ほかに適任者はいなかったとしている。ところが『手記』には要領のよい同僚への恨み言がつづられていた。どうも体よく厄介な仕事を押し付けられた、というのが真相のようだ。
准尉は緊急の命令に泣きたくなった。スライムの後始末などしたこともないが、知性がない分よけいに厄介なものだと先輩から聞いている。うんざりした理由はもう一つある。この時准尉は、帰り際に新刊の探偵小説を買うつもりだったからだ。いっそ仮病でも使いたかったが、軍の命令とあれば行くしかない。即日、軍の馬車に乗りトレメル村へと出発した。
この時、買い損ねた探偵小説のタイトルは不明だが、ミステリー史から類推すると、当時人気絶頂だったアガーテ・クラウゼンの『シュテルンベルグ館殺人事件』のようだ。発売するやいなや三十万部を売り、現在でも読み継がれている探偵小説のベストセラーである。
楽しみに待っていた探偵小説を買い逃したことが、詳細な『報告書』の誕生につながった。読みたかった探偵小説のことで頭がいっぱいになり、頭の中で探偵小説の探偵になりきってしまったようだ。およそ冗談のような推論であるが、この後の出来事や『手記』からの記録を読み解くとどうもそう結論付けるのが妥当なのである。
コルネリウス文書の一枚目の走り書きにはこう書いてある。
「犯人は誰だ?」
クレムラート村を経由してトレメル村に到着した准尉はさっそく調査を開始した。村長宅の村民簿から生存者の確認と、死者行方不明者の割り出しである。同行した部下に周囲の捜索を命じる一方、生存者一人一人から安否確認を含めた片っ端から聞き取りを始めた。
「スライムを見たのはいつ? どんな様子だった?」
「スライムが中に入り込んだのはいつ?
「そこの猟師の息子が死んだと聞いたが、現場を見たものはいるか?」
無神経な質問の連続に村人たちは皆、苛立たしく感じたという。スライムに家族を奪われ、まだ気持ちの整理もおぼつかない時期に根掘り葉掘り聞かれれば腹も立つというものだ。准尉が殴られなかったのは軍服を着ていたからだろう。実際、ケヴィンは無言で殴りかかろうとしたのを周りの村人があわてて止めている。
その一部始終をクラリッサ氏が目撃していた。
「そうしたらね、表の方が騒がしくなって。窓から表の方を覗いたら軍人さんと村の人たちが向かい合っているんですよ。険悪な雰囲気って子供の方が感じ取りやすいじゃないですか。怖くなって隠れながら見ていました。確かバルトさんだったと思うんですけど、いい加減にしろとか、後にしてくれとか、そんなようなことを言っていたと思います。軍人さんの方もなんだか顔は神妙そうにしているんだけれど、締まりのない顔をしててねえ。ケヴィンさんが剣呑な雰囲気で、無言で近づいていくんですよ。あ、これはまずいって子供でもわかりましたよ。わかってないのは軍人さんだけでしたね。そうこうしているうちにケヴィンさんが拳を振り上げた瞬間に近くにいた男の人が三人くらい同時にケヴィンさんに飛びかかって馬乗りになっていましたね」
――ケヴィンの様子はどうでしたか。
「押さえつけていたのもバルトさんとか、腕っ節の強い人ばかりでしたからねえ。さすがに抵抗できなかったみたいで、地面に押さえつけられた後は観念しておとなしくしていましたね。ああ、軍人さんの方は何事かって感じで目を丸くしていましたね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます