第26話 地下水路×混乱×緊迫

 地下水路は科学特区全域に広がっている。かつては緊急事態の際に使用する避難経路の役割を担っていて、海に出ることで科学特区からの脱出方法が取られていた。しかし時代の流れによる技術進化の過程で堅牢なシェルターやより安全な避難経路が開発されたことで地下水路の価値は著しく低下した。現在も最低限のメンテナンスだけが施されているが、傍目に環境が良いものではない。まして人間が移動するには空気も足場も相当に悪い。


 視界も悪い。淀んだ空気がクリアさを失わせ、等間隔で壁に設置された外灯も切れている物が多い。光を灯している外灯も器が汚れや焼けた痕で曇ってしまっている。


「悪臭から想像はしていましたが、かなり酷いですね……」


 悪臭で表情を歪めながらクラリッサは言った。


「避難経路としてだけではなく生活水としても使用されなくなった地下水路に整備費を出費すのは無駄と切り捨てたのだろうさ」


 周囲を警戒しながら先頭を歩く陽が科学特区の実情を説明する。彼の言葉通りかつて地下水路は生活水を循環させるための役割を担っていた。その頃は整備も行き届いていて衛生面の管理も抜かりなかったが、ろ過技術の進化で状況は一変した。


 人工島に置ける飲み水と食糧の自給率は勢力に比例する。本島からの援助の見込みがない状況下で市民を養うにはどうしても必要になるからだ。そして食糧面で不自由さを感じる島には人が住みつかない。各島の出入りに規制がかかったのもこの辺りに繋がる。


 各島とも食糧の確保は滞りなく確保できた。知識の差はあっても根本的な知識はある程度の普及があったからだ。しかし、水に関してはどうしても専門的な知識と技術力を必要とされた。まさしく科学特区の腕の見せ所である。いち早く不純物を取り除ける設備の開発に成功させると、科学者特有の技術発展に対する情熱が働く。


「科学特区の上空にドーム状の透明な幕が展開される日があるだろ?」


「はい。当初は何らかの兵器ではないかと噂になりました。結局は何事も起きなかったので話題も自然と消えてしまいましたが……」


「あれは兵器じゃないよ。まあ、兵器に転用できないことはなさそうだけど、今は健全的な使用がされている」


 皆が聞き耳を立ててドームの正体に興味を抱いていた。その中でクラリッサが代表として質問の締めを声にした。


「それではあれは何なのですか?」


「ろ過装置だよ。天井は空からの恵みである雨水を。ドームを発生させる装置を海中に設置することで海水をろ過して飲み水にしているそうだ」


「あ、あれ、ろ過装置なんですか⁉」


 水をろ過するのは浄水場というのが常識だったクラリッサたちにとっては驚きの正体だった。だが話が本当なら科学特区は無限に等しい水源を確保したことになる。雨水は天候に左右されることがあるが、海水に至っては無限に等しい。


「そう。……まあ、今はどうでもいいことだな」


 無駄話に花を咲かせてしまったと陽は反省すると、その場で足を止めた。彼の後方を歩いていた面々は急に立ち止まった陽の様子に小首を傾げながら姿勢をずらして前方を見ると、そこには十字路が広がっていた。


「さて、どうしたものか……」


 土地勘はもちろん、地下水路の地図も手元にはない。ひとまずは地上に出ることが目的ではあるが、地下水路がひと繫がりの構造では最悪、軍事施設に出てしまう可能性がある。そうなれば一網打尽だ。


「風の音を辿ってみては? ひと繫がりであればどこからか聞こえるはずです」


「それは無理ね」


 クラリッサの提案を那月がバッサリと切り捨てた。理由がわからないクラリッサはまたしても小首を傾げる。少し癖になりつつある今日この頃、と内心で呟く。


「耳を澄ましてみなさい。そうすればわかるから」


 那月の言葉に従ってクラリッサだけではなく、陽を除いたメンバーも耳に集中する。すると複数の通り道から風の吹き通る音が鼓膜を揺らした。


「確かにこれじゃあどこに出口があるのかわからないな」


「風が入り混じってどこから吹いているのかわかりません……」


 ひと繫がりの構造であるが為に風の通り道が混じってしまったのだ。こうなっては出口を特定するのは難しい。それともう一つ、陽たちを悩ませることがあった


「音が反響して敵に接近されても気付きにくい」


 どちらかといえばこちらの方が厄介である。これまでの襲撃からして地下水路に武装ロボットを送り込んでくるだろう。そうなれば駆動音で投入されたことをいち早く察知できる。だが複数の駆動音が反響することで正確な位置を把握することはできない。ただでさえ入り組んだ地下水路でゲリラ戦なれば本拠地になる科学特区が優勢なのは明白だ。


 そして最悪の事態がすぐに訪れた。


 遠くの地で着地音が聞こえると、連動して駆動音が鳴った。それは地下水路に反響して位置を複雑化させる。


「……どこに降りたかわからない?」


「無理ですよ。気配察知には自信ありますが、相手が機械ではどうにもなりません」


 こんなことならば聴覚に長けた異能者仲間を連れてこればよかった、陽は心の内で舌打ちをした。同時に無駄な思考だと簡単に切り捨てた。


「このまま待機していても仕方ありません。動くとしましょう」


 迎え撃つのではなく出口発見を最優先に選んだ陽の考えに皆も賛同すると、彼の勘に頼って再び歩き始めた。

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