第4話

 大晦日、理は実家への道を軽トラでのんびりと走っていた。

 実家と言っても、山の中腹にあるログハウスから一本道を下りた先の隣の山の麓である。軽トラで十五分ほどの距離を、手土産に祖母が好きなブレンドで作った紅茶を携えてのんびりと運転する。仕事や家の用事で週に一度や二度は実家に顔を出すが、助手席に基を乗せて行くのは随分と久しぶりだった。

「なあ……何も思わないの」

「なんもって?」

「なんていうか……あー……」

「環の奇行?」

「うまいこと言うな。そう、あいつの奇行」

 基が理の家に厄介になっている間、環は本当に一日の大半を二人と共に過ごした。畑の管理もあるので一日中入り浸っているわけではないが、三食全て理の家で食べる程度には顔を出し、一度の消費量は異なるが、他の同級生のところに遊びに行くこともあった基と同じくらいには理の食料備蓄を脅かした。底が見えそうになる度に買い出しに行かせ、いい加減面倒になって支度も手伝わせたが全く懲りる様子もなく環は理の傍に居たがった。

 そして、セクハラ紛いのスキンシップも止むことはなかった。腰を抱き寄せ、背後から抱きつき、果ては唇を奪おうとする。基が居ようが居まいがお構いなしだ。その度に理は環を引き剝がし、殴り、足蹴にした。ここ数日、理は環に対してセクハラを「止めろ」と、買い出しに「行ってこい」しか発していない。

「歴代彼女たちが見たら目を疑いそーだなって思いながら楽しく見てる」

「楽しんでないで助けろよ、毎度寝床提供してんだからそんくらいしてもバチ当たんねーぞ」

 軽トラの窓枠の段差に頬杖をついて、ニヤニヤと笑む基に理はため息を落とす。

 理は自身が人付き合いが苦手で不器用である自覚がある。冗談めかしてでも助けて、と言える相手は貴重なのだが、いかんせん相手が傍観を決め込んでいて手詰まりだった。

 道の先を見ている理の目が思案に沈む。

「でも、やっぱ……そうだよな。なんか、今までと違う、よな……」

 今まで、恋人が出来ても環は理と基を優先してきた。人肌は恋しい、気持ちいいこともしたい、けれど友達といるのが楽しい。そんな中高生男子のような恋ばかりで、いつも一緒にいたいとか、触れたいだとか、自分以外の誰かといるのが面白くないだとかを環の態度から見出すのは初めてのことだ。

 彼女と二人の時にどうだったのかは知らないが、大勢で飲みに行った時に彼女が同席した時はほぼ放ったらかしだった。気遣いがないのに何故モテる、優先順位を考えないからすぐ振られるんだ、とは高校の同級生たちの妬みを含んだ言だが的を射ている。少なくとも理と環も同意見だった。

「あの環が、気遣い出来てないのはまあ置いといて理最優先になってんの面白くないわけねーべ。元から理贔屓だったけど、完全に今オレ蚊帳の外だもんな」

「あいつのアレ、さあ……その、そもそも色恋だと思うか?なんか別もんと勘違いしてね?その勘違いの方向すらも間違ってねえ?」

「好きとか付き合おうとかなかったの?」

「あると思うか?」

「……言ったことないんだろうなー腹立つわー」

「見た目に釣られて寄ってくる女に興味ない基とはある意味正反対だしな」

「オレは愛されるより愛したいからね。矢印はこう、三対ニくらいがいいよね」

「めんどくせえ」

「オレ的には理、初めての浮ついた話!って方が興味引かれるけどね?」

 理は前を向いたまま苦虫を噛み潰したような顔をした。基はじっと理の表情の変化を窺っている。

 高校時代、理、環、基は何かと目立つ三人組だった。高身長、目鼻立の整った顔、運動も勉強も一番ではないが人並みよりは出来る。それぞれグループの中心にいてもおかしくないのに、いつも三人でつるんで教室の隅で茶をすするような、十人に七人が勿体無い、と評するような高校生だった。

 特に理は、人付き合いが苦手で遠目に騒がれるだけだった。不器用だが優しい一面を知って告白する女子も数人いたが、特定の誰かと噂になったことは一度もない。

「俺は別に、自分の色恋沙汰に興味ないし。つか、そうじゃなくて」

 視線の先に、理の実家の瓦屋根が近付き、敷地を囲む白塗りの塀が見えた。母屋と離れと、いくつかの作業場が併設する理の実家は、敷地面積だけはやたらと広い。

 白壁と漆喰の、黒と白のみで彩られた実家に向かいながら、理の心情は黒とも白とも、ましてや灰色にもなれずに斑らに漂っていた。

「男同士、だし。気持ち悪いとか色々、ないのか」

「あると思う?」

 予想外の答えに、理は思わず基の顔を見てしまった。自信満々に笑まれて、慌てて前を向く。

「愛があるなら、本人が幸せだってんならホモでもなんでもいいよ派かな。むしろ、理と環だったらガチで応援しちゃう」

「なんで?」

「二人とも好きだから」

「それ、理由おかしくないか?」

「なんで?」

 実家の門の前で車を止め、気付いた親戚が閉まっていた門の半分を開けるのを待つ間、理はまじまじと基の顔を見た。

 理は昔から、基とは頭の作りが違うのではと思うことが多々あった。理が真面目に勉強して上の下をうろうろしていた高校時代、基は勉強している風情などまるで見せずに首席近辺をかっさらっていた。ちなみに、環は興味の有無で集中力に差があり過ぎ、かつ自主学習とは無縁だったので科目によって成績に天と地の差があった。

「オレの好きなヤツがオレの好きなヤツを好きでくっついたら幸せだろ、オレもソイツラも。似合いだと思うぜ?理は環とだったら幸せになる」

「俺の気持ち丸無視だよな?つかその自信どっから来んのか本気でわからん」

「勘だな!理だって環好きだろ?」

「俺のは普通に友達のソレだよ……」

「きゃー!オサムクンのデレ久々にいただきましたー!」

「やかましいわ」

 女子高生のノリで顎の下に両拳をあててはしゃいでみせる基の言葉を、理は胸の中で繰り返していた。同時に、幼い日に祖母と交わした約束と、いつかの胸の痛みを思い出す。

 無性に、祖母のロイヤルミルクティーが飲みたかった。

「なんかさあ……」

「うん?今日はヤケに素直に相談してくんね?いいよいいよお兄さんがなんでも聞いちゃるよ?」

 実家の車庫は仕事に使う車で埋まっているため、いつも玄関前のスペースに適当に停める。今日は年末年始で親族が集まっているために車も多く、場所を探しながら声を出す。

 考えながら話すと恥ずかしくなって絶対に話せないことでも、運転しながら、かつ吐き出さずに居たら頭がパンクしそうな案件であれば話せる気がした。

 悩みも気持ちも、溜め込むのは悪い癖だと知っている。近過ぎて環に言えないことでも、基には話せることは確かにあった。友達思いで、重くなり過ぎず答えを出すのを手伝ってくれる旧友に、いつも助けられてばかりだ。

「世界に興味ないおれが愛しいって思えるって理スゲー!的なこと言われたんだけど、コレ日本語おかしいよな?今説明してても自分が何言ってんのかわからん」

「わお、ツッコミもくれないくらい悩んでんのか。でもそうだな、そんなこと言われたら混乱もすらーな。つかなんだって?ワンモアセッ」

「環が俺のこと可愛いって言う。どうしようあいつ頭おかしい」

「おーっと、普通に惚気だったー」

「なあ、話聞いてる?」

「聞いてる聞いてる。アレだろ?好きとか付き合ってとかすっ飛ばしてアイシテルって言われちゃったわけだ。……ぶふっ……アイシテル……あの環がア・イ・シ・テ・ル……!」

 完璧にツボに入ったらしい基に、理は俺もそうやって笑える立場だったらよかったのにと思わざるを得なかった。

 笑い過ぎて苦しそうな基を放って軽トラを停め、ドアを開けて外に出る。年末の風は冷たくて、ジャケットの襟の中に首を避難させた。

 いくら家を出て好きに生きていると言っても本家の次男だ。年が明けたら和服に着替えさせられて、親戚一同他客人たちに挨拶、挨拶、そして挨拶だ。ログハウスに置いてきたジャージとどてらを恋しく思っていると、軽トラの荷台に肘をついた基が理を見ていた。

「理も言ってやれば?」

「何を」

「アイシテルって」

「だから、俺のは」

「ホントに?」

 基は笑っている。いつもの軽い笑みを唇に乗せ、けれど目は随分と優しく細められていた。

「忘れんなよ。オレはお前と環の親友だかんな。そんで、環はオレと理の親友で、理はオレと環の親友だ。何があっても、変わったりしない。だーいじだって。じーさんになっても、誰かが先におっ死んでも変わんないから」

「基?」

「そこんとこ忘れずに、自分の気持ちと向き合ってみ。不安ならオレも環に話聞いとくからさ」

 にっこりと笑った基がどこまで理の心を察しているのか図りかねていると、玄関先から姪が顔を出して理を呼んだ。まだ小学校に上がる前の幼い姪が久々に会う叔父の友人におっかなびっくりあいさつするのを眺めながら、冬の澄んだ空を見上げる。

 向き合ったところで、何も変わらないのに。たとえ思い出してしまった幼い想いを認めたところで、伝える気はない。そもそも認める気もなかった。

 基がしゃがみこんで姪の目線に合わせている。姪は素直で礼儀正しく、少々人見知りするが明るく笑う。兄は小さい頃の理に似ていると言う。

 理は果たして本当にそうだったろうか、と姪を見ているとよく思った。そして、恋と呼べるのかも怪しい幼い初恋をしていた頃を思い、こんな風に育ってしまった今を思って笑うのだ。自分を嗤う他に、自分を慰める術を知らなかった。

 どうして、と、思ったことは何度あったろう。自問しても答えは出ないし、心も変わらない。だから諦めた。見ないふりをして忘れるために日常を生きた。

 それなのに、二十年越しに初恋の人にアイシテルなどと言われるなんて、本当に笑い話のようだった。

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