神子の心

激しく巻き起こる風の中で繰り出されるレウィシアの剣の一閃。その瞬間、飛沫となった血は乱れるように舞う。一閃はセラクの右肩を裂き、右腕を斬り飛ばしていた。

「ぐおおおおおああああああ!!がぁぁああああああああああ!!」

右腕を失ったセラクは苦痛に叫び声を上げる。切断された部分からの激しい出血は止まらず、レウィシアは目を背けていた。

「ぐ……うっ、おのれぇっ……」

セラクは憎悪が込められた目を向けながらレウィシアに近付こうとする。だが、肩ごと切断された右腕からの激痛で思うように動けず、大量の出血に目を霞ませ、ガクリと膝を付く。痛々しくも見えるその姿を目の当たりにしたレウィシアは剣を持つ手を震わせてしまい、僅かに後退りする。

「忌々しい人間め……許さん……許さんぞ……!」

セラクは左腕に魔力を集中させ、手に闇の炎を宿らせるが、傷の深さが響くあまり不発に終わり、倒れてしまう。レウィシアは思わず傍に駆け寄ろうとするが、不意に気配を感じて構えを取る。周囲に闇の瘴気が現れ始めたのだ。瘴気は集まっていき、黒い影となっていく。


———クックックッ……なかなか楽しませてくれる余興だったよ。たった今、この村に存在する素材を全て回収した。貴様らには感謝だけはしておこう。


黒い影は球体と化し、空中に浮かび上がっては目玉と裂けた大口が現れる。

「お前は……今何処にいる!?一体何をしたの!」

レウィシアが剣を手に声を張り上げる。


———フハハハハ……レウィシアよ。貴様と遊んでやるのも一興だが今はまだ手に入れるべき素材が残っている。それを手に入れてから少しばかり付き合ってやっても良いぞ。


不気味に笑い続ける黒い球体は口から長い舌を出し、倒れたセラクを捉えては口の中に飲み込んでいく。ルーチェとラファウスは不可解かつ得体の知れない黒い球体の姿を見ているうちに、何とも言えない恐怖感を肌で感じていた。


———貴様らが戦ったセラクも所詮は駒に過ぎん。言っておくが、このオレはセラクなどとは違うぞ。その気になれば貴様らなど一瞬で消す事も容易いのだからな。だが……貴様らも場合によっては計画に利用できる可能性もある。そのおかげで生かされているという事を光栄に思うんだな。クックックッ……フハハハハハ!


黒い球体は高笑いしながら溶けるように消えていく。

「くっ……!」

膝を付いたレウィシアは拳を握り、地面に叩き付ける。

「お姉ちゃん!」

「レウィシア!」

ルーチェとラファウスがレウィシアの元に駆け寄る。ルーチェは回復魔法を唱え、レウィシアの傷を回復させた。

「私なら大丈夫よ。村人を……傷ついた村人を助けてあげて」

ラファウスは倒れているウィリーの姿を見ると、ルーチェはすぐさまウィリーの傍に行き、回復魔法を唱える。意識は戻らないものの、幸い命に別状はない様子だった。

「レウィシア、あの黒い影は……」

ラファウスが言うと、レウィシアは血の混じった汗を滴らせつつも自身の拳を見つめる。

「……聖風の社へ向かうわ。話はそれからよ」

無言で頷くラファウス。レウィシア達が聖風の社へ向かうと、内部は酷く荒らされていた。砕かれた風神の像の破片が辺りに散らばっており、エウナの姿は既に消えていた。

「なんて事を……母上は……」

愕然とするラファウスに、レウィシアは黒い影について話す。ある計画の為に素材となるものを集めており、素材としてガウラ王とサレスティル女王を浚っている事や、そしてその本体となる謎の邪悪な道化師が暗躍している事を。そして現在、計画の素材として選ばれたエウナが道化師によって浚われたと推測していた。

「母上を浚ったというその道化師たる者……一体何者なのでしょうか」

「わからない。身も凍り付く程の恐ろしい邪気を放っていた男だったけど、いずれ戦うべき存在だわ。お父様やサレスティル女王、神子様を助け出す為にも……」

レウィシアは背中を向けながらも、道化師と対峙した時の出来事を思い出していた。向き合うだけでも戦慄するような恐ろしい邪気と不気味な振る舞いを目の当たりにした際に、得体の知れない恐怖感を本能で感じ取っていたのだ。

「レウィシア、どうかされました?」

「……ううん、何でもない。ちょっと疲れたみたい」

レウィシアは戦いによるダメージと疲労感が重なり、壁にもたれかける。

「まあ……少し休まれては如何ですか?幸い寝室は無事のようですから」

「あ、ありがとう。そうさせてもらうわ」

ラファウスに連れられて寝室に向かうレウィシア。寝室には布団が敷かれており、レウィシアは甲冑を脱いで布団に横たわった。寝室から出たラファウスの元に、ルーチェがやって来る。

「お姉ちゃんは?」

「レウィシアは今お休み中です。ルーチェと言いましたか。傷ついた村人達を助けてくれたのですね」

「うん……ケガした人もたくさんいたけど、ぼくの魔法で何とか助かったよ」

「そうですか。ありがとうございます」

ラファウスは穏やかに微笑みかけ、感謝の意を込めてルーチェの頭を優しく撫でる。

「ルーチェも疲れたでしょう?レウィシアとお休みなさい」

ルーチェを寝室に招き入れるラファウス。

「……あ、ルーチェ。村の人は大丈夫だった?」

横たわっていたレウィシアがルーチェに言う。

「うん、大丈夫だよ。お姉ちゃんは……」

「私の事は心配しないで。ルーチェの傍にいれるだけでも嬉しいから」

レウィシアはルーチェに笑顔を向ける。だがその笑顔はどこか物憂げな様子だった。

「お姉ちゃん……」

ルーチェがレウィシアの傍に寄ると、レウィシアはそっと起き上がり、ゆっくりとルーチェを抱きしめる。

「……ルーチェ。今日はお姉ちゃんの傍にいて……」

胸の中のルーチェはレウィシアの止まらない鼓動を感じ取っていた。暖かい体温の中、収まらない鼓動の高鳴り。それは、心に抱えている様々な想いが渦巻いている事を意味していた。



道化師が作り出した黒い影の中の亜空間———右腕を失ったセラクがただ一人、膝を付いて苦痛に喘いでいた。

「ヒッヒッヒッ……」

薄気味の悪い笑い声が響き渡ると、セラクの前に小太りの年老いた魔族の男が現れる。

「……何者だ貴様」

「ヒヒッ……ワシの名はゲウド。魔族の技師と呼ばれる者じゃよ」

ゲウドと名乗る魔族の男は下卑た笑いを浮かべていた。

「お前さん、セラクといったか。随分哀れな姿よのう。そのザマでは人間どもへの復讐も果たせぬまま冥土へ行く事になるのは火を見るよりも明らかではないか?んん?」

小馬鹿にしたかのようなゲウドの態度にセラクは嫌悪感を露にする。

「ヒッヒッ……だが安心するがいいぞ。このワシの素晴らしい技術で新しい腕を作ってやろう」

ゲウドが歩み寄り、切断されたセラクの右腕部分に注目し始める。

「……失せろ。貴様の助けなど必要は無い。貴様の薄気味悪い顔を見るとヘドが出る」

吐き捨てるように言い放つセラクだが、止まらない苦痛に思うように動けず、その場に倒れてしまう。

「おやおや、随分な事を言ってくれるのう。ワシの親切心を受け入れようとせんとは何とも愚かな事よ。どれ、少し焼きを入れてやろうか」

ゲウドは倒れたセラクに向けて炎の息を吹きかける。

「ぐあああ!」

炎に焼かれたセラクが絶叫する。

「ヒッヒッ……傷口に塩を塗られた気分はどうじゃ?」

見下ろしながら笑うゲウド。

「今から選択肢を与えよう。ワシの手で新しい腕を授かる事を選ぶか、このままワシに殺される事を選ぶかじっくり考えて選択するが良いぞ。ワシにとってはどちらでもいい話じゃがのう……」

身に僅かな炎を残し、苦痛にのたうち回るセラクを、ゲウドは嘲笑うように見下ろしていた。そんな様子を背後から楽しむように見ているのは、道化師であった。



その日の夜———ラファウスは社の地下に設けられた書斎で様々な書物を漁っていた。世界の歴史について書かれた文献、古の魔導師の伝説に関する文献、エルフに関する文献等ありとあらゆる文献に目を通していた。エルフの文献に書かれたエルフの様々な特徴に目を通した時、ラファウスは自身について振り返る。



私は人とエルフの間に生まれた子……


エルフは人間よりも遥かに長寿であり、若い期間が人間よりも長いと言われている。二十年間生きてきた私は体の成長が著しく遅い上、耳の形もエルフの耳の特徴となる尖った形。母上や村の人々からは少し変わった子という認識はあったものの、基本的に普通の人間として見られていた。


人とエルフの間に子を生む事はエルフ族の間では禁忌とされている。人とエルフの子として生まれた私はエルフ族にとっては絶対に存在してはならないものなのだろう。現にエルフの男から命を狙われていたのだから。では、人間にとっては受け入れられる存在なのだろうか。



ラファウスは自身の出生に戸惑いを抱きながらも、文献を読み続けていた。突然、扉をノックする音が聞こえてくる。やって来たのはウィリーだった。

「……やあ、ラファウス。邪魔だったかな」

「まあ、ウィリー。おケガは大丈夫ですか?」

「ああ。余所者の子供の不思議な力に助けられてな。俺もノノアも何とか大丈夫だよ」

ルーチェの回復魔法によって負傷から完全に回復したウィリーの姿を見て、ラファウスは安堵の表情を浮かべる。

「ところで、エウナ様は?」

ウィリーの問いにラファウスは無言で俯く。

「まさか、村を襲撃したあの男に……?」

「……いえ。あの男の背後に潜む何者かによって浚われたと……」

呆然とするウィリー。

「ウィリー、一つお聞きします。私について、普通の人間ではないと思った事はありますか?」

「へ?」

「隠し事はしないで、正直な気持ちで答えて下さい。あなたの気持ちを知りたいのです」

突然のラファウスの問いに戸惑うウィリーだが、ラファウスの真剣な目を見ているうちに、これは正直に話すべきだと肌で感じた。

「正直に言うと、普通の人間じゃないのかもとは思ったよ。体は子供のままで、耳が尖ってるから……それに物凄い風の魔法も使えるし、もしかして人間以外の種族の子なのかなって思った事もあったから」

有りの侭の気持ちを率直に打ち明けるウィリー。

「……そうですか。では、あなたにお伝えしておきます。私はエルフと人間の間に生まれた子……そしてエルフ族の裏切り者の子としてあの男……セラクという名のエルフに命を狙われていました」

ラファウスは更に言葉を続ける。セラクから聞かされた、エルフである本当の父親が禁忌によって引き起こしたエルフとの対立、そして一族の壮絶な末路を。

「バカな……君はそんな話を信じてるというのか?」

「私だって最初は信じられない事だと思いましたよ。ですが……」

ラファウスは言葉に出来ない思いを募らせたまま、俯いては背後を向ける。

「……ラファウス。君が何者であろうと、そんな事は俺には関係ないよ。君が人間とエルフの間に生まれた子だからといって何だと言うんだ?仮に君が人間以外の種族だとしても、俺にとってラファウスはラファウスなんだ。エウナ様も、村の人達もきっとそう思ってくれるよ」

笑顔で答えるウィリーに、ラファウスはそっと振り返る。その表情にはどこか切ないものがあった。

「ウィリー……」

ラファウスの目から涙が浮かび、一筋の雫となって零れ落ちる。無意識のうちにウィリーの逞しい体に身を任せ、涙を流していた。

「ラファウス……」

胸の中で涙を流すラファウスに、ウィリーはその小さな体をそっと抱きしめる。

「我慢しなくていいんだ。俺でよかったら……ずっと付き合うよ」

ウィリーの言葉に、ラファウスは思わず過去の出来事を頭に思い浮かべた。



ラファウスとウィリーの出会い———それは遡る事十五年前。

村一番の冒険好きでやんちゃな小僧として愛されていた幼い頃のウィリー。森の中を探検しているところ、小さな祠に祈りを捧げているラファウスと出会う。

「ねえきみ、こんなところで何やってるの?」

ウィリーが声を掛ける。

「……風の神さまにおいのり、しています」

しおらしく答えるラファウス。

「おいのり?」

「毎日ここで風の神さまにおいのりをするのが神子さまのならわし……」

「ふーん……おれ、ウィリー。きみは?」

「わたしは……ラファウス。聖風の神子さまの子……」

これが初めての出会いだった。幼い少女ながら、可憐で儚い雰囲気を放つラファウスから不思議なものを感じ取ったウィリーはラファウスの事が気になり始めていた。それからウィリーはラファウスが住む聖風の社へ積極的に訪れるようになり、親交を重ねるようになっていた。そして、ラファウスが十歳の誕生日を迎える日———聖風の神子一族の仕来りとなる試練を受ける事になる。ラファウスにとっては神子としての最初の試練であり、護衛を引き受けたのはウィリーだった。

「ウィリー……私のために護衛だなんて」

「何を言うか。俺は戦いの腕においては村で一番と言われてるんだから護衛は当然だろ」

槍を手に張り切るウィリーの姿を見ているうちにラファウスの表情が綻び始める。

「お兄ちゃん!」

一人の少女がやって来る。ノノアだった。

「ノノア!」

「間に合ってよかった。神子さまのお守りをするって聞いたから……はい、これ」

ノノアは木彫りの小さな人形が付いたお守りをウィリーに手渡す。

「これは?」

「お母さんがわたし達のために作ってたお守りだよ。わたしの分と、お兄ちゃんの分もあるんだ」

「母さんが?そうか……ありがとう。じゃ、ちょっくら行ってくる」

「うん、気を付けてね!」

ウィリーはお守りを手に、ラファウスと共に風神の岩山へ向かって行く。

「妹様、いい子ですね」

「ああ。君も妹のように思えるけどな」

「まあ……私なんて大したことありませんよ」

そんな会話を繰り返しているうちに、一筋の風が吹く。風と共に現れたのは、鎌鼬の姿をした小動物———風の魔魂の化身エアロだった。

「あら、この子は……」

「こいつは……確か社にいた風の守り神ってやつじゃないか」

エアロはラファウスの足元で鳴き声を上げながら、導くように手招きをしていた。

「もしや神子の試練という事で私達を導いているのかもしれませんね」

「へえ……しかしながら試練って何があるんだろう?」

「聞いたところ、風の神からの洗礼を受けるとの事ですが……」

ラファウス達はエアロに導かれるままに風神の岩山に辿り着き、険しい岩山の道を登って行った。岩山には攻撃性の強い自然の魔物が生息しており、ウィリーは護衛としてラファウスを守りながら槍で退けていく。

「まさかこんなところにも魔物がいるなんてな。これが試練ってやつかな」

「……まだ来ますよ」

空から襲い掛かる蜂の魔物。ウィリーが槍で迎え撃とうとした瞬間、ラファウスは空気の刃を放つ。初級の風の魔法であった。

「い、今の……ラファウスがやったのか!?」

「……ええ」

「ま、まさか……噂の魔法ってやつか?」

「そう、なりますね。母上によると、私には生まれつき強い風の魔力が備わっていると聞かされています。それで……」

ラファウスが発動させた魔法の力に驚くばかりのウィリー。

「さ、流石は聖風の神子に選ばれただけあるな……」

「ごめんなさい。驚かせたりして」

「いやいや!とにかく、まずはこの試練を無事に乗り切らなきゃあな!」

ウィリーは改めて岩盤の道を進み始める。ラファウスは表情を柔らかくさせ、ウィリーの後に続いた。山頂に辿り着き、中心地にある風神の像と石碑の前でラファウスは神子の洗礼を受ける。



聖風の神子ラファウス……そなたは我が力に選ばれし者。


我の力は魔魂と呼ばれる魂にあり。そなたは我の力となる魔魂の適合者に選ばれたのだ。


そして、そなたには運命の時が来る。いずれこの地上を覆い尽くそうとする大いなる闇に立ち向かう運命の時が訪れる———。


ラファウスよ、今こそ魔魂の力を受け入れるのだ。



ラファウスの身体が光に包まれると、傍らにいたエアロも光に包まれる。次の瞬間、エアロの姿が徐々に透明化していき、ラファウスの中に入り込んでいくと、ラファウスは風のオーラに包まれ、周囲に強風が発生する。

「うおおお!な、何だこりゃ!?」

突然の出来事にウィリーは驚きのあまり立ち尽くす。ラファウスの視界には一瞬エアロの姿が飛び込み、全身が嵐のように漲る感覚に襲われていた。光が消えると風のオーラも同時に消えていき、強風は収まった。

「ラファウス、一体何が……」

ウィリーが声を掛けると、ラファウスはゆっくりと振り返る。

「洗礼は……終わりました」

淡々とした様子でラファウスが言う。

「お、終わったのか?」

「そうですね」

冷静に振る舞うラファウスだが、洗礼を通じて知る事となった自身の運命に内心戸惑いを覚えていた。試練を終えた二人は岩山を下り、エウナに報告を終えた直後、ウィリーとノノアの母親が病によって亡くなった。父親は既に先立たれており、母親の死によって両親を失ったウィリーはノノアと暮らしつつ村を守護していた。ラファウスはそんなウィリーを見守りつつ、神子でありながら村の長を務めるエウナを支えながら生きていた。


それから一年後のある日———。


「大変だ!森に凶暴な魔物が!」

森を暴れ回る凶暴な獣の魔物が現れたと知らせを受け、ウィリーは果敢にも獣に立ち向かっていく。だが獣の凶暴さはこれまでの魔物の比ではなく、ウィリーの槍による攻撃を受けても動きは止まらない。

「ぐあああ!」

獣の鋭い牙がウィリーの肩を捉える。負傷したウィリーは膝を付き、獣の牙が襲い掛かろうとした時、風の衝撃波が獣を襲う。ラファウスだった。既にエアロによる魔魂の力によって風の魔力を覚醒させ、全身が風のオーラに包まれていた。

「ラ、ラファウス!」

「危ないところでしたね。ウィリー、下がっていて下さい」

魔力を集中させているラファウスに、獣が荒れ狂うように襲い掛かる。

「逃げろラファウス!いくらお前でも……」

ウィリーが叫んだ瞬間、ラファウスは目を見開かせ、最大限まで高めた魔力を解放させる。



聖風の神子の名において命じる。全ての魔を絶つ風よ……今こそ我が力になりて目覚めん……



トルメンタ・サイクロン———!



激しい風と真空の刃による渦が獣を巻き込んでいく。刃に引き裂かれた獣は咆哮を上げながらも鮮血を撒き散らし、バタリと倒れて息絶えた。

「ウ、ウソだろ……」

その出来事にウィリーは言葉が出ないまま呆然とするばかりだった。

「……大丈夫ですか、ウィリー?」

ラファウスがそっと手を差し伸べる。

「ザックリ肩をやられちまったけど、動けないって程じゃないぜ……ってて」

「無理はするものではありませんよ。今すぐ手当てをしないと」

「あ、ああ……」

負傷したウィリーの身体を支えながらも、ラファウスは村へ戻る。聖風の社でエウナが採取していた森の薬草による治療が施され、ウィリーの傷の応急手当は無事に完了した。

「まさかラファウスにあれ程の力があるなんてな……前々から只者じゃないような気がしてたが」

「そう、でしょうか……」

ラファウスの胸中は不安な気持ちで一杯だった。自身に備わった風の魔力と、一年前の試練での洗礼で聞かされた謎の声。近い将来、自身は世界の運命を懸けた大いなる戦いに挑む事になるという予感を抱いていたのだ。

「ま、まあでも。その力のおかげで俺どころか、村も救われたんだから感謝すべき事だよな。何ていうか、ラファウスは本当の意味で神の子なのかもな」

お世辞混じりで言うウィリーに、ラファウスはふふっと笑顔になる。あどけなさのあるその笑顔は、どこか物憂げに見えた。



そして更に月日は流れた———。



「色々……ありましたよね」

数々の過去を振り返り、様々な想いを胸に抱えながらもラファウスはウィリーの腕に包まれながらも涙を拭った。

「思えば俺、何度もラファウスに助けられてるよな。本当は村一番の腕っぷしと言われてる俺が守るべきなのに。俺がもっと強ければな……」

ウィリーは苦笑いする。

「……ウィリー。私からのお願いを聞いてもらえますか?」

「お願い?」

「私、母上を助け出す為にレウィシア達と旅に出ます。私がいない間、村を守って頂きたいのです」

ラファウスは真剣な眼差しを向けながら言う。その目を見ているうちに、ウィリーは否定する事は出来なかった。

「……わかった。君に与えられた運命は、俺では役に立ちそうもない次元みたいだしな。あの余所者連中がどれ程の腕なのかわからないが、君が信用しているなら止めやしないよ。村の事は任せておいてくれ」

「ありがとうございます」

ラファウスが礼を言うと、ウィリーはそっとラファウスの頭を撫でる。

「まあ……子供じゃないんですから」

「ハハ、悪い悪い。それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」

顔を赤らめていたラファウスは、去って行くウィリーの背中を見て表情が綻ぶ。



ウィリー……あなたに会えて本当によかった。

私はこれからどうなるのかわからない。これから待ち受ける運命がどんなものなのか、私には想像が付かない。

私を支えてくれるあなたの為に、そして村の人々の為にも———私に与えられた大いなる運命を乗り越えなくてはならない。


どうか、村の事を頼みます。母上は必ず助け出してみせます。



夜も更け、虫の鳴き声が響き渡る中、ラファウスは夜風に当たろうと社の外に出る。境内を歩いていると、長い髪を靡かせた後ろ姿の少女を発見する。レウィシアだった。

「レウィシア、いかがなさいました?」

ラファウスが声を掛けると、レウィシアがそっと振り返る。

「あ、ラファウス……」

「眠れないのですか?」

「ええ、ちょっとね。色々思う事があって」

レウィシアの表情はどこか切なげであった。

「ねえ、ラファウス」

「何ですか?」

「……あの男……セラクとは、どうしても解り合えないのかしら」

ラファウスは少し俯くと、すぐに目線を合わせる。

「彼は、いずれ再び私達の元へ現れるでしょう。彼はもう、復讐に生きる事しか出来なくなったのですから」

「やはりそうなのね……」

レウィシアは再び振り返り、ぼんやりと夜の闇に包まれた森を見つめる。レウィシアの脳裏には、自分の攻撃によって肩もろとも右腕を切断され、大量の血を撒き散らしながら苦痛に喘いでいるセラクの姿がいつまでも焼き付いて離れない状態だった。敵対する存在とはいえ、彼も自身の運命に苦しみ続けている。そんな彼を残酷な形で深く傷つけてしまった事への罪悪感に襲われているのだ。

「……私には、人の命を奪う事は出来ない。解り合えない相手だとわかっていても、非情になるなんて出来ない……。彼も、運命に苦しんでいるから……」

レウィシアは両手を震わせていた。

「レウィシア、あなたは優しいのですね。でも……あなたの行いは、決して罪ではないのです」

ラファウスがそっとレウィシアの傍らに歩み寄る。

「彼は、生きている限り人間への復讐に明け暮れるでしょう。彼が背負う呪われた運命は、優しさでは救われない。呪われた運命から彼を救う為にも、あえて非情になるしかない。私はそう考えています」

ラファウスの言葉に伴い、一筋の冷たい風が吹き付ける。レウィシアは返す言葉が見つからず、黙り込んでいた。

「……私はこれで失礼します」

そっと立ち去っていくラファウス。レウィシアは返事する事なく、ただひたすら森の景色を見つめていた。



復讐に生きる男が時折見せていた憎悪の中に宿る悲しい色の瞳———彼が自らの運命に苦しんでいた事を知ると、心の何処かで罪悪感を感じていた。

戦士たる者、敵対する者や魔物といった害をもたらす存在に余計な情を抱いてはならない。お父様からそう教えられたはずなのに、何とも言えない心のざわめきがあった。


私、どうすればいいんだろう……。



夜が明け、レウィシアとルーチェが目を覚ました時、ラファウスは既に社から出ていた。二人が社から出ると、村人全員が櫓の焼け跡前に集まっている。焼け跡前にいるのは、ラファウスであった。ウィリーが招集を掛けた事によって村人が集まっているのだ。

「村の皆様。神子の後継者として選ばれた私、ラファウス・ウィンドルはこれから母上を助け出す為に旅に出ます。母上を浚ったのは邪悪なる力を持つ何者かの手によるもの。そして私は母上を浚った邪悪なる存在に立ち向かう選ばれし者の一人……聖風の神子の名において、必ず母上を助け出してみせます」

村中が村人による歓声に包まれる中、レウィシアとルーチェはラファウスの元にやって来る。

「この方達は私と共に旅をする仲間であり、邪悪なる存在に立ち向かう選ばれし者。皆様、村の事を頼みます。聖風の加護があらん事を……」

ラファウスは深々とお辞儀をし、村人に見守られる中ゆっくりと歩き始める。

「ラファウス!」

ウィリーの声だった。

「ラファウス……村の事は心配するな!俺達がいる限り大丈夫だ!どうか無事で帰って来てくれ!とっておきの七草粥を食わせてやるからな!」

ウィリーの力強い言葉に、ラファウスは心の中でありがとうと呟きながら笑顔を浮かべる。レウィシアとルーチェも後に続いた。村から出ると、一匹の犬がレウィシアの元に近付いてくる。メイコの愛犬ランだった。

「レウィシアさーーーん!」

大きな道具袋を背負ったメイコが全速力で駆けつけてくる。

「メイコさん!」

「ハァ、ハァ、ようやくこの村から出るんですね!あの危ない男が暴れ回ったせいで村にいれなくなったから、森の中でさみしくキャンプで過ごしてたんですよ~!」

「そ、そうだったの……」

変わりないテンションのメイコに、レウィシアは思わず心が和んだ気分になる。

「この方もレウィシアの仲間ですか?」

ラファウスが不思議そうに尋ねる。

「えっと、仲間というか……ちょっとした成り行きで同行する事になったというか……」

「この村での収穫は残念ながらこれといっていいものはありませんでしたので、次の目的地に期待しましょう!レウィシアさん、これから何処へ向かわれますか?」

レウィシアが言い終わらないうちに話を進めるメイコ。次の目的地は何処になるのか考えていなかったレウィシアが答えを詰まらせると、ラファウスが代わりに答える。

「水の王国アクリム……文献によると、かつてエルフ族が住んでいた領域を侵攻した王国だと言われています。もしかすると、そこに何かがあるかもしれません」

レウィシアは驚きの表情を浮かべる。

「アクリム……名前だけは聞いた事あるけど、まさかそんな歴史があったというの……」

「ええ。何故エルフ族の領域を侵攻する必要があったのか、調べてみる価値もあるでしょう」

「……そうね」

レウィシアとラファウスの会話にメイコが目を輝かせる。

「まあ!水の王国アクリムって一度は行ってみたかった場所なだけに興味深いですね~!よろしい!あなた達の旅に引き続き同行させて頂きます!」

「ええ!?」

「旅は人数が多いと楽しいものですからね!さあ、行きましょう!」

意気揚々としたメイコに、レウィシアはやれやれとばかりに足元でシッポを振っているランの頭を撫で始める。

「……随分と元気がいいお方ですね」

ラファウスはメイコを不思議そうに見つめている。

「いろんなものを売ってるお姉ちゃんだから、一応頼りにはなる……と思うよ」

ルーチェが呟くように言った。

「ところで、アクリムってどこにあるんです?もしかして結構遠いんですかぁ?」

「この森を抜けた先に港があったはずです。船で行く事になりますね」

レウィシア達は次の目的地となる水の王国アクリムを目指す為に森を抜け、港へ向かう。様々な想いを胸に秘め、再び旅が始まった。



「クックックッ……如何お過ごしかな?闇王よ」

黒い瘴気が漂う暗闇に包まれた城の玉座に腰を掛ける黒い甲冑の男———闇王の前に祀られた巨大な台座の球体に道化師の姿が浮かび上がる。

「また貴様か。今度は何の用だ」

「相変わらず復讐を考えているようだな。だが、貴様もわかっていよう?己の復活がまだ不完全だという事を。そんな貴様に良い素材を与えてやろうか?」

「……何だと?」

「クックックッ……必要なければ処分してくれても構わぬぞ。オレには不要となったものだからな」

そう言い残し、球体に映し出された道化師の姿が消える。闇王は空になった杯を粉々に握り潰すと、空気を引き裂く程の雷鳴が轟く。同時に、震える己の掌を忌々しげに見つめていた。


我が身体が、完全なる復活を遂げれば……。

赤雷の騎士め……どこまでも忌々しい。


我が身体が完全なる復活を遂げるには、暗黒の魂を手に入れなくてはならぬ……大いなる闇の力が込められた暗黒の魂を———。


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