24 不細工な葛藤
古川純一と涼介は大学生の時に知り合っていた。
深町圭子は2002年の5月、古川純一の妻になっていた。
純一と涼介は昔から語り継がれる〝親友〟という概念を全て満たしている様な関係を今に
涼介は純一の二つ年上だったが、涼介はそんな事を意に介さず純一に腹を割り、敬意を払っていた。
純一は〝浜っ子〟だった。それは横浜の大学を選んだ涼介に絶大なメリットを与える事にもなっていた。
2001年の春、転勤で生活の拠点が生まれ育った小倉に戻った涼介は、年に一、二度、
涼介は折りに触れ電話やメールで交わす純一との会話に横浜の匂いを嗅いでいた。そしてその匂いは涼介が小倉での生活で
1992年、マキと涼介が
純一は桜木町の実家から神奈川大学に通い、マキは根岸からフェリス女学院大学へ通い、涼介は本牧から
純一と涼介はマキを介在し、絆を更に深くしていた。
1994年の春、横浜駅のすぐ
圭子は大倉山に住む、清泉女子大学の一年生だった。
初夏を迎えていたある夜、純一は涼介を
涼介はミディアムのナイーブミューズレイヤーをティーブラウンに染め、無彩色のタイトな洋服にシャープなアクセサリーをコーディネートしている圭子の強い瞳をBARで初めて見た時、内面を絶対人に
マキと涼介の出逢いから終わりまでの日々を誰よりも
純一と涼介の間に居る女性は1年間の空白を経てマキから圭子へ変わり、三人は文字通り〝若い〟と形容出来る行動力を活かし、秋口には
当初、デートにも拘らず涼介を呼ぶ純一に対して露骨に不機嫌な態度を見せていた圭子は、時間の経過と共に
圭子と涼介は余り会話をしなかったがうまは合っていた。
客観的に三人の言動は至る所で不自然に映っていた。しかし三人は三人の関係がどんな風に思われていても気にしなくなっていた。そして街中にクリスマスソングが
1995年の春、純一と涼介の会話の中に時折出て来るマキと言う女性がどんな人物だったのか圭子は好奇心を
圭子は純一や涼介から受ける刺激に
1996年の夏、圭子は心の中に涼介を想う気持ちが確実に存在している事に気付いていた。その事実は三人で過ごす時間を減らす事に
涼介は夏以降続いている親友の恋人の行動に悩んでいた。しかし涼介は圭子の行動を受け入れていた。
北風が街を乾かし始める頃、圭子は涼介に心をもっと近くで触って欲しいと思い始めていた。
涼介は圭子の思いに気付かない振りを続け、純一は変わらず圭子を愛し、涼介を信じていた。
1997年、一枚のカンバスに同じ色を塗り始めて3年目の8月、三人は昨年の夏と同様、羽田東急ホテルで思い切り遊ぶ事になっていた。
大学生活最後の夏を迎えていた圭子は、もう一度三人で羽田東急ホテルに遊びに行きたいと何ヶ月も前から純一に
圭子は昨年の夏に味わった、最高に楽しかった一泊二日を、しかし心の何処かに不思議な感覚が残った一泊二日をもう一度味わいたいと思っていた。
(・・・・・)
涼介は歩道に立ち、煙草に火を点けた。
トイレには行かずホテルの外に出ていた涼介は、圭子との出来事が
▽
蒸し暑い朝だった。
開け放たれた窓から
「エアコン入れた方がいいんじゃねぇか?」
涼介は純一に言った。
「任すよ」
ベッドに座っていた純一は辛そうだった。
羽田東急ホテルに遊びに行く当日、純一は風邪を
「・・・・・」
涼介は
高島町のワンルームで一人暮らしを始めたばかりの純一の部屋は、収まる場所を待っている荷物が散乱していた。
「・・・涼介、行って来いよ」
ベッドの上に座っていた純一は自分なりの結論を出した後、そう言って体をベッドに横たえた。
(・・・・・)
前夜からずっと純一の看病していた圭子は、純一の隣で二人の会話を黙って聞いていた。
「・・・今何てった?」
「券がもったいねぇだろ」
純一は朝になっても下がらない熱に少し苛立っていた。
「おいおい、お前何考えてんだよ。もう今日は中止なんだよ」
「お前こそ何言ってんだよ・・・圭子はこの日をずっと楽しみにしてたんだぞ・・・」
「もういいよ純一、今日はやめよ・・・」
圭子はそう言って心配そうに純一を見つめていた。
「いいから行って来いよ、俺のせいでぽしゃっちまうのは辛いんだよ・・・」
純一は涼介を見つめていた。
「・・・純一、それは違うよ」
「違うかもしんないけど、いいじゃないか」
「ぽしゃるとかじゃなく、それ以前だろ」
「俺は大丈夫だから。今日一日寝てりゃいいんだし」
純一はそう言いながらベッドから抜け出した。
「・・・・・」
涼介は純一を目で追いながら言葉を探していた。
純一はキッチンで二人に背を向け、涼介が持って来た風邪薬を飲もうとしていた。
シンクの横には少しだけ手を付けた跡が残っている、圭子が作った朝食が置かれたままになっていた。
純一の背中では、純一には
「やっぱ止めよう」
涼介が言った。
圭子は純一の背中を見つめていた。
純一は涼介の言葉にグラスを持ったまま動きを止めていた。
「・・・圭子は行きたいんだよ・・・だから連れてってやってくれよ・・・」
純一は二人に背を向けたまま、涼介でも圭子でもなく、置かれた現実と向き合う自分に静かに語り掛けた。
「ふぅ・・・」
涼介は純一の言葉に息を一つ逃がした。
圭子は
「・・・何だよ、二人共何でそんな暗くなってんだよ、よくある事じゃんかさ、普通に行って来いよ、いいじゃんそれで、な」
純一は風邪薬を胃の中に入れ、何かを吹っ切るかの様に力強くそう言った後、窓際へゆっくりと歩き始めた。
純一は圭子の事を強く愛していた。それ故に圭子の心が涼介に傾いている事をずっと前から気付いていた。
純一は心を
「俺は大丈夫だから」
窓を閉めてベッドに戻って来た純一は、そう言って圭子の肩を何度か軽く叩いた。
「でも・・・」
圭子は動けなかった。
「・・・な、涼介、そうしてくれ」
純一は〝でも〟と言ったまま動かない圭子を見つめながら涼介にそう言った。
締め切られた部屋には
純一はベッドに横たわり瞳を閉じていた。
圭子は純一の顔を見つめていた。
涼介は圭子に対する心の有り方と、純一の本心を察しながらも目を
△
「何考えてるの?」
ラウンジに戻って来ても何も
「・・・俺にもあんな時代があったなって」
まゆみの不満を見越していた涼介は言い訳を届けた後、パラソルの中の若い二人に再び目をやった。
「・・・・・」
まゆみは仕方なく窓の外に顔を向けた。
「・・・・・」
涼介は
ほんの何分か前、涼介はまゆみの何気無い問い掛けに動揺し、まゆみの前から逃げ出していた。しかし涼介はその動揺を受け入れる
(あの日圭子を抱いてたらどうなってたんだろう・・・)
涼介はまゆみとの間に流れている不自然な空気を無視し続けていた。
▽
涼介は純一を一人部屋に残して来た事、圭子と出掛ける事が間違いではないのだと何度も何度も自分の心に言い聞かせていた。
圭子は涼介の気持ちを察し、助手席で明るく振舞っていた。
照り付ける太陽の下、圭子の黒いビキニは涼介の目に余りに眩しく映っていた。
プールサイドに並ぶ白いビーチパラソルの中、二人はビールで乾杯し合い、プールの中では付き合い始めたばかりの恋人同士の様にはしゃいでいた。
時折二人は芝生の上に並んだデッキチェアに体を横たえ、頭上を低空で
ディナーの時の圭子は肩紐の細い花柄に染まったニットのワンピースを
圭子の日に焼けて赤くなった頬と肩は甘いカクテルでその赤い色に優美さを加えていた。
涼介は
部屋へ戻るエレベーターの中で、圭子はもう少しお酒が飲みたいと涼介に
純一は昨年と同様ツインとシングルを予約していた。
圭子は極自然にツインの方に涼介を招き入れていた。
涼介は
圭子は気持ちを整理していた。
涼介は純一の姿を圭子の笑顔に常に重ねていた。そしてその姿を絶対に消しては
午後11時を回った頃、涼介はシングルの窓から羽田空港の夜景を眺めていた。
涼介は純一の姿を掻き消す寸前だった自分の心と圭子への想いを見つめ直していた。
ほろ酔いの体をベッドに伸ばし、天井をぼんやりと見つめていた涼介の耳にドアがノックされる音が届いていた。
涼介はドアを開ける前に、圭子の覚悟を受け止め、圭子を守り抜く強い意志が在るのかどうか自分自身に問い
左手に持ったシャンパンを笑顔の横で揺らしながらドアの前に立っていた圭子に涼介はどうする事も出来なかった。
圭子の瞳は
壁に掛かったブラケットの柔らかな明かりは、ベッドの上で肩を寄せて語り合う二人に恋人同士のシルエットを与えていた。
圭子は涼介から瞳を外さなかった。
涼介は圭子を見つめ、髪に触れていた。そして心も体も圭子に渡してしまいそうな自分を許して欲しいと何かに祈っていた。
二人は穏やかなキスで唇から胸の鼓動をお互いに伝え合っていた。
圭子は情熱を押し殺した分、重ねた唇を離そうとはしなかった。
涼介は圭子を強く抱きしめてしまわない様、情熱を押し殺していた。
ナイトテーブルの上からテレビのリモコンが落ちていた。
その高さでもこうなるのかというぐらい、カバーが外れ、爪が折れ、単三電池が飛び出していた。
沈黙を引き裂いたその音に涼介は心に痛みを感じ、圭子の唇を自分から遠ざけていた。そして抱きしめていた両手を圭子の肩に掛け、自分の額を圭子の額に付けたまま動こうとしなかった。
静かな部屋に響いた音の中に、圭子を愛する純一の声が混じっていた事を涼介は
圭子を見つめ直して柔らかいキスを一度贈った後、涼介は圭子の刺さる様な視線を外して立ち上がっていた。
涼介は背負う〝もの〟の重さと戦い、敗れていた。
圭子の心は途方に暮れていた。
涼介は黙ったまま窓の
圭子には見つめる場所が無くなっていた。
涼介は圭子へ掛ける言葉を探していた。
圭子は涼介が作る沈黙に必死で耐えていた。そして圭子は今夜涼介が守った〝もの〟以上に、近い将来涼介は絶対に力強く自分を守ってくれる
△
「もう!また何か考えてるっ!」
まゆみは少し
「・・・そうだね・・・大した事じゃないんだけど、シーフォートだったんだよ」
涼介は準備していた言葉で会話のテーブルに付いた。
「シーフォート?」
「そう、天王洲に第一ホテル東京シーフォートってのがあってさ、そこのロケーションが好きでよく使ってたんだよ・・・ここも第一ホテルだからね」
涼介は言葉に乗る感情をコントロール出来ている事に少し満足していた。
「・・・その時の彼女を思い出したって・・・事?」
まゆみは思いを素直に口にした。
「そんなんじゃないさ」
涼介は意味有り気な柔らかい口調で否定した。
「・・・・・」
まゆみは心の中に湯水の如く湧き出している質問を一つずつ整理していた。
「映画の時間、まだだよね?」
涼介はまゆみの顔を見つめたまま、そう切り出した。
「もう一杯何か飲む?」
涼介は何かを思い出した様に素早くメニューに手を掛け、素早く言葉を重ねた。
涼介は過去の恋愛について遠慮無くまゆみに質問して貰う為に、これ以上想い出には触れられたく無いという態度を故意に見せ、まゆみの好奇心を
「・・・・・」
まゆみは涼介の事を全て知りたいとする恋心を瞳に溜め、涼介を見つめていた。
「・・・・・」
涼介は視線をまゆみからメニューに落としていた。
「思い出すぐらい好きだったの?」
まゆみは差し出されたメニューには興味を示さず、涼介を見つめていた。
「シーフォートの話かい?・・・」
「うん」
「・・・古い話さ」
涼介は意識して会話に溜めを作り、まゆみから目を
「聞きたいな」
「・・・よくある話だから」
「綺麗な人だったの?」
「・・・綺麗な夜景だったね・・・」
「もう・・・ね、彼女綺麗だった?」
「・・・そうだね・・・でも、もういいんじゃない?その話は・・・」
涼介はそう言って再びメニューに目を落とした。
「・・・・・」
まゆみは何処か安心した様な表情にも見える涼介をじっと見つめていた。
「涼介の好きな場所って興味あるな・・・」
放って置けば
「・・・そう?」
「そのシーフォートって所に私も行ってみたい」
「誰と?」
「もう」
「・・・すみません」
涼介はまゆみに向けていた穏やかな笑顔のまま視線を変え、左手を軽く上げ、
「・・・・・」
まゆみは涼介の横顔をじっと見つめていた。
「シャンパンでも頼む?」
「えっ?」
「じゃぁ、ワイン?」
涼介はウェイターを待たせたまま、そんな生ぬるい追求の仕方では全てを
「ううん・・・オレンジジュースかな」
「了解・・・じゃそれとエスプレッソを」
涼介は待たせていたウェイターにそう言い、まゆみに微笑み掛けた。
「・・・・・」
まゆみは涼介の微笑みに対し、ぎこちなく笑顔を作り返している自分の背中に
まゆみは涼介の笑顔に〝目が笑っていない〟という表情を初めて体験した様な気がしていた。しかもその初めての相手が涼介だった事に
「・・・化粧室は・・・
ゆっくりとした動作で煙草に火を点け様としていた涼介に、まゆみはそう声を泳がせた。
「出て右に真っ直ぐだよ」
涼介は指に煙草を挟んだまま、その手でサングラスを外してそう言った。
「ありがと・・・ちょっと・・・行って来るね」
「・・・・・」
まゆみの言葉に頷いた涼介は
パラソルの中では若い二人が変わらず笑顔を弾けさせていた。
ラウンジに差し込む日差しは強さを維持していた。
(・・・・・)
涼介は再びサングラスを掛けた。そして再び圭子との思い出を振り返ろうとしていた。
策略通り涼介はまゆみを混乱させていた。そしてその混乱という感覚は、近い将来涼介が
まゆみは涼介の計算通り、涼介が経験した過去の恋愛の
▽
涼介は羽田東急ホテルで圭子と交わしたキス以来、圭子は純一の彼女だと自分に言い聞かせている〝自分〟と向き合っていた。
圭子はキス以来涼介しか見えなくなっていた。
二人は純一に対し異質の後ろめたさを感じていた。圭子は純一と別れる決心をしたまま純一から抱かれ続けている事に
9月、圭子は大学が夏期休暇中に行う集中講義や就職に関するセミナーに出席すると純一に嘘を言い、涼介と会う為に品川まで
圭子は涼介が仕事で品川駅の近くにある直営レストランまで車を走らせるスケジュールを
圭子は純一や涼介と共に8月が終る前に買った携帯電話で自身の生活を劇的に変えていた。
三人は初めて手にする携帯電話を片時も離さず、意味も無く声を乗せ合っていた。そして誰に教わるでもなくショートメール機能を駆使し、メールで会話を成立さる面白さを
圭子は大学が始まると高輪台や台場だけではなく、携帯電話の俊敏性や機密性を
圭子は携帯電話の威力に絶大な恩恵を受けていた。そしてその恩恵は日を追う
毎日でも涼介に会いたいと思っていた圭子は東京での密会を増やし続けていた。涼介はそんな圭子を愛しく思い、時間の許す限り一緒に居ようとしていた。しかし涼介は東京で圭子と会う度に、圭子ではない女性の姿を心の中で日々大きくさせていた。
涼介は圭子と東京で初めて会った日、清泉女子大学の在る東五反田まで圭子を迎えに行く為に仕事先の渋谷から恵比寿の街並みを抜けていた。以来涼介は深まる秋も木枯らしが舞う冬も、圭子との密会の為に走らせている車を恵比寿の街中に紛れ込ませ
、その
涼介は恵比寿という街にマキを思い起こしていた。そして心の大切な部分で眠らせていたマキへの未練を
卒業間近、圭子は純一との付き合いを続けながらも涼介に早く体を奪って欲しいと思っていた。
圭子は証券会社に就職が決まっていた。配属先も横浜にある支店に決まっていた。
圭子が働く事になる支店は馬車道に面した
圭子は三人の距離が更に近づく春を恐れていた。
涼介は恋人同士という関係や住んでいる場所だけではなく、働く場所までも至近距離になるという圭子と純一の
純一はずっと悩んでいた。
純一は圭子が放つあざとい嘘に気付かぬ振りをする事に疲れていた。そして純一は半年近く続いている、今は
圭子の卒業式前日、
純一は圭子を愛しているが
涼介は純一の言葉一つ一つに圭子への
純一の言葉には圭子の心を
涼介は
純一はBARのカウンターに両肘を付いたまま少し
卒業式の日、純一は予定より早く涼介を誘い、圭子には内緒で大学の近くまで車を走らせて式典の終りを待っていた。
予期せぬ二人の笑顔に迎えられた圭子は驚きの表情に喜びを
圭子は座り慣れた場所から二人の横顔と話す為に時折り身を乗り出し、三人は忘れていた指定席の心地良さを三様に語りながらドライブを無邪気に楽しんでいた。
夜、三人は久し振りに遅くまでグラスを傾け合いながら、三人で居る事が最高に楽しかった3年前をそれぞれ思い出していた。しかし暗黙の内に了解しているかの様に、その時代を口に出してまでは懐かしもうとせず心の中で静かに
△
(・・・98年の3月って言うと・・・もう5年前か・・・
涼介は窓の外に広がる小倉市街に顔を向けたまま、
「・・・・・」
テーブルに戻っていたまゆみは、涼介の横顔を少し寂し気に見つめていた。
▽
圭子は三人で過ごした卒業式の翌日、純一に別れを告げ、午後遅く純一の部屋を後にしていた。
どんな時でも優しかった純一との思い出に圭子は心を痛めながらも、涼介と築く事になるだろう新しい日常への期待に複雑な充実を感じる3月を過ごしていた。
涼介は圭子の卒業式を
二人が交わした約束の日は、
入社式が終わり、横浜支店での業務レクチャーも終えた圭子は、押さえ切れない気持ちを抱え天王洲アイル・シーフォートスクエアのガレリアで涼介を待っていた。
緩やかな弧を描く、ガレリアを彩る階段から降りて来る涼介の姿を見つけた圭子は、何もかも全てが此処からまた新しく始まるのだと胸を高鳴らせていた。
二人はアントニオというイタリア料理店でバジルの香りが漂うテーブルに少し甘めの白ワインを置き会話を弾ませていた。
食後二人は第一ホテル東京シーフォートの28階でピアノの響きを背にカクテルを寄せ合い、
圭子は視界に広がる新都心の夜景に心を奪われていた。
涼介は圭子の
圭子は今夜涼介が全てを奪ってくれると信じ、今夜を境にずっと
涼介は〝涼介〟という人間の中で新たに呼吸し始めた〝圭子を守り抜こうとする魂〟と、
涼介は紛れも無く圭子が好きだった。しかし紛れも無く純一も好きだった。そして涼介は自分を好きで居る事に迷っていた。
雨は
涼介は決断しなければならない時が迫って来ている事に怖さを感じていた。
涼介は一つ一つ丁寧に、心を込めて圭子に言葉を届けていた。
圭子は涼介から届き始めた言葉の一つ一つを、大切に心の中に仕舞っていた。
長い沈黙が続いていた。
ピアノの美しい音色が二人の間を
窓ガラスを叩く雨は激しさを増していた。
圭子の瞳は涼介の目の奥に在るものを確かめ様としていた。
涼介は論理や
圭子は
涼介は
頬を伝う涙もそのままに、圭子は
圭子は人生の中の最も美しい転機となる
圭子は目と耳に届く涼介の全てを必死に耐えていた。しかし心に届く涼介の
確信していた涼介の愛に実態が無かった事に圭子は失望し、恋愛を
涼介は圭子の強い涙に、圭子の心を1年半も
夜景は激しい雨に
涼介には見つめる場所が無くなっていた。それでも涼介は圭子を追い掛ける事を迷っていた。
圭子は自分の体が何故震えているのか、なのに何故こんなに体が熱いのか、そして何故涼介を愛していたのかを自問しながら、シーフォートスクエアを飛び出していた。
強い雨は、海岸通りを歩く雨が嫌いな圭子を
涼介はタクシーを
圭子は激しい言葉を涼介にぶつけ、涼介の全てを振り払おうとしていた。
二人は目の前が見えない程の雨に叩き付けられていた。
圭子は
涼介は圭子に何をどう説明すればいいのか分からないまま、
ハザードを点滅させて停車しているタクシーがドアを開けて待っていた。
情熱を
閉められたドア越しで泣きじゃくる圭子を
びしょ濡れで立ち
△
1998年4月、圭子は涼介への愛情を第一ホテル東京シーフォートで拒否されて以来、涼介と過ごした
2001年3月、小倉支店転勤が決まっていた涼介が横浜を離れる前日、純一が企画した三人だけの送別会に圭子は顔を出さず、涼介は圭子に感謝の気持ちを伝える事が出来なかった。そして次の年の5月、楽しみにしていた圭子と純一の結婚式に涼介は仕事の都合で欠席する事を
涼介の心の中に居る圭子は、あの夜から5年が過ぎた今も、
「・・・そろそろ行かない?」
まゆみは涼介に声を掛けた。
「そうだね・・・」
涼介は圭子との
「ふーん、そうだったんだね、涼介って」
まゆみは立ち上がった涼介を見上げながら笑顔でそう言った。
「・・・そうだね」
涼介はまゆみが見せている笑顔と同じぐらいの笑顔を不自然に作り、何を肯定したのか分からないままテーブルの上に置かれた伝票に手を掛けた。
「ふーん」
まゆみは涼介の返事に満足しながら立ち上がり、涼介の背中に
「何か言ったかい?」
涼介は振り向いた。
「ううん」
まゆみは少し
ラウンジにはピアノの美しい
窓側の席は全て埋まり、ロールカーテンが降ろされていた。
二人が背を向けたテーブルにだけ柔らかい午後の日差しが差し込んでいた。
窓の向こうにはパラソルの下で語らう若い二人の笑顔が見えていた。
「こんなに少ないもんかな?」
涼介は座席に腰を下ろした後、独り言の様にまゆみに
前評判の高かった映画の封切り初日だというのに、人影が
「いいじゃない、ゆっくり見れて」
まゆみは二人の周りに誰も居ない事を喜んでいた。
明かりの落ちた館内は、
まゆみは映像を追いながら
涼介も当然スクリーンを見ていた。しかし映像ではなく圭子の
(もう俺とは関わりたくないんだろうな・・・)
5年前の春、第一ホテル東京シーフォートで圭子の気持ちを
映画は〝サビ〟から始まる音楽の様にインパクトのある映像を序盤に配置し、観客を圧倒していた。
まゆみは自分の右手を
スクリーンには路上で舞う
(・・・何だこれ・・・同じかもしんねぇよ・・・)
涼介は左手にまゆみを感じながら、自分が恋愛に
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