12  理想との呼応


     理想との呼応こおう




「失れーいっ!」

 濡れた髪にタオルを巻き、体にはバスタオルを巻いて歯ブラシをくわえたままリビングに戻って来たエリカは、ソファーに座りセンターテーブルに足を投げ出してテレビを見ている涼介を仰々ぎょうぎょうしくまたいで窓際のドレッサーに向かった。

(・・・・・)

 涼介はエリカのその行為に反応する事無くテレビを見ていた。

(・・・あれ?)

 涼介が見せる何時もの様な〝反撃〟を期待していたエリカは、ドレッサーの上に置いてあったトートバッグの中から携帯電話を取り出す素振りに紛れてと涼介を見た後、肩をすぼめた。


「・・・元気ぃ?」

 受信と着信のチェックを終えたエリカは携帯電話をトートバッグに戻し、くわえた歯ブラシを手に取り、意味深いみしんな笑顔を浮かべながら涼介の横にり寄っていた。

「元気だよ」

 涼介はテレビから視線を外さず穏やかに返事をした。

「そっ・・・」

 エリカは素っ気無い涼介に〝何だかつまんない〟という意思を言葉と顔に出し、再び歯を磨き始めた。

(・・・・・)

 涼介は安堵あんどしていた。悪戯いたずらにエリカを無視している訳ではなかった。まゆみとのメール交換を思惑通り終え、予定通り隣にエリカが居る事の心地良さをもう少しだけ〝一人きり〟でひたらせて欲しいと思っていただけだった。

 涼介にじゃれ付きたいと思っていたエリカは、誘いに乗って来ない涼介に何かをたくらみ始めていた。

 エリカは歯磨きを止めた。

「ねぇ、リョウ」

「・・・?」

 涼介はエリカの方を向いた。

「!!・・・おいおい・・・」

 涼介はされるがまま、エリカの体中に漂う良い香りに包まれていた。

「ははっ!」

 エリカは涼介に抱き付いて顔中にキスをしていた。

 涼介の頬や唇は歯磨き粉の泡だらけになっていた。

「お前なぁ・・・」

「じゃぁねぇ・・・」

 エリカは涼介にくるまったまま、涼介の顔に付けた泡を楽しそうに指でなぞり始めた。

「きゃはっ!!」

 一頻ひとしきり涼介の顔で遊んだ後、エリカは涼介から飛び退いてユーティリティに戻って行った。

(・・・まったく・・・)

 涼介は茶目っ気たっぷりにじゃれ付きに来たエリカの残像を心でながめていた。

(さて、と・・・)

 立ち上がった涼介の心にはまゆみとのメール交換が思惑通り運んだ安堵感と、味わい深いエリカを独占している心地良さが充満していた。

「うわっ、びっくりした!!」

 鏡の前に張り付いてフェイスケアをしていたエリカは、突然開いたドアに振り返った。

「そう?」

 涼介は無表情でそう言った後、エリカに話し掛ける事も泡だらけの顔を拭う事もせず、ユーティリティの中で飄々ひょうひょうと裸になろうとしていた。

「・・・・・」

 エリカは涼介が見せる淡々とした行動の中にひそむ、そうせざるを得ない圧力に仕方無く再び鏡と向き合った。

 涼介が動く度、二人の肌は何度か触れ合っていた。

 エリカは鏡に顔を近づける程、バスタオル一枚体に巻き付けただけの腰のラインが後ろに居る涼介に対して無防備である事を意識していた。

 鏡には涼介の裸が映っていた。

「エリ、お前やっぱ可愛いよ」

 涼介は鏡に映るエリカに向かってそう言った。

「!!・・・」

 この後、起こるかも知れない涼介の強引な行動を想像して胸を高鳴らせ体を熱く火照らせていたエリカは、突然発せられた言葉に〝ドキッ〟としながらも淡淡たんたんとバスルームに入るとしている涼介の裸を鏡越しに見つめていた。

(・・・あれ?・・・ちょっと期待してたのにな・・・)

 今日は強引を選んで欲しいと思っていたエリカの、照れと落胆が鏡に映っていた。

エリカは涼介が時折さり気なく見せる、恋人同士でなければ出来ない様な鈍感を装った立ち居振る舞いが好きだった。乙女心をドキドキさせたり持ち逃げしたりする意地悪が好きだった。そしてそれに一喜一憂させられている自分が気に入っていた。

「そんなぁ、あったり前じゃん!」

 心地良い緊張から開放されたエリカは、自分でもびっくりする程の明るさでバスルームの折れ戸を派手に開け、涼介を覗き込む様にそう言った。

「何だ、もう一回入んの?」

 涼介はシャワーを自分の顔に浴びせながら振り向かずそうとぼけた。

「入んないよっ!」

 エリカは可愛い猫が飼い主に戯れる様な姿を見せていた。

「それにしても随分遅い返事だったな」

 涼介はシャワーを止め、シャンプーを手にした後、一瞬エリカに笑顔を見せた。

「・・・コーヒーたてとこか?」

 エリカは活き活きとしていた。

「・・・・・」

 涼介は背中に感じるエリカの存在に、泡だらけになりつつある髪から右手を離して親指を立てた。

「了解!」

 エリカのその声には躍る心が乗っていた。

(・・・ほんと可愛いやつだな・・・)

 涼介は心の中でそう呟きながら、呼応し合うお互いの性質たちに理想を見ていた。


 エリカのたくし上げられたままのTシャツから綺麗な胸が出ていた。足首にはシルクの黒いパンツとカラフルなスパッツが一緒にからまっていた。涼介はそんな格好のまま横を向いて膝を抱える様に眠ってしまったエリカにそっとシーツを掛け、ベッドを抜け出した。

(可愛いよな、まったく・・・)

 涼介は寝室から出る前に一度振り返えり、心の中で呟いた。


(エリカなのかな・・・)

 キッチンの明かりを点け、コーヒーをドリップする準備を始めていた涼介は、煙草をくゆらせながら守るべき愛を考えていた。

 エリカの見せる反応は涼介が思い巡らすイメージに敏感に呼応していた。感情を表すエリカの言葉やその声は、涼介が意地悪をしてもらしても笑わせてみても強引でも不意を突いても〝エリカ〟としての輝きを失う事無く期待以上の表現力で涼介を魅了していた。

(きっとそうなんだろうな・・・)

 涼介は煙草を消し、コーヒーをマグカップに注いだ。

 エリカは涼介の求めるものを多く持ち、涼介が理想として描く恋愛の形を多く具現ぐげんしていた。

(・・・・・)

 涼介はキッチンに漂うコーヒーの香りに包まれながら椅子に深く背をもたせ掛けた。そしてダイニングテーブルに投げ出されたままになっていた携帯電話を見つめた。

 涼介は遠くを見ていた。見つめている携帯電話がかすむ程遠くを見ていた。

 涼介はマキという失った理想を思い出していた。同時に理想という概念を再検証させてくれるエリカをかえりみていた。

(・・・・・)

 涼介は姿勢を変えた。

(ふうっ・・・)

 瞳には焦点の合った携帯電話が戻って来ていた。

(・・・・・)

 涼介はおもむろに左手を伸ばし、電源を入れた。


■受信メール■

おやすみzzz(^^)

■まゆみ 2003/09/19 11:57■


(・・・・・)

 涼介は画面を見つめながら再び遠くを見つめていた。

(・・・寝よう)

 再照明が消えたキッチンの中でダイニングテーブルの上に放置された携帯電話が光っていた。その液晶画面には〝9月20日(土) 02:08〟という表示が浮かんでいた。





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