第7話

「ワルワル星人は倒したぞ、綾香」

 中等部のプールでは、綾香がスクール水着姿のまま待っていた。

「バブちゃん! よかった……」

 ロボットアームから降ろされた俺を抱きしめ、綾香は言う。

「綾香、もう授業に戻っていいぞ。我輩も自分の仕事に戻るのでな」

 たかしは一分一秒でも時間が惜しいとばかりの言い草だった。

 綾香は俺を抱いたまま更衣室に戻り、制服に着替えた後教室に戻った。教室で綾香は、案の定質問攻めに遭っていた。たかしのスピーカー演説は中等部にも聞こえていたようで、俺がスーパーベイビーであることはこちらにも伝わっていた。綾香は戸惑いつつ、またしても同級生達に俺のことを逐一説明させられる羽目になったのである。

 その日は一日こんな調子だった。それにしても、これから俺はずっと綾香に抱っこされて学校に行くのか。赤ん坊のいる中学生活、やはり綾香にとっても他の生徒達にとっても、迷惑であることは間違い無さそうである。

 俺は普段の身体能力は普通の赤ん坊同然であり、何かに掴まらなければ立つことすらもできない。だがワルワル星人が現れるとスーパーベイビーの力を使えるようになり、空を飛んだり自由に体を動かしたりできるようになる。しかしこの状態での戦闘力は低く、綾香の乳を吸ってパワーアップすることで初めてワルワル星人と互角の戦いをできるようになる。これがスーパーベイビーバブちゃんの仕組みだ。ワルワル星人から地球を守るには綾香の力が必要不可欠であり、いつワルワル星人が出てもいいよう俺は綾香の側を離れるわけにはいかない。だからたかしは保育園やベビーシッターの使用を禁じ、綾香が自分で世話をするようにさせた。まったく面倒な事をしてくれたものである。あいつは天才の癖に人の迷惑を考えられないのか。



 俺がバブちゃんになって、二週間が経った。

 結局それからも、俺は綾香と一緒に学校に行った。俺は赤ん坊らしからぬ大人しさで皆に迷惑をかけないようにしていたし、皆も教室に赤ん坊がいることに次第に慣れていった。気がつけば俺は教室のマスコットのような存在として、皆に馴染んでいた。赤ん坊になる前はずっと教室の日陰者だった俺が、こうして注目を浴びるのは何だか不思議な感覚がした。

 ワルワル星人は、あれから更に三度現れた。出現場所はいずれも俺の住む市内であり、俺が素早く駆けつけて退治。今のところ犠牲者は出ていない。そういえば、この街以外にワルワル星人が出たという話を聞かない。この街にはもしや、ワルワル星人の狙う何かがあるのだろうか。

 最近綾香は、俺の写真を見ながら溜息をつくことが増えた。「鈴木直正」はアメリカで入院しているということになっているが、あれから四週間経った今となっても、その経過がどうなったのか綾香のところに連絡は来ていない。よほど酷い事になっていたのかと綾香はいたく心配していたが、たかしは口をつぐむばかりであった。俺が元の体に戻れる目処が立たない以上、何も言うことはできないということなのだろう。


 今は丁度夏休みの時期である。せっかくの夏休みを俺の世話に潰される綾香を不憫に思いながらも、俺は綾香の世話になり続ける。

「バブちゃんは恥ずかしがりやさんだねー、もっと甘えてもいいんだよー」

 俺は綾香と適切な距離をとっているつもりだが、綾香は最近俺が可愛くてたまらないらしく、もっと甘えることを求めてくる。確かに散歩で出会う他の赤ん坊はもっと母親に甘えているものである。だが俺にも年上としてのプライドがあって、年下の女の子に甘えてしまっては何か大事なものを失ってしまう気がするのだ。

「よしよし、ミルクの時間ですよー」

 綾香は俺を優しく抱っこして頭を撫でた後、ミルクを与える。今でも俺は毎日三食ミルクである。以前俺は自分の体が成長していずれは大人になれるのかとたかしに尋ねたことがあるのだが、たかしが言うには俺の体が成長することはないとのことだった。つまり大人になることはおろか、歯が生えることすらないのである。ミルク自体は俺の好みに合わせた味のためとても美味しいのだが、やはりそればかりだと普通の食べ物が恋しくなってくる。

「えへへー、ミルク美味しいねー」

 俺がミルクを飲む姿を見つめながら、綾香は嬉しそうに笑う。綾香は母親をやることに随分と慣れてきた様子だった。そして俺もまた、最近は自然と綾香に身を委ねられるようになってきた。ごはんやおむつはそうするしかないので、プライドがどうとか言っている場合ではないのだ。

 朝食が終わると、綾香は自分で買ったベビー用の玩具を色々と持ってきて俺と遊ぶ。こんなもの別に面白いとも思わないのだが、綾香がとても楽しそうにしているため俺はそれに付き合ってやっていた。

 一通り遊んだ後、綾香は俺を寝かしつける。本物の赤ん坊ではない俺は別にすぐ眠くなったりはしないのだが、綾香の邪魔をしないようここは得意の寝たふりをする。俺が寝たと思った綾香は、机に向かい夏休みの宿題を始めた。まったく学生は大変なものだ。それに比べて赤ん坊は飲んで寝て遊ぶだけでいいから楽なものである。尤も俺の場合はそれに「戦う」が加わるわけだが。

 そういえば、俺は入院による長期休学ということになっているが、果たして進級はできるのだろうか。このままでは元の体に戻れても出席日数足らずで留年になりかねない。ただでさえクラスで浮いているのに、留年して周りが全員年下になれば益々浮いてしまうことだろう。

 暫くして、今日の分の宿題を終わらせた綾香は俺の方に向かってきた。

「バブちゃん、目が覚めちゃった?」

 俺が寝たふりをしながら半目で綾香の方を見ていたことに気付いたのか、綾香はそう尋ねてくる。

 綾香は一度おむつをチェックした後、俺を抱き上げた。

「おさんぽ行こっか、バブちゃん」

 本日分の宿題を終えた後にちょっとした運動がてら俺と散歩に行くのが、夏休みの綾香の日課になっていた。サポートメカを変形させたベビーカーに俺を乗せ、日よけの帽子を被って準備完了。

 ベビーカーでの散歩も、最近は楽しいと思えるようになってきた。赤ん坊の目線で街を見るのも、これまでにない様々な発見がある。街行く女子高生に可愛がってもらったりとか、役得も多い。

 今日の綾香は普段よく行く散歩コースを外れ、別の道を進むようだ。

 ん? この道は……

 とある場所で、綾香は立ち止まった。それはかつての通学路。俺がまだ高校生の体だった頃、初めてワルワル星人と邂逅した場所。

 俺がこの場に来るのは、あの日以来であった。あれから四週間も経つのにその場所は未だ修繕がなされず、立ち入り禁止のロープが張られている。

 この場所の有様を見て、俺は開いた口が塞がらなかった。俺の家も酷い壊されようであったが、この場所はそれ以上だ。これで死人が出なかったというは奇跡としか言い様がない。

 単純な破壊の跡も多いが、何より目立つのは交差点の中央にある大きな窪みである。それはまるで空間ごと消滅したかのように、綺麗なボール状に抉り取られている。アスファルト下の配管もすっぱりと輪切りにされていた。

 あまりにも不可解なこの形跡。これは一体どういう方法で破壊されたものなのだろうか。少なくともこれまで俺の戦った五体のワルワル星人には、このような能力は無かった。だが一体一体違った戦法や能力を使っていたことは確かなので、このような能力を使うワルワル星人がいたとしても不思議ではない。こんな化け物相手に勝利した自衛隊は凄いもんである。

 ……

 ……ん? 

 何故だか俺は、急に妙な違和感を覚えた。

 そこでようやく気付いたのだ。たかしの発言の矛盾に。

 綾香はあの日のことを思い出して物思いに耽っているのか、ずっとこの場に立ち止まって動かない。だが今は一刻も早くたかしに問い詰めねばならない。早く家に帰るため、俺は一つの手段に出た。

 まず俺は、小便を漏らした。気がつくと、おもらしをすることに何の抵抗も無くなっている俺がいた。そして俺は、オギャーオギャーと泣き出す。普段は迷惑をかけないためあまり泣かないようにしている俺だが、やはり赤ん坊が他者に意思を伝えるために一番有効な手段は泣くことである。そのため俺も必要次第では赤ん坊らしく泣くようにしているのだ。

「あれ、どうしたのバブちゃん」

 俺が泣き出したことに気付いた綾香は、まずおむつをチェックする。

「あ、おむつ濡れてる。それじゃおうち帰ろっか。早くさっぱりしたいもんねー」

 よし、上手く綾香の誘導に成功した。綾香は俺のおむつを換えてやるため、自宅への足を速めた。

 帰宅後、綾香はまず俺のおむつを換えてくれる。綾香に下半身を晒した上で拭いてもらことにも、最近は抵抗が無くなってきた。

「おむつ換え終わったよー。さっぱりしたねー」

 さて、ここからどうやってたかしを呼ぶか。今寝転がっているベビーベッドは、言うまでもなくサポートメカが変形したものである。これには俺が自分でたかしを呼ぶための機能が備わってる。俺はベッド隅にあるハッチを開き、中のボタンを押した。これでたかしの研究所に俺が呼んでいることが伝わるはずだ。

 それから十分くらいして、たかしがこの家にやってきた。

「あ、お兄ちゃんお帰り。今日はどうしたの?」

「ああ、バブちゃんに会いに来た」

 たかしは俺のいるベビーベッドを覗き込む。

『どうした直正。我輩は忙しいのだが』

『二人だけで話がしたい。お前の研究所に連れて行け』

『ほう……わかった』

 たかしは俺を抱き抱える。

「すまんな綾香、バブちゃんに緊急メンテナンスが必要になったので、一度研究所に連れて行くことにした」

「バブちゃん、どこか悪いの!?」

「いや、大した問題ではない。今日中にはまたこの家に連れて帰る」

 そう言ってたかしは自分の部屋に向かい、壁に手を当ててエレベーターの扉を開いた。地下に行った後は直通シャトルで研究所へ。

「それで直正、話とは何だ?」

『単刀直入に訊くぜ。お前、俺に嘘ついてただろ』

「我輩が嘘?」

 たかしは平然を装っているが、明らかに動揺しているのが見えた。

『自衛隊がワルワル星人をやっつけたってのと、おもらしビームでしかワルワル星人を倒せないっての、どっちが嘘だ?』

「……」

 たかしは黙り込む。

『都合が悪くなったら黙り込んでんじゃねえよ。っとに誤魔化すのが下手だな。お前が何も言わないせいで、綾香は俺がいつ退院できるのかってずっと不安がってんだぞ!』

「……それは悪いことをしたな。直正の入院の件に関しては、新しい言い訳を考えておくとしよう」

『それはいいとして、それよりも俺の質問に答えろよ。まさか自衛隊がおもらしビームを使ったとは言わねえよな』

「貴様なら騙されたままでいてくれるかと思っていたが、気付いてしまったか。だが貴様はまだ真実を知るべきではないと、我輩は思っている。貴様に無闇なショックを与えたくないのでな」

『いいから話せよ。俺はどんな答えでも受け止めるから』

 俺が目を合わせてそう言うと、たかしはようやく答える様子を見せた。

「……まず、自衛隊がワルワル星人を倒したというのは嘘だ。確かにあの場所に自衛隊は来たが、やったのは後片付けだけだ」

『じゃあ、ワルワル星人を倒したのは?』

「貴様だよ、直正」

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