エピローグ あるいは藤原冷夏のためのポストクレジット
白一色の部屋にわずかな揺らぎが生まれ、一人の男が現れた。
だぼだぼのジーンズ、髪はぼさぼさで汚い。
気だるげな歩き方だが、その瞳だけは辛うじて輝いていた。
なにかを、心に決めているかのように。
しばらくして、男は、急に立ち止まった。
そこには、純白のドレスに身を包んだ女がぽつんと立っていた。
いやもっと正確には、奇妙な体勢で屈んでいた。
「女神さんよぉ、何を見てやがる」
男は、屈むような姿勢でなにかを覗いている女にそう言った。
女の大きな瞳のまえには、どこか異質な黒い穴がある。
それは中空に浮かんでいて、まるでブラックホールのようだった。
「人間です。私が送りこんだ勇者たちの一人です」
それを聞いた男は顔をしかめた。
この女神ときたら、いつもこうだ。
蟻でも観察するかのように勇者どもを見ていやがる。
「それにしたって、今日は随分と長く見てるじゃないか。普段なら最初と最期だけ見て、そして、救えない世界についての、深いため息を漏らすだけだってのに」
「そこまで分かっているなら理由も察しがつくでしょう?」
美しいその横顔に垂れた銀髪をぬぐいながら、女神は男に向き直った。
その顔には恐ろしいほどに裂けた笑みが張りついている。
男は、思わずぎょっとしながらもなんとか言葉を返した。
「救済だな。モナドの一つがようやく閉じそうだってわけだ」
「イエス。藤原冷夏こと勇者フランは、この世界を救済するでしょう」
「アグラだったか」
「えぇ。乱立する解釈と分岐の果てに、最善を見失った世界です」
可能性を孕んだ種、モナドの開花のためには受容体であるストーリーラインに、強力なリガンド、すなわち勇者を迎え入れる必要がある。それこそが転生だ。勇者が適合した場合、モナドは自己の羅列を参照して終末を迎える。
そして、その終末が最善のパターンとして定められたものであった場合、モナドは収束するのだ。通常ならばこの状態が、救済であり、男と女神はこの運動を『編綴』と呼んでいた。だが、異世界のなかにはそう上手くいかないものもある。
たとえば、原作があまたに分かれてしまった場合、など。
「アタリの勇者を轢いてよかったな」
「作品を愛している人間をちゃんと選べばこんなものですよ」
「ふん。それはどうだかな。どんなに物語が好きなように見えても、読むと生きるじゃ話は別だ。ましてや、愛されてこなかった人間ならそう上手くはいかないさ」
「では、彼女が特別だったのだと?」
「少なくとも俺に同じ芸当はできないね」
そう言いながら男は髪の毛をわしゃわしゃと掻きむしる。
「で、世界を救った勇者はどうなるんだ」
「そんなことに興味があるんですか?」
「幸せに暮らしました、ちゃんちゃんってわきゃねぇだろ」
女神は口の端を吊り上げたまま、鼻で笑った。
まるで、そんな杞憂には意味がないと言わんばかりに。
だが、男は知っている。
こいつは、この女神はそういう奴だ。
「手を出すなとだけ言っておくぞ」
「それは困ります。救済勇者を集めてのバトルロワイヤルとかアガりません?」
「アガらねぇよ、ふざけてんのか」
「実際、停滞したモナドには何らかの手を打ちたいんですが」
「じゃあ、新しい勇者を送りこめばいいだろ」
「それじゃ弱すぎて上手くいかないから、強い勇者が欲しいんですよ」
そう言って、女神は男の胸元に手を伸ばす。
そこにある大きな傷は、かつての戦いでついたものだ。
男は、その手を軽く払って、ため息を吐いた。
「はぁ。なら勝手にしろ」
「イエス。さてさて……ではアグラから……。おや。おやおや」
「どうした?」
「博士、謀りましたね。思えば今日は、随分とお喋りでした」
無感情にそう言った女神の前で、アグラの穴が閉じていく。
女神でさえも消失を押しとどめることはできない。
なぜならそれは、不可逆の事象が発生したことを示すからだ。
「……ノー。勇者フランは天寿を全うしてしまいました」
「おーおーおー。そりゃ何よりだ」
「優秀な勇者を一人、失ってしまいました。子どもはたくさんいますが、こうなってしまえばもはや別物です。使えない。ああこれは、なんという損失でしょう?」
それを聞いた男は、心底から嬉しそうに笑った。
「違うな。失ったのは女神さんだけだ。あの子はそれで、幸福さ」
「チッ。これだからあなたは厄介なんです」
「あはははは! 久々に会えたってのに、またこれかい!」
「私の、世界の邪魔をするなら容赦はしませんから」
じとりと男を睨みながら、女神は左指を構えた。
それは異世界へのゲートを開く、合図だ。
ぱちん。
男の姿が消えた。
しかし、そのことに女神はなんの反応もしなかった。
最初からいなかったとばかりに、彼女は立ち尽くす。
そこは彼女だけの城。彼女だけの牢獄。
「はぁ。次の転生勇者はどんな人間になるのかしら」
己一人しかいなくなった、
だだっ広い白磁の空間で女神はそう、うそぶいた。
(完)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
異世界転生パターン6 藤原冷夏の場合。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます