第 五 章 11



「あーもうっ!」


 その日の夜、あたしは苛立ちのあまり声を上げ、枕に拳を叩きつけた。


 ――眠れない。


 不眠が悪化していた。喉は詰まりっぱなしで幾度いくどとなくペットボトルの水を流し込む。どうにか微睡んでも、水を飲んだせいでトイレに行きたくなって目が覚める。次第に頭が重たくなり肩がこり、終いには指先に原因不明の痒みを感じて、あまりの気持ち悪さに奇声を上げそうになる。


 そうやって布団の中で蠢いている時間は無駄でしかなくて、徒労感に苛まれる。寝不足で苦労するのは自分だ。焦れば焦るほど眠れない泥沼にはまっていく。


「駄目だ……」


 薬に頼りたくはなかったが、もうどうしようもない。


 枕元のピルケースを夜暗の中で手探りして――


「あぁもう! なんなのよ!!」


 薬のパッケージが床に散らばる、歯が浮く音が耳を掻き毟る。スタンドライトを灯すと、薬が全部床に散乱していて、それでもう、どっと疲れてしまう。


 あたしはベッドの腰掛けて背中を丸め、太ももに肘をついた。


 毎日疲れ果てていた。逃げ出したいくらいだったけど、逃げ場なんかなかった。


 自殺なんて、昔は気にも留めなかった。身体化障害になったときも、気持ちにはならなかった。


 今なら、理解できてしまう。


 自殺する人は死にたいんじゃない。目の前の苦痛から逃れて、楽になりたいんだ。


 楽になれたなら、きっとその人は生き残ったはずだ。


 言葉にすると当たり前すぎて、まるで現実感がない。でもきっと、それが全てなんだ。


 森屋は、ちゃんと眠れていたのだろうか。この苦しさを味わったのだろうか。


 こんなに苦しい毎日の先に、なにがあるのだろう。


 夢が覚めた後に残ってしまった人生に、なんの意味があるのだろう。


 明日が来なければ――


 目だけを動かして、床に散らばる薬をじっと見つめる。


 これを全部、いっぺんに飲めば――


「楽に、なれるのかな…………」


 手を伸ばして薬のひとつを拾い、口に押し込みペッドボトルを呷る。クッションをきつく抱きしめ、タオルケットを体に巻き付ける。


 こうすると、少しだけやすらぐ。


 おばあちゃんに……森屋に抱きしめられた時の、あのやすらぎがよみがえる。





          第六章につづく

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