第 四 章 10



 憧れ? あたしが?


「ミーハーですけど、レーサーってだけでかっこいいです。でもそれ以上に、自分のやりたいことを貫き通しているところに一番憧れます。ちょ~かっこいいです。バイクいじっている時の真剣な横顔とか、マジ惚れます!」


 どんどん言葉が砕けてくる千鶴ちゃんにあたしは目を見張った。


 千鶴ちゃんっていつも身綺麗にしていて、どこかのお嬢様だろうと思っていた。それが一気にっていうか。 


「千鶴ちゃんでもそういう口の利き方するんだね。ちょっとびっくりした」


 すると千鶴ちゃんはまた舌をペロっとやって、


「だって、猫かぶってますから」


「猫……かぶってるの?」


 あたしは思わず千鶴ちゃんを指差してしまう。


「はい。実は私、ド庶民で、その上ちょ~見栄っ張りなんですよ」


「見栄っ張り……」


「私の話、少ししていいですか?」


 なぜか千鶴ちゃんは少し不安げに言った。


「私の実家、ボロアパートに両親と兄妹四人暮らしで、すごい貧乏なんです。それでいじめられて、貧乏がコンプレックスで、雑誌とかに載ってるセレブ~な感じに憧れるような子供だったんです。将来は一流大学に入って、大企業に勤めていっぱい稼ぐぞって、超ガリ勉して、だから恋してる暇なんてなかった、なんて言い訳ですけど」


 努力が実り、望み通り大企業に就職。千鶴ちゃんは実家を出て、独り暮らしを始めた。


 順風満帆――のはずだった。


「びっくりしちゃいましたよ。お局様とか社内いじめとか派閥とか、本当にあるんですよ。も~最悪でしたよ。肌荒れるは生理遅れるは、あの頃はほんとボロボロでした」


 そんなある日、千鶴ちゃんは合コンに参加した。先輩女子社員に参加するように言われた、なかば強制参加だった。そこにいたのが正一だった。


「最初は正ちゃんのこと」細い指でバツをつくり「ぶっちゃけNOだったんです」


 ちゃらっとした雰囲気の正一は、千鶴ちゃんの〝対象外〟だった。しかし正一は千鶴ちゃんに猛アタックをかける。


 千鶴ちゃんは正一を袖にするが、正一は図々しいくらいめげない。強引に会話を進められるうちに、正一が最近独り暮らしを始めたこと、自炊とか、節約術の事とかで微妙に話が合って、会話が弾んでしまう。


「正ちゃんって、実はお坊ちゃんなんですよ」


 正一は裕福な家庭の末っ子。一流大学に通い、留学する事が仕来しきたりで、そういうのを嫌がった正一は、高校卒業と同時に家を出た。


 千鶴ちゃんには正一が脳天気に見えた。不公平だと不満も覚えた。自分にはないものを正一は持っている。あまつさえそれを要らないという。


 苛立たしかった。恵まれていることに対する感謝の気持ちが足りないと思った。


「すごい反感あったんですけど、正ちゃんって、構えて話さなくていいっていうか、ついつい会話に巻き込まれちゃうんですよね」


 合コンの後も正一はアタックを続け、外でふたりで会うという事を重ねた。


 そんなある日、小奇麗だけど、疲れた顔をしていた千鶴ちゃんに正一は言った。


「そんな肩肘はってて、疲れない?」


 その一言に千鶴ちゃんは怒った。見透かされたような気がした。いや、見透かされた。


「自分で、自分を不自由にしてるって、うすうす気づいていたんです。でもそれを認めるって難しいじゃないですか。なのに正ちゃんにはっきり言われて、カっとしちゃって。だって、がんばってきたことを否定されたくないじゃないですか」


 いつしかあたしは手を止めて、千鶴ちゃんの話に聞き入っていた。


「私のこと知りもしないでって言ったら正ちゃん、だって知らないから千鶴ちゃんのこと知りたい、だから付き合おうよって言うんですよ。コノヤローって思っちゃいましたよ」


 そう、ちょっと呆れたように言った千鶴ちゃんは、とてもうれしそうで、


「正ちゃんは末っ子で、細かいことに頓着しないで自分に気持ちに、ほんとイラってするくらい素直で。でもそれをあたしは羨ましいって思ったし、セレブ様より、天カス山盛りのお好み焼きの方があたしのしょうにあってる。結局、私は私以外になれないんだなぁってガッカリしたし、悔しかったけど、受け入れたら気持ちが軽くなったんです」


 それまで自分の膝に目を落として話していた千鶴ちゃんが、顔を上げ、あたしを見つめてくる。


「だから、自分というものをしっかり持っている海さんに憧れるんです。女性レーサーが不利なことをわかっていて……苦しい時もあったんですよね」


 女レーサーの愚痴も聞いてもらっている。怪我で引退を余儀なくされたことも、千鶴ちゃんは知っている。


「芯があるっていうか、あたしはそういうのなくて、人にどう思われるかばっかりで……。だから海さんみたいになれたらって思うんです。そんな海さんが挑むレースってどんなものなんだろう。どんな人がサーキットにいるんだろうって、興味があるんです」


 照れくささと、申し訳なさとが同時に沸き上がってくるのを、あたしは感じる。


「あたし、そんないいもんじゃないよ」


 本当に、そこの言葉の通りだった。





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