処女童貞の恋愛テロリスト
violet
童貞はテロを決行する
あ、ヴァイオリンの音がした。
俺は目を覚まして周囲を見た。高校の体育館。全生徒が列をなして、ステージを見ている。ああそうだ。式の最中だっけ。夏休み前日。とある教師の退任式も兼ねた終業式。今日はその日だった。
「ですから、サプライズですって」
そんな声が館内に響いた。ヴァイオリンの音ではなく、彼女の声だったらしい。その女生徒は退任する教師の登壇を制止して、代わりに自身が登壇した。女生徒は目を瞑り、顔を俯かせ、祈るように何かを呟いている。
轟け我ら恋の叫び。
そう呟いている。俺にはわかる。そしてその女生徒はマイクの前に立って、開口した。
「大暑の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」
女生徒は仰々しく宣った。自ら大暑と言っている癖に、暑苦しいジャケットを羽織っていた。そのくせ涼しそうな表情で俺たち生徒を見下ろしている。
その生徒の名は大里静香という。生徒会長を務めており、教師からの信頼も厚い。そのため異様な事態にも関わらず、誰もが予定通りなのだと誤解した。
「さて皆様。一つ告白することがあります」
はらりと長い黒髪を靡かせて、静香は言った。
「それは、本日めでたく退任なさる中山恭子先生の婚約者、速水誠先生のことです」
その凛々しく堂々とした様に、不信感を抱く者はいない。静香は少し間をおいた。そして軽く息を吸い、そっと口を開いた。
「私は毎晩、速水先生でオナニーをしています」
その瞬間、体育館全体が静寂に包まれた。あまりに自然に言うものだから、教師や生徒たちは混乱していた。
「もちろん、昨日もしました」
静香は表情を変えずに、赤裸々に語る。そして丁度彼女が言い終える頃に、ようやく館内がどよめき始めた。
「2年前の今日。私は速水先生に告白しました。今日のように、暑い日でした」
静香は突然咳き込んで話を中断した。静香の容態は芳しくないようで、マイクが彼女の咳を拾って体育館中に響かせてしまう。
「振られてしまいました。生徒と教師が恋人になってはいけないそうです。でもそんなの……」
静香はすうっと息を吸った。
「納得出来るか、馬鹿ぁあああ!!」
キィイイインと、静香の叫びがハウリングする。あまりに唐突に叫ばれたものだから、教師や生徒たちはとても驚いた。どよめきは一瞬にして止まる。館内は真夏のむわっとした空気と、静香がもたらした緊張感。遠くの蝉の鳴き声。
「大里君!」
静寂の中、教頭先生が大声で静香を呼んだ。そして早歩きでステージに向かう。静香を止めるつもりだ。そりゃそうだ。いくら生徒会長とはいえ、このまま好き勝手させる訳にいかない。
「来ないで!」
しかし教頭先生はいとも簡単に止められてしまった。静香は制服のジャケットの裏に仕込んだ大量の爆弾を、教頭に見せつけたのだ。暑苦しいジャケットを着ていたのは、その為だった。
「正気か君は」
なんて強気に言う教頭先生の声は震えていて、静香の行動に竦んでいることは明らかだった。
「生徒の皆さんも、この場を去ることは許しません」
生徒たちはようやく只事でないことに気付き、騒ぎ始める。
「黙りなさい」
しかし静香の冷徹な声が響いて、ざわめきは一瞬で収まった。それは脅しの効果もあるだろうが、静香のカリスマ性によるものが大きい。館内がすっかり静かになると、静香は口を開く。
「速水先生。登壇してください」
体育館端に並んでいる教師たちの列に、速水先生はいた。静香の指示通りにその列から出て、恐る恐るステージの階段を上がる。
「大里君。まさか君がこんなことをするなんて」
速水先生は言った。俺は今日初めて先生の顔を見た。静香が惚れるのも納得がいく程に爽やかな顔。その顔が悲しみで酷く歪んでいた。
「私を侮っていたのですね」
「違うよ。君を高く評価していたんだ。そりゃあ、好きになってはいけない人を好きになってしまうこともあるだろう。でも君なら、容易く乗り越えられると思っていた」
そして速水先生は、残念そうにため息をついた。
「買いかぶりだったようだけどね」
速水先生は静香を睨みつけた。意外な一面だ。速水先生は普段、絶対に怒ったりしない甘々な教師だった。しかし今の言動は、できるだけ静香が傷つくように考慮されていたと思う。そしてそれは静香に対し絶大な効果を発揮したようだ。彼女の肩はぷるぷると震え、目に涙をいっぱい溜めていた。
「容易く乗り越えられる、ですって」
静香は絞り出すかのように言う。
「ほらやっぱり。私を侮っているんです。容易く乗り越えられるってつまり、諦めるってことですよね。私はそんな容易い恋なんてしない」
言い終えた後に、静香は苦しそうに咳き込んだ。
「先生。私は命をかけているのです。私と結婚してください。そして今、この場で私とセックスしてください。此処にいる全員の目の前で、私の処女を奪ってください。それが叶わないというのなら」
静香は制服のポケットからスイッチを取り出した。爆弾のスイッチであることは明白だった。
「この場で自殺します」
思いのほか速水先生は冷静だった。ただ真っ直ぐに静香を見つめている。
「大里君。君にそんなことできるのかい」
「ええ。できますよ」
静香は即答した。静香をよく知る俺は、それがはったりでないことを知っている。
静香はまた咳き込んだ。苦しそうな咳の音をマイクが拾って、彼女の容態を館内に響かせた。
「大里君。体調が悪いんじゃないか」
速水先生が心配そうに言った。
「ふふ。悪いなんてものじゃありませんよ」
額に汗を垂らして、息をはあはあと荒くして静香は言う。
「私の余命は後半年なんです」
先程まで毅然とした態度だった速水先生も、さすがに動揺しているようだった。
「だから先生。私には時間がありません。残り半年が先生のいない半年だというのなら、私は今すぐに死にます」
そして悲鳴のような声が、館内に小さく響いた。静香と速水先生のやり取りを聞いていた生徒の中に、静香を慕う者が何人かいて、彼女の容態を初めて知ってショックを受けたようだ。
「無理だよ。京子のお腹には赤ちゃんがいるんだ」
「ああ、それなら大丈夫です」
身体が楽になったのか、静香は自然に微笑んで言った。
「お腹の赤ちゃんも含めて、中山先生を愛する人がいますから」
ねえ、と静香は俺を見た。同士よ、こちらに来いと言わんばかりの表情だ。
冗談じゃないよ静香。俺はお前と違ってまだまだ先が長い。それに、この高校を入学する為に様々なものを犠牲にしてきた。小学生の頃から勉強に励み、中学生では青春を捨てた。お前の自爆テロに付き合ってやれるものか。
しかし俺の足は、ステージに向かって歩き始める。一歩進む度に、俺が今まで積み重ねてきたものが瓦解していく感覚。でも止まらない。だって俺に選択肢などないから。
「余命半年とか、すげえな」
俺は呟いて笑った。考えてみろ。京子先生は俺の知らないところで速水先生とイチャイチャしている。妊娠しているということは、つまりセックスをしたのだ。速水先生は俺の知らない京子先生のあんな顔やこんな顔を見ていて、あんなことやこんなことをしたりされたりしているのだ。
ああ駄目だ。苦しくなってきた。身が焼けるようだ。静香はこんな気持であと半年も生きられるという。俺には無理だよ。こんなの、後半年も耐えられる訳がない。
畜生。やっぱり俺の恋は本物だ。偽物だったらどんなに良かったことか。こんなにも京子先生が好きで好きで堪らない。欲しい。今すぐに京子先生が欲しい。
余命半年とか、今まで積み上げたものとか、関係ないんだ。俺は今すぐにでも京子先生が欲しいんだよ。じゃないと、本気で死にそうなんだ。冗談とか、何かの例えでもない。本当に死んでしまいそうで、いてもたってもいられない。俺と静香はそれくらい追い詰められている。
俺はステージの階段を上がる。生徒や教師の視線が背中に突き刺さるのを感じる。階段を上がると、速水先生と目があった。
速水先生。京子先生とのセックスは気持ち良かったですか。羨ましいです。俺たちは好きでない人とのキスの味しか知りませんから。
速水先生を通り過ぎ、静香の目の前まで来た。来ると思っていたとでも言いたげな、満足そうな笑顔だった。
「俺は公開セックスなんて嫌だからな」
「あらそう? きっと気持ち良いのに」
「処女が知ったような口を聞くな」
「あなただって童貞じゃない」
そんなやり取りの後に、静香はマイクの前からどいた。
静香。君に恋することができれば、どんなに良かっただろう。俺たちはどうにかお互い好きになろうとしたけど、結局はこのザマだ。
俺はマイクの前に立つ。周囲を見ると、全ての生徒と教師が俺に注目している。身体が震えた。だから俺は目を閉じ、顔を伏せて、祈るように唱えるのだ。
「轟け我ら恋の叫び」
恋をした時点で選択肢など無い。必要なのは覚悟のみ。俺はその覚悟を決めた。
「中山京子先生。登壇してください」
そんな切り出しで、俺の自爆テロは始まった。
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