第4話  隠扉

 手を擦っては水で流す。これで臭いが取れるとは思わないがやらずにはいられない。隣では洋が薄い唇を噛みながら同じように手を洗っている。多少潔癖なところのある彼のことである。今回の清掃作業は大分にストレスだったようだ。

「来な」

 店主は二人の様子を気にも留めずに部屋奥の壁へと向かい背中をピタリとくっつける。途端に壁がバタンと一回転してその姿が消える。WowまるでNinjaだ。礼一と洋もすぐに後を追う。早くどんでん返しを試してみたかったというのは内緒である。店主に倣って壁の裏側へと身を躍らせる。

 扉を抜けるとそこは広々とした部屋であった。左右の壁には大きな棚が設置されており、本や瓶、その他様々の正体不明な物体が陳列されている。中央では毒々しい色の大鍋が火にかけられており、その傍には散らかりまくった作業台らしきものが見える。 あー、これはみんな大好き“名前を言ってはいけないあの人”の秘密の部屋か何かかな。部屋全体がひんやりと冷たく、肌寒い。

「うぇ゛っ」

 横から妙な声が聞こえる。何かと思えば洋が吐きそうな顔で天井を見上げている。

「うえぇ゛-」

 同じように上に視線をやり、礼一も声を上げる。天井一面にヒト型の死体が吊り下げられていたのだ。どことなく生臭い臭いすらする。

「騒がないでくれ。五月蠅いよ」

 後ろから店主の声が聞こえ、ハッとして二人は顔を見合わせる。これって吊り下げる死体が新たに二体追加されるコースじゃね。

 身の危険を感じ、あたふたする二人を見て店主が溜息を吐く。

「安心しな。あんた達の推測は外れてる。兎に角、そこら辺に座りな」

 彼女は椅子がないか室内に目を彷徨わせた後、諦めたようにそう言う。そうして自分は作業台をかき分けて空いたスペースに腰を掛ける。

「さっき向こうの部屋の客と話して既に分かっていると思うが、ここは“魔物の家”だ」

 女の口から出た単語の意味についてはさっぱりだったが、一つ分かったことがある。先程礼一達が男相手に情報収集をしていた時、この女は薄い壁を一枚隔てたこの部屋にいたのである。そりゃあバレる訳だ。

「マモノノイエ」

 洋が聞き慣れない単語を復唱する。女の口振りから察するに一般常識のようだが礼一達には全くわからない。

「何だ。分かっていなかったのか。いや、分かっていなかったというよりも知らなかったみたいだね。あんた達………」

 店主はそこまで言ってから腕を組んで天井を仰ぎ見る。一体どうしたというのだ。

「礼一と洋。爺さんの紹介状。船乗り」

 洋がぽつぽつと言葉を並べ始めると彼女はハタと手を打ってこちらに顔を向ける。

「そうそう。ふむ。そうだ。何処から来た?」

 おい。あんだけこき使っといて今の今まで何処の誰か、名前すら忘れてたのかよ。

「日出づる国」

 と洋。うん、間違っちゃいないんだが。

「ふむ。何処だそこは」

 と店主。うん、わかる訳ないよな。

「あー、俺たち遠いところから来たんですよ。あんまり遠いもんだからそれが何処だか皆目見当がつかないというか、何というか」

「何を言っているんだ?」

 うん。そうなるよな。多分何を言ってもわからないだろう。店主の方も礼一達から情報を得るのを諦めたようで、手に負えないとばかりに両手を上げる。

「まあいい。ここは“魔物の家”だ。力を求めて客がやって来る。私はそれについて肯定も否定もしない。ただ選択肢を目の前に置いてやるだけだ」

 彼女はシャキッと顔を切り替え、ドドンッと映画の予告張りに言い放つ。だが正直反応に困る。結局“魔物の家”とやらの意味は分からないままである。

「そこでだ。手始めにあんた達には手術を受けて貰う。さってと、」

「はぇッ?」

 思わず変な声が出た。何故こんないかがわしい所で、いかがわしい人から、いかがわしい手術を受けなければならないのか。全くもって意味不明である。

「ちょ、ちょっと待ってください。手術ってのは具体的に何をするんですか?」

 このまま事を進められては困る。礼一は泡を食って口を挟む。

「汚い。唾を飛ばさないでくれ。さっき隣の部屋で見ていただろう。あれだ」

 そう言うと説明は以上とばかりに店主は動き出そうとする。いやその説明は異常だ。まるっきり理解不能である。

「いや、もそっと詳しいのを頼みます。具体的にどういうことをするのかとか、どういう影響があるのかとか」

 礼一としてもここで引き下がる訳にはいかないので必死に言葉を投げる。すると店主はさも煩わしげに首を振り、隣の部屋を指差す。

「明日あの男が目覚め次第聞け。今日はもういい。私も疲れた」

 そう言ってシッシと礼一達を追い払う。仕方がないので二人はすごすごとどんでん返しで隣部屋へと移動する。

「なぁ、このおっさんどうする?」

 流石に放っとくのも悪いと思い洋に聞くと、はっきり首を真横に振られた。止むを得まい。二人は全裸のおっさんを見捨てて自室に帰り早々に寝た。

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