見栄っ張りな私と、夏祭り

オリーブドラブ

見栄っ張りな私と、夏祭り

 コンクリートジャングルに包まれた東京の空では、綺麗な星は見れない。そんな風に言う人もいるけれど、実際はそうでもなかったりする。

 都会の喧騒に揉まれながら1日を終えて、最後に見上げる満天の星空は――いつだって、私の心を癒してくれていた。


 特に、夏。毎年行われている花火大会では、星と共に空を彩る輝きが、私達を照らしてくれている。

 桜が大好きな親友にとっては春が一番、らしいのだが……私にとっての一番はやはり、この季節だ。


 そして高校1年目の今年も、その待ち侘びていた季節がやって来る。しかも今日は……ちょっとだけ、特別なのだ。


 ――生まれて初めて、私が好きになった人と。2人だけで、行くお祭りなのだから。


 ◇


「ん? あれ……もしかしてオレ、遅かった? 待ち合わせって6時だったよな……?」

「あ、あはは……ごめんなさい、私もちょっと早く来すぎてしまいました」

「ははっ、なんだよー。考えてること一緒だな」


 徐々に陽が落ちて、空の色が黄昏に染まり行く中で、私はお気に入りの浴衣に袖を通して、彼を出迎えていた。

 お互い、予定していた待ち合わせ時間より遥かに早く着いてしまい、思わず笑みを零してしまう。……1時間以上も早く到着して、彼が来るまでショーケースのガラスを頼りに髪やお化粧を整えていたことは……黙っておこう。


「しかしいつも思うんだけどさ、浴衣って歩きにくくない? 毎年その格好でこの祭りに来てるんだっけ? すげーな、華村はなむら

「ふふ、確かに初めは少し慣れなくて転んでばかりでしたが……今はもう、浴衣を汚してお母さんに叱られたりはしませんよ」

「華村の母さんに? どんな人かは知らないけど……普段の華村からして、全くもって怒るイメージがないんだが」

つるぎ君も分かっていませんね。そんな人ほど、いざ怒ると恐ろしいのです」

「なるほど。経験者は語る」


 私と並ぶ彼は、ラフな格好だけれど……浴衣を着ている私のペースに合わせて、ゆっくりと歩を進めている。その目線は薄茶色の私の髪から、花柄の浴衣へと移されていた。

 彼の視線が、注目が、私にだけ向けられている。それがたまらなく嬉しくて、私は自然と頬を緩めてしまっていた。


 ――学校では、品行方正な学園のアイドル、だなんて言われているけれど。一皮むけば私なんて、好きな人と顔を合わせるだけで、天にも昇るほど舞い上がる、ただの女子でしかない。

 そう、ただの女子でしかない。彼はそれを、分かってくれている。周りの期待に応えなきゃ、と自分を縛り続けていた私を――自然体で、いさせてくれる。


 そんな彼のそばにいる時ほど、甘く心地よい瞬間はない。だから私はこうして、少しでも彼の近くにいようとしている。


 なのに。


「あれ? おー、剣と華村じゃん! お前らも来てたのか!」

「よぉ! ははん、さてはナンパだな? 勝ち目のない戦いはやめとけよー」

「うっせー! 学園のアイドル連れて勝ち組宣言かこのヤロー!」


 学校の友人達が彼を見つけた瞬間、そんなひと時はあっけなく終わりを告げてしまう。決して他人を無碍にはしない彼は友人達に手を振り、皆の彼・・・になっていく。

 別に、私が蔑ろにされているわけではない。私も彼にとっては、何人もいる友達でしかないし……彼は私の気持ちなんて、知らない。彼が知っているのは、本当の私はどこにでもいる普通の子、だという「正体」だけだ。


 だから私が傷付く理由も、怒る道理もない。私も彼に続き、祭りに来ていたクラスメート達に笑顔で手を振る。


 ――勝ち組宣言。あの人達は笑いながら、そう言っていた。彼も、それを冗談として笑って流している。

 でも私は、冗談なんかにして欲しくなかった。愛想笑いを浮かべて、手を振りながら――私は、むくれていた。


 心を閉ざしていた親友の想いを、ほぐしてくれた時も。学園のアイドル、なんて不相応な称号に縛られていた私を、救ってくれた時も。悲しいほどに、彼には「他意」というものがない。


 親友の意地っ張りに寄り添ってくれていたのも、ありのままの私を受け入れてくれたのも。全ては、友人としてのフラットな気遣い。誰に対しても彼は、そうだった。

 だから彼だけは、学園のアイドルだなんて言われている私を、特別扱いしなかった。そんな彼だから、私も惹かれている……の、だけれど。


 2人きりになれる、と有頂天になっていたところに水を差されたせいなのか……今は少しだけ、そんな彼の在り方が、嫌になる。なんて、身勝手なことだろう。

 彼が皆の・・ヒーローだからこそ、私は救われたのに。今になって、私だけの・・・・ヒーローになって欲しいだなんて。


 完全に陽が落ちるまで、偶然にも合流してしまった・・・・友人達と……あちこち屋台を巡って。で色んなおいしいものを食べて、祭りの醍醐味を楽しんで。


「……?」


 本当なら、心の底から笑顔になれたはずなのに――いつしか私は、「学園のアイドル」としての作り笑いを浮かべていた。そんな私の歪さは、彼にもあっさりと見抜かれている。


「あ、そろそろ花火大会じゃない?」

「おっ! んじゃあ最高のスポットがあっから、皆で行こうぜ! なぁ剣!」

「おう。じゃあ行くか、華村……華村?」


 夜の帳が下りて、頭上に星空が広がる頃――取り繕ったような私の笑みを覗き込む、彼の優しい眼差しが。今の私には、どこか痛い。

 君は何も悪くないのに。君を独り占めしたいって、駄々をこねる私が、悪い子なのに。


 そんな私を、君は叱ってくれない。私みたいな悪い子にも、優しくしてしまう。それが苦しくて、潰れてしまいそうなのに。


「……花火」

「うん?」

「花火、皆でなんてっ……私はっ……!」


 いつしか、取り繕うことが得意だったはずの私は――顔を背けながら、意味のわからない単語を羅列していた。

 違う、私じゃない。いつもの私なら、こう、精一杯の笑顔を咲かせて、彼の方を向いているはず。こんな私、いつもの私じゃない。今日のお祭りで彼に見せたかった、私じゃない。


「……ぁっ」


 大失敗だった。耐えきれずに漏れ出してしまった私の本音に、私自身が顔面蒼白になってしまう。

 浅ましいにも、ほどがある。自分を特別扱いしない彼を好きになっていながら、自分にだけは特別になれだなんて。

 これから皆で、花火大会に行こうという時に……これでは、水を差しているのは私の方だ。


 恐る恐る、彼の方に視線を向ける。

 ……彼は怒っているだろうか、呆れているだろうか。いずれにせよ、こんなワガママな私を、嫌いにならないはずがない。


 悪いのは私なのに……いざその時が来ると、体が竦んでしまう。気がつくと私は、怯えたような表情で、彼の方を見上げていた。


 ――の、だが。


「あ、悪い。華村がちょっと具合悪いっぽいわ。オレ送ってくから、先に行っといてくれ。後で合流するから」

「え、マジか。じゃあ頼むわ、送り狼とかすんなよー」

「しねぇよバカ」


 彼は、何かを察したように頷くと――友人達に一声掛けてすぐに、私を皆の前から連れ出してしまった。私のか細い手を、その逞しい掌で……しっかりと、握りしめて。


 ◇


「剣、君……?」

「ふふん、どうだ華村。絶景スポットはあそこだけじゃないんだぜ?」


 私を嫌うことも、怒ることもなく。彼は私を、近くの神社まで連れ出していた。祭りの喧騒から少し離れたここには、私達以外誰もいない。

 ――私が、心の底から望んでいた、2人きりの空間がここにあった。


「……悪かったな、なんか」

「えっ……」

「オレ、華村みたいに器用な使い分けなんて出来ないから……あんな風になっちまうんだけど。こうやって静かに花火が観たいってんなら、付き合えるから、さ」


 階段に腰掛ける彼は、隣の落ち葉を払って私が座りやすいようにしてくれる。苦笑いを浮かべて、頬を描く彼の姿は――年不相応に膨らんでいる私の胸を、さらに強く締め付けていた。


 ――私は、忘れていたんだ。彼は本当に、なんでもお見通しなのだと。そのくせ、1番大切なことに限って、鈍いのだと。


 そんな私の、身勝手でワガママなところを……知ってか知らずか。彼は隣に座る私に、朗らかな笑みを向けて――その眼差しを、打ち上げられた花火に向ける。

 私がずっと見せたかった、満天の星空と――その輝きに彩りを添える、色鮮やかな煌めきの数々。それら全てが、神社から見上げる私達を照らしていた。


 私自身が願っていた形とは、程遠いけれど。ようやく少しは……彼の特別に近づけたような。そんな気が、する。

 その心地良さを、花火の美しさと共に感じたくて。私はこっそりと、肩が触れる寸前まで――彼の近くへと、身を寄せていた。


 そして、私達2人だけを照らし続ける、花火の輝きが終わり――大会の終了を告げるアナウンスが、響き渡る頃。


「きゃっ……!」

「おっ……と」


 移動しようと腰を上げた私は――安心しきっていたせいなのか、不意にバランスを崩してしまっていた。その瞬間、咄嗟に手を伸ばした彼の腕に――私の身体が、すっぽりと収まってしまう。


「ははっ……もう転ばないんじゃなかったっけか? 見栄っ張りなヤツだな」

「……っ!」


 力強く、逞しい腕。背中に感じる、鍛え抜かれた胸板の硬さ。そして、耳元に響く――甘く優しい、悪口。

 その全てが衝撃となって私の芯を突き抜け、いつしか私は――腰を抜かしたように、身を委ねてしまっていた。我に返って、慌てて彼の腕から離れたのは、それからしばらくの時が過ぎた頃である。


「すっ……すみませんっ!」

「いいって、怪我がなくてよかったぜ。……あぁでも、花火大会終わっちまったしなぁ……。そういや後で合流するとか言っちまってたっけ……しかもここからだと位置的に、帰りであいつらと鉢合わせする可能性高いんだったなぁ」


 そんな私に、彼はいつものように屈託のない笑みを浮かべながら……放ったらかしにしていた友人達への言い訳を考え始めていた。その「いつも通り」な姿に、私は微かな物足りなさを感じていた……の、だが。


「……!」


 薄暗くて、あまりはっきりとは見えないのだが。口元に手を当て、弁明の方法を考えていた彼の耳が……赤い。

 それに何だか少しだけ、彼の、頬も……。


 そんな彼の、僅かな変化が意味するところを想像した瞬間。私の全身に再び、あの衝撃と熱が宿ってしまう。


 もしかして、彼も……?


「ま、まぁいいや! とりあえず歩きながら考えようぜ!」

「そ、そうですね! 歩きながら! 考えましょう!」


 その考えに、私も彼も耐えきれなくなったのか。同時に切り出した私達は、お互いにどこかしどろもどろになりながら――階段を降り始めていた。


「……ほら、手」

「えっ……」

「いや、ほら。また転んだらシャレにならんだろ、階段だし」

「そっ……そう、ですね。シャレになりませんね。階段……ですから」


 そして、既に私達は……「いつも通り」では、なくなっていた。手を伸ばす彼も、その手を握る私自身も。

 どこかよそよしくて、熱い。今日の夜は、とても涼しいはずなのに。


 掌を通して伝わる私達の体温は――真夏、そのものであった。

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