第75話 投資

「……それで?……レイラさん」


「なぁに? エル」


 村長の家での朝食を終え、篤樹達はそのまま広間へ移動していた。御機嫌な様子のレイラの横には、居心地が悪そうにビルがちょこんと座っている。レイラとビルに向き会う形でエルグレドと村長、それにスレヤーが座り、篤樹とエシャーは少し離れたソファーに腰掛けていた。

 話題は当然、レイラが朝の散歩で「お持ち帰り」してきた少年、ビルの件だ。


「……お友だちが出来て一緒に朝食を、という事までなら分からないでもありません……もちろんそれだって、村長のお宅にお世話になってる身としては非常識ですけれど……」


「あら? それは村長さんが『どうぞ』っておっしゃったんだから、よろしいんではなくて?」


「いや、まあ……ビルは私らも気をかけている子ですし……構いはしませんが……ま、急なのでビックリはしましたが……」


 村長が答えるとレイラは「ね?」と、笑顔をエルグレドに向けた。


「……分かりました。それは良いとしましょう。それで? もう一度尋ねます。ビル君をどうしたいと?」


「だからぁ、私の弟子として同行させる、っていうのはいかがかしらと『ご相談』してるんですわ」


 エルグレドは頭を抱えて深いため息をついた。レイラは構わずニコニコしている。当のビルは話の内容を理解しているがゆえに、ハラハラしながら2人のやり取りを見守るしかない。


「ダメです……」


 エルグレドは頭を抱えてうつむいたまま静かに答えた。


「あら? どうして?」


 バンッ!


 ソファーの前にあるテーブルを叩き、エルグレドは立ち上がった。


「認められないと言ったら認められません!……いい加減にして下さい! あなたは一体何歳ですか? 分別はとっくについておられる年齢でしょう? それとも歳を重ね過ぎて分別がどこかに埋もれてしまわれてるんですか? 仔犬や仔猫を拾って来たのとはワケが違うんですよ!」


 レイラも静かに立ち上がる。とっくに笑顔を失っているエルグレドと比べ、こちらは全く動じることなく微笑を絶やさない。


「仔犬や仔猫であれば拾ってきても構わないと?」


「そぉぉんなことを……言ってるワケが無い事くらい……分かっていますよね?!」


 エルグレドの声が上ずっている。ここまで感情をあらわに激高するエルグレドも珍しい。


「まあまあ、大将……そんなにイキらなくても……コイツも聞けば身寄りが無ぇってことだし……」


「そうですわエル。何をそんなに怒っていらっしゃるの?」


 エルグレドはスレヤーを睨む。


「私は『大将』ではなくエルグレドです! レイラさんも私の名は短縮せずに呼んで下さいますか!……大体、いつの間にかお2人とも勝手に私の呼び名を変えてるし……勝手に……勝手な事をして……あー、もう!」


 エルグレドは頭を掻きむしり、怒りを何とかコントロールしようと頑張っている。レイラはその様子を楽しそうに眺め、小首を傾げた。


「……レイラぁ、もうやめなよ。エルが可哀想だよ」


 エシャーが口を挟んだ。


「あら? 私はお話をしているだけですわ、エシャーさん」


「はいはい、ごめんなさい。レイラの『秘密』をバラした上に仲間外れにしてた事は謝りますよぉ」


 エシャーは手を上げて答え、頭を下げる。


「すみませんでした、レイラお姉さま」


 え? どういうこと?


 篤樹は隣のエシャーが何を言い出したのかと、キョトンと見つめる。


「……あ! そういう事なの?」


「……何がですか?」


 エルグレドが悲壮感の漂う表情で篤樹を見た。レイラはすまし顔で微笑んでいる。


「レイラさん、本当はビル君を一緒に連れて行くつもりなんか無いんでしょ?」


 篤樹の問いにレイラはペロッ! と舌を出した。エルグレドが呆然とした顔でレイラを見る。


「だぁってさぁ……聞けば皆さん、昨夜は共謀して私1人だけを離れ部屋に転がされたそうじゃない? 御丁寧に皆さんはお部屋まで移られてたとか? 私、朝起きて皆さんを見つけられなかったはずですわ。『見つからないように』隠れておられたんですもの。ねぇ、村長さん」


「えっと……村長? 何を……話されましたか?」


 エルグレドは村長に恐る恐る尋ねた。村長は申し訳なさそうに答える。


「はぁ……まあ……聞かれましたもので……その……誤魔化しは通じない雰囲気でしたので……全部……」


「……コホンッ」


 咳払いの音に反応し、エルグレドがレイラに向き直る。


「エルの御友人のドワーフと私、どちらが大酒飲みなんですって?」


「あ……いや……」


「賢者は酒に飲まれない、飲まれるのは愚者だけだそうね」


「ま……あ……一般論……ですよ……」


「小さじ2杯の酒で酔い潰れるエルフが、1樽も空けたからには何が起こるか分からない?」


「……イヤ、ホントに……お酒に……弱いというわけでは無かったんだなぁと……」


「仲間の安眠を脅かす恐怖の目覚まし時計って、いったい誰のことなのかしら?」


「・・・」


「昨夜の夢は素敵でしたわ! 妖精王のような素敵なお方が、私をお姫様のように抱きかかえらて運んで下さる夢でしたのよ。それが……まさか現実の世界では死体のようにシーツでくるまれ、男2人に小馬鹿にされながら運ばれていたとは……」


 エルグレドは大きく深呼吸をし、吐き出す息に合わせて謝罪を述べる。


「……雑な扱いをして……すみませんでした」


「それから?」


 レイラがウインクをする。


「気持ちよく酔っておられる姿を見て……愚弄するような発言をしましたことをお赦し下さい……」


「んーーもう一声!」


「みんなを扇動してレイラさんを仲間外れにしたこと、村長さん達にレイラさんの悪口を言ったこと、全て私が悪かったです! 分かりました! すみませんでした!」


「あああ、スッキリ! いいですわ! 今後、お言葉に充分お気をつけ下さるなら、今回は全て水に流して差し上げますわ、エル!」


 レイラは満足したようにソファーに座り直し、村長に笑顔を向けた。


「それで、ビルの事なんですけど村長さん」


 村長は突然の話の展開についていくのやっとのようで、目を白黒とさせながら応じる。


「あ、はい。なんでしょうか?」


「この子、私が全ての責任を負いますから、この村のちゃんとした法術指導の出来る方をご紹介いただけません? ガブロなんてエセ指導者に二度と騙されないように」


「レイラさん、あなたまだそんな事……」


 エルグレドが驚いたように声を上げる。


「あら? 犬猫じゃないから同行はさせませんわ」


「犬でも猫でもダメですとさっき……そうではなくて! さっき会ったばかりの子の全責任を負うなんてそんな……」


 レイラは急に泣きそうな顔に変わった。


「この子の身の上を聞いて、あなた何にも感じませんの? お父様は行方不明……お母様はお亡くなりになられて天涯孤独の身……そのような中、ようやく糧を得るために与えられた仕事のお給金を、詐欺まがいのエセ法術士に授業料として搾取される生活……」


「それは……そうでしょうけど……」


 エルグレドも、ビル本人を目の前にしては強く抗議する事は出来ない。


「……法術士としての才能に富む美しき少年が、残酷な世に埋もれそうなこの日、法術の才能を見抜く目を持つ賢者なるエルフと出会い、今まさに人生が大きく変わろうとするこの芽生えの時!……あなたは少年の成長の芽を摘んでしまえ、とおっしゃるのかしら?」


 エルグレドはもう言葉が無かった。


 ダメだ……この人はお酒を飲んでいなくてもこの調子になる人なんだ……言葉遣いは丁寧だけど、一度絡んでしまえば……相手を押し倒してでも従わせるような人なんだ……


「まあ、大将……ここはもうレイラさんの気の済むように……」


 スレヤーが助け舟を出す。


「あら? スレイ。あなた良い人ね。そういう温かい人って、私好きですわよ」


「え? お、俺っすか? そ、そんな、好きだなんて……」


「……分かりましたよ」


 エルグレドは乱れた髪を直すと口元に引きつった笑みを作り出す。


「エルフの女性の中にも……案外、情に厚い方がおられるという話は聞き及んでいます……まさかレイラさんがそうだったとは、想定外で驚きましたが……お好きになされればよろしいかと。旅に同行させる、というのでないなら……私の責任範疇外のことですしね」


「あら? それじゃあ、話を進めても構わなくて?」


 エルグレドは両手を広げて天を仰いだ。


「お好きになさって下さい!……ビル君さえよければ、ですけどね」


 思いもかけなかった展開に、ビルも戸惑っている様子だ。村長が口を挟む。


「ビルは確かに筋の良い子だとは思います。ちゃんとした法術指導を受けられれば……レイラさまのおっしゃられる通り、大きく能力を伸ばすことでしょう。残念ながら……この村にはガブロのように修練を挫折した者が、聞きかじりの知識を使って違法な指導を行うこともあります。他よりも安い指導料なので、ビルのように経済的に苦しい子は騙されてしまうんです……私としても目が届かずにビルが被害に遭っていたとは心苦しい限りで……ビル。どうするかね?」


 村長はレイラの横に座っているビルに語りかけた。


「あ、あの、僕……でも……」


「なあ坊主、こんなチャンスは滅多に無ぇぞ。いや! 一生に一度のチャンスだ! 男ならビシッと決めろよ!」


 スレヤーがビルに決断を促す。ビルは目の前に座る大男の勢いにビクッと肩をすくめたが、真っ直ぐに姿勢を正すとレイラに顔を向けた。


「……本当に良いんでしょうか? そんな……お世話になっても……」


「良いに決まってるじゃないのぉ! 将来への投資よ。まぁったくぅ。かわいい子なんだからぁ」


「・・・」


 エルグレドとスレヤーはビルを抱きしめるレイラを見て言葉を失った。


「とにかく、あなたにピッタリの、ちゃんとした法術士の先生を私も選んであげるから、しっかりと励むのよぉ……でも覚えておいてね。あなたは私の弟子よ。まだお仕事の途中だから、私が直接教えて上げられるのはもっと後になるからぁ……それまでは別の先生の下でしっかりと学ぶのよぉ。良い?」


「はい! 僕、レイラさ……師匠に認めていただける法術士に絶対なります!」


「あの……レイラさん?」


 エルグレドが不信感に満ちた目でレイラを見ながら尋ねる。


「え? なぁに?」


「よもや森の賢者、エルフのあなたに限って大丈夫だとは思いますが……彼を何か別の意図を持って『育てる』つもりではないでしょうねぇ?」


「え? レイラさん! マジっすか! そ……そんなつもりで?」


 スレヤーも悲しそうな目でレイラを見つめる。レイラはニヤッと笑った。


「ハァ……これだから短命種の男って嫌なんですわ。目先の事に囚われて……もっと広く大きな目で物事を考えられないのかしら……」


「そ、そうっすよね……」


 スレヤーは素直に引き下がるが、エルグレドは疑いの目をやめない。レイラはエルグレドにウインクをする。


「私は純粋に、この美しい1人の少年が素晴らしい法術士へ成長する姿を見たいだけですわ。『将来の感動への投資』ですわよ! そのために助力を惜しまないと言っているだけ……ということで村長さん。実は私、すでに目ぼしい方を選んでいるのですけど、お口利きをお願い出来ます?」


「え? というと?」


 レイラは笑顔ではあるが、決しておふざけや思いつきではない口調で続けた。


「昨日、スレイの傷を癒されたあの法術士……お名前は?」


「ミーシャでしたかな? ええ、一流の法術士です。特に医療系法術にかけてはこの村一番の腕前です。それに……ビルの母親とは大の親友でした……ビルの母親も医療系法術に秀でていましたし……」


「あら? やっぱり! ビルの持つ法力は『医療系』の適性が高いと私も感じましたの。お母様の血なのかもしれませんわね。是非、ミーシャさんにお願いいただけませんか? 指導料と生活費は私が全て準備しますからと」


 ビルは本当に心の底から嬉しそうだった。そんな姿を見ながら篤樹はエシャーに尋ねた。


「……エシャー、よくレイラさんの『最初の嘘』が分かったね?」


「ん? ルエルフもエルフも結局は同族だからかなぁ? 何となく波長が読めるのよ。レイラがエルをからかってるなって。ま、あれ以上やるとエルも修復出来ない雰囲気になりそうだったから……」


 篤樹はレイラとエルグレドを見比べた。


 波長かぁ……『空気を読む』みたいなもんかなぁ……。それにしても……この2人って……どっちが主導権を握ってるんだろう……


 そんな大人の駆け引きを余所目に、ビルはちゃんとした法術士の下で学べることを素直に喜んでいる。


「本当に? 良いんですか? ミーシャ先生の下で学べるなんて……僕、夢にも思っていませんでした! ありがとうございます!」


「さっきから言ってるでしょう? あなたの才能が大きく成長するのを見たいのよ、私は。そのための投資なんだから気にせずに、しっかりと修練にお励みなさいね」


 レイラはそう言うとビルを再びギュッと抱きしめた。疑いの目をやめないエルグレドと目が合う。レイラはニヤリと微笑んだ。

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