知らなかったフリをしたって

「そんなわけで秋葉先生、よろしくお願いします」


 夕方になり、学校の授業を行儀良く受けてきた秋葉が合流する。『エリナが彼氏のことで相談したことがあるらしい』という誘い文句の効果は絶大で、メッセージを送信した瞬間に『学校終わったら行く』と心強いメッセージが送られてきた。


「いやぁ、助かる。これでもう解決したようなもんだな」

「そういえば雨宮、英語の先生がかんかんに怒ってたわよ。少しは自分の心配したら?」


 ちょっと調子に乗った雨宮の挨拶に、秋葉は白い目を向けた。


「どうせテストで満点取れば黙るだろ。それよりエリナの相談に乗ってやってくれ」

「秋葉も色々あって忙しいのに、急にごめんね……」


 エリナがしおらしい声を出す。


「エリナが困ってるとなっちゃ放っておけないし、しかも彼氏のことだったら尚更、協力しないわけにはいかないと思ってたところだから。あいつのこととなったら最優先にしてでも話を聞くわ」


 席に着くや否や身を乗り出さんばかりに気合いの入っている秋葉。

 どうやら相当、澤野とは因縁があるようだ。


「事情は聞かせてもらったわ。まず単刀直入に聞くけど、エリナはこれからどうしたい? 別れたい? 別れたくない?」

「そ、れは……」


 エリナが口ごもる。


「とりあえずそうね……あいつ、セックスが下手くそだけど――」

「秋葉、声のトーン落とせ。ここがどこだか知ってるな?」


 少なからずいた客らが雨宮たちが陣取るテーブルへ一斉に白い目を向けた。

 一種のホラー映像じみていて縮み上がりそうになる。


「……こほん。とりあえず、澤野とちゃんと会って話せる? 彼女として付き合っていく自信ある? あとはそうね……エッチなこと、やっていける覚悟とかさ」

「プラトニックは、駄目なのかな」

「いまどき流行らないって。というか、性欲の塊みたいなもんよ、男子高校生なんて。成人迎えて本能をそれなりに抑制できるようになった歳の恋愛ならまだしも、十代の恋愛でそれは高望みしすぎ。雨宮だってこんな顔してるけど、彼女できたらワンチャンとか考える猿よ?」

「秋葉、お前すげぇ失礼だな……」

「否定はしないあたり本心は間違ってないってことでしょ」

「ぐっ……」 


 勝ち誇った顔をする秋葉の面目を潰してやりたいところだが、先日、エリナとヤれるとか考えていたことを思い出す。


 そんなことはない、なんて法螺ほらは、さすがに本人がいる手前では吹けない。


 秋葉は秋葉で生々しい話をするものだ。処女を捨てた女子はこんな恋愛観になるのか。恐ろしい。


「そういうわけで情事に至らない恋愛なんて無理。さっきの質問に戻るけど、そういうのを想像して、少しでも嫌悪感を抱くんだったら別れた方がいいよ。ちなみにあたしは振られた立場だけど振ってやったくらいの気持ちだし」

「……え、待って。今さらなんだけどさ、かえでって、ケンスケと付き合ってたの?」

「あっ」

「あっ、じゃねぇだろ。もののついでみたいな感覚でうっかり漏らしちゃいましたみたいな顔されてもエリナ困るだろーが」

「ごめんごめん、そういえば話したことなかったね。実は、澤野ってあたしの元カレなんだよね。中学の頃から付き合ってたんだけど、ちょっと前に別れたの。色々と相性が合わなかったのが理由なんだけどね」

「そう、だったんだ……」

「打ち明けるのもどうかと思ったし、タイミングも難しかったからついつい……って、そんな話は置いておいて、どうなの、エリナ」


 秋葉が勢いを取り戻すように、再びテーブルへと身を乗り出す。


「……強引なのは、嫌、かな」

「オッケー。なら別れる方向に動いたほうがいいわね。強引な男は嫌いだってきっぱり振ってやんないと変な禍根を残しちゃうし」

「そう、だよね……分かった、覚悟決める」

「じゃあ作戦会議しないとだね。とりあえずあたしご飯頼んでいい? お腹すいてきた」

「いいよ。今日はアタシの奢りで」

「やった!」

「ちょっと席外すね。適当に注文しておいていいから」

「うん。あ、ちなみに作戦会議終わるまで澤野に連絡とかNGだかんね。こういうのは最初が肝心だから。そこを誤ったら変に話がこじれちゃうし」

「了解」


 そう言い残すと、スマホを片手にエリナが店の外へと出て行く。

 ずっとファミレスにいたからだろう、外の空気でも吸いたくなったのかもしれない。


「なぁ、雨宮」

「なんだ、秋葉」

「エリナってさぁ、セックス恐怖症なのかな」

「…………は?」


 突然なにを言い出すかと思えば。

 というか、俺が知るか。そんなこと。


「……なんてのは冗談で。あの子さ、他人を傷つけることとか、傷つけられることとか、そういうのを極端に避けようとしてる節があるっていうか。とにかく、そういう感じの臆病っぽさがあるような気がするんだよね」


 雨宮が反応する前に、首を傾げながら秋葉がぽつりと続けた。


「そんなことないと思うけどな……」


 エリナにそのきらいがあるとして、だったらあのときのホテルでの会話は一体なんだったのだろう。そんな疑問がふと浮かんでくる。


 傷ついたり傷つけたりするのが苦手なら、人の心にだって敏感なはずなのだから、あそこまで踏み込んでくるような真似はしないはずだ。


「仮にさ」

「うん?」


 神妙な面持ちで秋葉が尋ねてくる。


「仮に、エリナと澤野を別れさせることに成功したらさ……、雨宮はどうするの?」

「どうするって……どういうことだよ」

「こんなところでしらばっくれるなよ」

「……っ」


 雨宮のごまかすような声に食いつく秋葉の顔は真剣そのものだ。


「自分でも分かってるだろ? 自覚してるだろ? あたしが言うのもなんだけどさ、別れたばかりの女子って意外と喰えるもんだよ?」

「そういう表現、どうかと思うけど」

「そんな返事が聞きたいわけじゃないんだけど」

「どうしたいか決まってるところで秋葉に打ち明ける道理なんかねぇだろ」

「あるでしょ。つうか特等席で眺める権利すらあるでしょ。こんなずぶずぶに絡んでおいて肝心なことはなに一つ明かせないとか冗談じゃない」

「……ことが上手くいったら打ち明ける。それでいいだろ」

「とんだ腑抜けだよね、雨宮って」

「うるせぇよ」

「図星突かれたときの口癖だよね、それ」

「……うるせぇよ」

「やっぱり図星なんだ」

「だからうるせぇって」


 雨宮の口から汚い言葉が二度も三度も反射的に飛び出す。


「あははっ! ウケる。超ウケるわ。とりあえずご飯たべよ。作戦会議で頭も使うし、腹ごしらえしないとね」


 けらけら笑いながら秋葉がウェイターを呼び、食べ物を次々と注文していく。エリナの奢りだからか、まるで遠慮がみられない。


「エリナがこの場をもつんだから少しは自重しろよ」

「いやいや、注文にはエリナと雨宮の分も入ってるし。というかエリナに驕らせるってのは話の流れで適当に頷いただけ。あとでしっかり割り勘にするよ。そういうわけだから雨宮もしばらく残ってね」

「別に俺はいなくていいだろ。アドバイス聞いたところでやることねぇんだしさ」

「エリナの友達なんだから協力しなさいよ」

「俺の出る幕なんかねぇだろうが」

「仮に上手くいかなくなったときに出張るのが雨宮の役目だよ」

「たったいま急に思いついただけだろ、それ」

「そんなことないよ。澤野、あれでもどう転ぶかわかんないところあるし、もしかしたら、別れてやるからセックスさせろ、とか言ってくる可能性もあるし」

「とんだ猿だな、それ」


 そんな理性蒸発野郎が雨宮や秋葉よりも偏差値の高い高校に通っているのだから、人間わからないものである。


「そういうことで万一の保険で活躍してくれないと困るってわけだよ、雨宮」

「無理矢理セックスとか完全に強姦だから警察サツでも呼べよ」

「いまどき警察なんてアテになんないでしょ。どうせ若気の至りとかなんとかはぐらかされて終わるのが目に見えてるもの」


 もしかして澤野と別れるまでの間に秋葉もお世話になったのかもしれない。


「しょうもない妄想してるのかもしれないけど、澤野とは双方合意のうえでヤったから」

「知りたくなかったわその情報。マジでいらねぇのに生々しくて当分忘れられそうにないし、害悪すぎるだろ……」

「雨宮が変なこと考えるからでしょ。あ、店員さんきた。そろそろエリナを呼び戻さないと」


 秋葉がメッセージを送ると、すぐにエリナが戻ってきた。


「え、なんかめっちゃきたけど……ピザ二枚にパスタにドリアって、ちょっと食い意地張りすぎてない?」


 テーブル一杯に並んだ皿を前に硬直するエリナ。

 その様子に、秋葉が穏やかに笑って言う。


「いやいやこれ一人は流石に無理だし。みんなで食べようよ。作戦会議は長いよ? とりあえずLINEでグループも作っておくからね。とりあえず無事にあのクソ男と別れられようにスクラム組んでいこう!!」

「なんでそんなにやる気溢れてるんだよ……」


 雨宮はこの日、人生で初めて、LINEでグループというものに加わった。

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