Lemon (3)
ゲーセンの向かいにあるファミレスに入る。ここに来るのは二度目だ。
「なにがおかしいの?」
怪訝な顔をして対面に座る秋葉が聞いてきた。
雨宮はおどけた顔を浮かべて首を振ってみせる。
「なんでもない。それより腹減った。なんか食いたいもんある?」
「そうだなぁ……マルゲリータ食べたい。ピザ。高校生になってからそういえば口にしたことなかったの思い出した。それがあれば充分」
「そういえば、女子ってフラれたらヤケ食いとかするって言うけどさ」
秋葉は泡を食ったような目をして、それから声高に笑い声をあげた。
「あははははっ! 勘弁してって。あたし、そんなキャラじゃないし。カラオケやったら発散したからもう大丈夫。考えてみればアイツ、結構クズい男だったし、むしろ振ってくれてありがとうって感じだもん」
「ふぅん」
「どんな男だったか興味ある?」
「俺のこと、他人の元カレの話で盛り上がるような男だと思ってる?」
「……機嫌の取り方がなってないなぁ、雨宮。こういうときは適当に相槌を打ってくれるだけでも全然違うもんなんだよ。話したがってるって雰囲気を感じ取らないと駄目だよ?」
「別に秋葉の機嫌を取ったところで俺が得することないじゃん」
「そういうところだよ、雨宮がクラスでなんとなく避けられてるの」
余計なお世話だ。
「自分の興味ない話されるほど退屈なもんはない。時間の無駄だろ。授業と一緒だ」
「……もしかして勉強できるからサボってるの? 授業」
「決まってるだろ。歴史は山川の教科書を全文暗記すればいいし、数学はチャート式で充分。国語はひたすら本を読んで、英語は英字新聞でも読んでりゃ身につく。独学が難しい化学とか物理は授業にきちんと出てるだろ?」
「……確かにそうかも。えー、でもいいなぁ。なんでそんな頭いいの?」
「学校で勉強してないだけでちゃんと自主勉してるから。それと、逃げたかったんだよ。だけど失敗して逃げ損ねた。その結果がこれってこと」
「なにそれ?」
「逃げる方法が勉強しかなかったってだけの話」
「逃げるって、どこから?」
「俗世から」
「……なんか、ほんとマジでよくわかんない」
「うん。だろうな。だから、理解なんてしなくてもいい。世の中にはそういう人間もいるってことだけ知っておいてくれればそれで」
きょとんとした秋葉の頭にクエスチョンが浮かんでいる。
けれど雨宮もまた、曖昧なこたえ以上に用意できるものはないのだった。
ちょうど会話が途切れたところでウェイターがやってくる。秋葉ご指名のマルゲリータとジェノベーゼのパスタ、唐揚げとフライドポテトのセットを注文する。それとドリンクバーを二人分。ドリンクバーでサイダーを注いで席に戻る。秋葉はウーロン茶だ。
「そういえば肝心なこと聞かなきゃだった。雨宮さぁ、彼女でもいたの?」
「いや……いないけど。いたこともない」
「じゃあ失恋したわけじゃないんだ。なのにあたしと同じ気持ちってどういうこと? よくわかんないんだけど」
「……秋葉はさ、失恋したとき、どうだった?」
「どうって、何が?」
「景色とか、周囲の雰囲気とか、普段どうも思わないこととか。そういうのはいつもと同じだったか? それとも、その瞬間だけは違って見えたか?」
「別になんもなかったけど。ちょっと寂しいなって思ったし、そりゃあ悲しかったけど、それだけだよ。失恋したからって世界が終わっていいとか憎らしくてたまらないとか、そういうのは全然」
「別れたこと、後悔してるか?」
「何日もすればそう思うこともあるかもしれないけど、いまはむしろ清々してるくらい。イケメンだったけど、それだけだったし。やっぱり男は中身だよ。いくら外見がよくても内面とセックスが駄目じゃあさ。ヤるのが好きなのに下手とか、もう最悪じゃんね」
店内に人が少ないのを良いことに危うげな単語を堂々と口にする秋葉。
「内面と、セックスか」
「繰り返すのはさすがになしだって」
「……いや、ごめん。だけど、反応しないのは無理というか」
「男子ってほんと、そういうところばっかり」
ウェイターが食事を持ってきて、テーブルに次々と皿を並べていく。以上でお揃いでしょうか、なんて決まり文句に雨宮が首肯すると、そそくさと厨房へ戻っていった。その後ろ姿をぼんやり眺めていると、対面でばちんっ、と両手が叩かれる。
「うお、どうしたんだよ秋葉」
「話の続き。肝心なこと聞いてない。彼女にフラれたんじゃないなら、なんなわけ?」
「それ、は……」
原因ははっきりしている。ただ、雨宮はここまで誰にも明かしていない。それはひとえに、変な反応を返されるのが怖かったからだ。
「え? さすがにここでダンマリ決め込むとかなくない?」
「ここは俺が驕ってやるって約束したじゃん。それで釣り合いとれてるだろ」
「割り勘でいいよ。話のほうが気になるし」
「っ……いや、それはちょっと」
「何? そんなに話せないことなわけ?」
「……友達にさ、彼氏ができたんだってさ」
「もしかして妬いてるの?」
「違う。断じて違う。けど……なんだろうな、それを知ってから、目に映る景色がずっと灰色のままなんだよ……」
雨宮の告白に、秋葉は目を点にする。
「まさか雨宮の口からポエムがでてくるとは……」
「馬鹿にすんじゃねぇよ真剣に悩んでんだよこっちは」
「いやだから、悩むまでもなく恋じゃん。失恋じゃん、それ」
そして、秋葉は右手に握ったフォークを雨宮に差し向けながら、
「誰がどう聞いても、百人が百人、それは失恋って断言するよ。友達だった彼女が実は自分の中では大きな存在だったって気付くの、よくあるじゃん、フィクションでも現実でもさ」
「だからそんなんじゃないって言っただろ」
「恋はするものじゃなくて落ちるものだからね。してることにも気付かないってのはよくある話じゃん? で、どこの誰なの、そいつ」
にたにたした顔で尋ねてくる秋葉。
殴りたくなる衝動をなんとか抑え込む。
「なんでそんなことまで……」
「ものはついでじゃん。どのクラスの子? それとも先輩?」
「……ちげぇよ。そもそも青凛じゃねぇよ。そこのゲーセンで知り合った白澄の子」
「えっ」
「なんでそんなびっくりしてるんだよ」
「あっ、いや……あたしの元カレも白澄だから……もしかしたらお互い、知り合いかもなーって想像しちゃっただけ」
「…………そうかい」
「……………………う、うん」
「オッケーオッケー。とりあえず、これ以上の詮索はナシってことで」
「……そうね。そうしましょう」
秋葉からの提案で協定が結ばれることとなった。
お互いに藪を突いたら蛇が出てきかねない。下手に詮索をすれば自爆しかねないことを危惧しての秋葉の判断は聡明だ。
それからしばしの間、テーブルに並んだメインディッシュにありついた。秋葉がピザを食べ終えて、片手でスマホを触りながらポテトをつまみはじめる。雨宮もそれに倣ってポケットからスマホを取り出し、メッセージの履歴を確認する。
案の定、数十というメッセージがエリナから届いていた。退屈な日常に突如として起こった事件のことで興奮しているのか、エリナが知り得た限りの情報がわんさか書かれている。
どうやら警察は生徒と教師たちに事件当日のアリバイや情報を確認しているらしかった。それほど治安が悪いわけではない学区で発生した物騒な事件ということもあってか、PTAがなだれ込んできているようだ。エリナが所属するクラスの隣の教室は使い物にならないため、予備で空いている部屋を使ったともある。加えて、現場検証の結果、単に窓ガラスが割られただけで窃盗や教室へ侵入した痕跡はないらしい。器物損害の線が強いという方向で捜査が続けられている、ということのようだ。
メッセージを閉じた矢先に飛び込んできたニュースアプリでもこの事件のことが小さく取り上げられているのを確認して、小さな溜息を吐く。
「雨宮」
「ん?」
顔を上げると、秋葉がスマホを弄くる手を止めて雨宮の手元を見つめていた。
「あんた、High Twilightのファンなの?」
「なんでそれを……って、ああ、このストラップか」
「うん。珍しいなぁと思って」
ライブ会場限定販売のイヤフォンジャックストラップ。あまり目立つものではないし、彼らがメジャーデビューして間もなくの頃のライブハウス会場で購入した古いものだ。彼らがバンドを結成して間もない頃から応援しているファンということの証でもある。
「あたしも持ってたんだけど、スマホ落とした拍子にジャックの部分が壊れちゃってさ。なんかすごい親近感」
「まさかこんなに近くに同士がいたとはな」
「めっちゃ意外。あたし、元カレ以外に周りにファンいなかったから」
「元カレもファンなんだ」
「あー、うん。そう。偶然だよねぇ。まぁ、去年代々木で知り合ってさ。付き合ったのは十ヶ月くらい。元カレは別の中学だったんだけど、そのまま白澄に行って、あたしは青凛。高校に入ってすぐ別れちゃうってよく聞く話だけど、まさか自分がそうなるとは思わなかったなぁ。まーでも、初恋なんてこんなもんだよね。初恋がそのまま最後の恋なんて、漫画の世界だけ」
赤の他人の前でそんな大事なことべらべら喋っていいのだろうかと気にはなったが、聞かなかったことにする。
「もしかしたらこれからもライブ会場で出くわすことあるかもしれないってことか」
「まー会ったところであっちはもうあたしに興味ないし、あたしも未練ないから、シカトするだけだけどさー」
好きだった相手への気持ちにケリをつけて、そこまでの対応を心に決めているだなんて、雨宮には真似できるようなことじゃない。ふんぎりの付け方に尊敬すら覚えてしまうほどだ。
なんて羨ましい。素直に嫉妬する。
そういう心のあり方だったら、もっと自分も楽に生きることができたのかもしれない。
「折角だし連絡先交換しようよ」
「……いいけど。そんなにやりとりすることないでしょ、俺たち」
「そういうところ本当に直したほうがいいよ。交換しようって女子が言ってるのにさ」
呆れた表情で秋葉が指摘する。
「……正直、こういうの慣れてないんだ」
「そんなことだろうとは思ってたけどね。はい、これ。あたしの連絡先」
「おう」
差し出されたQRコードを読み取ると秋葉の名前が表示される。名前、名字の順番になったローマ字。なんだか新鮮だ。
会計を済ませて店を出る。
「それじゃあね。また明日」
「……おう」
駅方面へと去っていく秋葉の後ろ姿が見えなくなってから、雨宮は帰路につく。
新しく手に入れた連絡先。とりあえず『今日はおつかれ』なんてコメントでもしておこうかと考えあぐねていると、スマホがメッセージを受け取った。相手はエリナだ。
『来週のライブ、彼氏と行くことになった。ごめん』
怒りも、悲しみも、寂しさも込み上げてこなかった。
ふざけるな、という感情すら湧き上がらない。
きっと、こうなることを覚悟できていたからもしれない。一番好きな男ができれば誰だってそうするはずだと分かっていた。雨宮だって、彼女ができたらエリナよりもその彼女と一緒にいることを優先する。間違いない。
だから、これは至極当たり前のこと。
いまさら動揺なんてするはずがない。
『分かった。彼氏と楽しんできな』
なるべく感情を含めないよう、それでいてエリナの気持ちを後押しするように、簡素なコメントを打ち返す。
そして、エリナの既読がつく前に、新しく手に入れた連絡先にコメントを打ち込んで送信をタップした。
『来週、お台場でやるHigh Twilightのライブのチケットが余ってるんだけど、興味ある?』
すぐに、スマホが心強いメッセージを受信する。
『マジっ!? 行く! 行きたい!』
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