STORIA 31

「……別に。なあ、黎。俺、そっちの窓際の席がいい。機体が上昇した後でいいから、替わってくれよ」

先ほどまでとは一変した表情の都が、怪訝そうな声音で座席の交替を求めてくる。

僕は窓から見える光景に後引く想いを残したまま、仕方なく自分の席を彼に譲ることを承諾した。

確信は持てないけれど、妙に引っかかりを覚えることがある。

都は、ある話題に対して自身を遠避けている。

そんな気がしていた。

「都って、あまり身内の話をしないよな」

僕がそう言うと、彼は肘置きに右腕を乗せて、窓の向こうへと顔を背ける。

「面倒なだけだよ」

機嫌を損ねた都を傍らに、僕は荷物を上棚から降ろすと、中に入っている小説本を取り出した。

職場勤めの休憩時には欠かせなかった愛読書が、今もこうして手元で役立っている。

僕はこの一冊がとても気に入りで、一度は読み終えても繰り返し目を通すほどに好きだった。

自身にとっては、聖書的な存在に近い物がある。

暇潰しのためだけではなく、大切だから肌身離さず持ち歩いていたのも理由の一つだ。




離陸を終えた741便が一定の速度を保って、水平飛行に入っていることに気付く。

時間を確認すると、出発時刻から三十分近くが経過していた。

もう、昼時だ。

丁度いい頃だと、事前に羽田の空港店舗・ブルースカイで購入していた洋風幕の内弁当をトレイテーブルの上に置く。

箱を開けると、美味しそうなハンバーグの匂いが食欲をそそった。

食べ物の香りに誘われてか、都が僕の方へと首を傾ける。

ぼんやりと周囲を移ろう彼の瞳が、浅い眠りに落ちていたことを窺わせていた。

空腹を感じたのだろう、都も自分の鞄から食物を取り出し、テーブルの窪みに飲料を乗せた。

彼のチョイスは、いつも軽めだ。

サンドイッチやおにぎり、菓子類と飲料は決まって炭酸物。

主食は確りと摂りたい僕にとっては、何だか物足りなく想えてしまう。

「海老フライ、旨そうだな。俺にくれよ。代わりに、これをやるから」

突然、都が僕の食すフライ物に指先を伸ばした。

代わりにと差し出された物は、小袋のスナック菓子だ。

「何、するんだよ。都。海老フライ、食べるのを楽しみにしてたのに」

「いいじゃん、それくらい。黎には、主役のハンバーグがあるだろ」

彼は、悪戯に笑って見せる。

ま、いいか。

都が、いつもの調子でいてくれるならね。

僕は不意に、釧路へ同行することを彼に告げた過去を想い出していた。

幼子の様に喜悦する親友の姿を、褪せた記憶の片隅で今も羨ましく感じている。

都にとっての憧れの地が、手の届く未来の最果てから今まさに、迎え入れ様としているんだ。




僕の身体を、遥か地の底から呼び戻そうとする声が聴こえてくる。







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