STORIA 56
他人との接点を自ら失った僕の心は当然の様に母へと傾いていく。
あなたが僕を忌み続けていても。
無気力な様相で外出先から帰宅した僕は部屋に身を置き、心ない眸で自分が大好きだった画家が描いた作品集を幾つか手元に広げ、強引に視界に取り入れていた。
心を縛る闇を解く為に。
一筆、数色が生み出した世界に心を預け寄り掛かる様に見入る。
絵画だけが僕を救ってくれる。
その筈だったけれど。
だけど今は何れを目にしても僕の気持ちは動かない。
部屋の片隅に立て掛けられた自分の描いた物にさえ、何かを感じる事はない。
僕は自分の作品をそっと胸元に引き寄せた。
この景色を描こうとした動機は何だったのだろう。
どんな想いでその色を用紙に表現していったんだっけ……。
一枚の白い紙に息衝く風景や存在物を描こうとした感情さえも、今はよく想い出す事が出来なかった。
イーゼルもパネルも画用紙と向き合う気力を起こさせてはくれない。
用を失った画材は埃を羽織り、部屋の片隅で。
僕にとって癒やしの色がもう心の助けにならない。
いつまでも捨てずに残して置ける程、こんなに大切な物なのに。
何か一つの事がきっかけになっただけで、自分がこれ程夢中になれる事からも熱冷めを起こしている。
自分以外の者の感情に振り回されているこの心が悔しい。
自分が好きでいる物に心を注ぎ込む事が出来なくなる程、母に牙を向けられる事が怖くて哀しい。
あの日、彼女の吐いた言葉が僕の記憶に深く植え付けられていく。
満たされない、そんな気持ちが限りのない延長線上に蔓延っていた。
僕は今、どうしても絵筆を握る気になれない。
母に自分を認めて欲しいという想いばかりが先立って。
震える指のその先に願う色は作り出せない。
いつか無白の一面に想いが形を露にする、その時を待って僕の胸の奥深くで鮮やかな原色のまま眠っている。
母さん、本当はあなたの心を解いてみたいんだ。
……少しずつ、少しずつ。
僕があなたにとってもう一度大切な子供に戻れる様に。
優しい心で僕と向き合ってくれていたかも知れない幼い頃を想い出してくれる様に。
そうする事で、今は満足の行く作品を仕上げる事への扉が開ける筈だから。
蘭の心にも手は届かず、あなたも僕を忌み続ける。
そんなのは余りに哀し過ぎるよ。
こんな風に想うのはきっと僕だけじゃない。
同じ環境に置かれているなら、誰もが抱く感情の筈だ。
そして何よりも怖いのは周りから受ける感情によって自分が変わって行く事だろう。
今は淋しさに溺れる中に優しさを見付けたいという僅かな光さえ見えるけれど。
確実にこの想いは変化を見せてしまう、この先きっと。
冷酷さを想い知れば知る程、素直でない僕には曲がった感情しか生まれて来なくなる。
傷付いた分だけ人の痛みが分かる人間に成長出来るだなんて、僕には無理だ。
この躰に触れる物が人の冷たい心根ばかりであるなら、僕は軈て自分を見失って二度と起ち上がれなくなるのだろう。
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