episode 2 南条水穂

「それじゃ、仲良くやってくれ。父さんはこれから祈祷会だから」



 教会の牧師である私の父は、そう言うと見知らぬ客人を残して、私の部屋から去っていった。

 もはや私は机に向かって高校の宿題の続きをすることなど忘れて、目の前にいる同じ年頃と思われる少女を見つめた。

 謎の少女は、おもむろに口を開いた。

「なんだ。私の顔に何かついているのか?」

 見かけは可愛らしいのに、使う言葉はやたら「カタイ」。



 さっき、いきなり私の部屋に入ってきた父は、この少女を紹介してきた。

「こちらは、月葉(つきは)ちゃん。困っているところを助けたんだが、住む家もないし両親もいないらしい。辛い事情があってウソを言っているのか、本当に記憶喪失にでもなったのかは分からないが、とりあえずはウチで面倒をみることにしたからな。

 そういうわけで、後はよろしく」

 私は、ずり下がった眼鏡を指で元の位置に押し戻しながら、ため息をついた。



 ……説明、それだけかい! でもって、そんな重大なこと勝手に決めたんかい!



 私の父は、地域でも顔の広い教会の牧師であったから、こういうことは過去も度々あった。面倒見が『異常に』良すぎる父は、キリスト教精神でか困った人を見れば率先して助ける人だった。母もいわゆる「牧師夫人」であり、もともと覚悟もあったのか父のすることには眉一つ動かさずに従うような人だ。

 そんな二人の間に生まれた私は、信仰の二世として生まれた時からキリスト教の教育は受けてきており、厳密には私もキリスト教の信者だ。でも、両親が宗教をやっているところの子どもによくることだが、幼い時はよかったが物心ついて世間のことが色々と分かってくると、「私の家が普通じゃない」というのが分かってくる。で、生まれてから当たり前のように付き合ってきたキリスト教に対して、父には悪いが「疎ましい」と感じることも増えた。

 父も母も、両親がキリスト教になど関係ない中で、教えに出会って「これだ!」と確信して、喜んで信仰の道に入っている。そういう両親には、好むと好まざるとに関わらず生まれてから当たり前のように信仰生活をさせられている私の気持ちは、きっと分からないだろうと思う。

 


 学校では、同じようにキリスト教を信じてるなんて友達はまずいない。

 そして遊びたい盛りなのに日曜日には礼拝。教会行事があればその手伝いをさせられ…「なんでフツーの子と同じように好きに自由時間を使えないのよ!」という反発を最近は感じるようになってきた。

 正直、私は今「牧師の娘に生まれた」 ということを、あまり喜べていない。



 そして今もまた、いきなりどこから来たのか得体も知れない子の面倒を押し付けられたわけで。これじゃ、好きに遊びにいけないじゃん! あ、さっきまでしていた宿題はどうしたの?っていうツッコミはなしで。

 


 ……でも、よく見るときれいな子。



 目の前に立つ少女は色が白く、長い黒髪を腰まで垂らしていた。

 意思の強そうな、切れ長の目。ただ不思議なのは、彼女の服装だ。着物に見えるけど、なんか見慣れたフツーの着物とはちょっと違うし。

 鮮やかな白を基調に、腰から下の『袴』のように見える部分は朱色。何に似ているのかを強いて言えば……そう、神社にいる『巫女』さんの装束だ。

 そんな恰好をした女子が、家がない親がいない状態でフラフラ歩いているって、いったいどんだけ複雑怪奇な事情があるんだろうか?



「えっと……月葉ちゃん、だよね? 苗字教えてくれるかな?」

 目の前の子は、無表情にじっと黙って立っている。とりあえず、話題作らなきゃね。 

「苗字、とは何だ?」

「え、月葉ちゃん、苗字分からないの?」

 答えがあまりに予想外だったので、私は一瞬固まった。苗字知らないって、そんなアホな! そこで私は聞き方を変えて「月葉ちゃんには、月葉って名前の前に何かの字が付いてないの?」と言ってみた。

「ああ。お前たちはそれを苗字と言うのだったな。数百年ぶりだから忘れておったわ。それなら『葉隠』じゃ」

 へぇ、身近には聞いたことのない珍しい苗字ね……って、何、その数百年ってのは? あなたどう見ても十数年しか人生生きてないような外見なんですけど? きょうび、お爺ちゃんでも百歳生きれば長生きだというのに!



 私はこわばった表情をうまく誤魔化せないまま、気を取り直して別のことを聞いた。

「出身はどこ? やっぱり東京?」

 さすがに、出身地がないなんてこと、ないでしょ?

「……この星からは、ちと遠いな」

 私は思わず天井を仰いだ。オーマイガー、あんたは宇宙人か何かかい! 話がまるでかみ合わん。

「でさぁ——」

 さっきから一番気になっていることを、いよいよ聞く決心をした。

「その……何、月葉ちゃんが腰から下げてるモノって、刀?」

 月葉という子は、可憐な少女には全く不釣合いな腰の日本刀に手を触れた。

「いかにも」

 実にあっさりとした答えだった。ってか、かわいい顔して真面目に「いかにも」って言葉使われると、違和感ありまくり。



 ……もうっ、そんなことは分かってるのよっ! なんでそんな物騒なモノ腰から下げてるのかが知りたいのよっ! まさか真剣じゃないわよね、おもちゃか木刀よね?



「それさぁ、一体何に使うの?」

 苦笑いを浮かべた月葉ちゃんは、急に顔を近づけてきて、真顔でこう言った。

「それは、知らないほうがいいぞ」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 ……何かこのシチュエーション、ヤダ。



 月葉ちゃんが、私の後ろからついて歩いてくる。

 色々と気味が悪くなった私は、月葉ちゃんを家に置いといて、気晴らしにCDショップに行こうと思ったんだけどね。

「こらお主、どこへ行くのじゃ」

 ……って聞かれてね。行き先を言うと、ならばわらわも(いつの時代の言葉遣いだか!)、とか言って、勝手についてくるのよ。たぶんだけど、この子CDショップの何たるかは分かってないと思う。カンだけど、行き先がどうの、じゃなく私についてきたいって感じ。



 月葉ちゃんは平然とした表情で、後ろから機械のように正確な歩調でついてくる。

 私は彼女の歩く姿を見て、こないだニュースで見た北朝鮮の軍隊の、一糸乱れぬ歩調の行進を思い出した。

 さっきから、自分たちが街行く人から注目の的になっていることが、痛いほど分かっていた。月葉ちゃんが、目の覚めるような美少女だということもあるかもしれない。でも、何と言っても一番の原因は、どう考えても……腰の日本刀だ。

 それと、巫女さんのコスプレね。(それにしては、服の生地も仕立ても本格的っぽい)



 そんな考え事ばかりしていた私は前方不注意になっていて、母親に手を引かれている幼稚園児くらいの女の子とぶつかった。

 その時女の子の手から、ヘリウムガスで宙に浮いていた風船の紐が離れた。

「うわ~ん、私の風船がぁ~」

 主人の管理下を抜け出した風船は、フワフワ揺れて高く浮き上がっていく。

「ご、ごめんなさいっ!」

 大慌てで謝った私は次の瞬間、信じられないものを見た。

 何を思ったのか、低くかがんだ月葉ちゃんは、そのまま飛び上がった。その跳躍力は、人間のものとは思えなかった。

 月葉ちゃんは、およそ30mの高さを跳躍して、風船をつかんだ。あまりのことに、その光景を目の当たりにした街の人々は、しばらく立ち止まったまま動けず、目を白黒させていた。

 その時、たまたま横のビルの四階で仕事をしていた会社員の数人は、窓から見えたあり得ない光景に、夢ではないかと目をこすった。中には、ここが本当に四階かを疑って、窓の下を覗き込む者までいたそうな。



 重力なんて『そんなの関係ねぇ!』ってカンジで、月葉ちゃんは、軽やかに着地した。

「ハイ。お嬢ちゃん、悪かったな」

 そう言って、ニッコリと優しく、風船を手渡す。



 ……この子、こんな表情もできるんだ。



 それは、さっきから月葉ちゃんには振り回されてウンザリしている私でさえ、思わず引き込まれるような慈愛に満ちた笑顔だった。



 CDショップに着いてからも、月葉ちゃんの行動は普通じゃなかった。明らかに、『挙動不審』と言ってよかった。

「おおお、絵が、絵がうごいているではないか?」

 彼女が驚いているのは、恐らくアーティストのPV(プロモーション・ビデオ)を再生している店内のテレビモニターのことを言っているようだ。

「なんと、部屋に窓もないのにこんなにも明るいとは?」

 信じられないことだが、これが演技じゃないなら月葉ちゃんは『蛍光灯』を知らないということになる。ちょっと前に、江戸時代から現代にタイムスリップしてきて、戸惑いまくるのが面白いドラマがやっていたが、実際にそんな感じなのだ。

 彼女が『CDとは何ぞや?』と聞くので、とりあえず音の出る光る円盤だと答えた。その説明で理解したのかどうかは分からないが、月葉ちゃんは色んなCDのジャケットを次々に眺めまわしていた。



 私は、お目当てのCDをゲットできたので、もう帰ろうと思って月葉ちゃんを探したが、いつのまにやら近くにはいなかった。

 広い店内を探すと、彼女は私が絶対に足を向けないコーナーに立っていた。そこは……『演歌』のカテゴリーだった。

「ちょっと、勝手に離れちゃダメでしょ? 探したんだからね」

 月葉ちゃんの手を引っ張って連れ出そうとしたら、彼女が手にまだ店の商品をつかんでいるのに気付いて、戻すように言った。

「……これ、欲しいぞよ」

「マジ?」

 それは、演歌歌手の『高円寺紀美子』のベストアルバムだった。親につき合って年末に紅白歌合戦を見てると毎年出てくるから、興味はないけど歌もちょっとは知っている。

 着物姿の高円寺が、上半身大写しでニッコリ営業スマイルしてる写真がジャケットに使用されていた。この子、まさか着物が気に入ったからって選んだんじゃないでしょうね……?

「ちょっと! それ、誰がお金払うの? 勘弁してよ」

 察するに、月葉ちゃんにはお金がない。だから、こんな捨てられたチワワみたいに潤んだ目で私を見上げるんだわ! 買ってちょーだいな、って。

 さぁ、どうする? 私。こんなもん買ったら、もう来月のお小遣いの日までは、かなりひもじいことになるわよ?



 ……でもまぁ、お父さんは一度言いだしたら絶対に聞かない人だし。月葉ちゃんの親や親類だってすぐに見つかる感じじゃないし。どうせ長くひとつ屋根の下つき合うことになるんなら、恩を売っておくほうが今後何かとやりやすいかも?



 ああ、なんて優しい私! お札に羽根が生えちまいましたよ!



「かたじけない」

 CDを月葉ちゃんに買ってあげた後、私たち二人はCDショップをあとにした。お礼の言葉としてはカタすぎるけど、悪い気はしなかった。でも、家に帰ったあと私の部屋で演歌を鳴らされる可能性を考えると、ちょっとだけ気が滅入った。

「ところで、お主にちと尋ねたいことがある」

「だしぬけに……何」

「この辺に、夕凪リリス、という名のおなごはおらぬか? 探しておるのじゃが」

「はぁ」

 今日初めて会った、不思議すぎるこの少女の口から、その名前を聞くとは思わなかった。実に、久しぶりにその名前の女の子を思いだした。


 小学生の頃、2年ほどクラスが一緒だった。特に一緒に遊んだり、というほどに仲が良いわけではなかった。でも、名前が「横文字」で、ガイジンっていう独特の雰囲気があったから、印象には残っていた。

 中学に上がってからは、校区が違うせいで別々の学校になり、つき合いも特にないせいで自然と疎遠になった。でももし引っ越してさえいないなら、彼女の家はまだ覚えている。そのことを月葉ちゃんに言うと……

「おお、それは願ったり叶ったり! 早速にでも、道案内してたもれ」



 ~episode 3へ続く~

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