前編第三章『RED EYE』

episode 1 クレア

 ……気まずい。

 そもそも、どうしてこうなった?



 今私は、学校からの帰り道である。

 私は特定の部活動に属していない。自分で言うのも何だが、スポーツはやればなんでもそれなりにできてしまう。でも、特定の何かに絞って全力を注ぐ気にはどうしてもなれない。

「んもう! もったいなさすぎるぅ! ねぇ、うちの女子バレー部に入ってくれたら何でもしてあげるからさ? 考えてみない?」

 親友の仁藤絢音からは、何度そう迫られたことか。いくら親友の頼みでも、気の向かないものはムリ。ってか、何でもしてあげるの「何でも」の指す範囲が具体的に知りたいんだけど!

 だからせめてもの譲歩で「助っ人」が欲しい部があれば、都合のつく限り体を貸してあげている。まるでマンガの世界の中だけにしかなさそうなキャラクター設定だ! と思われると思うけど、でも現実なのだ。

 私の運動神経は「異常」で、何でも少しかじっただけでかなりの部分できてしまう。それが自分でもうれしいとか鼻が高いというよりも、かえって気持ち悪いというのが正直な思いだ。

 こないだ初めてやってみた卓球だって、素振りの見本を見せてもらい、あとは基本的なルールとたまの回転のかけ方の違いを教わっただけで、卓球部のキャプテンを負かしてしまった。さらには柔道や空手など、格闘技系もできてしまう自分が少々怖い。



 今日はたまたま、そういう助っ人の予定がない。そこへ昼休みに絢音が、「今日一緒に帰ろ? 私も用事があって、副部長に任せて早引けするからさ。4時に、正門前で待っててくれる?」と言うものだから、その通りに待っていたのだが——

「あれ、お姉ちゃん……」

 姿を現したのは、絢音じゃなくリリスだった。

 さては、あの野郎!(絢音は野郎ではないが、そう言いたい気分なのだ)

 ……はかったな。たぶん良枝ママと結託していて、妹との仲を取り持とうと色々画策してきていると見ているけど、たとえ親友でもこのことだけは少々うざったい。でもまぁ悪いのは私たち二人なんだけど。頭では分かっているよ。



「リ、リリス……」

 お互いが会ってしまってまで、無視するのもヘンだ。もう、一緒に帰るしかないじゃないか。大げさだが、私は苦行に徹する心持ちで、リリスと肩を並べて道を歩きだした。

 さぁ、何をしゃべったらいいか? そんなリリス以外の相手では絶対に悩まないことを悩んだ。

「今日は学校、大丈夫だった?途中、気分悪くなったりしなかった……?」

「ええ、お蔭様で」

 実の姉妹同士の会話で、普通「お蔭様で」なんて言うかな? そんな言葉が会話で普通に出るということは、どんだけ今の私たちが「他人行儀」か、ということを示してない?

 そう考えたら、一気に何かを良くしよう、という向上心がしぼんだ。もう今は、無言だろうが気まずかろうが、とにかく家に帰り着けばそれでいい。



 気まずさで顔がこわばっていたのはもちろんなんだけど、まったく別の意味で、顔がこわばることになった。

 さっきから、あることで違和感があった。

 犬が……ついてくるのだ。

 首輪をしていない。飼い主の姿はなく、犬単独。しかも、威圧感のある大型犬だ。私の知識が確かなら、あの犬種は確か……「シェパード」とかいうやつだ。

 それが私たち二人の後ろをのそり、のそりとついてくるのだ。

 最初は感じた違和感を、気にし過ぎと心から追い払ったが、ふたつ角を曲がったところで、ついてくる犬が二匹に増えた。犬種は知らないが、やはりシェパードに見劣りしない大型犬だった。



「リリス、後ろの……気付いてる?」

 普段仲がどうでも、共通の脅威がある時は素直になれるものだ。この時の私のリリスへの言葉は、ここ数年で一番わだかまりなく発せた言葉だったとあとで思った。

「うん。シェパードとセントバーナード……飼い主もいないのに、確かにヘン」

 あ、あれセントバーナードって言うんだ。その時の私は、恐怖心よりもリリスよく知ってたなぁという感嘆の気持ちの方が勝ったことが滑稽で、こんな状況でもクスリと笑えた。



 でもまたすぐ、もう笑ってられない事態となった。

 二匹になった時点で異常事態なのに、塀を飛び越えて一匹、近くの草むらから一匹現れて合流し、計四匹が私たちの後ろをゾロゾロ歩きだした。

「リリス……これ、知らんふりして歩き続けるのと、どこかでダッシュするのと、どっちがいいと思う?」

 運動能力の高いのは私だが、作戦を立てる軍師としてはリリスのほうが絶対に優秀だ。素直に意見を聞いた方がいい。

「まだ、しばらくこのまま歩きましょ。こちらが我慢できずにダッシュした時が負け。多分、一斉に飛びかかってくるわ。抵抗しても、まず勝ち目はないもの。それに、いくら何でも誰か通行人がいるでしょ」



 先ほどから感じていたもうひとつの違和感。

 飼い主もいない犬が四匹も、私たちのうしろをずっとついてくるというだけでも異常だが、もうひとつおかしいのは、さっきから他の人間とゼンゼンすれ違わないことだ。いくら繁華街からは距離のある住宅地とはいえ、この時間帯に道で誰ともすれ違わないのは異常だ。

 例えるならまるで、映画の撮影のためにこのあたり一帯を「貸し切った」感じだ。もしかしたら、期待してもこの先ずっと誰ともすれ違わないままじゃないか。で、ぐずぐずしてたらどこかで向こうから襲ってくるんじゃないか? そんな恐怖が胸をよぎってくる。

 そして現実に、背中のほうからグルルル……という、犬たちのくぐもった低いうなり声が聞こえてくる。まるで獲物を目の前にして、狩りをするタイミングを計っているいるかのように聞こえてしまう。こりゃ、気でも紛らわさないと心が折れそうだ。

「リリス、新しく増えた犬は何て言ったっけ」

「シ、シベリアンハスキーとポインター……なんで、犬種みごとにバラバラ?」

 ほんま、よう知っとる。あえて自分をなごますために関西弁で思ってみたけど、なんの足しにもならなかった。不安は、募るばかり。



 その時だった。一匹が、距離を詰めてくる気配がした。

 振り返らなくても分かった。運動神経校内トップは伊達じゃない。(バレーだけは絢音に譲るが)私の背中には、目がついてるのも同じだ。

 不意打ちでさえなければ、ほぼ百パーセントの確率で背後からの接近は感知できる自信がある。これはもう、助けを待つ時間はない。犬を刺激しないよう、現状維持で歩き続ける選択肢も、もうない。

「リリス走りなさい!」

 そう言ったが私は走らなかった。

 振り向きざまに先頭の犬の足を、かがみこむと同時に足で円弧を描いて払った。格闘技で、相手を転倒させるのによく見られる技。犬に有効かどうか不安だったけど、見事に決まった。

 先頭の犬はもんどり打って、歩道のガードルに激突した。同時に、後ろに控えていた二匹の体が宙に踊った。

 動物を傷付けるのは本意ではないが、この際仕方がない。私は数歩踏み込んで、犬の勢いと跳んだ高度を考えた上で、犬の腹下あたりに位置取りできるように跳んだ。着地と同時に思いっきり腰をかがめた私は、ジャンプと同時にアッパーカットの要領で腕を真上に振り上げた。

 一撃で仕留めないと、戦いが長引いて嫁入り前の体を傷ものにされては困るので(ちと考え過ぎ?)、手加減なしで拳を振りぬいた。

 二匹目の犬は、くぐもった悲鳴と共に、地面にドサリと落ちた。私が襲わなかった方の一匹は、着地と同時にまたこちらに狙いを定め、後ろ足で地面を蹴った。勢いをつけて、ダッシュしてくる気だ。

 さらに、もう一匹が唸り声を上げて待機している。次の手はどうする? まともに二匹を相手したら、勝てるかどうか分からない。



 その時、目の前の一匹に全神経を集中させていた私は、視界の端に後方の一匹が倒れたのを捉えた。その後ろには、通学カバンをふりあげて、呼吸も荒く肩を上下させているリリスの姿があった。

 さすが策士。一匹でも自分が減らしておかないと、私が力尽きる可能性が出ると考えたのだろう。ケンカはからっきしでも、とっさの機転で4匹目の後ろに回り込んだのだろう。興奮して私だけに注意を払っている犬の背後を取った辺りはさすが。

「サンキュー、リリス」

 相手があと一匹なら、私も余裕だ。必ずねじ伏せられる。



 しかし、事態はまた急転した。

 4匹以上増えることを全く可能性として考えなかった。ラスト一匹と考えて前方に踏み込もうとした私は、四方から塀を超えて新たに飛んできた野犬に凍り付いた。その数、5匹程度。

 時間にしてコンマ2、3秒の世界のことで、私は後悔したり自分の人生を嘆いたりするヒマもなかった。新たな野犬集団を相手にしたら、確実に助からない。



 タ・ス・カ・ラ・ナイ。



 その六文字が頭によぎった時、絶望とはまったく別のルートから、ある感情が押し寄せた。いや、感情というよりはエネルギーか。

 メザメヨ。ソシテ、タタカエ——

 自分の心の思いなのか、どこか他から投げかけられた言葉なのかは分からない。とまどう私の自意識を押しのけて、私の「ある部分」が勝手に目を覚ました。

 いきなり目の前が真っ赤になった。

 目を凝らしてよく見れば。その赤色の正体はどうやら「火」のようだ。

 それを証拠に、熱い。しかもどうやら、この炎は私が出したものらしい。

 メラメラ燃える炎の壁は、人気のない住宅地の道路を埋め尽くした。火は、跳びかかろうとしていた一匹に生き物のように伸びていき、体を巻き上げた。まるで、蛸の触手に巻き取られるように。

 新たに跳びかかってきた5匹のうち3匹までが、いきなり現れたその炎の壁をよけられず、くぐって火だるまになった。

 一体なぜ? と不思議がっている余裕はなかった。残された二匹はあきらめようという考えはないようで、炎の壁を避けて私に向かってきた。

 一匹なら正面から正拳突きで撃破できる。でも、二匹はムリ。犬の反射神経なら、その気になれば私が別の一匹を攻撃しているその瞬間に、そしてこちらが二匹目をと考えるそのはるか前に、こちらを牙にかけることができる。



 また、体が何かに乗っ取られたかのように、勝手に動いた。



 ……メギド・フレイム(神の火)



 私が跳びかかってくる二匹の前方に手を伸ばしてかざすと、炎が噴き出した。その火柱は半径1メートルほどの円錐形となり、それは少し離れた二匹を射程に収めるには十分だった。

 目の前で、みるみる犬の肉体が熱で分解していく。



 脅威がすべて消えたが、静寂がもどっても私たち姉妹はその場からしばらく立てなかった。ヘナヘナと座り込み、しばらくの間虚脱感に襲われた。

 背中合わせに地面に座り込んでいるリリスは、人心地がついてから口を開いた。

「お姉ちゃん、さっき口にした『メギドフレイム』って何?」

「……知らない。なんでそんなこと言ったのか、こっちが聞きたいくらいよ」

 私の内側の何かが、私という自意識が知らない能力を持っていて、危機感からとっさに発動させたのだろうか。さっきのは、まるで映画の中の魔法使いみたいに、呪文を唱えて魔法を使ったかのようだ。

 不思議なことに、火を使役している私自身は、多少火の熱さは感じてもそれ以上には何も問題なく平気だった。手から火を放っても、皮膚はやけどひとつしていない。また、その炎はどうやら「攻撃対象」だけを炎上させる特性があるらしく、周囲の住宅の壁や垣根、草むらなどには燃え移っていない。

 あれだけ派手に炎が乱れ飛んだのに、どこも燃えないとは! この能力は、便利と言っていいのか「被害を最小限に食い止める良心的設計」と言っていいのか……



 気持ちが落ち着いてから、私は現場を観察した。

 私が格闘して倒した犬は、跡形もなく消えていた。

 確かに、打撃を与えて動かなくしたのに。仮にその場から逃げたとしても、私が気付かないはずがない。そんなことより不思議なのが、私が燃やしたはずの犬。

 普通、燃えても炭化した黒こげの体とか、最低でも骨くらいは残るはず。

 でも、どこを探しても動物の骨と思われるものが一切残っていなかった。

 灰ひとつ落ちていない。まるで、分解して「消えた」と表現してもいいくらい。



「お姉ちゃん、気付いていないようなら言うけど——」

 何だろう? 他人から見たら、まだおかしな点でもあるのか。

「火を使っている間、目が真っ赤だったよ。今は元に戻ってるけど」




 ~episode 2へ続く~

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