第三十二話 風聞

「お、お、ぐ、ろ、くーん!」

「……委員長」


 大黒が相生の家に泊まってから二日後、大学の廊下で偶然大黒の姿を見かけた相生は大声で名前を呼びながら走り寄ってきた。


「おはよう!」

「……ああ、おはよう」

「どうしたの? 元気ないね。何かあったのなら力を貸すよ? 私の方は大黒くんのおかげで変な夢や妙な倦怠感から解放されたんだし、何でも言って!」

「…………そうだな、そう。恩着せがましい言い方になるかもしれないけど、確かに委員長の問題を解決したのは俺だ。普段世話になってる委員長に少しでも恩返しがしたかったから、粉骨砕身しながら頑張った」

「いやー、本当にありがとうね。きっと私の知らない所で色々やってくれてたんだろうし、感謝の念が絶えないよー!」

「……うん、まあでもあくまでそれだけ。委員長の家でその問題を解決すること以外は一切やってない。そうだよな?」

「う、うん」


 大黒の語気に押されて、相生は少し怯む。


 そうして会話が途切れた二人の耳に入ってくるのは、周囲から聞こえてくるひそひそ話。


『おい見ろよ、委員長が大黒に話しかけてるぞ』

『ああ、しかもあんな笑顔で駆け寄るなんてやっぱり噂は本当だったんだな……』

『らしいな。くそっ、俺も委員長狙ってたのに……!』

『マジかよ。じゃあ頑張って寝とればいいじゃん』

『ちょっ! 冗談でもそんなこと言うなよ! 相手はあの大黒だぞ!』

『えっ、あいつってそんなヤバいやつなのか?』

『ああ。何でも元ヤクザで、あの腕は足抜けする時にけじめとして置いてきたって噂が……』

『指じゃなくて腕を!? そりゃあよっぽどキレた組にいたんだな……』


 右からは畏怖と嫉妬にまみれた男達の声。


『見て見てっ、姫愛が大黒くんと喋ってる! あの子ったらモテるのにずっと彼氏作んなかったから心配してたけど、とうとう大人になったんだ。嬉しいような寂しいような……』

『何目線よあんたは。……でも姫愛に心を許せる人が増えたのは良いことね。あんなにも緩んだ顔向けちゃって……、大黒くんには変な噂も多いけど姫愛があんな顔するってことは悪い人じゃないんだろうし。……何よ』

『いやー、私より悠里の方が親みたいな目線してるなーって思って』

『……うるさいわね。ほら、もう行くわよ。あんまりジロジロ見られちゃあの二人も居心地悪いだろうし』


 左からは慈愛と好奇心に満ちた女達の声。


 それらに挟まれながら、改めて大黒は相生と目を合わせる。


「じゃあ何で委員長と俺が付き合ってるって噂がこんなにも広まってるんだ……?」

「え、えーっと……」


 相生は追求してくる大黒から必死に目をそらして、しどろもどろになりながら答える。


「あ、あのね。私も本当にそんな大した話はしてないんだよ? 大黒くんがこの前家に泊まったっていうのを、ちょっと友達に漏らしたくらいで……」

「ふーん……、ちなみに何人くらいに話したんだ?」

「ほ、ほんの二、三…………十人程」

「多いっ!」

 

 相生がボソリと付け足した桁は大黒の想像を優に超えていた。

 まさかの拡散具合に大黒は焦って相生に詰め寄っていく。


「そんだけに話したらそりゃあちこちで噂もされるよ!」

「いやー……、私も話しすぎたかなーって思ったけどこんなに広まるとはねー……」

「委員長は自分の有名具合を知らなさすぎだ! 委員長ぐらいの知名度だったら似十人に話したら二百人には広まる!」


 叫び終わった大黒は『あああぁ……』と唸りながら頭を抱える。


「しかも広がりすぎて尾ひれが付いたのか、俺が委員長を妊娠させたみたいな話まで出てるしさぁ……!」

「あ、それは私のせいかも。大黒くんと一晩過ごしたって話したから、変な方向にいっちゃった可能性が……」

「別々の部屋で過ごしたことを一晩過ごしたと表現するなっ!」


 この分だと他にも誇張された話が出てきそうだと思いながら、大黒は不名誉に有名になってしまったことをメソメソと嘆き始めた。


「せっかくこの四年間目立たず地味に平和に過ごしてたのに……まさか最後の最後にこんな針のむしろになるなんて……」

「うーん……、今回のことは私が悪いけどそれ以前に大黒くんも結構有名だったからね? 主に悪い意味で」

「嘘だろ!?」


 相生から聞かされた自分の評価に大黒は目を剥いて驚く。

 大学という場所は、大黒にとってただ卒業して学歴を作るための場所でしかない。

 そのため、サークルには入ったことがないし、授業も最低限しか受けていない。

 そんな時間があるなら九尾の狐を探す時間に当てたい、というのが大黒の考えだった。

 だから自分を知っている人間など、せいぜい両手で数えられるくらいしかいないだろうと思っていた。

 しかし、


「だって授業中に地図を広げてニヤニヤしてるし、ゼミの集まりとかには誘っても絶対に来ないし、なんか骨折の治療中に病院から抜け出したなんて話もあるし、正直周りからは奇人変人の類だと思われてるよ」

「あああああああ…………!」


 九尾の狐を見つけるためにしていた自分の行動を改めて聞かされると、確かに悪目立ちしかしないと思い至り、急速に恥ずかしくなっていた。


「今回みたいに大っぴらには噂されてなかったけど、皆が大黒くんとは極力関わり合いになりたくないと思うくらいには目立ってたからねー。それを考えると今回の噂はもしかしたらマシな方なのかも……」

「よし、それくらいにしとこう。あまり過去を掘り返すもんじゃない。それよりも、俺と委員長が付き合ってるという噂の方を何とかしよう。マシな方とはいえ、このままだとありえない所までありえない形で広まる可能性だってあるだろ?」

「そうだねぇ……、大黒くんの本当の彼女さんにも悪い気がするしなんとかしたいのは山々なんだけど……」


 そう言って相生は顎に指を当てて少しだけ考え込む姿勢を見せる。


「…………うん! 人の噂も七十五日って言うし、きっと時間が解決してくれるよ!」

「二ヶ月半は我慢しろと!?」



         ◇





 

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