第拾弐話 教育

「で、ハクとしてはこれを、この難解問題集をどれくらいの期間でやらせる見積もりだったんだ?」

「五日分の予定でした……」


 大黒の反応からさすがにおかしいのは自分の方だったと気づき始めたハクは、しゅんとしながら大黒の質問に答える。


「一週間ですらないのか……。よし、もう言うまでもないと思うけど磨の家庭教師役は俺がするからハクはそれ以外のことを頼む」

「な、なんでですか! この問題が駄目だと言うのなら作り直します! 難易度だって少しは下げましょう!」

「そこで少しはっていうのが駄目なんだって。あれだ、正直ハクは人にものを教えるのに向いてないと思う。出来る出来ないの基準が自分っぽいし」


 大黒は頬杖をつきながら、食い下ってくるハクを諭す。


 誰かを教育するときに一番大事になってくるのは、言葉を相手のレベルに合わせることだ。

 相手が理解しやすい言葉で、相手が理解しやすい筋道を作っていく。そうやって基礎というものが出来上がってくる。

 そのためには相手のレベルをきちんと把握しなければならないし、相手のレベルが分かるまでは誰にでも伝わる言葉で教えていくべきだ。


 しかしハクはというと、なまじ自分が何でも出来るばかりに出来ない人間の気持ちがわからない。

 もちろん自分が天才だという自覚はあるため、周りに同じレベルを強要することはない。今回の問題にしても、ハクだったら三日で理解することが出来る。

 さすがにそれは無理だろうと思い猶予を五日設けるつもりだったハクだが、普通はいくら時間をかけようとハクが用意したプリントだけでは解くことすら不可能である。

 だが、解くのは当然と思っていたハクにそんな発想は出てこなかった。


「分かりました、私も譲歩しましょう。毎日交互に勉強を教えるというのはどうでしょうか? 貴方が組むカリキュラムさえ教えて頂ければ、私もそれを逸脱することはしませんし」

「いや、このプリントを見るにハクがそれくらいで止まる訳ないと思う……。ていうか何でそんなに教えたがるんだ」

「……一時とはいえ私が育てるのです。磨には知識や気品や技能、その全てを身に着けてもらいたいと思うのは当たり前のことでしょう」


 ハクは胸の前で拳を握りしめ、決意の籠もった瞳で大黒を見る。大黒ならきっとこの想いを受け止めてくれると信じて。


「ハク……。うん、まあとにかくハクが勉強を教えるのは無しな。待たせて悪いな磨、今からちょっとだけ勉強するか。あ、勉強が嫌になったらいつでも言ってくれていいからな」

「なんでですかぁ!」

 

 しかし想いは届かず、それどころかかつてなく雑に扱われてハクは握りしめた拳を頭上へと掲げる。


 隣に座っていた磨に筆記用具を渡そうとしていた大黒だったが、怒髪天を衝く勢いのハクを無視するわけにもいかずハクの方へと振り返る。 


「なんでって言われても……、そんな教育ママ的なことを言われたら余計に離したくなるというか……。ぶっちゃけ重いというか……」

「お、おも……!?」


 ハクは思いもよらぬ言葉に目を見開く。


 好きな相手の部屋を勝手に用意して、そこにその相手を閉じ込める大黒から言われた『重い』という言葉は、ハクにしばらく動けなくなるくらいのダメージを与えた。


 当の大黒は動かなくなったハクを見て、よく分からないけど納得してくれたのかと勘違いをして再び磨に話しかける。


「なんかハクも納得してくれたみたいだし、そろそろ始めるか」

「…………結局、私はこれをやればいいの?」


 二人が揉めている間、微動だにしなかった磨は話の流れをいまいち理解しておらず、プリントの山を見て大黒に尋ねる。


「あー、いやこれはやらなくていい。簡単なのだけは使うけど、基本的には無茶なのしかないし」

「……出来る出来ない、じゃなくやれ、と言われれば私はやるわ」

「その年でなに社畜みたいなこと言ってんだ。やれと言われたものをやらなくても許されるのが子どもの特権だというのに」


 大黒は暗い瞳で見てくる磨の頭を乱暴に撫でる。


「磨は考えすぎだ。もっと気楽にしていいんだよ、勉強だって磨がやりたくなかったらやらなくていい。多少はやってたほうが生きやすくなるから教えようとしてるけど、無理にやるものでもない。やりたいことがあるなら全然そっちを優先させるし」

「やりたい、こと……」

「そう、やりたいこと。なければないでいい、きっとまだ磨は知ってることより知らないことの方が圧倒的に多いだろうからな。知ってることを増やしてやりたいことを探す段階だ。そのためにとりあえず学校で教えてもらえる勉強をしてみないかって話だな。どうだ? やってみるか?」

「……………………」


 あくまで磨がどうしたいかを優先させたい大黒は、言葉を尽くして磨の内面を引き出そうとする。

 だが磨は、ただじっと自分の手のひらを見つめるだけで言葉が出てきそうになかった。


(多分、色々考えてはくれてるんだろうな……。でもそんな急に答えが出るわけもないか)


 大黒が引っ張ってこなければ、ソファーに座ることすらしようとしなかった磨。 そんな磨に対して今の質問は早急すぎたと大黒は内心で自省する。

 

「考えすぎなくていいって言ったそばから考えさせちゃったな。ま、答えが出るまでは勉強するか」

「そうするわ……」


 磨は心ここにあらずといった様子で返事をする。

 


 そして大黒は、いつか磨が自分の意志を出せるようになることを願いながら勉強を教え始めた。

 

 

 

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